121.力ある子(或いはとある異世界人)

 少女は、小さな箱に押し込められていた。

 ガラスのように透明な箱は、内側からは外が見える。音も聞こえる。

 しかし、こちら側からの声は外に届かない。外からこちらは見えてもいない。


(また、ここか)


 自分が自分でなくなる。

 吐き気がする程に嫌いな男を兄と呼び、付き従う。

 二度目となった最悪の事態に、少女は絶望するところだった。

 けれど。


(ガラフ……お父さん)


 前とは違う、確かな感覚。

 自分の魂の内側に、あのグレムリン混じりの少年との繋がりがあった。

 そして、その向こうに感じる不器用な青年の気配。

 彼は、苦しめてすまないと詫び、そして諦めないでくれと言っていた。


(昔とは違う。今は一人じゃない)


 だから少女は、この屈辱的な状況においても絶望せずにいられた。

 希望を捨てずにいられた。


(……今はボクこそが、希望なんだ)


 女神の分体として戦った時に、彼はその意図を伝えてくれた。

 こうして再び体を奪われて、女神の圧倒的なその力を改めて実感している今。

 彼が伝えてくれた計画がどれだけ困難なものか、少女は理解している。しかしそれでも。


(お父さんなら、必ずやり遂げる。お姫様も、ガラフも)


 一人ではないことが、どれだけ心強いことか。

 そして今また、自分に手を差し伸べてくれる者がいるのだ。


(……これまですまなかったのじゃ。ミンミン)

(シルヴィア、遅いよ)


 黒い蝙蝠が一匹、白の幼女の力を突破して箱の内側へと現れた。

 響く言葉に、少女は拗ねたように応える。


(それで、どうするつもりなの? その男)


 その男とは、もちろんシルヴィアが胸に抱いている少女がもっとも嫌悪する男だ。


(もう二度と、ミンミンに触れさせぬよ。身内の始末は妾がする)

(だから、遅いんだよ)

(すまなかったのじゃ)

(ふふ……わかったよ。でもすごいねシルヴィア、こんな力)


 少女は幻の自分の腕に蝙蝠をとまらせ、指で撫ぜる。


(もしかして、このままボクを助けられたりする?)

(そこまでは無理じゃ。抑えておくので精一杯での)

(うん。そうだよね。……大丈夫だよ、ボクには)

(頼もしい仲間がいるからの)


 シルヴィアの言葉に、少女は柔らかく微笑んで頷いた。


(ボクも自分の役目はわかってるつもり。……ボクは黙って助けを待っているだけの、安い虚構ローマンのヒロインじゃない)

(立派になったの、ミンミン。誰かとは大違いじゃ)

(比べないでよ、そんなのと)


 少女はまた笑って、そして拳を強く握りしめた。


(……聞いてるんでしょう? クソ女神。見てなさい、ボクたちがただのお前のオモチャじゃないって、思い知らせてあげるから)


 ***


「……貴様」

「お久しぶりです。ガーランド皇帝、ベルガルド陛下」


 大陸最強の帝国。その皇帝の執務室にその青年は現れた。

 もちろん、皇帝の居城には魔術的に幾つもの結界が設置されており、転移魔法など絶対に不可能なはずだったのだが。


「ハーミットの若造……ではないな。何者だ」

「流石のご慧眼だ、陛下。私はもはやラーゼリオンの国王ではない。望月晴人という名の異世界転生勇者(笑)ですよ」


 かっこわらい、と口にして晴人は己の物言いを嗤う。


「まったく、この私が史郎などが逃避していた物語の主人公のようになるとはね」

「ふむ。シロウ・モチヅキと同じ、ゲンダイニホンより転生した勇者か。なるほど、この世界の理から外れ異能の力を手にしたとなれば、確かに我が城への転移など容易いだろう。よもやハーミットの若造が転生者だったとはな」

「……ほう」


 ベルガルドが瞬時にこちらの正体を正確に看破したことに、晴人はわずかに目を見開いて驚く。


「さすがは皇帝、優れた知見をお持ちだ。そこまで事情を把握されているとは存じ上げませんでしたよ」

「舐めるな。ラーゼリオンの王家承継魔導図書群が、魔幻界と呼ばれるまた別の世界の魔法技術であること。それをもたらした国父ラーゼリオンがいまだ亡霊として貴様らの国に巣くっている事も。すべて把握している」

