120.無力な子ども

 ミンミンの魂を支配し、同化している存在。

 白の幼女。

 その正体は女神の分体であるが、能力や記憶は女神本体と同一ではない。


『あらぁ……これは、まあ』


 だから、こことは異なる空間に身を置く本体が警告アラートを出すまで、幼女は気づくことができなかった。

 この世界の片隅で今、いったい何が起こっているのかを。


「——どいてシロウ! もうあんたなんか相手にしてる場合じゃない!」

「ざけんなあっ! オレを、主人公を無視なんざ許さねえ!」


 マスター・ソードを構え、リリンに向かってシロウは突貫する。

 反動をつけて蹴られた大地は爆発を起こし、音をゆうに超える速度のシロウの身体は衝撃波ソニック・ブームを生じさせる。

 同時に魔力も旋回させて全身すべて〈魔旋〉と化した突進攻撃は、触れる物質すべてを破壊する防御不能技だ。


「死ねぇえええ!! アルティメット・クラッシャーぁぁぁ!!!」



 転生勇者シロウの、正真正銘の全力。

 だが。


「闘竜返しッ!」


 シロウと同じく、異世界転生勇者としてリリンは目覚めた。

 その超絶技能は、裂空斬の剣技を更に進化させている。

 覚醒前ですら冥竜プルート・ドラゴンのブレスを捌いてみせた剣技は、シロウの全力突撃をいともたやすく打ち破った。


「ぐはあっ!?」

「シロウ、もういいよ。ここは前世の君が逃げ込んだ優しい虚構世界じゃないし、そもそも君は主人公じゃない」


 覚醒したリリンの精霊術により、シロウが駆け続けていた重力魔法も完全に無効化されている。

 魔旋の破壊力をそのまま斬り返されたシロウは、またも全身ズタズタの状態だ。


「……り、理子ぉ……また捨てるのか、オレを」

「捨てるよ。前世であなたは、自らの運命に抗おうともしなかった。そんなあなたを見捨てたと、〈理子〉は確かに後悔していたけど。……〈リリン〉のあたしは、もう違うんだ。理不尽な運命に抗って、努力して、神にすら戦いを挑む大好きな幼馴染の為に。あたしは戦うんだ」

「……ミンミンッ!」


 シロウは血を吐きながら、後ろにいる白の幼女に向かって叫ぶ。


「何してんだっ……早くオレを回復しろ! コイツはぶっ殺す! オレは裏切り者を許すわけにはいか」

『少し黙るかしら、ガキ』


 聞いたものの魂が芯まで凍るような、絶対零度の声が響いた。


「なっ……んむぅ!?」


 唐突にシロウは黙り込む。

 かつて女神教の高司祭グランがそうされたのと同じように、白の幼女によって口を封じられたのだ。


「……! 女神、あなた何を」

『くくく……くははは、あははははっ……! やってくれたかしらぁ望月晴人! ラーゼリオンの片割れと取引して、こんな裏技を使ってくるなんて! あははははっ!』


 ミンミンの姿で、ケラケラと笑う白の幼女。

 その歪んだ笑い方に、リリンは背筋に冷たいものを感じた。


「んぐ! んぐぅう!?」

『史郎くぅん? こんなところで遊んでいる場合じゃないかしら、さっさと魔王を倒しに行くかしらぁ』


「んぐぐ??」

『晴人が邪魔してくるかもしれないけれど、その時はあなたが戦うかしらぁ。異世界で因縁の兄弟対決というのも、また楽しいゲームかしらぁ!』

「んぐぅ!! んっぐぐぐぐぅーーー!!」


 子どものように、いやいやと首を振るシロウ。

 もはや狂気に身を任せ虚勢を張ることすらできずに、しりもちをついて、歩み寄ってくる白の幼女から距離を取ろうと後ずさる。


「んぐう! んぐううう!!」

「シロウ……」


 ガクガクと震え、悲鳴を上げることすら許されないシロウに、リリンは思わず憐憫を覚える。

 白の幼女は容赦なく詰め寄る。


『拒絶は許さないかしら、史郎。駒に拒否権はないかしらぁ? 今は黒のが意地で耐えているみたいだけれど、魔王消滅は時間の問題ねえ。反射の坊やが気が変わって魔王を殺しでもしたら、もっと厄介かしら。さあ、早く我と——』


 キンッ!


