111.残酷な計画

 魔王軍を前に部隊を展開させようとしたところで、凶報はサフィーネの元に届いた。


「ミンちゃんが!?」


 女神の分体として、また身体を奪われた。

 エフォートの承継魔法〈魂魄快癒ソウル・リフレッシュ〉によって、ミンミンの魂はあるべき状態に戻っていたのではなかったのか。

 伝令を受けたサフィーネは狼狽し、持ち場を離れ部隊の先頭へと駆け出そうとする。


「待つんだ、殿下」


 ダグラスが素早く、それを押し留めた。


「危険だよ。殿下はここで待機を」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!? どいて議長!」


「落ち着くんだ、先頭にはレオニング君がいる。大丈夫だから」

「でもミンちゃんはっ……!」


 サフィーネは、あの幼い少女が自分の自由を奪われることを極度に恐れ、嫌悪していたことを知っている。


「守るって……見捨てないって、私たちは約束したのよっ!」

「殿下!」


 いつもの軽薄さを捨て、ダグラスは鋭い声で一喝する。


「貴女の身にもしもがあれば、連合軍は瓦解する! 仲間を想う気持ちは立派で尊敬に値するが、今は立場を自覚するんだっ!」

「——ッ!」


 ダグラスの正論に、サフィーネは反論の言葉が出てこない。


(なんて……キャロの為に評議会議長の立場を利用していた僕に、言えたことじゃないけどね)


 内心で自嘲したダグラスは、不安そうにミンミン達のいる方角を見つめるサフィーネの肩に手を置いた。


「大丈夫だ。レオニング君なら……あの反射魔術師リフレクターなら、なんとかしてくれる」


 頼むぞ、と。

 ダグラスはサフィーネと同じ方角に視線を向けた。


 ***


『あははははっ……! あの程度の魔幻界ラーゼリオンの魔法で、本当に我の因子をこの娘の魂から排除できたと思っていたかしらぁっ?』


 宙に浮かび、再び“白の幼女“と化したミンミン。その顔は狡猾で侮蔑に満ちた表情に歪んでいる。

 ギリと、歯を食いしばるエフォートとエリオット。


「チッ、どういうことだエリオット王子! お前の元いた世界の魔法は、女神ヤツには効かないのか!?」

「そんなハズない……女神本体ならともかく、ミンちゃん自身に作用するこの魔法なら、確実に魂を元の状態に戻せたはずっ……!」


 信じられない、と目を見開くエリオット。

 その襟首をエフォートは乱暴に掴んだ。


「ふざけるな! 現実にミンミンがまた乗っ取られているじゃないかっ! 承継魔法が通じないんじゃ、女神に俺たちが勝つ可能性はっ……!」

『まあまあ、仲間割れはやめるかしらぁ? そのラーゼリオンの小僧も、なかなか頑張っているかしらぁ。うふふふふふっ』


 聞く者すべてを苛立たせるような嘲笑を、女神の分体は上から浴びせる。

 エフォートとエリオット以外の連合兵たちは、女神の圧倒的な存在感に為すすべもなく震えているだけだ。


『ラーゼリオンの小僧は、王都にいるラーゼリオンの亡霊の方とは違うかしら。千年前に自分で組んだ強大な術式で、今は自身に魔力はほとんどない。エリオット・フィル・ラーゼリオンとしては魔力耐性も極端に低い。その代わりに、我に対してはなかなかの認識阻害ができているかしらぁ。反射の坊や、お前たちに我の神眼が制限されているのは、小僧のお陰かしら。感謝することねぇ』

