第9話 你是日本人吗!?

 時間が、あってもあっても足りなかった。昼休みに生徒会室へ資料を確認しに行き、今日の評議員会の司会である透くんに変更点を伝え、各授業の合間の15分休憩で今後の予定調整と明日の予習。我ながらよく働いたと思う。この一秒も無駄にしてない感じ、嫌いじゃない。


「雨月、ちょっとは休憩時間を休憩時間として使いなよ…」


 1秒も無駄にせんとす私を、隣の席で本を読んでいた雪斗が心配そうに見ていた。


「雪斗に言われたくないわ。15分休憩、雪斗だって休憩しないで本読んでるのに!」

「僕は好きでやってるからいいの!むしろ本は癒しなの!」

「私も予定調整と明日の予習は癒しだよ」

「嘘つけ」

「嘘じゃないよ。これさえ終わってれば安心して夜寝れるもん。心の安定に必要なことだもん」

「…はいはい、わかったわかった」


 雪斗がお手上げ、と言うように両手を挙げた。


 休憩時間、いつも本を読んでいる彼が本を置いてくれると、どこか嬉しい気持ちになる自分がいる。大好きな本をいったん置くという行為が、私にはきちんと向き合って話をしてくれていることのように思えてならないからだ。決して無理に中断してほしいわけでも、私を優先してほしいというわけでもない。ただ、ちょっとした彼の言動に、勝手に意味を見出して、幸せを見つけたいだけなのだ。


「癒しね…いま何読んでるの?」

「自省録」

「難しくない?」

「難しい」

「何言ってるかわかる?」

「なんかずっと宇宙の自然って言ってる」

「眉間にしわ寄せながら読んでたけど、それ癒しなの?」

「…癒しだよ」

「はい!!嘘!!」


 雪斗は、嘘をついたり言いにくいことがあったりしたとき、一度ゆっくりめにまばたきをしてから視線を右にそらす癖がある。見逃さないぞ、私は。


「ちょっと見え張った」


 私の言葉を聞いて、雪斗が少し恥ずかしそうにはにかんだ。


「でもね、興味深くはある。今意味の分からないことも、後から『あ、このことを言ってたのか』って分かるときが来る。その分かった瞬間っていうのは、きっとぼんやりとした知識が僕のものになる瞬間なんだ。その時の為の貯蓄だね。アドバンテージを作ってるの」

「なんか、雪斗がすっごい大人に見えるよ」

「残念。これ、桜火の受け売り」


 雪斗が少し大げさに肩をすくめてみせた。その彼の姿が、とても大人びて映る。小学生の時から、大人びた思考をする人だなあとは思っていたけれど、最近拍車がかかっているような気がする。


 雪斗はいつも物事を俯瞰して捉えて、まっすぐ進んでいるように見える。


「なんでそんなに、頑張るの?」


 思わず口からこぼれた素朴な疑問。その疑問に彼は一瞬目を丸くして、なぜか耳を赤くした。


「え、変なこと聞いたかな私」

「いや」


 そして彼は、言いにくいことがある時の癖でもある一度ゆっくりめにまばたきをしてから視線を右にそらすという一連の動作をしてから、


「隣にこんなに頑張っている人がいたら、背伸びもしたくなるよ」


 と早口で言った。


 隣…頑張っている人…それってもしかして…


「それって私のこと?」

 

 ドギマギする彼に少し意地悪がしたくなって、上目遣い気味で彼の目を見た。


「う、もう、評議員会の準備あるんでしょ!行くよ!」


 ガタッと勢いよく雪斗が立ち上がった。つられて私も立ちあがり、私たちは急ぎ足で評議員会の会場へ向かった。


「あ、会長。お疲れ様です」


 評議員会の会場であるランチルームに入ると、生徒会のメンバーが私を待っていた。ちなみにどうしてランチルームなのかと言うと、大人数で会議をするだけの机と椅子、広さがあり、机を移動させる手間のないこの部屋が便利だからだ。


「お疲れ。透くん準備はできてる?」

「はい。資料は配り終わっていますし、各委員会の立て札も机においてあります」

「さすが。あれ、リンは?まだ来てない?」

「いるヨ!ホワイトボードペンが足りなかったから教務室からとってきたヨ」

「あ、おかえり」


 透くんと話していると、肩で息をしたリンが部屋に入ってきた。急いで教務室に行ってくれたらしい。


「よし、完璧ね。あとは時間が来るまで待機するだけ」


 2分後には各クラスの評議員会や委員長がぞろぞろランチルームに入ってきた。放課後特有の若干熱気のこもった空気が部屋に充満する。窓から見えるサッカー部の練習風景を見ながら、この会議の後の部活について考えている人が大半だ。評議員会は、月に数度の「部活時間を削るややだるいもの」、という認識がほとんどの人の中にあることは否定できない。


 なので!私はこの会議をいかに簡潔に、内容を濃く、スピーディーに終わらせられるかを大事に計画を練るのだ。


「それでは、評議員会を始めます」


 司会の透くんの声が、一瞬で静まったランチルームによく響いた。彼は、少し不思議なくらい耳に入ってくる声をしているのだ。ぼんやり耳を刺激するざわめきの中で、一直線に自分に向かってくるような澄んだ声。彼の声を聞くと自然と背筋が伸びて、気持ちにスイッチが入る。素敵な才能だと思う。


「起立。礼」


 澄んだ声で、会議はスタートした。





「…予定していた内容はすべて終わりました。何か質問や疑問のある方はいますか?ないようですので、これで終わります。お疲れさまでした」


 会議は順調に進み、予定より5分ほど早く終わりを迎えた。透くんの声を合図にざわめきが部屋に戻ってくる。そそくさと筆箱をしまい、ランチルームから飛び出していく人。ゆっくり準備をしながら、友人と話す人。