『……なんの真似かしらぁ、園原理子』

「何が起きているのか知らないけど、あんたの好きにはさせない」


 リリンが一瞬で移動し、シロウの前で白の幼女に立ちはだかっていた。

 神殺しの剣レーヴァテインの切っ先が、鋭く幼女に向けられている。


『お前にこの体を、ミンミンを斬れるのかしらぁ?』

「……く」

『無駄なことは止めるかしら。理子が転生勇者として目覚めたのなら、これからも駒として使ってやってもいいかしらぁ? おとなしく下がっていれば、お前を殺しはしな——』

「今よ!!」


 リリンは、精霊術の力を既に全開にしていた。

 魔法を無効化するエント。

 あらゆる気配を断つシェイド。

 いずれの精霊も女神の分体相手に、まったく通じる様子はない。

 もちろん、精霊の声により内心を読むケノンも同様だ。

 ——だがリリンは、ケノンの力により白の幼女でもシロウでもない存在の声を聞いていた。

 それはこれまで隠れ、伏して、状況を見守り続けていた者。

 闇より機を窺い続けてきた者。


「——シルヴィア!!」

「まかせるのじゃっ!!」


 吸血鬼の真祖の声が響く。

 空間から湧き出すように無数の蝙蝠が現れ、白の幼女を覆いつくすように襲いかかった。


『まさかっ……!? 我に気づかれずに!?』

「遠くの出来事に気を取られ、近くが見えておらなんだようじゃのっ!」


 蝙蝠の群れが、まるで柱のように白の幼女を中心に屹立する。


『あははっ……舐めないでほしいかしらぁ!? 神に立てつくなど無謀もいいところ、創造主に歯向かうことなど不可能と子どもでも……えっ』

「それはこちらの台詞なのじゃ、女神よ!」


 蝙蝠たちに抑え込まれ、白の幼女は身動きが取れなくなる。

 女神の分体としての力も含め、完全にシルヴィアに封じられているのだ。


『ば、バカなっ……この我が、まさかっ』

「妾の魂の創造主は、女神よ、そなたではない! だからこそこの世界のシステムを外れれば、規格外チートの能力を扱えるようになる……! 前世の記憶を精霊の声ケノンで取り戻した、リリンのようにじゃ!」


『吸血鬼の小娘ェ……! 貴様、自分自身に鑑定眼を使い続けたのかしらぁ!?』


 白の幼女は、杖を振るって蝙蝠を振り払おうとするが、焼け石に水だ。

 もちろん女神の分体としてあらゆる力で拘束を解こうとしているが、効果はない。

 女神の分体としての力より、チート能力に覚醒した吸血鬼の真祖としての力が勝っているのだ。


「その通りじゃ! 反射の魔術師が転生者であることも、この瞳術で分かっておった。だから妾も、奥の奥まで自身を鑑定し続ければ、シロウの祖母であった前世を思い出し……シロウと同じ超常の力を得られると考えたのじゃ!」


 やがて、蝙蝠たちは一ヶ所に集まり始め、人の形を成し始める。

 現れたのはもちろん、漆黒のマントを纏った妖艶な美女。


『く、それでも、こんな力っ……』

「女神よ、ライトノベルの読み過ぎじゃ。ヒロインをバラエティに富ませようとして、妾を吸血鬼にまで転生させたのが失敗であったの。人族のシロウやリリンですら、チート勇者となってこの力じゃ。吸血鬼の真祖たる者が覚醒したらどうなるか、考えが足りなかったのではないか?」


