109.少女が聞いた声
——この
神聖帝国ガーランドの皇子の婚約者として、自分の身柄と引き換えに、帝国を都市連合の盾とする。
そんな計画をサフィーネから聞かされた時、エフォートは深くため息をついた。
高すぎる理想を抱く者は、決して少なくはない。
だがその為に強いられる自らの不利益、犠牲にしなくてはならない人生の大きさを自覚してしまえば、多くの人は妥協してしまうものだ。
夢を叶えるために現在の地位を捨てろと言われれば。
虐げられた人々を救う為に、まずはお前自身が犠牲になれと言われれば。
それでも掲げた理想に突き進める者は、聖者であると同時に救いがたい愚者だ。
少なくとも、まったく王族には向いていない。
だからこそ。
幼馴染を取り戻すという
「……どうとでもする」
「えっ?」
「俺が、どうとでもしてやる」
評議会前日の深夜、二人きりの執務室で計画を打ち明けたサフィーネに向かって、エフォートは言った。
「そもそもだ。勇者も、王国も、魔王も、女神も。俺たちはすべてを敵に回して戦うつもりだったんだ。そこに帝国が加わったところで、大した違いはない」
「……それってつまり、帝国は利用するだけ利用して、事が済んでも交換条件の私は渡さないってこと?」
そんな悪い事していいの、とでもいう風に。
からかうような口調でサフィーネは尋ねた。エフォートは表情を変えずに頷く。
「そうだ。俺たちは……いや俺は、正義の味方でもなければ勇者でもない。むしろ勇者を殺す、ただの反射魔術師だ。自分が望むことだけの為に戦っている」
「……フォートが望むことって?」
「決まっている」
そしてデスク越しに腕を伸ばして、交わされた唇。
エフォートは、王女を必ず守ると決意を示した。
しかしそれは同時に、サフィーネに彼が望まぬ決心をさせてしまった。
「……フォート」
サフィーネはデスクの引き出しから、指の先程の小さな布の袋を取り出した。
「これ、持ってて」
「なんだ?」
「お守りだよ。袋は開けないでね、開けたら効果が無くなっちゃうから」
鮮やかな青色で染められた布の小袋を、エフォートは指先で摘まんでマジマジと見つめる。
「……魔石か? いや、
「こらフォート! デリカシー無いなあ、ただのプレゼントだって。フォートお願いっ! もうすぐ始まるこの決戦、どうか無事に生き延びてっ! っていう思いが込められた、ただの乙女の贈り物」
「乙女……?」
「そこに違和感を覚えないで」
「……大陸最強国家、神聖帝国ガーランドの皇帝を手玉に取ろうって女を、ただの乙女と言っていいのかと」
「いいんです」
「そうか。……そうだな、ありがとうサフィ。大切にする」
そう言って、エフォートはお守りを懐にしまった。
王女の想いを。覚悟を。
***
「いやー! さっすが、サフィーネ・フィル・ラーゼリオン! 魔王はおろか女神すら敵に回してひるむことのない、本当に勇気溢れるお姫様だねぇ! 影写魔晶に皇帝が映った時の評議員どもの引き攣った顔、タリアたんも見た? 実に爽快だったよねぇ!」
「……議長、静かにしてください。サフィーネ殿下を都市連合を守る人身御供にする罪悪感を、誤魔化そうとする必要はありません」
「……タリアたん、手厳しいなあ」
「私も同じ気持ちですから」
サフィーネの計画が全面承認され、評議会は終了した。
議長室に引き返したダグラスは、精一杯の虚勢をタリアに看破されて頭を掻く。
そして。
「……ごめんタリア。もうすこーしだけ、騒がしくしていいかな?」
「どうぞ。私は何も見ていません」
「ありがと」
タリアはダグラスに背を向けて、綴じられた資料に目を落とした。
次の瞬間、陶器の割れる音が執務室に響く。
花瓶を割ったのは、もちろん連合評議会議長ダグラス・レイ。