「終わったネー。反省会早く終わらせて帰ロー」

 

 リンが後ろから肩をポンっと叩いてきた。反射的に振り返る。


「え…」


 振り返った喧騒の中で、私は胸がドキッとする光景を見てしまった。ぐしゃっと握りつぶされた資料の端っこが、満杯になったごみの一番上で、心もとなく佇んでいる。


 部活に早くいきたくて急ぐどこかのクラスの評議員が、目の前で資料を捨てたのだ。


 それは…クラスみんなに見せてもらわないといけない資料。今捨ててしまったら、あの人のクラス全体が困ってしまう。

 

 それに…あれは、生徒会が一生懸命作った資料。先生と何度も打ち合わせをして、パソコンになれていない役員に指導をしながら、丁寧に作ったもの。見やすいように、分かりやすいように、考えて考えて作ったもの。百歩譲ってその資料が、今この瞬間必要のないものになったとしても、目の前で捨ててほしくなかった。資料と一緒に心がぐしゃっとされたみたいだった。


 些細なこと、細かいこと。そんなこと、いちいち気にしていたらきりがない。弱弱しく被害者みたいな顔をして、「悲しいです」と主張することは、時として人の反感を買う。


 分かっているけれど。だけど、たまに自分でもびっくりするくらいに些細なことが、胸に刺さって抜けなくなることがある。気を張り詰めている時ほど、心はポキッと音を鳴らすものだ。


 「教室のごみ箱に配布物を捨てるな。悲しくなるから」といった小学校の先生の声が頭をよぎる。家に帰ったらすぐ捨てるのなら、今ここで捨てても変わらないじゃないかと思ったあの時の自分の薄情さと、先生の気持ちが分かった気がした。


「ちょっと…!」

「待って」


 「その資料はまだごみじゃないの」と追いかけようとした私の声に重なって、雪斗の声が聞こえた。


「待って」


 雪斗がもう一度、急ぐその人を引き留める。迷いのない足取りで、その人の方へまっすぐ歩いて行った。


「なんだよ」


 「急いでるんだよ」といいたいのは、態度で丸わかりだ。その態度を見ても、雪斗は全然ひかない。彼が学校で誰かと正面を向いて対峙しているのは珍しい。


「これ、ごみじゃないよ」

「え?」

「これ、まだ使うよ。さっき言ってたよ。これは教室に掲示しないといけないやつだって」

「あ、そうだっけ。もう覚えたからいいかなって」


 雪斗が、嫌な感じを出さないように言葉を紡いでいるのが分かる。しかし残念なことに時を刻む秒針の音は、評議員の急ぐ心を順調に刺激する。


「それに、この資料をここで捨てるのは…」

「欸!?」


 雪斗が再び口を開いたのもつかの間、雪斗の声より3倍は大きい中国語が私の耳を劈いた。


「你喝咖啡还是喝果汁儿!?我想吃饺子!!日本东西太可爱了!!我要减肥!!你是日本人吗!?????」


 怒涛の中国語が、ランチルームに響き渡る。畳みかけるようにして話すリンの迫力は、すさまじい。声をかけられた(怒鳴りつけられた本人)は、なんて言っているのか分からない恐怖と、その迫力に目を点にしている。隣で見ている雪斗もまたしかりだ。まだ部屋に残っている他の人もぎょっとしている。


「…ふう。ちゃんとごめんなさいできたら、新しい資料あげるヨ」


 中国語から日本語にスイッチングしたリンが、優しい笑顔を作る。


「ご、ごめんなさい」

「透ー、新しい紙持ってきテー」

「はい」


 怒られた彼は何が起こったのか理解しきれないまま、新たにもらった資料を丁寧にクリアファイルにしまって部屋から出ていった。2分にも満たない間の出来事だった。


「…プッ。ハハハ、面白イ」

「…またリンやったわね」

「え、またって何⁉」


 扉が閉まったのを確認した途端、リンがとらえきれずに笑い出した。呆れる私と、驚く雪斗と、黙って肩をすくめる透くん。私が目配せすると、透くんが意図を組んで説明を始めてくれた。


「リンちゃんは…あの、とても賢い人なので」

「わ、褒められタ」

「中国語を使えば相手をひるませられることをよく分かっているんですよ」

「え、褒めてル?」

「わざと中国語で怒ったふりをするんです」

「わざと…?」


 雪斗が首を傾げた。私が説明を変わる。


「つまり、パフォーマンスなの。中国語分からない人にしてみれば、それっぽい顔で、早口でまくしたてれば『とんでもない言葉でののしられている…』と思うでしょ?ね、リン。さっき、ぜんっぜん意味のない中国語並べただけだよね」

「へへへ」


 リンが舌を出す。


「なんて言ってたの?」

「えーとネ、『あなたはコーヒーを飲みますか、それともジュース?私は餃子が食べたい!日本のものはとてもかわいい!私はダイエットしないといけない!あなたは日本人ですか?』って言ってたヨ」

「あの迫力で、こんなに中身のないこと言えるの…」

「すごいデショ」

「ドン引きだね…」


 雪斗が脱力して椅子に腰を下ろした。最後、さらっとひどいこと言ったような気がする。


「副会長として生徒会が舐められないように努めるのが、大事な仕事なのでス」


 こうして、その日の評議員会は終わりを告げ、入れ替わった空気が私の胸を満たしていた。


 


 

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