第4話 冷めた温度
「え、雨月ちゃんまた一位だったの?」
「すごいわ!」
くもさんと本を選び、雪斗と真弓さんが作ってくれた肉じゃがを食べて、私たちは机を囲んで談笑していた。その机の上には、新学期が始まってすぐに受けた学力テストの点数表。
「ちゃんと勉強したからね」
自慢しすぎず、謙遜しすぎない言葉を慎重に選ぶ。でも、やっぱり褒められることは純粋に嬉しくて口元が緩んでしまう。努力の結果が目に見えて、それを認めてもらえるのは素直に嬉しい。
「本当に、雨月はすごいよね。勉強もできるし、リーダーシップもあるし、それでいて偉そうじゃない。みんなに憧れられるのも納得だよね」
雪斗が私の方を見て、にっこり微笑んだ。そんなふうに言われると、なんだかむず痒い。
勉強。昔から勉強が好きだった。
初めは、一生懸命書いた文字で埋め尽くさせるノートを広げる達成感からひたすらにノートを埋めていた。ノートをきれいに書くことが目的になったら意味がないなんて言う人もたまにいるけれど、それでもいいと私は思う。
きれいにノートを見返して、「私頑張ったな」と実感する瞬間。前回より早めにノートがなくなった時。先生からのコメントをもらった時。また次も頑張ろうというモチベーションになる。
それがいつからか、あれも知りたいこれも知りたいっていう気持ちにつながって、新しい知識は、私の心を高鳴らせた。ワクワクしながら集めた刺激いっぱいの知識を書いた宝物みたいなノート。開いた瞬間、私はあの海に溺れられる。
リーダーシップ。この言葉は、最近よく私を悩ませる。
昔から、正しさが好きだった。なぜなら、正しさを好きでいることが正しいことだから。正しさは、私に絶対的な自信をくれた。大人がいう『正しいこと』をしていれば怒られることはないし、困ることもない。どんな時でも、それが正しいかどうかは指針になった。迷ったら正しい方へ歩いて行けばいい。
だけど…
「それに雨月ちゃん、美人さんだしね。今まではかわいいって感じだったけど、ここ最近美人って感じになってきたよね。十花に似てきたのかなー」
くもさんが私の頭を左手でぐしゃぐしゃっと撫でた。さっきまで考えていたことが、ふわっと姿を消す。十花とは私のお母さんのことで、くもさんの姉である。
ひとしきり私の頭をぐしゃぐしゃにした後、くもさんは手を引っ込めた。その薬指には煌めく指輪。一つでは成立しない意味を持つその指輪のもう一人の持ち主は、私の目の前にいる真弓さん。
普段意識していない指輪が目に入って、「あ、この2人結婚してたんだった」ということを思い出す。何を隠そうこの2人、2年前に結婚したばかりなのだ。
2年前というとだいぶ前のような気がするが、そうでもないんだなこれが。2人に初めて会ったのが、小学4年生の時。その時から2人は幼馴染で、お互いがお互いの特別な存在だった。その距離感に慣れきってしまっているので、未だに2人が結婚したことがついこないだみたいな感覚がするのだ。幸せそうな2人を見ると、私も嬉しい。
「あ、あんまり褒めないでよ…私褒められるとだめになっちゃうタイプなんだから!」
ついあっちこっちに意識が行ってしまっていたが、部屋の不思議な静けさ、いわゆる「間」というのを感じ取って、意識をここに戻す。
そうなのだ、昔から。褒められたいくせに、褒められると力が入ってしまって失敗してしまう。
ピアノ教室で、曲を弾きながら先生が「今のところよかったよ!」と褒めてくれる。なんだか変に意識して、数小節後で音を間違える。
テニス教室で、コーチが「今の動き良いね!」と褒めてくれる。なんだか変に意識して、数分後にアウトのボールを打ち返して相手に点を与えてしまう。
最終的に恥ずかしさで顔を覆いたくなる。だって、「わ、褒められてこいつ調子に乗ったな」って思われかねない。
違うんです。褒められたから、期待に応えようと、応え続けようと力が入ってしまっただけなんです。悲しいことに、こんな弁解の言葉も墓穴を掘ることになってしまう。
「大丈夫大丈夫。雨月は、褒められたすぐ後に失敗しちゃうだけだから。次のテストはまだ先でしょ?」
真弓さんが食後のほうじ茶を飲みながら言う。そうだ。大丈夫。私のミスは、褒められたすぐ後だ。テスト中に耳元で誰かが私を褒め続けでもしない限り、問題ない。
「僕は、ちょっとくらい抜けてるところがある方が良いと思うよ。雨月も失敗するんだって安心する。この前もね、学校で…」
「あ、ちょっと雪斗!あれは私と雪斗の秘密って言ったじゃん!」
「ごめんごめん、そうでしたそうでした」
雪斗が意地悪く笑ったので、私は慌てて遮る。たいして「ごめん」とも思ってない余裕の微笑みを浮かべた雪斗の顔が、少し憎たらしい。からかって楽しんでるの、分かってるんだから。
雪斗が暴露しようとしたのは、たぶん3日前の私の恥ずかしい姿。廊下で雪斗と歩いていた時、隣のクラスの先生が「河合さんは、歩く時の姿勢まできれいなんですね」と褒めてくれた。それで私のスイッチが入った。きれいに歩かないといけないと思った。そして曲がり角で曲がり損ねて、角に頭をぶつけた。
ものすごく鈍い音がした。恥ずかしさと痛みの匂いが鼻を抜けて、ちょっと涙が出そうなくらい。幸い雪斗しか見てなかったし、その時は私の方が冷静になるくらい雪斗が心配してくれた。
おでこが腫れてしまったので、廊下で誰かとぶつかってそのはずみで壁にぶつかったことにしている。くもさんと真弓さんもすごく心配してくれた。今日の昼休み、横に顔を向けて寝ていたのは、おでこに腕が当たるのを避けるためだったのである。
今は、腫れも引いて押すと痛いくらいでなんの問題もない。でも、元気になった途端にいじってくるなんてずるいじゃん雪斗。後でお話ししましょう。
「なになに2人の秘密ー?素敵な響きね」
真弓さんがムカつくくらいにニヤニヤしている。
「僕たちは聞かないでおこうか。ね、真弓」
くもさんが真弓さんそっくりのニヤニヤ顔を見せる。最近この2人、ますます表情の作り方が似てきたのだ。
「…そうだ。最近どう?」
「ん?」
くもさんが何かを思い出したかのように、私の方へ向き直った。なんのことか分からずに、私は眉をあげる。
「最近どう?生徒会長さん」
普段この家では呼ばれない肩書で呼ばれて、心臓が「ドクン」と脈打った。
さっきまでのほんわかした温かいこの家の空気感が遠ざかって行って、生徒会室に一人でいる時の冷めた温度が私を覆う。
否が応なく私の背中に責任を背負わせるような、背筋を伸ばさせるような、そんな肩書。
私が今直面している、悩みの種であった。
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