 すべての蝙蝠がシルヴィアとなってもなお、白の幼女は動けずにいた。覚醒シルヴィアの瞳術による力である。

 グラマラスな艶女は、ニイと笑ってみせた。


「……ぷはあっ!」


 その後ろで、シロウが息を大きく吐く。

 白の幼女による縛めから解放されたのだ。


「シルヴィア、よくやったっ!」


 リリンを突き飛ばして、シロウはシルヴィアに駆け寄る。

 リリンに斬り刻まれた体は自身の魔力で回復していた。


「……シロウの坊や」

「助けてくれシルヴィア! 兄貴が、理子が! 俺をまた蔑ろにして……! シルヴィアはオレと同じ力を手に入れたんだろ!? だったら頼むから、兄貴も理子もみんなぶっ殺して」


 パンッ


 乾いた音が響く。


(シルヴィア……)


 リリンは、ようやくシロウに手を上げたシルヴィアの後悔と苦渋に満ちた表情をじっと見つめていた。

 シロウは己の叩かれた頬に手を当て、呆然としている。


「な、なにすんだよ、シルヴィア……まさかお前まで」

「シロウ……いや史郎じゃな。お前は何も変わっておらぬ」


 シルヴィアは言い直すと、シロウを頭をその豊かな胸にかき抱いた。


「もっと早くこうすべきだったのじゃ。妾は前世でも今生でも、そなたに甘過ぎた。……いや、自分自身に甘かったのじゃな。娘のネグレクトから、孫を救ってやることはできたはずなのに。すまなかった」