「チッ……」


 エフォートは舌打ちしてエリオットから手を放すと、白の幼女を睨みつける。


「それで……今さら分体を復活させて何の用だ? 貴様曰くのこの『ゲーム』に、直接介入するつもりか?」

『あらぁ、そんな無粋な真似はしないかしらぁ。ゲーム主催者としては、一番いい席で観戦しようと思っただけ。ただ……』


 ニヤニヤと笑う白の幼女は、くるりと振り返った。

 視線の先で波打つ海のごとく蠢いているのは、険しい大地を埋め尽くしている七十万の魔物の大軍勢。


『すこーしだけ、楽しくしようと思ったのかしらぁ!』


 パチン、と白の幼女は指を鳴らす。

 次の瞬間、魔王配下の大軍勢は音もなく姿を消した。


 ***


「ふふ……もうすぐ会えるね、サフィーネ」


 黄金の鎧を纏った若い騎士は、馬上で呟いた。

 その騎士は百万の兵を率いる軍団長にして、大陸最強国家の王位継承者。

 名をグルーン・ガン・ガーランドという。

 荘厳な意匠を施された兜の下に覗くその顔は、大抵の者が爽やかな印象を抱くであろう好青年だ。


「皇太子殿下」


 そのグルーンの元に、銀の鎧を纏った騎士が一人、馬を寄せてきた。


「なんだ、バルレオス卿。……おおそうだ、義手の調子はどうだ?」

「問題ございません。お気遣い賜り、恐縮です」


 そう言ってバルレオスと呼ばれた騎士は、片腕を上げ拳を開き、また握った。義手がカシャカシャと音をあげる。


「さすがは皇室お抱えの魔法医団です。おかげで騎士として存命することが叶いました」

「なんの、なんの。お主には転生勇者を相手にして貰わねばならないからな」

「はっ。不逞を働いた我が妹を奴隷とし、この両腕を奪った偽りの勇者シロウ・モチヅキ。奴を直接殺す機会を与えて頂き、皇太子殿下には感謝してもしきれません」


 両腕義手のその騎士は、シロウの仲間である騎士テレサの兄であった。

 皇太子グルーンはカラカラと笑う。


「感謝は、ラーゼリオンのサフィーネ姫にするといい。王国から自分たちを守ってほしいと、帝国を……この僕を頼ってくれた。愚昧なふりをして実に聡明な女だよ、サフィーネは」


 グルーンは陽気に笑うと、不意にその唇の端を歪に持ち上げる。


「利用するだけして、後は逃げるつもりだろうけどねえ。……帝国を安く見てくれたお礼は、あの未成熟で可愛いらしい小さな身体に、タップリと刷り込んであげよう……ふふふ……」


 舌なめずりするグルーン。

 その醜悪な欲望に歪んだ顔が、せっかくの爽やかな美貌を台無しにしていた。


「さようでございますな。……まもなく、王国軍を待ち構える予定地点に到達します。全軍に停止命令を頂けますでしょうか」

「うむ」


 バルレオスの言葉に頷き、その手を高く上げようとしたその時だった。


「こっ……皇太子殿下! お伏せ下さいッ!!」

「なに?」


 叫んだのは、魔術兵団の長だった。次の瞬間、軍の進行方向に白い閃光が瞬く。


「なっ……なんだ!?」

「転移魔法の反応ですっ! 信じられな……恐ろしく膨大な質量が転移してきます!!」

「なんだと!? 総員! 衝撃に備えろぉぉぉ!!」


 グルーンが絶叫した直後に、轟音が轟いた。

 転移魔法は通常、元の空間に存在した大気などの物質と転移物質との位置を相互に入れ替える。

 だがそれでも、あまりに膨大な量の転移は周囲の大気を弾き飛ばし、爆風を発生させた。


「殿下ッ!? ……お怪我は?」

「なんともない! それよりこれは……?」


 グルーンの金色の鎧が、魔力の輝きを放っていた。

 自動で防御の魔術構築式スクリプトが起動していたのだ。

 そしてグルーンは、一変した目前の状況に絶句する。


「デ……魔王創造種の暴走デモンズクリーチャー・スタンピード……!? いや違う、こいつらは……!!」


 常識が理解を拒絶する非現実的な光景に、それでも皇太子は持てる理性を総動員させ、考えられうる唯一の答えを導き出した。


「全軍、戦闘態勢を取れッ! ……魔王軍の襲来だ!!」


 帝国軍百万は、七十万の魔王軍の魔物たちと対峙していた。


 ***


 エフォートの頬を、冷たい汗が流れ落ちる。


「転移させた……だと……? あの数の魔王軍、そのすべてをか!?」

『察しがいいかしらぁ。さすが我にいっぱい喰わせてくれた、反射の坊やかしらぁ!』


 愉しげに笑う白の幼女。


『なら当然、その転移先がどこの軍の目の前かも気づているわよねえ? くくく』

「きさま……!」


 ミンミンの顔で下卑た表情を浮かべる女神の分体に、エフォートは怒りが収まらない。


「……なぜだ! このまま連合軍が魔王軍と戦っていたら、俺たちは戦力を消耗していた。その方が貴様にとって都合がいいはずだ! なぜこんな真似をする!」

「あらあ。我の目的はあくまで、このゲームを楽しむこと。そのメイン・イベントは勇者と魔王の対決であり、それを邪魔する反射の坊やとシロウ・モチヅキとの決闘かしら! それを邪魔する無粋なガーランド帝国……あの王女殿下の姑息な策略なんて、我は認めないかしらぁ!」

