第6話 雨の向こうの月 ー城崎雪斗ー

 雨月は、雨の向こうの月みたいな存在だった。


 雨が自分の姿を隠しても輝く月のように、自分の努力が人に見られていなくても、頑張れる子だ。


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「雨月、寝てる…」


 昼休み、教務室から帰ってくると、雨月が無防備な顔をこちらに向けて寝ていた。僕は今期図書委員長になったので、その件で先生から呼び出されたのだ。


 雨月の前髪の隙間から、うっすら青くなったおでこが垣間見えた。先日壁に思いっきりぶつかった時のものだ。


「学校でこんな風に寝るなんて珍しいな」


 僕は、その顔を見つめながらぼんやり考える。


 僕は、雨月以上に神経を張り詰めて生活している人を知らない。彼女は、自分に求められているものをよく理解して、その期待に応えるだけの技量のある素敵な人物だ。


 鎖骨あたりまで伸びたつやつやとした髪をポニーテールにし、背筋を伸ばして歩く彼女の姿は凛としていて、思わず目を奪われそうになる。くっきりした二重瞼から覗く少し色素の薄い瞳は、光が入ると茶色く光って、美しい。歯並びの綺麗な歯は白く、声帯は母親に似た澄んだ声を響かせる。成績は常に学年トップ3に入り、嫌味のない明るい性格は人を引き付けてやまない。


 そんな彼女が昨年の11月末に、生徒会長に選ばれた。「やっぱりな」をいう気持ちが、全校生徒の中で充満したし、「彼女に任せておけば何も問題はない」という安心感が、学校を支配した。そんな中で僕は一人、漠然とした不安に襲われていた。


 そういう雰囲気が、彼女のモチベーションになる一方で、重荷になっていくことは僕にも容易に想像できたからだ。期待、信頼、安心。そういうものは綺麗に響くけれど、そういう感情を雨月に抱く人は、彼女の努力を当たり前に感じて、どこか遠くから雨月を見ているような気がする。


 生徒会長になってからの雨月は、毎日とても忙しそうだった。昨日は、僕たち2人桜火の家に泊まったのだが、雨月は夜遅くまでリーダー関係の本を読んでいたし、今日の朝は早く起きて勉強した後、挨拶運動をするために僕より早く家を出ていった。


 だけど、雨月は基本何も言わない。人目につかないところで努力をしようとする。リーダー関係の本は絶対学校では読まないし、本も図書館から借りるのではなく桜火の家の本しか読まない徹底ぶり。どうしてそこまでするのかという素朴な疑問に、真弓さんがいつだったか答えてくれた。


「これみよがしの努力は、嫌味に映るからって。努力してる自分が好きだから自己満足なんだって。いいのにね。ちょっとくらい自慢したって。私は、『私のかわいい雨月はこんなにすごくて素敵なのよ』って全世界に叫びたいくらいなのに」


 彼女は、人に助けを求めるのが少し苦手な節があるのだ。


 だから僕は、柄にもなく図書委員長に立候補した。彼女が抱える重荷の一端を担えればいいと思ったし、何かを求められることの大変さを少しだけでも理解出来たらと思った。


「え、雪斗、図書委員長になったの⁉」


 今期の各委員会の委員長が発表されると、雨月は目を丸くした。彼女のその素っ頓狂な顔が、僕のイメージに「長」なるものは一ミリも関与していないことを物語っていた。


「うん。図書委員長ってね、少し図書当番の日が多いんだ。図書館に居座れる時間が長くなるのが魅力的でね」


 なんて、思わず冗談を言ってしまったけれど、彼女はその言葉に微笑んだ後、


「なんか、嬉しいなあ」


 と、再び目を細めた。


「どうして?」


 野暮な質問をしたという自覚はあった。だけど、口から出てしまったものは仕方がない。


「会議とかの時に、雪斗が同じ空間にいたら安心するでしょ」


 雨月は少し考えた後、目をくりくりさせて僕の質問に答えた。


 あ、出た出たこの顔。長いまつ毛に、大きな瞳。僕は昔からこの顔にめっぽう弱い。そのことを分かってるのか、分かっていないのか。わざとなのか、わざとじゃないのか。


 僕は最近、わざとなんじゃないかって気がしている。彼女の茶色い瞳に僕のドギマギする様子が映るとき、彼女の目には少し意地悪な色が浮かぶ気がするのだ。


 だけど、悔しいことにわざとであったとしても、僕の心はグラグラ揺さぶられてしまうのだ。本当に、悔しい。


「一緒に頑張ろうね」


 一人で努力しようとする彼女の『一緒に』という言葉に、思わず口角が上がった。それと同時に、僕は誰よりも彼女の近いところで、一緒に努力できる存在でありたいと感じた。


「それにしても…」

 

 意識を現在に戻し、隣で健やかに寝ている雨月の顔を見る。今まで傘屋くもり空以外でこんな無防備な姿を見たことがなかったので、僕は少し複雑な気持ちになった。教務室から帰ってきたばかりの時よりも力の抜けた表情とゆったりとした呼吸から、だいぶ深いところまで雨月の意識が落ちていることが想像できた。


「疲れているのは分かるけどさ…」


 こんな姿を、他の人に見せたくないよ。僕の学ランを雨月の顔にかけたら、ダメかな。本で顔の周りを囲む?もういっそのこと起こしてしまおうか。でも、せっかくの昼休み、気持ちよく寝ている彼女を起すのは酷だなあ…。


「いや!」


 やっぱり、起こそう。こんな姿を、他の人に見せるなんて、到底できない。口を開けて半目になっている無防備な顔は、他の人に見られたら彼女の沽券に関わる!!起こしてあげるのがきっと彼女のためだ。


「雨月、雨月」


 僕は、超絶に微笑ましい顔をして眠る彼女の肩を、優しく揺らした。

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