110.焼き尽くされた大地へ
都市連合評議会が魔王討伐の方針を決定してから、五日が過ぎた。
エフォートたちは拙速に魔王討伐に出発するよりも、作戦立案と事前準備に時間を費やすことを選んだ。
解封した承継魔法の中から、〈
その間に、女神に祝福されし転生勇者シロウ・モチヅキを擁するラーゼリオン王国軍五十万は順調に西進。
都市連合の第一都市ルトリアまであと五日の位置に迫っていた。
同時に、北部より都市連合領に侵入し、ラーゼリオン・都市連合の国境に向かって驚異的な速度で進軍する大軍勢があった。
神聖帝国ガーランド。大陸最強国家が有する、百万に達する帝国軍だ。
ラーゼリオンに倍する規模でありながら、その進軍速度は王国軍を凌駕している。
大陸最強の名は伊達ではなかった。
「それでも、私が要請してから軍を編成、進軍開始していたのでは、この速さはありえない。私の思考が皇帝ベルガルドに……読まれていた?」
「いやあ、帝国軍はしばらく前から、ウチとの国境線に既に大軍を展開してたよっ。準備万端で待ち構えてたってわけさぁ」
サフィーネの呟きに、ダグラスが応えた。
二人はこれから、ルトリア平原に編成を完了した連合軍魔王討伐隊七万に向けて、最後の訓示を行う。
急ごしらえの演説台の裏にある控えのテントで、偵察部隊からの定期報告を受けていた。
帝国軍の異常な進軍速度に驚いているサフィーネを、年若い評議会議長は笑う。
「二ヶ月くらい前……ちょうど殿下が承継図書を奪って王城を出た頃からだね。帝国は国境に軍を集め始めてたよっ」
「そんなに前から?」
「
「それは、そうですが」
サフィーネはそれも織り込み済みで、帝国や都市連合に流す情報をコントロールしていたつもりだった。
ダグラスは続ける。
「女神の祝福を受けた勇者に、復活した魔王が最初に狙うラーゼリオンの秘密……他国から注目されて当然だよねっ。ガーランドの皇帝が王女殿下を欲しがっているのも、その血に秘密があると知っての事だ。それが承継魔導図書とまで掴んでいるかは、分かんないけどさっ」
「……」
「それでも殿下、もし帝国が約束を守ったら、素直にガーランドに行っちゃうのかい?」
「そうすることが、この大陸の安寧に繋がるのでしたら。今度は帝国の内部から、奴隷制度を無くしてみせます」
表情をまるで変えずに、サフィーネはサラリと応えた。
ダグラスも薄笑いの顔のままだが、その拳は強く握られている。
「……即答だね、殿下。レオニング君はなんて言ってるの?」
「どうとでもする、と言ってくれました。きっと帝国を滅ぼしてでも、私を守るつもりでしょう」
「怖ぁっ。まあ魔王も勇者も女神も倒したら、きっと
「……だから、私は」
サフィーネが僅かに顔を歪ませる。
彼女の内心を察したダグラスが、また口を開こうとした時。テントの入り口から兵士が入ってきた。
「レイ議長、サフィーネ殿下。準備が整いました。訓示をお願いします」
「わかりました。それでは行きましょう、議長」
サフィーネはスッとダグラスの横を通り過ぎ、兵士に先導されてテントを出て行った。
「……キャロ」
「はーいっ」
呟いたダグラスの背後に、
ダグラスは拳を握ったまま、振り返らずに口を開いた。
「頼む。僕に力を貸してくれ」
「もっちろん」
「借りは必ず返さなきゃいけない。絶対に……殿下を犠牲にしたらダメだ」
「分かってるよ、キャロに任せて。キャロはいつだって、ダグラスの気持ちが一番なんだから!」
***
「都市連合軍の諸君! 我々はずっと、自由と正義の為に戦い続けてきた!」
七万の兵士たちに向けて、拡声魔晶の力でダグラス・レイは演説する。
「かつては、大国の横暴から自分たちの都市を守る為に。そして、隣国の生きとし生ける者たちの尊厳を奪う奴隷制度を否定する為に。そしてこれからは、大陸すべてを守る為、魔王との戦いが始まる!」
その姿には、普段の軽薄さは微塵も見られなかった。
兵士たちを見つめ堂々と言葉を紡ぐその姿は間違いなく、責任をまっとうしようとする為政者の姿。
「何故、自分たちだけが戦わなくてはならないのか。そんな思いの者もいるだろう。だがこれは、東に悪しき王国、西に魔王復活の地を持つ我々の宿命だ! 宿命を打ち破った者にのみ、生存と栄冠は許される。我々はこの困難を必ず打ち破り、そして栄光を手にするのだ! その為の用意はできている! この連合評議会議長、ダグラス・レイが約束しよう! 諸君らの協力を得て我が連合は間違いなく勝利し、その功績をもって、この大陸において最大の栄華を勝ち得てみせると!」
おおお……!!