「ふふ……それならば何故、自らの息子を都市連合の防衛に派遣したのかな? 魔幻界ラーゼリオンの魔法と転生勇者、それに魔王との戦いに巻き込まれれば、いかに帝国軍といえど物の役に立たない。そんな事は分かっていただろうに、まさか本当にサフィーネを皇女として迎えたいからなどではないだろう」

「それは、貴様がここに来た理由と同じだ」

「……ほぉう?」


 ベルガルドの答えに、晴人は更に興味深そうに笑う。


「私がここを訪れた理由が分かるというのかい?」

「無論だ。ここは神聖帝国ガーランド。女神の本体が顕現するとなれば、この地をおいて他にないからな。なれば、この地こそラーゼリオンと女神の決戦の地となる可能性がある」

「……」

「我が息子は愚鈍だからな。戦いの場にはおらねばならぬが、せめてこの地は避けたというだけだ」

「……ははっ……あはははははっ……! 惜しい、実に惜しい」


 ひとしきり笑った晴人は、無造作に皇帝に近づいてその肩に気安く手を置いた。

 ベルガルドは動かない。

 絶対の力量の差を正確に理解していたから、動きたくとも動けずにいるのだ。


「我が父……おっと、ハーミットの父親にしても、皇帝あなたにしても、あの反射の魔術師クンにしても。消えてしまうには実に惜しい人材がこの世界にもいるものだ。まあ……こんな遅れた異世界にしては、だけどね」

「消える? どういう意味だ。貴様が殺すという意味か」

「ふふっ……さすがにそこまでは分かっていないようだね」


 ベルガルドの問いに、晴人はあからさまに見下した態度をとる。


「もうすぐこの大陸は、魔王とともに消滅する。その瞬間に勇者システムは作動し、私をこの世界の支配者にするだろう。すぐにも女神はこの座標に顕現するだろうから、ここで罠を張り待ち構えようというわけさ」

「……大陸が消滅する……だと?」

「魔王の魔力総量から逆算して、世界の終わりまであと十を数えるほどだね」

「なっ……!?」


 さすがのベルガルドも硬直する。目を見れば、晴人に嘘をついているつもりがないことが分かるからだ。


「さようなら陛下。安心するといい、女神を倒したらすぐに皆、再生してあげよう」


 神となる前から、晴人は神と同じ立場をもって微笑んだ。


 ***


「……バカな」


 だが、神となる予定の晴人は絶句する。

 十を数える時間が過ぎてなお、世界は何も変わらず平穏なままだったのだ。


「どうしたね、ゲンダイニホンから来た異世界勇者よ。世界は一度消えるのではなかったかな?」


 一筋の冷や汗を流しながらも、皇帝ベルガルドは皮肉を口にした。

 神に成り代わると宣言した勇者のあてが、外れたのだ。


「黙れ。……何故だ、私の計算が狂うはずが——まさか、あの反射の魔術師が?」

「エフォート・フィン・レオニングのことかね」


 動揺している晴人に向かって、ベルガルドは問いかける。


「あの反射の魔術師は、サフィーネ嬢が貴様の国を見限ってついていった程の男だ。ただ者ではない……どうやら、この世界の人間を甘くみていたようだな。モチヅキハルトよ」


 ベルガルドはそう言って、更に晴人を挑発する。


「……それはどうかな、皇帝陛下」


 しかし、怒ると思われた晴人は、皇帝の意に反して冷静だった。


「ふふ……この世界の者に、対消滅反応を止める力などあるはずがない。そうか、そうか。彼もまた異世界転生勇者だったというわけか。女神の悪趣味を考えれば……さしずめお袋か、姉貴といったところかな」


