第16話 小さな疼き
「じゃあ契約成立ね?」
「了解だ。これから俺の女性恐怖症を治す手伝いをよろしく頼むな、明日香」
「こちらこそ男避けの効果を期待してるからね、リョータくん」
明日香は、俺と握手しようと右手を差しだした。
俺はその手を取ろうとして――しかしどうしてもためらってしまう。
背中から嫌な汗が噴き出してくる。
俺の手は明日香の手を握ろうとして、だけどなかなか握ることができないでいた。
指先はわずかに震えている。
すると、
「じゃあ早速、女性恐怖症改善のお手伝いをしようかしら」
明日香はそう言うと、俺の人差し指に自分の人差し指を絡めてきた。
ほんの短いわずかの時間、指を絡めた後、明日香はすぐに指をほどいた。
「まずはこれくらいならどう?」
「……なんとかいけなくはないかな」
「良かった。すぐには無理でも、こうやって一歩ずつ慣れていきましょう。大丈夫、大学生活は4年もあって、私たちの関係はまだまだ始まったばかりなんだから」
にっこりとほほ笑んだ明日香を見て、俺は心臓が大きく跳ねるのを感じていた。
それは女性恐怖症から来る辛く苦しい動悸とは違った、むずがゆい胸の高鳴りだ。
だけどそれがなんなのかは、考えてはいけない気がした。
明日香には許嫁がいるんだ。
そして俺は男避けのための契約カレシだ。
つまりはニセモノ。
どれだけ優しくされても、仮に女性恐怖症が治ったとしても。
決してその一線を踏み越えてはいけないのだから――。
「じゃあ帰るか」
俺は心の中に生まれた小さな
「ええ、そうね」
俺と明日香は並んで歩き出す。
「明日香ってどのあたりに住んでいるんだ? 俺はすぐそこの学生向けアパートなんだけど」
「私はもう少し向こうのマンションよ。大学からは少し離れてるけど、近くに交番があってすごく治安がいいんだって」
「お嬢さまだし、やっぱり安全面が最優先だよな」
ちなみに俺の住んでる辺りの治安が特に悪いというわけではない。
こと安全という面において、女の子ならいくら気を使っても使い過ぎることはないというだけの話だ。
「パパってば本当に過保護なんだから」
「年頃の娘を持った父親ってのはそんなもんじゃないか?」
「その言い方。もしかしてリョータくんにも年頃の娘がいたりするの? いま何歳?」
「んなわけないだろ。俺はまだ18だっての。むしろ俺自身が年頃だっての」
「だよねー」
明日香が口元に手を当てながら、くすくすと上品に笑う。
どうやら他愛のない冗談だったようだ。
そんな感じで、割とどうでもいいことを話しながら歩いていると、すぐに俺のアパートが見えてきた。
2階建てのどこにでもある学生向けの共同住宅で、駅と学校の両方から近くもなくとおくもなくな場所だ――ったんだけど。
「なんだ? えらく人が集まっているな」
なぜかマイアパートの周辺には結構な人だかりができていた。
しかもよく見ると、アパートの周囲には黄色と黒の規制線──トラテープって言うんだっけ──が張られていて、すぐ近くには赤色灯を回したパトカーや消防車、救急車が何台も連なって止まっている。
さらには大きなビデオカメラを前にしゃべっている、テレビ局らしき集団までいた。
「あのアパートでなにかあったのかしら?」
「っぽいな」
「すごく物々しいし、立てこもり事件でもあったとか?」
「っていうか、あそこってまさに俺のアパートなんだけど……え、何があったの!?」
いやほんと、マジで何があったんだ?
俺が入学式に行ってる間に殺人事件でも起こったのか?
俺は突然の事態に若干動揺していたんだけど、
「あらそうだったのね。アパートって言うから大きなところにみんなで住んでいるんだとばかり思っていたんだけど、一人住みだったのね。でも外に出るドアがいっぱいあって変な間取りの家よね」
明日香は明日香で、イマイチ要領を得ないことを言い出した。
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