兵士たちがダグラスの言葉に応じて。雄叫びを上げた。
ダグラスは力強く頷くと、壇上から降りる。
続いて、王女サフィーネが七万の兵たちの前に立った。
「……皆さん」
見た目は幼い、優美可憐なひとりの少女。
だがその瞳には、どんな困難にも揺るがない強い意思の光が宿っている。
「私は、犯罪者です」
そんな彼女から放たれた第一声に、兵たちに困惑の声が広がった。
「ラーゼリオン王国では……いいえこの大陸では、この都市連合を除いたすべての国に奴隷制が存在します。人族、獣人族、エルフ族……種族を問わず、その自由を不当に奪い一方的に従属を強いる。魔物の血が混じっているというだけで
シンと静まり返る、七万の人々。
王女は続ける。
「そして今。この世界はさらに、圧倒的な暴力によってすべての生命の自由が奪われようとしています。それは復活した魔王であり、ラーゼリオンの勇者です。勇者は魔王を倒した後、女神から褒美としてこの世界を与えられるそうです。この世界すべては文字通り、勇者の所有物となってしまうのです」
この時。一般の人々に初めて、勇者システムについての真実が告知された。
騒めきが広がり、人々は戸惑い不安に陥る。
「……そんなことは、絶対にさせません」
しかし少女の一言で、再び静寂が場を支配した。
「これは私の贖罪であり、使命です。私と……私の共犯者である勇者殺しの
オオオオオオオッ……!!
先のダグラスの演説時よりも大きな歓声が、雄叫びが、連合軍からあがった。
そして都市連合軍は東へ、
***
「お父さんっ!」
先頭に位置するのは、エフォートが率いる魔法兵団の一部隊。
そこにはエフォートと連合の魔法士達の他に、エリオットとミンミンが編成されていた。
ミンミンはエフォートと同じ軍馬に乗り、ぴったりとその背にしがみついている。
「どうした、ミンミン」
「ボク、頑張るからね。……もうお姫様に、あんな悲しい演説をさせないように!」
ギュッとエフォートを抱きながら、ミンミンは宣言した。
エフォートは手を伸ばして、少女の頭を優しく撫でる。
「ありがとうミンミン。……ごめん」
「どうしてお父さんが謝るの!? お父さんもお姫様も、何も悪い事してない! 悪いのは……ボクに憑りついていた
「うん。だけどミンミン、俺が謝ったのはそのことじゃないんだ」
「えっ?」
エフォートの言葉に、不思議そうな顔を浮かべるミンミン。
そこにエリオットが、馬を近くに寄せてきた。
「エフォート」
「分かっている、エリオット」
諫める口調のエリオットに、エフォートは頷く。
「ミンミン」
「なに?」
「……俺を、信じていてくれ」
「お父さん? 何言ってるの、そんなの当たり前だよっ!」
一切の迷いもなく、幼い少女は応えた。
「ボクはお父さんとお姫様に救われたんだ。二人がいなかったらボクは、きっと今でもあのバケモノのただの
「……ありがとう」
純粋な少女のまっすぐな言葉を受けて、エフォートは礼を言ってもう一度ミンミンの頭を撫でた。
そしてすぐに前を向く。
そうしなければ、見透かさてしまいそうだったから。
***
グレムリン混じりの少年は、怒っていた。
「なんでっ……なんでオイラがこんな後方で、ミンがフォートの兄ちゃんと一緒なんだよっ! こんなの絶対間違ってるっ!」
承継魔法〈
「まだ文句を言ってるべか、ガラフ。フォートさんには、オラたちには計り知れない考えがあるんだべ」
「んなこと分かってんよ、ミカ!」
コボルト混じりの少女ミカが、装甲車の中から顔を出す。
その頭をガラフはコツンとこずいた。
「痛っ、なにするべ!」
「ミカは悔しくないのかよ! お姫様にあんなこと言わせて!」
「……演説のことなら、そりゃあ……悔しいべ」
『私は犯罪者です』
ガラフたちの心にはずっと、サフィーネの言葉がリフレインされていた。
ガラフはダン! と足元を叩く。
「奴隷にされて、
「……ガラフ」
「耳が痛いねえ」
ルースが、ミカに次いで車両の中から顔を出した。
柔らかい目で、ガラフとミカを見ている。
「ルース……ルースは反抗したでねえべか」
ミカの言葉に、ルースは首を横に振る。