「僕はどうしようもない無能だっ……! クソ親父を追い落としたところで、あんな小さな女の子の力を借りなきゃ町ひとつ守れやしないっ……!」
軽薄さはどこへいったのか、ダグラスは強く拳を握り棚を殴りつける
「レオニングもレオニングだ! 殿下を犠牲にするこんな計画を、どうしてっ……僕だったら、キャロにこんな真似を絶対にさせないのにっ……!」
「……共犯者だから、だそうです」
エフォートの名を挙げながら、なによりも自分自身への怒りに震えているダグラスに向かって、タリアは顔を見ないまま呟いた。
「えっ?」
「サフィーネに聞きました。こんな計画、レオニング君に反対されなかったのって。そうしたら、『私たちは共犯者だから、分かってくれている』って」
「……僕は納得いかないね」
ガン、とまた壁を殴りつけると、ダグラスは荒々しく自分のデスクに座った。
そして羊皮紙の束を取り出して、目を通し始める。
「……議長?」
「これ以上、都市連合であいつらの好きにさせてたまるか。要は……ラーゼリオン軍が到着する前に、連合軍が魔王を倒して引き返しゃあいいんだろう。帝国軍の盾なんか必要なくなれば、殿下が皇帝のバカ息子なんかに身売りする必要は無くなるんだっ!」
今は自分の無力さを嘆いている暇はない。
一刻も早く魔王を倒す。その為の準備を少しでも進める時だと。
少し吠えただけで気持ちを切り替えて見せたダグラスを、タリアは少しだけ見直した。
***
軍の訓練場。
栗色の髪の女剣士が、三人の人影に囲まれていた。
「……全開でいくニャ、リリン!」
「裂空斬ッ!」
ニャリスが曲刀を構えようとした刹那、リリンの右手が閃いた。
奥義ではない、ただの裂空斬。
だが【神殺しの剣】レーヴァテインをもってして放たれた剣閃は、いかにニャリスの腕前をもってしても受け止めることすら敵わない。
「ニャアッ!?」
「呪術なんか使わせないよ、ニャリス!」
地を蹴って、一気に間合いを詰める。
「甘い甘いッ! いっくよ、ストーンバレッ……ええ!?」
横からツインテールの女魔法士が魔法を放とうとしたが、その直前でリリンはこちらも見ずに再び手首を翻す。
大気を斬り裂く剣閃が、キャロルの足元を切り崩した。
「キャアッ!?」
大きく体勢を崩したキャロルは、魔法を撃つことができない。
「ハアッ!」
その隙にニャリスとの間合いを詰めたリリンが、呪術使いに斬りかかる。
ギィン!
「させないよ、リリン!」
強力な一撃を戦斧で受け流したのは、オーガ混じりの女戦士ルース。
「ニャリスの呪術はやっかいだからね、最初に狙ってくるのは分かって——」
「ハアアアッ!」
縦横無尽に、繰り出されるリリンの乱撃。
ルースは器用に戦斧を操り、正面からの打ち合いは避けて捌き続ける。
「く、速い……!」
「やるねルース! だけど!」
「う、嘘だろ!?」
戦斧に次々とヒビが入り始める。
裂空斬でもない剣撃に、斧が耐えきれないのだ。
「マジで!? このアックス、魔術ギルドの特注品らしいんだけどっ……!」
「手伝うニャ、ルース! 〈魔旋〉!」
ニャリスが
だがリリンは、あらかじめニャリスの行動が分かっていたかのように身を翻し、斬撃を躱す。
「ニゃッ……ニャアアア!!」
「くそっ!負けるもんかァァァ!」
ニャリスとルースによる、曲刀と戦斧による嵐のような連撃。
だがリリンはそれらを、すべて事前に察知している動きで受け止め、捌き、回避する。
そこから少し離れた場所で、キャロルが魔力を集中させ
「舐めんなっ……バカ剣士! 〈ディメンション・リープ〉!」
空間の穴が無数に開き、リリンを囲んだ。
「全方向からの一斉射……躱せるもんなら躱してみろォッ! 〈クリスタル・ランス・クルセイド〉!」
「
撃ち出されたダイヤの弾丸と空間の穴が、リリンの叫びとともに一気にかき消された。
「なっ!?」
