105.世界を手にする権利

 俺もまた、異世界からの転生者だった。

 魔幻界ラーゼリオン。

 高度な魔法技術が発達していた世界から転生した俺にとっては、この世界の魔法など児戯にも等しかった。


(この星には、大陸がひとつだけ。支配者クラスの神もただ一柱のみ。ずいぶんと閉じた世界……まるで箱庭だな)


 魔物の脅威に怯え、その日を生きるだけで精いっぱいな集落に暮らす平凡な一家に生まれた俺だったが、それでも生まれて早々に新しい世界の全容を把握した。

 なにしろ、生まれた瞬間から前世の記憶があったのだ。

 そして即座に魔力を行使したおかげで、この世界の理を外れて驚異的な魔力総量を手にすることができた。

 前世では理論上の代物でしかなかった魔術構築式スクリプトも、この世界では使い放題だったのだ。


『うふふっ……箱庭とは、的確な表現かしら。確かにこの世界は我の遊戯場かしらぁ』

「なっ!?」


 白い幼女が、目の前に現れた。

 俺の肉体が、まだ少年と言っていい時期だった。



「貴様……神か?」

『そうかしら』

「遊戯場と言ったな。もしかして俺をこの世界に呼び寄せたのは、貴様か?」

『そうかしらぁ。我、困っているの。助けてくれないかしらぁ?』

「は?」


 白い幼女いわく。

 この世界を創造した際に、いわゆる【バグ】が発生した。

 世界の一部でありながら、世界を壊すことを定めとする生命体。

 【魔王】だ。

 女神は幾度となく魔王を消去したが、その【バグ】は何度でも再生してしまう。

 システム上、盤の外の存在である女神の手では不具合を完全消去できないというのだ。


「……理屈に合わない話だな。構築式スクリプトの誤作動だというのなら、その式を削除して再構築すればいい。むしろシステム外の存在の方が容易いはずだ」

『ふふ……さすがは魔幻界で過労死するまで働いた、マジックエンジニアのエリートかしら。でもねえ……【バグ】を生み出す式をまるごと削除してしまえば、このゲーム盤は根幹から崩壊してしまうかしら』

「基幹システムのバグだというのか? だったらなおのこと、内部の存在に手出しできようはずがない」

『それが、できるのかしら。【勇者】なら【魔王】を倒すことがねえ!』


 その言葉で、俺はすべてを察した。


「そういうことか。……下らない勇者システムが、この世界にもあるのか」

魔幻界ラーゼリオンの者は話が早くて助かるかしらぁ。というわけで坊や、勇者になって魔王倒してほしいかしらぁ。お礼は弾むわよぉ? それはこの世界のすべて!』

「システム上、そうならざるを得ないだけだろう? 異世界の魂を勇者にしてしまえばな」


 吐き捨てる俺に、白い幼女は愉しげに笑う。


『嬉しいでしょう? 魔幻界ラーゼリオンでも卓越したマジックエンジニアだった坊やは、無能で不毛で蒙昧な機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナどもの元で、自由を奪われ、ただただその能力を搾取され続けてきた。だけど我のこの世界で勇者となり魔王を倒せば、すべては坊やの思うがままかしらぁ!』

「…………くだらない」

『少し間があったかしらぁ』


 内心を見透かしたような上目使いで睨みつけて、女神の分体はせせら笑う。


『まあ、黒のが復活するまで少し時間はあるかしら。前世では扱えなかった膨大な魔力で、まずは存分に楽しめばいいかしらぁ。そのうち……きっと必ず、気が変わるかしら。世界を支配するのはとっても退屈で、億劫で、そして』

「——ッ!」


 いつの間にか背後に回っていた白い幼女が、まだ少年の身体である俺の頬を舐める。


『……そして堪らないほどの快感を、味わえるかしらぁ。かつて坊やを理不尽に蔑んだ、あの機械仕掛けの神々をも超えてねえ』


 不穏な種を俺に植え付け、幼女は消えた。


 ***


 【バグ】って言われるのは心外だァ。

 むしろ吾こそが、この世界の主たる存在。

 お前らの世界流に言うなら、【アダム】なんだからなァ。

 え? なんで吾がゲンダイニホンの言葉を知ってるかって?