「アタシは逃げただけだ。だから、シロウ様に簡単についてっちゃったんだ。主人が王国からシロウ様に代わっただけで、きっと本気で自由を掴み取ろうなんて思ってなかったんだ」
過去の自分を振り返り、ルースは自分の気持ちを整理することができていた。
ガラフは頷く。
「……だからオイラたちは、もうお姫様にあんな言葉を言わせちゃダメだ。今度こそ、絶対にオイラ達自身の力で、魔王も勇者も女神もブッ倒さなきゃいけねーんだ!」
「ガラフ……おめえも、そっただ事を考えてたんだなあ」
「なんだよ、バカにすんなよ!」
「バカになんかしてねえべ」
ミカはガラフとルースを交互に見て、優しく笑う。
「オイラもおんなじ気持ちだ。きっとギールも、他のビスハの皆も同じだべ。だからフォートさんとお姫様が貸してくれた力で……」
肩から下げた大口径対物ライフルの銃身を、ミカはあらためて握り締める。
「みんなで、頑張るべ」
「ああ」
ルースは素直に頷いて、ミカとパンッと手を合わせた。
「だから、んなこと当然なんだって! なのに!」
ガラフは変わらず不機嫌で、ジタバタと手足を振る。
「なんでオイラはこんな後方なんだよーっ! ミンだけ前でさあっ!」
「ガラフもしかして、ミンちゃんと離れたのが嫌なだけなんだべか?」
「なっ……んなわきゃねーだろっ!!」
からかうミカに、ガラフは本気で叫んだ。
彼の頬がほんのり赤くなっていることが、ルースには微笑ましい。
「お、オイラはただ……おかしいと思うだけだって!」
「おかしいって?」
含み笑いで尋ねるルースを、ガラフがキッと睨む。
「だってオイラ、せっかく承継魔法でミンと繋がったのにっ……
「……え?」
「それにそれに、なんで一番速く走れる『装甲車』と火力の高い『神の雷隊』が後方配置なんだよっ! おかしいんだって!」
ガラフは大声で喚き続ける。
「そ、それは……
「オラたちには、こんな大軍の作戦指揮なんか分かりっこねーんだから……」
ルースとミカは、そう言いながら顔を見合わせた。
***
進軍を続ける都市連合軍。
その中央で、サフィーネは馬車に揺られていた。
彼女の隣には軍司令官の立場にあるダグラス・レイ、そして副指令官となったタリア・ハートの姿がある。
そして、やや離れた位置で精霊術と呪術で気配を断ちながら、彼女たちを見守る者たちがいた。
「……リリン、今は考えても仕方ないニャ。護衛に集中するニャ」
「分かってるよ、ニャリス」
ニャリスとリリンは、お互いだけを認識可能な状態にして従軍していた。
「エフォートの弱点はサフィーネ。魔王もそれを分かってるから、狙ってくる可能性は高いんでしょ。絶対に守ってみせるんだから」
「……リリン」
ニャリスは、リリンからサフィーネが考えていることを聞いた。
確かにそんな悲愴な覚悟を〈精霊の声〉で聞かされては、こうして王女を守ろうと意気込んでしまうのも仕方がないと思えた。
(リリンはいいヤツで、情が深くて……バカみたいに単純だからニャー……)
だから、あのシロウ・モチヅキすら見捨てられなかった。
前世のことがあるとしても、それは〈精霊の声〉で聞いた
「ウチとは……違うニャ」
「ん? なにか言った?」
「なんでもないニャ」
ニャリスは応えると、今は考えることを止めた。
***
そして、三日後。
都市連合軍は
遠くからでも目に入る、巨大な魔王城。
その周囲に蠢くは、七十万の魔物の大軍勢。
単純な数では十倍だが、魔物の中には伝説の巨竜や魔神、魔獣が数多く含まれている。
単純な戦力比では百倍でも効かないだろう。
「く……くそがっ……!」
それでも連合軍には、エフォートには勝算があった。
その為の力を準備し、作戦計画を立てていたのだ。
「最初に……貴様が出てくるかっ……!」
だがエフォートは呻き、宙に浮かぶその姿を睨みつけている。
『あははははっ……意外だったかしらぁ? あまりに我を甘く見過ぎていたかしらぁっ!』
高笑いしているのは、女神の分体。
『この幼子の身体は、それなりに、気に入っていたかしらぁ』
ミンミンの身体に再び受肉して、上空からエフォート達を嘲笑していた。
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