「……ば、ばあちゃ……? 待て、な、何を!?」


 シロウは慌てて、シルヴィアから離れようとする。

 だが、どれだけ転生勇者としての常識外の膂力をもってしても、シルヴィアの腕は離れない。

 むしろどんどんシルヴィアの腕は力を増していく。

 そして、シロウの転生勇者としての力が吸血鬼に吸い取られていく。


「なっ、なに、何をしてやがんだぁっ!?」

「吸血鬼のやることは決まっておろう? エナジードレイン、いやレベルドレインじゃな。そなたの力を奪い、自分の物としておるのじゃ」

「ふざけんなよほぉぉぉぉっっ!!?」


 困惑と絶望と怒りと拒絶が入り混じった悲鳴が響く。

 シロウはもう、ただただ叫び続けることしかできていない。


「すまぬな。そうでもせねばこの女神の分体を、拘束し続けることは困難での」

「シルヴィア……」

「そんな目でみないでおくれ、理子ちゃん。いや、そなたの決意を汲んでリリンと呼ぶべきじゃな。……遅きに失したと笑うてほしいのじゃ」


 シルヴィアの表情は、とても穏やかだった。

 それは覚悟を決めた者が辿り着く、凪の嵐のように。


「リリン、この場は妾に任せて、ニャリスのところへ急ぐのじゃ」

「ニャリスのところ?」

「ああ。ラーゼリオンの亡霊……〈ライト・ハイド〉と対峙しておる。このままではニャリス達に勝ち目はない」

「待って、この場は任せるって……ミンミンはどうするの? シルヴィアなら助けられるの!?」

「不思議なことを聞くの? リリン」


 慌てて訊ねるリリンに、シルヴィアは優しく笑った。


「妾の考えていることは、ケノンに聞けば分かろう?」

「あっ……」

「抜けているところは、変わらぬの」


 ハッとして、リリンは照れたように頬を掻いた。


「わかった。……ミンミンをお願いね、シルヴィア」


 そして栗色の髪の少女は、脇目も振らずに駆け出した。

 当然、シロウのことも一顧だにせずに。


「ま、待てぇっ! リリ……もがっ!?」


 シルヴィアにグイと押さえつけられ、シロウは口を胸で塞がれた。


「おとなしくしておれ、坊や。分体とはいえ相手は女神じゃ。そなたの力を吸いつくさねば、このまま拘束もままならぬ」

「もがっ……やめっ……いやだ、オレはもう……む、む、無力にはなりたくな……」

「今更じゃ。そなたはこの世界でもずっと」


 そして吸血鬼は穏やかに告げる。


「一人では立つこともできぬ、無力な子どものままであったよ」


 そうしてシルヴィアは腕の中のシロウの力を使いながら、白の幼女を封じ込め続けた。


 ***


「そ、そんニャ」


 ニャリスの目の前で、惨劇が繰り広げられた。

 ここまで軍を率いてきたハーミット新王は偽物で、その正体は〈ライト・ハイド〉を宿したクレイム・フィン・レオニングだった。

 クレイムに操られていた事実を知った軍団長ヴォルフラムは、近衛兵達に命令した。ラーゼリオンの闇の化身である、ライト・ハイドを撃て、と。

 しかし。


「ウチの呪術が、通じニャい……」


 ヴォルフラムの指示でクレイムに向けて引き金が引かれたはずの神の雷ライフル。その銃口は、いずれも横に立つ兵士たちに互いに向けられ、発砲された。

 互いの頭を撃ち抜いてしまった近衛隊は、一瞬のうちに全滅する。

 クレイムは指一本も動かさないままに。


「ニャんで……? 〈魂魄快癒ソウル・リフレッシュ〉で、術は解除したはずニャのに」

「ゲンダイニホンより女神に導かれたチート勇者だとしても、転生元がただの畜生ではこの程度でござーますね」


 青い顔のニャリスの首元には、ガイルズが構えた剣が突きつけられていた。

 もちろん、またクレイムに操られているのだ。


「マスターガイルズ……正気に戻るニャ、ラビは、ウチらを助ける為に」

「無駄だよ、ニャリス君。きひひっ」


 醜悪に笑うクレイム。


「君は我の術を打ち破ったつもりだったろうが、こちらのとしてはただ時間を稼げればよかっただけのこと。戯れのお遊びに付き合ってもらったに過ぎぬ」


 気づけば、この場にいるニャリス以外の生きている者はすべて、クレイムに跪いていた。

 ガイルズも、彼の仲間で生き残った僅かな冒険者ギルドの仲間も、ヴォルフラムも同様だ。


「くひひ……ラーゼリオン王城の宝物庫、その封印が解かれた時から、エリオット王子と同様に我の封印も解かれてきた。今の我は、魔幻界ラーゼリオンの魔法を存分に扱える。こんな文明が遅れた異世界で、我に敵う者など神以外には存在しえぬのだ。くはははっ……!」

「な、なら……さっさとウチも操ればいいニャ! なんでそうしないニャ!?」

「くふふ……猫畜生には、我の考えていることなど分からぬであろうな。保険だよ」

「ほ、保険?」

「今頃は、望月晴人が魔王を倒しているだろう。対消滅によるエネルギー放出で、この大陸の消滅は時間の問題だ」

「にゃ、ニャッ!?」


 さすがのニャリスも理解が追いつかず、目を白黒させる。


「あの若造が世界の新たな神になり、そして古き女神を倒す。……その時こそ好機」

「ニャに言ってるか分からニャいけど、それとウチを生かしているのが、どういう」

「お前を餌にして、まずは彼女・・を捕らえる。そうすれば……あの男もまた現れるだろう」

「あの男?」


 ニャリスの反問に、クレイムはまた顔を歪ませて醜く嗤った。


「望月晴人はまだ過少評価しているようだ。あの男は、この程度で死にはせぬよ。我が息子……反射の魔術師、エフォート・フィン・レオニングはな」


 ラーゼリオンの亡霊〈ライト・ハイド〉を身に宿すクレイム・フィン・レオニング。

 前世と今世の人格を統合し、現代日本のすべての知識を得たハーミット・フィル・ラーゼリオン〈望月晴人〉。

 そして分体を封じられたとはいえ、いまだ本体は姿も現してもいない全能の女神。

 思惑は交錯する。ゲームに興じる超越者たちのそれのように。


 だが。


 ***


「やるぞ、魔王」

『いいぜェ……ヤツらに目にもの見せてやろうか、反射のォ!』


 前世がどうであれ、今はこの世界に生きる者にとって、ここはただ遊ばれるだけの遊戯ゲーム盤ではなかった。

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