112.想いの隙間
「――グロリアス・ノヴァ!!」
最上位の聖属性爆裂魔法にして、聖霊獣エル・グローリアの角を触媒とすることで任意の存在のみに対象を限定できる戦略級魔法、グロリアス・ノヴァ。
エフォートはその究極とも呼べる大魔法を、全魔力をもって解き放った。
対象は当然、この世界を統べる存在である女神。ミンミンに憑りついているその分体だ。
だが、ルトリア市の連合評議会議場で事前に分析することができた【魔王】と異なり、【女神】の魂を構成する情報など、さすがのエフォートも持っていない。
だからエフォートは、〈グロリアス・ノヴァ〉の影響範囲を「この世界を構成する全ての物質、およびミンミンとその魂
当然その
エフォートはその複雑極まりない
この状況を、あらかじめ予測していたから。
『あらあ? あは、あははははははは! 驚いたぁ! それなりに効果あるかしらぁ、反射の坊や! でもざぁんねぇん、ちょっと風がうるさい程度かしらねえぇ!』
白の幼女の嬌声が光の奔流と爆音の中で木霊する。
(戦略級魔法がうるさい程度、か……だがそれで充分だっ!!)
エフォートは〈
エリオットは頷いた。
(――ミンミンッ!!)
エフォートは自分を父と呼んだ幼い少女の魂に向かって、全力で呼びかけた。
そして。
〈グロリアス・ノヴァ〉による光と音の嵐が収まると。そこには変わらぬ醜悪な笑みをミンミンの顔で浮かべている白の幼女の姿があった。
「いつまでしがみついてるかしらぁ? 小僧」
「ぐっ!?」
不可視の力で、エリオットがミンミンの身体から弾き飛ばされる。
「おのれ、女神……」
『ふふふ……くくく』
悔し気に睨みつけるエフォートを、白の幼女は興味深そうに嗤った。
『……なるほどかしら、
「く……」
『あははははははは!』
嘲笑とともに、白の幼女はその身体をさらに高く高く浮かび上がらせる。
『あー愉しかったかしら! って、そろそろ黒のが怒り狂って出てくるかしら。そろそろ我は退散するかしらぁっ』
「な、待てっ……ミンミンの身体をおいていけ!」
『おいていくわけないかしらぁっ! そう、また望月史郎の元に戻ってハーレムごっこを再開するかしら。あのガキきっと喜ぶわあ、またお兄ちゃんって呼んであげるかしらぁ!』
「ふざけるなぁッ! ――〈
怒りに任せ、エフォートは通じないことが分かり切っている承継魔法を解き放った。
瞬時に蒼い光柱が屹立し、ミンミンの身体を包み込む。
『望月のところで待ってるかしら、反射の坊や。そこで転生チート勇者と決闘なさいな、我は手を出さずに見ててあげるからぁっ』
だが白の幼女は微動だにしないまま、蒼光を容易く弾き飛ばした。
(やはり今の段階では無理か……だが仕掛けはできた。ヤツにも気づかれていない。けど……!)
