113.単純バカ
ラーゼリオンとの国境に駆け戻りながら。リリンは、ニャリスからエフォートの立てていた計画を打ち明けられた。
ニャリスも、エフォートからすべてを話されたわけではない。だが都市連合内を呪術を用いて独自に暗躍し、ダグラスの執務室にも忍び込み、ほぼ全容を把握していた。
「なるほどね……まかせてエフォート。サフィーネを守るため、役に立ってみせるから!」
「リリン、あんまり気負わニャいで。正面からシロウ・モチヅキと戦うなんて絶対に駄目ニャから。あくまで時間稼ぎに徹するニャ」
「分かってる。あたし達が最初に国境に着くからね。ロリコンの帝国軍が魔王軍に全滅させられても、絶対に王国軍は止めてみせるよ!」
「全然、分かってニャい……」
ニャリスはリリンの驚異的なスピードに遅れず駆けながら、同時に頭を抱える。
(本来なら、帝国とラーゼリオン、それに魔王軍。全部を喰い合わせてウチらが利を取るべきニャ……けど)
帝国の将軍はいざ知らず。ラーゼリオン国王ハーミットが、その程度の軍略をわきまえない筈がない。
魔王軍の全軍転移。
この異常事態を最大限に活用するだろう。
もともと魔王軍は、女神の力で帝国軍の只中に転移されているということだ。
そこにラーゼリオンがみすみす突っ込むなど、ありえないだろう。
(頼むニャ……シルヴィア)
今のシロウは、ハーミットに言葉巧みに操られている。
それはあの非常識極まりない戦闘力が、悪魔の頭脳により動かされるということだ。
正面からぶつかっては時間稼ぎはおろか、リリンを捕らえられ、古精霊術とレーヴァテインによる超戦闘能力をハーミットに奪われてしまうだけだろう。
(だから、ウチらがうまく立ち回らないといけニャい)
それには、ラーゼリオン軍内部に留まっているシルヴィアの協力が必要だった。
シルヴィアとは、通信魔晶でエフォートと話がついているらしい。
あの反射の魔術師のことだから仕込みはできているだろう。ニャリスはそう信じるしかなかった。
「……リリン、そろそろ
「わかった! ……ねえ、ニャリス」
「ニャ?」
「前から気になってたんだけど。ニャリスの心の声って、ケノンで聞き取り難いんだよね……奥の方が、ゴチャゴチャしてるというか。どうやってるの?」
首を傾げるリリンに、ニャリスはフッと笑う。
「秘密ニャ」
そして半日も立たないうちに国境を越え、二人はラーゼリオン軍を目視できる距離に捉えた。
「そんな……」
そして、絶句する。
「そこまでするか、ニャ……」
軍の先頭には、高い十字架が二本掲げられている。
そこには一人の人族の男と、一人の獣人の女が
「ガイルズさん……!」
「ラビ……!」
リリンに
そしてその副官、ニャリスにとっては同郷の因縁浅からぬ兎の獣人・ラビ。
二人は半死半生の体で、無残な姿を晒していた。
***
「おい、ハーミット。これは主人公がとる作戦じゃねぇんじゃねーか?」
王族専用の巨大で豪奢な馬車。その屋根の上に寝そべりながら、シロウは苦言を漏らした。
御車の天窓が開け放たれていたので、中にいる国王ハーミットにも声は届く。
「……確かにこれは卑劣な罠だ。けれど仕方のないことだよ。相手はおそらくすべての承継魔法を解封した、反射の魔術師一党だ。それがなくとも、精霊シェイドにニャリス君の呪術、〈インビジブル〉の魔法……気配を断って接近する方法を、彼らは山のように持っている。自衛の為にはやむを得ないんだ」
淡々と、まるで教師が生徒に算術を教えるかのような平坦さでハーミットは語る。
その手には各地に放たれた諜報部隊から次々と入る報告書の束があった。
「どうやら彼らは、この事態をある程度予測していたみたいだね。サフィーネが承継魔法で
「ハッ、てことは例の
鼻で笑ったシロウだったが、ハーミットは意にも介さない。
「ならないよ」
「なに?」
「あの二人が人質として有効になるのは、たった三人相手だけさ。けれどその三人の内、少なくとも一人以上が装甲車部隊に先行して、こちらの足止めを図るはずだ」
「……もったいぶった言い方すんなよ。誰だ?」
馬車の天窓から中を覗き込んできたシロウに、ハーミットは涼し気に笑う。
「君の元仲間さ。現状でレオニング君たち主力は、魔王相手で手一杯だろう。こちらに割ける戦力で、単独で一軍を足止めできる戦闘力を持つ者といえば一人しかいない」
「……ひとつ訂正しろ、ハーミット」
誰のことを言っているかを察したシロウは、ハーミットの物言いに不愉快そうに眉を顰める。
「……そうだったね、訂正しよう。彼女は
「ああそうだ。待ってろリリン、お前は絶対にオレが取り戻す……!」
キリッとした表情で行軍する先を見つめ、勇者は呟いた。
ハーミットは内心で笑う。
(いいね、主人公らしい台詞だよ。……さて)
「それでは国王として、仲間を救い世界を救う勇者に最大限の援助をしよう。……ヴォルフラムを呼んでくれたまえ」
「はっ」
御車内で静かに控えていた秘書官は頷くと、馬車の外に向かって指示を出した。
「さて。ではシロウ、君にリリン君を取り戻す策を授けよう」
「その言葉を待ってたぜ、ハーミット」
愚者は笑みを以って、悪魔のような策士の誘いに応えた。
***
「放して、ニャリスっ!」
「落ち着くニャ! シロウ・モチヅキにはシェイドも呪術も意味がニャい、人質に近づいたらすぐ察知されて、量産されたラーゼリオン軍の〈神の雷〉で蜂の巣にされるだけニャ!」