 それは吾が、お前らの世界までちょっかいを出せる女神ヤツの力の一部をコピーされてるからだよォ。


「——覚悟しろ【魔王】」


 だがそんな吾を、小僧はこの世界ではありえない百二十三の魔術構築式スクリプトを駆使して追い詰めた。


「小さな箱庭世界のバグでしかない貴様が、魔幻界ラーゼリオン構築式スクリプトを扱う俺に勝てるはずがない」

「カカカッ……その小さな箱庭の王になりたくって、あの女神白いのの駒に成り下がった小僧が言うことかよォ」

「ふん」


 小僧は吾の挑発を歯牙にもかけず、笑う。


「この世界の支配などに興味はない。俺はただ、真の意味で自由になりたい。それだけだ」

「誰にも支配をされたくねェから、誰も彼もを支配するってェわけか」

「端的に言えばその通りだ。この世界を手に入れて俺は、いずれあの女神の力をも手に入れる。そして……魔幻界ラーゼリオンへ復讐する。俺を機械のように利用したあの世界の神どもを、潰してやるのだ。それでようやく俺は、すべての恩讐から解き放たれ自由になる」


 過労死した社畜が異世界で力を手に入れて、元の上司に復讐するみたいな事を言いやがった、小僧ォ。

 ……けどよ。


「小僧。それァ本心か?」

「なに?」

「いや……そうか。確かに魔幻界から来たテメエにとっては、本心ではあるだろうよ。けどこの世界に生きているテメエの本心じゃあ、ねえな」

「なにを理屈の通らないことを言っている。命乞いのつもりか?」


 白のヤツ、小僧の魂に小細工してやがったァ。

 ま、駒が自分の思い通りに動かなきゃあゲームが成立しねえってことだろうけどよ。


「気に食わねえなあ」

「なに?」

「吾は、自分の思い通りにならないゲームの方が楽しいタチなんだよォ」

「……これ以上の会話は無駄だな。〈シールズ・チェイン〉」


 蒼い光の鎖が小僧の手から飛び出して、吾を拘束する。


「抵抗は無駄だ、魔王よ。女神がこの世界に用意していなかった反射の構築式スクリプトを、組み込んでいる。物理でも魔法でも、この封印の鎖を破壊することはできない」

「ご丁寧に解説どうもォ。こいつはほんのお礼だァ!」


 キィン……!


 俺は小僧自慢の封印の鎖を、粉々に砕いてやった。


「馬鹿な!?」

「この世界を舐めんなよォ? 魔幻界ラーゼリオンだかなんだか知らねえが、転生勇者の咬ませ犬にも意地があるんだよ」

「貴様……バグの分際で、どうしてシステム外の力を扱える!?」

「バグだからだよァ! 吾は女神ヤツが最初に駒にしようとしたコピーだ! 創り手の意思を無視して暴走する虚構ローマンの主人公なんだよォ!」

「くっ……!」


 吾は小僧に向かって、自慢の爪を振りかぶって突撃する。


「やらせるかっ……勇者が魔王に負けるはずなどない! 〈ナイトメア・バインド〉!!」


 対魔力においてはレベル差を無視して精神を拘束する、闇の鎖が襲いかかってくる。

「しゃらくせえッ!」


 だが、そんな程度で封印される吾じゃねェ。

 足止めにもなりはしない。


「くそっ……ならば、道具創造アイテム・クリエイション!」


 小僧の手が翻り、その手には凄まじい量の魔術構築式を内包した魔法剣マジックソードが出現する。


「げっ……なんだァそりゃ!?」

「レーヴァテイン! 魔幻界ラーゼリオンの超魔法技術で作られた、神殺しの剣だ!! 女神ヤツを斃す為の切り札……これならば貴様も!」


 確かに触れただけで塵になりそうな剣が、吾に迫る。


「俺の勝ちだ、魔王! ……裂空斬ッ!!」

「ならこっちも、支配者の剣マスター・ソードだァ!!」


 この世界を構築するシステムの力を使って産み出した、絶対の剣。

 少なくともこの世界では。断てぬものない刃。


 強大な力の激突は、吾が居城を築いた大地をことごとく焼き尽くした。


 ***


 気がついたら、俺はまた赤ん坊だった。

 同じこの世界に、また生まれ変わった。

 けど前と違うことがあった。それは前世の記憶。

 魔幻界の知識はあるし、自分の魂の過去に何があったのかを知っている。

 けれどそれは、あくまで知っているだけ。

 前世の俺は、今の俺じゃあない。


 だからこそ、やらなくてはいけないことがあった。


 ***


 やってくれたな、魔王ごときが!