最低限の条件はクリアできた。
それでもエフォートは、大地に強く拳を打ちつける。
まだミンミンを苦しめてしまう自分に怒る資格などないと、エフォートは分かっていた。だが感情はどうにもならない。
白の幼女が転移の光に包まれた。
『反射の坊や、早くラーゼリオン王国との国境に戻ってくるかしら。黒のと遊んでる暇はないわよ、なにしろ魔王軍が帝国軍を足止めしてる間に、王国軍が連合の都市を蹂躙するのだから! あはははははははっ!! じゃあね~なのかしらぁ~!』
最後まで不快な嘲笑を振りまきながら、白の幼女は姿を消した。
***
ガラフは、すべてを理解していた。
場所は離れていても、ミンミンとは承継魔法で繋がっているからだ。
「……ミンの奴は、ニイちゃん達を責めてない。今も信じて待ってる。……けど」
「分かってるよガラフ、それで許されるわけじゃない」
エリオットが応えたが、エフォートは俯いたままだった。
そして。
「……時間が無い。ガラフ、装甲車部隊は?」
「ニイちゃん!?」
話を先に進めようとするエフォートに、納得できないガラフは怒りの声を上げる。
「女神を倒す方法がこれしかないのは分かるけど! こんなやり方、転生勇者と同じじゃないかッ……!」
「ガラフ君、言い過ぎだよ」
黙しているサフィーネの横に立っていたダグラスが、エフォートに詰め寄る少年の肩を掴んだ。
今この場にいるのは、エフォート、エリオット、ガラフ、サフィーネ。そしてダグラス。
ダグラスの傍には常にキャロルがいるはずだが、今は姿を見せていない。
「……レオニング君。心配しなくていいよ、他は予定通りに動いている」
黙り込んでしまったガラフに変わり、ダグラスは続ける。
「後方配置していた装甲車部隊は、ビスハ勇兵隊のギール君に率いてもらって全速でルトリアに引き返してる。魔物の軍勢を相手にするはずだった都市連合兵も同様だ。装甲車部隊は、明日にも国境に到着できるだろう」
「ルースもギール達と一緒だな」
「ああ。神の雷隊と一騎当千の戦士だ、滅多なことでは遅れを取らないだろうね」
エフォートは俯いたまま、ダグラスと言葉を交わす。
「サフィを護衛していた、リリンとニャリスは?」
「リリン君たちにも、すでに指示を出したよ。装甲車部隊より更に先行して、ラーゼリオン王国軍の足止めしてもらう。レオニング君の言った通り、あくまで目的は足止めだから、勇者との交戦は避けろと念は押したけど」
「……リリンの性格を考えれば難しいだろうな。ニャリスと、それにシロウとともにいるシルヴィアに期待するしかない」
そこまで口にして、エフォートはようやく顔を上げた。
「魔王軍の転移までは計算外だったが、それ以外は想定内だ。ダグラス、お前は予定通りに切り札のガラフを連れて、ルトリア市の防衛に戻ってくれ。キャロルの短距離転移とガラフのマジック・パサーを繰り返せば、充分間に合うだろう。俺とサフィ、エリオットはこのまま魔王をーー」
「想定内? 予定通り? ……さっきから、どういうことかな」
後に、この時の事を振り返ったガラフは言った。
この時のサフィーネの声ほど、哀しく冷えた声を聞いたことはなかったと。
***
「レイ議長と、兄貴と、示し合わせてたんだね。フォート」
「サフィ……」
「どういうことかな? 私たちは共犯者のはずだよね。こんな計画……ミンちゃんを犠牲にするなんて計画を、私は聞いてない」
サフィーネは、エフォートの前に立ち正面から目を見つめる。
反射的に目を逸らしそうになったエフォートだったが、それは違うと思い止まった。
「……言い訳はしない。ミンミンの身体は必ず取り戻す。それでも、あの子にまた苦しみを味あわせることに違いはないから……俺の罪だ」
「違うわ。私たちの罪よ」
エフォートの言を、サフィーネは即座に訂正する。
「フォート、貴方にそんな決断をさせてしまったのは私だから」
「サフィ、それは違う!」
「違わないわ!」
「ハイハイ、ストーップ! 二人とも!」
割って入ったのは、ダグラスだった。
「不毛な言い争いはしなさんなって。おい、国父ラーゼリオンさん!」
「その呼び方は止めてよ、議長さん。……わかってる。俺が説明する」
促されて、エリオットがサフィーネの前に歩み出る。
「サフィーネ。ミンミンちゃんの魂の奥底には、まだ女神の因子が残っていたんだ。エフォートが……俺たちが何をしようとしまいと、あの悪趣味な女神は最悪のタイミングでまたあの子の身体を乗っ取っただろう」