突貫して人質を救おうとするリリンを、ニャリスは必至で抑えていた。
「でもっ……! あんなの酷すぎる! ラビもガイルズさんも、早く助けてあげないとっ!!」
「そんなの分かってるニャ! ウチだって、少なくともラビには言いたいことが山のようにあるニャ! 人質を助けたいのは自分だけだニャんて思わニャいで!」
「——ッ!」
ニャリスの叫びに、ハッと我に返るリリン。
「ご……ごめんニャリス。あたし、そんなつもりじゃ」
途端にシュンとして小さくなるリリンに、ニャリスは思わず気を緩ませる。
「……相変わらずバカみたいに素直ニャんね。もういいニャ、それより作戦を立てるニャ。シェイドは解いてニャいよね?」
「う、うん。……今バカって言った?」
リリンの反問を無視して、ニャリスは視線を進軍を続けるラーゼリオン軍へと向けた。
「よし。……さっきは意味ニャいって言ったけど、ウチの呪術の方は、少しはシロウ・モチヅキの目を欺けるかもしれないニャ」
「えっ?」
気絶したリリンを抱えてラーゼリオン城を脱出した時。シロウは、呪術で身を隠したニャリスを認識できなかった。
それはシロウがニャリスの裏切りに動揺してた為で、警戒されている今も同様である可能性は極めて低い。
呪術にも独自の
「一応、ウチは反射の魔術師から
「……うん」
「まずは、ウチが呪術で隠れて人質に近づくニャ。リリンは例の裂空斬奥義をいつでも撃てる状態で……!?」
「どうしたの? ニャリス」
突然口を噤んで、ラーゼリオン軍の方を見つめるニャリス。
「ラーゼリオンの進軍が停止したニャ……どうして」
『リリン! おい、リリン! 聞こえるかッ!!』
「——ッ!?」
「この声は!?」
拡声魔法によって荒野に響き渡った男の声に、リリンとニャリスは凍りついた。
その声は、かつて隷属していた主人の声。
『聞こえたら、すぐに姿を現してくれ! ……オレを助けてくれッ!』
「シロウ!?」
助けて、という言葉に反応するリリン。
反射的に飛び出しかけた彼女のその腕を、ニャリスは慌てて掴んだ。
「待つニャ! どう考えても罠ニャ!!」
「でもニャリス! 今、シロウが助けてって!」
「そんニャのウソに決まってるニャ!」
行軍を止めたラーゼリオンの大軍勢。
その中心から、全方位に声は響き渡っている。
『リリン! オレは間違っていた、テレサを失って目を覚ましたんだ! 反射ヤロ……レオニングとも和解して、協力して魔王を倒すから!』
「ほらニャリス! あのシロウが、あんな風に言ってくれてる!」
「ねえリリン? 本気じゃニャいよね? 本気であんな言葉を信じてるわけじゃニャいよね? いくらなんでもそこまでバカじゃニャいよね!?」
『リリン! オレはこの世界のみんなを助けたいんだ。お前が姿を現してくれたら、ギルドマスターもその仲間も、すぐにそこから降ろしてやれる。オレもハーミットも、こんな真似したくてしているワケじゃあないんだ!』
「……ニャリス!」
「そんな目でウチを見ニャいでリリン! ウチはリリンを、正真正銘の単純バカとは思いたくないニャ!」
やられた、とニャリスは臍を噛む。
ハーミットは、連合軍に先行してラーゼリオン軍の足止めに来ているのがリリンとごく少数だけで、しかもエフォート自身は来ていないと読み切っている。
だからこそ、こんな単純な手でリリンを揺さぶりにかけてきているのだ。
「シロウがエフォートと和解する」こと。
これほどリリンにとって甘美な誘惑は、他にない。
(さすがのリリンも、本気で信じているわけじゃニャい。でも、ほんの僅かでも、塵一つ分でもその可能性があるのニャら、リリンはその言葉を無視できニャい……!)
「……ごめんニャリス。あたし、正真正銘の単純バカだ」
「……いいニャ。分かっていたニャ、リリン」
堪え切れずに零れたリリンのその言葉に、ニャリスは深く深くため息をついた。
その反応に、当のリリンがカチンとくる。
「え、分かってたってどういうこと?」
「くどいニャ。あとのフォローはウチに任せて、リリンはさっさと低脳なトロールみたいに罠に向かってバカみたく猛進するニャ」
「トロールってひどくない!?」
「トロールで不満ならゴブリンにゃ。スライムでもいいニャ! どっちもとある世界じゃ流行の人気モンスターニャ!!」
「ニャリス自分が何を言ってるか分かってる!?」
二人はひとしきり叫び合った後、ニッと笑い合った。
「……思えば最初に会ってから五年の間、いつもあたしの尻拭いをさせてきたね。ごめんニャリス」
「そう思うなら自重するニャ」
「うん無理」
「知ってるニャ」
そして、二人はパンと手を合わせる。
「リリンはリリンの思う通り、自由に突っ込むニャ。それを囮にして、ウチが必ず人質を助け出す。そうしたら脱出ニャ」
「わかった。シロウの気持ちが本当に変わってたら、こっちに合流してね」
「その可能性はゼロ、ニャ。まあ……覚えておくニャ」
リリンは頷くと、転生チート勇者と悪魔の頭脳を持つ国王、そしてゲンダイニホンの兵器で武装した五十万の軍勢に向かい、単身で飛び出していった。
「さて……バカの尻拭い開始ニャ。今のところは、ニャ」
呟くと、ニャリスの姿は呪いの波動に包まれる。
常人でその姿を知覚できる者はいなくなった。
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