 呟くと、晴人は顔を上げてベルガルドを正面から見返した。


「礼を言うよ、陛下。この国にはまたお邪魔するから、それまでに城を綺麗にしていておいてくれ。もしかしたら、私の新たな住まいになるかもしれないのだからね」


 不遜な言葉を残して、晴人の身体は再び転移の光に包まれ姿を消した。


「……クソが」

「陛下ッ!」


 皇帝が悪態をついた直後、執務室に白銀の鎧を纏った騎士たちがなだれ込んできた。


「ご無事ですか!? 申し訳ありません、部屋の結界が誤作動を……」

「誤作動ではない。先ほどまでここに、ラーゼリオンの王がおったのだ」

「なっ……本当ですか? 皇城に転移など不可能なはずで——」

「事実なのだから仕方あるまい。ヤツめ、この城を綺麗にしておけなどとぬかしおった」

「はっ?」

「城に仕掛けていた、対ラーゼリオン用の魔術トラップもすべて見破られていたということだ。まったく作動しなかったのは、奴が妨害していたからだろう」

「……勇者シロウ・モチヅキの出現より準備してきた、万を超える魔術構築式スクリプトをすべて、ですか……」

「女神を殺す野望を抱くだけはある。……今後の身の振り方ひとつで、帝国の命運が決まるな。さて」


 現実を受け入れられず絶句している白銀騎士の横で、皇帝ベルガルドは思案する。

 帝国の魔法技術がすべて通用しなかった現実に、衝撃は受けていてもそれで絶望などはしていなかった。

 老獪な皇帝らしく、今の状況も想定の範囲内だったのだ。


「……グルーンのバカは、生死不明という話だったな?」

「は、はっ」


 皇帝の問いに、横にいた騎士が慌てて答える。


「申し訳ございません、皇太子殿下は突如出現した魔王軍に、為すすべもなく……オーガの戦士に抱えられ連れ去られた、という真偽不明の目撃情報のみ報告されています」

「オーガの戦士か、ふむ」


 またしばし思索に耽り、それから皇帝はまた顔を上げた。


「まだ我らが生き延びる道はある。どちらにつくか……分の悪い賭けは久々だな。年甲斐もなく、心も躍るというものだ」

「……ははっ」


 大陸最大国家である神聖帝国ガーランドを剛腕でまとめてきた皇帝。

 その深慮遠謀を自分如きに推し量ることはできないと、白銀の騎士は薄く笑う己が主君にただ頭を下げた。


 ***


 戦いの火蓋は、唐突に切って落とされた。


「裂空斬・神破金剛ッ!!!」


 命令系統が機能しなくなり、混乱を極めていたラーゼリオン王国軍。

 その本陣に突入したリリンが最初に見たものは、仲間であるニャリスが、目の色が変わったマスター・ガイルスによって、四肢を斬り飛ばされた姿だった。

 そして、王の御車の前で宙に座り・・・・歪んだ笑みを浮かべている男の姿に、リリンは精霊の声ケノンを使うまでもなくすべてを察する。


「よくもぉぉぉぉぉ!!」


 即座にレーヴァテインを振るい全力をもって、リリンは最大威力の剣技を放った。

 だが。


「ひどいなあ、リリンちゃん」


 黄金の力の奔流は、すべてその男クレイム・フィン・レオニングの前で掻き消える。


「我はリリンちゃんの幼馴染の父親だよ。それなのに、顔を見るなり裂空斬奥義とは酷いではないか」

「き、消えっ……?」

「ほら、返すぞ」

「——神破金剛ッ!!」


 次の瞬間、リリンは自分の真後ろに向かって同じ奥義を放った。

 時間と空間が捻じ曲がって襲ってきた、己の剣技を辛うじて相殺する。


「くううっ!?」

「くはは、一人相撲か? リリンちゃんは昔から可愛いねえ」


 パンパンと手を叩き、必死なリリンをクレイムは嘲笑する。


「そのレーヴァテインも裂空斬も、もともと我の世界ラーゼリオンの兵器であり技術だ。我に通じるはずがないではないか。本当にリリンちゃんは頭が足りない愛らしい子だなあ」