「姑息だと……サフィがどんな覚悟で、帝国に助力をっ……!」

「くくくくはははははっ! その顔、その顔! 策士ぶった坊やのその顔が、女神たる我の理不尽で歪むのが見たかったかしらぁっ!!」


 激情に震えるエフォートに、白の幼女はこの上ない嘲りを叩きつける。


「クソがぁっ! 〈リフレクト・シャクルス〉!!」


 エフォートの右手が閃いた。

 同時に白の幼女・ミンミンの両手、両足を拘束する反射壁で構築された枷が出現する。


「あらら? これは魔術構築式スクリプトをいくつ重ねているかしら? 百や千じゃきかないかしらねえ。かなり腕を上げたかしらぁ、反射の魔術師!」


 空中にはりつけにされた状態で、白の幼女は不敵に笑う。


「エリオット!」

「まかせろエフォート! 裂空斬の奥義は俺にだって使える、分体程度ならっ……覚悟しろ女神!」


 エリオットが宝剣を抜いて、大地を蹴った。


「裂空斬・神破金剛ッ……!? く!?」


 黄金のオーラを剣に纏わせ、神すら打ち破る剣術の奥義。

 だがそれは、まるで防御する気配もない白の幼女の目前で急激に停止した。


「き、貴様ぁ……」

「どういうつもりだ、クソ女神!」

「なんのことかしらぁ? あはははは」


 剣を止めて呻くエリオットと、怒るエフォート。

 対して何もしていない白の幼女は、愉しくて愉しくて仕方がないと嬌声を上げる。


「どうしたのかしら、ラーゼリオンの小僧。早く斬ればいいかしら? 反射の坊やも、さっさと魔法で吹き飛ばせばいいかしらぁ。この……ミンミンちゃんの可愛い、か・ら・だ・ご・と・ねっ」

「ふざけるなぁっ!」


 エリオットは怒鳴り、空中に浮かぶミンミンの身体にしがみついた。


「返せっ……ミンミンちゃんにその身体、返せよ!!」

『あははははは! 嫌かしらぁ! あはははははは!』


 白の幼女のけたたましい笑い声が、焼き尽くされた大地ザ・バーンド・アースに響き渡る。

 大気を震わせるその声を耳にした都市連合の兵士たちは、次々に耳を塞ぎ膝をついた。


「ぐううっ!?」

「な、なんだこれはっ……」

「苦しっ……全身が痛いッ!?」


 狂った女神の感情の発露は、ただの人族に耐えられるものではない。


『あははははは! 反射の坊や! 我の魂の内から響いてくるこの小娘の声を、聞かせてあげようかしらぁ!』

「なんだと?」


 爪が刺さり血を流すほど拳を握りしめているエフォートに、白の幼女は声を告げる。


『この身体の持ち主、ミンミンの魂は我の中でこう叫んでいるかしらぁ……〈お父さんっ〉!』

「ミンミンッ!?」


 歪んだ女神の顔が、幼い純粋な少女の顔に戻った。

 ミンミンはそのつぶらな瞳に涙を溢れさせ、絶叫する。


「お父さん! 今のうちにっ……今のうちに、ボクごとこのバケモノを倒してッ……!!」

「ミンミン! 苦しめてすまないッ……でも諦めないでくれ! 俺はお前を」

「嫌なんだ! ボクはもう二度と、ボクじゃなくなるのが嫌なんだ! だからお父さんっ……どうかお父さんの手で、今すぐこのバケモノをッ……〈というわけかしらぁっ〉!」


 悲痛な少女の叫びは、嬌声とともに一瞬で白の幼女に戻ってしまう。


『この娘も望んでいるかしらぁ、お父さぁん? さっさと我を消してあげたらどうかしらぁぁぁあああはははははくはははは!!』

「く……クソがぁぁあああ! 祝福されし光よ! 選べ、撃つべきものと撃つべからざるものを! 汝が敵は我が敵のみなり!! ……爆ぜろ!!」


 エフォートは激情に身を任せるように、聖霊獣の角を手に複雑極まりない魔術構築式スクリプトを瞬時に組み上げていく。それは、敵味方識別式戦略級大魔法の構築式だ。


「あらあらあらぁ? やる気になったかしらぁ?」

「待てエフォートッ! 無理だ!!」


 笑う白の幼女と、叫ぶエリオット。

 構わずにエフォートはスクリプトを完成させた。そして。


「ミンミンッ! 俺はお前を絶対に助ける!! だから!! 〈グロリアス・ノヴァ〉!!」


 聖なる光の奔流が、白の幼女ごと魔王復活の地をもう一度焼き尽くした。


 ***


「フォート……」

「フォートのニイちゃん……」


 サフィーネとガラフが、エフォートの前に立っていた。

 エフォートは力なく項垂れ、二人の目から逃れるように視線を逸らす。


「!! ……ニイちゃん!」


 ガラフはエフォートに飛び掛かった。

 その体を押し倒して、仰向けに倒れたエフォートに馬乗りになる。


「どうしてっ……どうして!!」

「やめてくれガラフ、エフォートを責めないでくれ。これは俺が建てた計画なんだ」


 エリオットが後ろから、グレムリン混じりの少年を抑える。

 ガラフは構わずに、叫んだ。


「ニイちゃん達どうしてっ……! どうして女神に好きにさせた! どうしてミンミンを……ミンミンを囮に・・・・・・・なんかしたんだよ!!」

「……すまない」

「すまないじゃなくってさあ! ニイちゃん達はそんな事するヤツじゃなかっただろぉ!!」


 叫ぶガラフのその後ろで。

 サフィーネは、エフォートがここまでしてしまったのは自分のせいだと、責任を感じていた。

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