第2話 入学式の日に

「あーくそ……せっかくの大学の入学式だってのに、嫌な夢を見ちまったな……」


 4月初旬。

 朝、目を覚ますなり俺――薬沢やくざわ良太はげんなりした気分になっていた。


「はぁ……」


 ため息をついた俺の目に映るのは、子供時代をずっと過ごしてきた自分の部屋の天井――ではなく、まだどこか落ち着かない気分にさせてくる、小さなアパートの真っ白な天井だ。


 この春から地元・神戸(というのもはばかられる標高330メートルの山奥)を離れて大阪の大学に進学した俺は、数日前からこの学生向けアパートで独り暮らしを始めていた。


 恋愛にうつつを抜かす同級生を尻目に、女の子を遠ざけてそれなりに勉強に打ち込んできた俺は、この春、見事に第一志望の国立大学に入学を果たしたのだ。


 俺は頭を振って不愉快な記憶を追い払うと、洗面所へと向かった。

 冷たい水で顔を洗って鏡を見ると、そこには見慣れた悪人面が映っている。


 数少ない友人――残念ながらみんな大学は別で離れ離れになってしまった――からすら『笑顔で人を殺しそう』と評される、他の誰でもない俺の顔だ。

 今さらその評価に異論はない。


 眼光は無駄に鋭く、眉毛は剃ってもいないのに薄くて細い。

 さらには子供の頃に運動会のかけっこでこけて派手に左頬を擦りむいたんだけど、それが今でもうっすらと痕になっていて、ともすれば歴戦の猛勇感を醸し出していた。


 ついでに185センチを超える高身長に、柔道で国体に出たのが自慢な父親譲りの筋肉質なガッシリした体形とくれば、誰が見ても『その筋の特殊なご職業の方ヤ 〇 ザ』である。

 

 自分の顔ながら、見ていても気分がよくなることはないので、俺は早々に鏡の前から立ち去った。


 レタスをちぎってミニトマトを並べただけの生野菜サラダと、5枚切りのトーストを2枚。

 簡単な朝食を食べてから、この春休みに買ってもらったばかりの真新しいスーツに着替えて家を出る。


 今日は大学の入学式。

 新しい生活の第一歩を踏み出すハレの日なのだ。

 いつまでも滅入った気分ではいられない。


 俺の学生アパートは大学のすぐ近くにあるんだけど、入学式は大学構内ではなく大阪市内にある別の大きな会場で行われる。

 俺は大学最寄りの石橋阪大前駅から、阪急電鉄・宝塚線に乗って入学式場へと向かった。


 アパートを出て駅に向かう途中で、2人組の警察官から当たり前のように職務質問を受けたのはご愛敬だ。


・反社会的勢力の構成員にしか見えない悪人面

・着慣れない新品のスーツ

・平日の午前中の住宅街をうろつく見慣れない二十歳前後の若者


 疑わしい要素が三拍子揃った俺を見た警察官が、昨今問題になっている特殊詐欺の受け子じゃないかと思うのも無理はなかった。


 ついこの間発行されたばかりの真新しい学生証を見せて、善良な市民であることを示したものの、


「一応、大学の方に在籍確認をしてもいいかな? ごめんね、ほんと念のためだから気を悪くしないでね」

「あ、いえ。慣れてますんでどうぞ気にせず」


 偽造された身分証じゃないかとの疑念を最後まで抱き続ける警察官と、長めのお話をし。

 さらにもう一度、会場の大阪城ホール近くで、別の警察官から同様の職務質問を受けた俺は、それでも少なくない希望を胸に入学式に臨んだ。


 しかし誰とも仲良くなることもなく時間だけが過ぎ、孤立無援のまま入学式を終えることになった。


 言うまでもなく、一緒に入学式に参加した同級生たちからは完全に距離を取られていた。

 具体的に言うと、俺の席をぐるりと囲むようにして不自然な円形の空席があった。


 軽く声をかけてみようか、とかそんなことを思える状況じゃない。

 誰もが俺とのコミュニケーションを拒絶していた。


 だがそれも仕方ない。

 あまり言いたくはないが、スーツに身を包んだ俺はもう完全にヤクザそのものだったから。


 もし逆の立場だったとしたら、俺は『俺』とは絶対にお友達にはなりたくない。

 断言できる。

 何をされるか分かったもんじゃない。


 とまぁそんな風に──予想していた通りではあったが──俺はのっけから友達作りに盛大に失敗した。


「ま、まあ? まだ講義は始まってないからな。大丈夫、大丈夫。講義が始まれば、自然と友達だってできるはず……」


 帰りの阪急電車で、俺はぽっきりと折れそうになる自分の心を必死に励まし続けた。

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