「……バカにしてっ……!」


 無為に奥義を連発してしまったリリンだったが、それでも疲労を感じさせない身の動きで、クレイムに向かって剣を構え直す。


「反射攻撃が相手なら! エフォートと戦う覚悟を決めた時にあたしがどれだけ対策を考えてきたと思ってるっ!!」


 そして地を蹴り、姿を消す。

 精霊シェイドと神速の体技、その併用だ。


「……ふぅん。いじましいねえ」

「黙れ! これを……返せるものなら返してみろぉっ!!」


 そしてクレイムを囲むように、四方向から同時にリリンの力が出現する。


「雷竜命瞬! 四破・裂空斬×4!!」

「ならこうだな」


 クレイムの前後を守るように、盾が出現した。

 それは傷ついたニャリスと、操られたガイルスの身体という盾。


「な!? ……くそぉっ!」


 分身していたリリンは、とっさにそれぞれの必殺剣の軌道を曲げて相殺させる。

 ニャリスもガイルスも殺さずに済んだが、またもリリンは奥義を無駄撃ちしてしまった。


「くくくく……一人で踊るのは愉しいかい? リリンちゃん。ケノンでも我の思考は読めないだろう? どうするつもりかなぁ」

「あいにくと、一人で無様に踊るのにはもう慣れてるのよ! 平穏の精霊エントぉっ!」


 リリンは魔法を無効化する精霊術を発動する。

 その効果で、クレイムを守るように浮かんでいたニャリスとガイルスの身体がくたりと地に倒れた。

 そして。


「エント、あたしを守って! 喰らえっ……瞬破一角!!」


 平穏の精霊を身に纏って、リリンは突撃する。

 時空を捻じ曲げ攻撃を撃ち返すクレイムの魔術を無効化しながら、一撃を加える作戦だ。


「ダメだよ? バカな子が無駄に頭を使ったところで、結果は同じだかなねえ」


 ガイルスの背後から飛び出した蒼く輝く光の鎖が、リリンを襲った。


「しまっ……これ、〈シールズ・チェイン〉!?」

「園原理子が混ざったところで、リリンちゃんはリリンちゃんだねえ。仕掛けるタイミングも何もかも、我にも聞こえるのだよ。ケノンを捕獲しているのだから」


 平穏の精霊エントの力すら反射しながら、封印の鎖シールズ・チェインはリリンを空中に磔にする。


「くそっ……こんな鎖ぃっ!」


 リリンは強引に鎖を引き千切ろうと、渾身の力を込める。

 だが、この世界でエフォートが生み出した以外に構築式スクリプトが存在しないはずの反射魔法がかかっている為、リリンが鎖に力を込めれば込めるほど、逆に拘束は強まっていく。


「くううっ……!」

「無駄だ。シロウ・モチヅキの全力でも破れなかったのは、君も王城で見ただろう? いかに転生勇者といえど、力でも魔力でも破れる代物ではないのだ。くひひっ……残念だったねえ、リリンちゃん?」


 下卑た笑いを垂れ流すクレイムに、リリンは顔をしかめる。


「ふざけないでっ! シロウに破れなかったからって、あたしにできないとは限らないんだから!!」

「ならば、やってみるといい。ゲンダイニホンでもこの世界でも、とるに足らない小娘でしかない汝が! 異世界人の咬ませ犬でしかない卑小な存在が! 魔幻界ラーゼリオンの転生者であるこの〈ライト・ハイド〉の術を破れるものなら破ってみたまえ! くひひひはははは!!」

「く……くそおおおおお!!」


 リリンの絶叫が響き渡った空に。

 現代日本にとって、魔幻界ラーゼリオンにとって、遅れた世界でしかないこの大陸の薄曇りの空に。


「なら、破ってやるさ」


 その声は響いた。


「えっ……」

「それ以上、リリンを傷つけることは許さない。この世界を舐めるな」


 聞き覚えのある声。

 五年前までは、リリンにとってすぐ傍らにあっていつでも聞けると思っていた声。

 そして取り返しのつかない過ちを自覚してからは、もう二度と聞くことはないと一度は覚悟した声。


 キィィィン!!


 透き通る銀鈴のような音を響かせて、蒼の鎖は粉々に砕け散った。

 そして転移の光に包まれて、彼は姿を現す。

 クレイムは驚きを隠し切れずに目を見開いた。


「……ほう、予想よりも早かったな」

「貴様の予想など、いつでも超えてやる。この世界の人間が、いつまでも転生者の思い通りになると思うな」


 その低い声。

 切れ長の瞳。

 皮肉げな言葉使い。

 拘束を解かれたリリンは、思わず切ない吐息のように、その名を口にしてしまう。

 誰よりも愛おしい、幼馴染の名を。


「……エフォートぉ……」

「待たせてすまない、リリン。よく一人で頑張ってくれた……あとは任せろ」


 反射の魔術師が、闇に落ちたラーゼリオンの転生者を睨みつけて立っていた。

 尋常ならざる魔力と無限の魔術構築式スクリプトが編み込められた、漆黒の魔法衣を身に纏って。

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