「だから、仕掛けをしたっていうのね。当のミンちゃんとガラフ君にも内緒で」
サフィーネの詰問に、エリオットは素直に頷く。
「女神が、ミンミンちゃんの中で聞いている可能性があったんだ。だから事前に説明することはできなかった。でもさっき、エフォートが〈グロリアス・ノヴァ〉で女神を抑えている間に最低限のことは伝えたよ。だからガラフにも分かってるよね?」
エリオットの問いに、ガラフは不承不承という様子で頷いた。
「……オイラ達が女神を倒す切り札になるなら、それは嬉しいよ。でも、その為にミンの奴をあんな目に遭うのは嫌だ」
「そう思うなら、ガラフ」
エリオットが歩み寄って、少年の肩を掴んだ。
「議長さんとキャロルちゃんと一緒に、急いで戻るんだ。ここでエフォートを責めている場合じゃないだろう?」
「う……うん」
「兄貴ッ!!」
サフィーネが割って入り、エリオットの胸倉を両手で掴んだ。
身長差が大きいので、自然とサフィーネは無理矢理背伸びをしている形になる。
「ふざけないで! そんな言い方っ……!」
「俺はふざけてないよ。この世界を、あの狂った女神から取り戻したいんだろ? だけど犠牲は払いたくないなんて、そんな虫のいい話が通ると思う?」
涼しい顔で、エリオットは淡々と答える。
カッとなったサフィーネはそのまま兄を、かつて兄だった者を突き飛ばした。
「さ、サフィーネ?」
「兄貴……いや。あなたはやっぱり、“
「なんだって?」
「あの兄貴は……ここまで一緒に旅をしてきたエリオット兄さんは、絶対にそんなことを言わない。世界を救う為なら、小さな女の子を一人犠牲にしてもいいなんて、絶対に言わない。今のあなたは、私が知っているエリオットじゃない」
「……!!」
その言葉に、ハッとするエリオット。
頭に手を当て、そんなことは思いもしなかったと動揺する。
「俺が……? そんな、俺はエリオット自身でいるために、魂を……」
「フォート」
自我を揺らされ悩むエリオットの横をすり抜けて、サフィーネがまたエフォートの前に立った。
「サフィ」
「計画通りなら私はこの後、フォートと兄貴と一緒に魔王を倒しに行くんだよね?」
フラットな口調での問いかけに、エフォートは頷く。
「……ああ。今が絶対に、女神と転生勇者の邪魔が入らない好機だ。エリオットが囮になり、俺が対魔王反射で封じ込め、サフィがトドメを刺す。魔物の軍勢もいなくなった。今、この時以外に魔王を倒す機会はない」
「そう。……なら魔王討伐には、私と兄貴だけで行くよ」
「……なんだって?」
一瞬、エフォートには本当にサフィーネが何を言っているのか分からなかった。
「魔王討伐は私と兄貴に任せて、フォートは来なくていいと言ったの。フォートはガラフ君と一緒に、ミンミンを助けに行って」
「ま、待ってくれ、サフィ!」
その瞳を見て、彼女が本気で言っていることを悟ったエフォートは慌てる。
「聞いてくれ。多くの承継魔法を手に入れた今のガラフは、もう俺に匹敵する魔術師だ。ミンミンとの繋がりも、まだ女神にバレていない。ガラフなら、俺たちが魔王を倒して戻るまでの間、持ちこたえられる!」
「そういうことじゃないんだよ、フォート」
「お姫様……ニイちゃん……?」
二人の口論の間で、ガラフは戸惑う。
だがそれ以上に、エフォートは動揺していた。
「なら、どういう」
「フォート、これはあなたの義務だよ。あなたは、あなたの手で一秒でも早く、ミンちゃんを救って」
「サフィ……だが、俺は」
「フォート、私は君と一緒に罪を背負いたいんだ。私の為に罪を負ってほしいわけじゃない」
王女のその言葉に、エフォートは絶句した。
サフィーネの為に、エフォートが仲間を犠牲にすること。それをサフィーネ自身が許容するはずがなかった、と。
「待て! 待て待て待て! 王女殿下、そりゃいくらなんでもあんまりだ!」
訪れた沈黙を破るように叫んだのはダグラスだった。
「殿下だって、自分の身を帝国に渡してでも都市連合を守ろうとしただろ? 自分が犠牲になるのは構わないけど、他人が犠牲になるのは許せないってのは違うだろっ!?」
「事が済んだ後なら、帝国を滅ぼしてでもフォートは私を守ってくれます。私はそれをアテにしてました。だから、私は自分を犠牲にするつもりなんかありません」