「……
「ニャッ?」
「ずりぃぞリリン!」
ニャリスとルースの目の前から、リリンの姿がかき消えた。
そして。
「……あたしの勝ちだね、みんな」
次の瞬間。
ルースの戦斧が砕け散り、ニャリスの曲刀が弾き飛ばされる。
「信じらんない……」
空間から湧き出すようように姿を現し、涼しい顔で剣を突きつけているリリンに向かって。
キャロルは冷汗を流しながら呟いた。
***
「こんなん反則反則! 反則だってばぁ! 神殺しの剣レーヴァテイン!? 心を読む精霊ケノン!? 魔法を無効化するエントに、気配を完全に断つシェイド!? アンタどんだけ盛れば気が済むわけっ!?」
キャロルが地団駄を踏みながら喚く。
「その上、テレサの
そしてルースは呆れたように呟いた。
だが、一対三の模擬戦で圧勝したリリンの表情は晴れない。
「うん……でも」
「この程度の強さじゃ、駄目ニャ」
そんなリリンの内心を察したように、ニャリスが口を開く。
「ご主人さ……勇者シロウにはシェイドの隠行は通じニャかったし、ケノンで動きを先読みしたとしても、あの人のスピードは異常ニャ。避け切れるとは限らニャい」
「でもさぁ、シロウ様の大魔法はエントで無効化できるんだろ?」
ルースが頭の上に手を組んで、楽観的な声をあげる。
「それだけでも、今のリリンにしたら充分なアドバンテージじゃね?」
「相手が転生勇者だけニャらね。向こうには反射の魔術師を上回る、悪魔の頭脳を持つ男がいるニャ」
ゴクッと唾を飲むリリン。
その剣の柄を握る手は震えていた。
「ハーミット……いや、望月晴人……!」
「あの新しい王様には、リリンの手の内は全部知られているニャ。『神の雷』も量産されてるし、勇者の魔法ニャんかに頼らなくても、王国は遠距離攻撃に事欠かニャい。とてもじゃないけどウチには、今のリリンだけでラーゼリオンに勝てるとは思えないニャ」
淡々と語るニャリスは、そう言ってリリンの肩をポンと叩く。
「だからリリン。一人でラーゼリオン軍と勇者の足止めをするニャんて、無謀なことはやめるニャ」
「でもっ……だけど!」
リリンはキッと顔を上げて、声を荒げる。
「そうしなきゃ……あたしがやらなきゃ、帝国軍がラーゼリオンの足止めをすることになって、身代わりにサフィーネが、帝国に嫁入りしなきゃならなくなるんでしょ!? そんなの絶対にダメだ!!」
「リリン、お前……」
サフィーネを思いやるような言葉をリリンが叫んだことに、ルースは目を見張る。
「どうしてリリンがお姫さんのこと、そんな」
「どうでもいいでしょ!」
ルースの問いに、リリンはブンブンと首を振る。
「とにかく、サフィーネがこれ以上自分を犠牲にするみたいな、そんなことしちゃダメなんだ! そんなの、エフォートが悲しむだけなんだ!」
「リリン、落ち着くニャ」
ニャリスが興奮しているリリンの手を優しく握る。
「どんな心変わりがあったのか知らニャいけど、よく考えるニャ。あの反射の魔術師が、みすみす王女殿下を帝国に差し出すわけないニャ」
「そうだよバカ女っ。お前、頭が悪いねっ」
キャロルも、ニャリスの言葉にうんうんと同意する。
「あの
「違う……違うんだよ……」
「リリン?」
静かに首を横に振り続けるリリンに、ルースは怪訝な顔だ。
リリンは涙を流しながら、口を開く。
「確かにエフォートは、サフィーネを帝国になんか行かせるつもりはない。だけど……」
「だけど?」
「……まさか、リリン」
そこでニャリスがハッとした。
リリンに詰め寄って、その目を見つめる。
「あのお姫様の、どんな〈声〉を聞いたんニャ?」
決戦は目前。
しかし運命の行き先は、いまだ定まることはなかった。
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