第2話 芳蕗文音の転移





「ふーんんーんー」


 車のラジオから流れる曲に合わせて鼻歌が流れる。


 夏の日差しの中の午前中だ。エアコンの無い屋内よりか、車の中の方が遥かにマシだと文音は思うが、未だエアコンの冷気は体に毒だなんて考え方もあるようだ。否定はしないけど、自分くらいの若さだと、ガンガン冷気が当たる方が気持ち良い。


 さてここは、地球は日本、北海道の東部にあるとある平野の一本道。丘陵がいくつか連なるような地形に一直線に道路が造られたものだから、アップダウンが妙に面白い、と文音は思う。通い慣れて通学路だったりもする。


 久しぶりに巡り合えた信号で止まり青になるのを待つ。


「前後左右、どっからも車来ないけど、信号は働き者だねえ」


 ブルりと震えたスマホを取り出してみる。青に変わった信号を過ぎてしばらくしてから、ハザードを出して見てみれば、かーちゃん(姉、文香26歳)からのメールだった。


「何やってんだ?」


 送られた画像は、多分殴り合った後なのだろう、両者ボコボコになりながら、肩を組んでピースサインをしている、かーちゃんと紗香さんだった。


「結婚式でエキシビジョンやるって言ってたけど、ここまでガチかあ。しかもなんだ、この白黒コスプレ」



 ◇◇◇



 芳蕗文音22歳。帯広畜産農業大学獣医学科に通う学生である。両親二人。姉と兄と、兄嫁がいる。家は兄が継ぐので、好きに生きろと言われ、結局それでも何となく畜産から離れ難くて、こんな状況にある。姉こと文香は高校卒業後、ちゃっちゃと内地に出てプロレスラーデビューして、しかもなんか大会で優勝したらしく、日本最強女子の名を冠するようになった。


 そのこと自体は凄く嬉しいのだけど、姉の生み出した格闘技。一子相伝『芳蕗の技』の後継者としては、負けてはいられないと気持ちを引き締めるわけである。


「とは言え、鈍ってるよなあ。身体動かしてないし」


 そう、獣医学科5年となれば、それはもうアレなのだ。色々と。実際、今日は日曜日だ。だけど、研究室に行かねばならない。


 遠く銀色の光る道のりを車が走る。逃げ水というヤツだ。いつまでも追いつけない銀色。


『ジャーン、ジャーン』


 スマホが着信音を鳴らす。


「げぇっ!!」


 と、ノリノリで再びハザードを出して、路肩に車を停める。駐禁、なんぞ存在するはずもない。



 そして、文音は気づいていなかった。さっきまで逃げていた水。銀色が真下にあることに。


 そのまま彼女は、地球から消えた。



 ◇◇◇



「はぁっ!?」


 文音の周りにはやせ細った木々が、閑散と存在していた。渓谷と表現すれば良いのだろうか?


「なんで、どして?」


 先ほどまで乗っていた車のシート感は無い。乾いた地べたにただ座り込む感覚があるのみだ。一応、左手に持ったスマホが地球感を出しているが、完全なる異常事態としか言いようがない。


 周りを見渡す。ダメだ、ヒントなどない。ただひたすら、意味不明だ。


「さてここで質問だ。一瞬で別の場所に転移した。時代を飛び越えて過去か未来へ移動した。そして、異世界……」


 文音はそっちの方向に理解があった。おっちゃん(兄、文雄24歳既婚)により、幼少からその手のお話をよく聞かされていたのだ。



 ばっと、上空を見る。太陽らしきものはある。


「G2V主系列星。とか分かるかっ!!」


 とりあえず、ツッコむ。意味は薄い。


「可能性を考慮して、うんたらかんたら。とりあえず移動するかあ」


 背後に立ち上る銀色の光の柱に気づかずに、文音は歩き出した。



 ◇◇◇



 そして出会った、出会ってしまったのが、巨大な牛さんであった。商売柄、牛の扱いには慣れているはずの文音をもってしても、ビビるほどの巨躯。全長5メートルはあるだろうか。もはや怪獣だ。


 しかも、しかもだ。一見牛の様に見えるその身体は、なんか硬そうな甲羅に覆われていたのだ。知らないぞ、少なくとも文音の知識にこんな生物は存在しない。水牛? サイ? 違う。そんなもんじゃない。


 しかも相手は、存分に敵対姿勢を見せている。なんでそうかは分からないけど、なんだか分かる。これは、これはかなりマズい。脚が震える。芳蕗どころじゃない。武術でどうこうする相手じゃない。


「あ、あはは。異世界転移して、速攻死亡ってかい?」


 未だ異世界かどうかも分からない段階だが、死亡目前なのは明瞭だ。どうする?


「異世界転移チート!!」


 訳も分からず叫んでしまう。もはやそれくらいしか縋る物が無いからだ。



 ◇◇◇



「何を訳の分からないことを叫んでらっしゃいますの!?」


 そんな声が上空から、正確には崖の上から降って来た。


「とにかくお逃げなさい! その甲殻牛はわたくしがなんとかいたしますわっ!!」


「ああ、異世界だわ、これ」



 崖を舐めるように降りてきたのは、全身を濃い灰色に染め上げられた、両手両脚を持ち、直立歩行する謎の物体だったからだ。


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