「そんなのっ」
「サフィ、嘘をつくな」
「……フォート」
エフォートの断言に、今度はサフィーネが絶句した。
「君は、約束を違えた自分を守る為に、俺が帝国と戦うことを許容したりはしない。すべてが済んだら、君は皇帝との約束を守って帝国の内部に入り、今度は内側から帝国も変える。そのつもりだっただろう」
「……フォート、私は」
「俺は誰より君を理解しているんだ」
視線を逸らしたのはサフィーネの方だった。
だから。
だからこそエフォートは、今回の計画を立てたのだと。
(そうか、やっぱり……)
サフィーネはすべてを理解する。
魔王軍との戦いが始まりこちらが有利になれば、必ず女神の邪魔が入るだろう。女神にとっては、魔王を倒すのは転生勇者であってほしいはずだからだ。
その為に女神はまた現れ、ガーランド帝国軍の邪魔をするだろうと、エフォート達は予測した。
エフォートたちが魔王と戦う前に引き返して、シロウ・モチヅキと戦わざるを得ないようにする為にだ。
だから、エフォートはダグラスとも相談し、装甲車部隊と神の雷隊を後方に配置した。
最速で引き返して、帝国軍という壁がなくなっても都市連合を守れるようにだ。
ラーゼリオン王国軍と転生勇者、それに加え女神の分体まで相手にする状況になるが、対“白の幼女”への切り札として、ミンミンと繋がっている承継魔法使いのガラフを送り込むのだ。
分の悪い賭けだが、最低限の時間が稼げればいい。その間に、女神と勇者の邪魔が入らない状況で魔王を倒せば、救援に駆けつけられるのだから。
帝国軍をも守れば、借りは返せる。それを理由に、サフィーネを嫁がせることを拒否することもできる筈だ。
これだけで、少なくともエフォートにとってこの計画は価値があった。
(その為に払う犠牲が、あまりにも多すぎる……! ミンちゃんの苦痛に、ガラフ君の極端な負担……だからフォートは、私に何も言わなかったんだ……!)
サフィーネは、自責の念に潰されそうだった。
けれど、エフォートにそうさせてしまった自分を責めている時間は今はない。
「フォート、お願いだから先にミンちゃんのところに行って。魔王は私が倒すから」
「認められない。サフィ、君は俺とエリオットと一緒に魔王城に行くんだ。ミンミンは魔王を倒した後に助けるから」
「ミンちゃんは、もう二度とあの男をお兄ちゃんなんて呼びたくないって言ったのよ!! なのに、このままじゃ!」
「分かっている! だから今こうやって言い争ってる場合じゃないんだ!」
叫び合う二人に、ダグラスは頭を抱える。
「おいおい……どうすんだよ、これ」
『なァ。魔王城を目の前にして痴話喧嘩とか、ありえねえよなァ』
「本当だよ。お前もそう思うか?」
『あァ。吾はラスボスの筈だぜェ? そこにお姫様だけで来るとか来ねえとか、どういう状況だっつーんだよォ』
「まあ、二人とも想いが空回りしてるっつーか、頑固で不器用っつーか……ん?」
「ダグラスッ!!」
空間から湧き出すように
「
そしてキャロルは、訓練を重ねた短距離転移魔法でその恐ろしい存在の傍から離脱する。
『まあ、待てよォ』
「ぐっ!?」
ズシャア、とキャロルとダグラスの二人は少し離れただけの地面に投げ出された。
その前に庇うように、エリオットが立ち剣を構える。
「ニイちゃん!?」
「下手に動くな、ガラフッ! サフィも俺の後ろに!」
「う、うんっ」
いつでも反射壁を張れる体勢で、エフォートは叫んだ。
ガラフとサフィーネも素早く身構えている。
『へッ……いつまでも来ねェからよ。こっちから出てきてやったぜェ』
「ま、魔王……?」
ダグラスは立ち上がり、顔に着いた砂を払いながら首を傾げた。
当然だろう。その者からは、かつてルトリアの評議会議城で会った分体と比べてもまるで威圧感を感じないのだ。
その代わりに、奇妙な違和感があるだけだ。
「お前が、本体なのか……?」
『ヘッ、本体だぜェ。なんも感じねェでビビったかァ?』
漆黒のその者は愉快そうに笑う。
そして。
『能あるナントカは爪隠すってーんだ。じゃあ、魔王本体である証拠を見せてやるとすっかなァ! ……吾を女神の前座扱いした報いを受けな』
「!? ……〈リフレクト〉!!!」
次の瞬間。
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