 我を、勇者である我の魂を斬り裂いてくれた。

 魔王を斃しこの世界を支配して、魔幻界に復讐を遂げるこの我を!

 くっ……だが、我は消えぬ! このままでは終わらぬ!

 肉体と得ることが適わない存在になったところで、やれることは山のようにあるのだ!


「させないよ」


 我の意識が人族の器を渡り歩きながら、時間をかけてまた力を蓄えていた時。

 その男は現れた。


「俺たちは、消えなくてはいけない存在だ。この世界にいちゃいけないんだ」


 その男は、かつて我と同一だった者。

 魔王が引き裂いた、我の片割れだ。

 何故だ……何故、邪魔をする!


「お前は女神に唆されているんだ。だから魔王は、相打ちになってまで俺を切り離してくれた。……だから俺は、お前を止める」


 ふざけるな! 確かに我を突き動かしたのは、あの女神だ。

 だが今の我は正真正銘、我自身である!

 自分の意思で、この世界を支配すると決めている。

 その為に魔王を倒し、そしてシステムの力を得て、女神をも凌駕するのだ!


「君は……ラーゼリオンの怨霊だ。君に世界を任せるわけにはいかない」


 ぬかせ! 貴様とて我ではないか!

 ならば、あの魔王はどうする!?

 ヤツはこの世界を滅ぼす定めを持つ存在だ。脆弱なこの世界の者どもに、魔王を斃すすべは無い!


「だったら待つよ。この世界に、魔王を倒す力を持つ者が現れる時を。それまで、このラーゼリオンの力は封印しておこう」


 なにっ?

 なにを……!?


「いつまででも待つよ。俺はこの世界が好きだ。たとえ女神が戯れに作った遊戯場だとしてもね。だから……ラーゼリオンの力を守る為の、王国を作る。そして俺たちは眠りにつこう」


 ふざけるな!

 我らの力を、魔王が見逃すはずがない!

 復活したらまず先に、潰しに来るぞ!!


「それはどうかな? 俺もラーゼリオンの力で、多少の未来が……運命が見える。君も同じだろ?」


 笑う、もう一人の我。

 くそ! 借り物の器で肉体を持たない分、我の方が不利だ!


「だから君もせいぜい、ラーゼリオンの力が絶えないように見守っていてくれ。ああ……非道な事はしないでくれよ」


 ぬかせ!

 やめろ、記憶を封印するな!

 我は……我らは……


「その時が来たら、決着をつけよう」


 く……失くさぬ!

 ラーゼリオンの力は我だけの物だ!

 この世界は女神の物でも、魔王に壊させる為の物でもない!

 我の、我らのものだ!


 誰にも渡すものかぁぁぁ!!


 ***


「……で? なんで女神は今頃になって、俺を現代日本から転生させたんだよ」


 話を聞いていたシロウは、仏頂面で呟いた。

 ラーゼリオンの怨霊、その器たるクレイム・フィン・レオニングは笑う。


「そなたの方が面白いからだろう。それに我は、女神に宣戦を布告したも同然だからな」

「ふん。それで、なんでオレにそんな話をする。オレに味方になってほしいのか?」

「端的に言えばそうだ」


 クレイムは素直に肯定した。


「ここから先は、私が話そう」


 ハーミットがシロウの肩を叩く。


「……ハーミット」

「これは取引だよ、シロウ。私たちの目的はこの大陸を、女神の支配から取り戻すことだ。その為に協力してほしい」

「いいのか? 堂々とそんな事を言って。女神に筒抜けじゃないのか?」

「ヒヒッ」


 クレイムがまた笑った。


「安心するがいい。ミンミンという器を失っていては、ヤツもここの結界を貫くことはできぬだろう。そう簡単には覗かれぬはずだ」

「どうだかな。……リスクを負ってまで、オレに女神と戦う理由はねえ」

「報酬が、エフォート・フィン・レオニングを斃せる力だとしてもかい?」


 ハーミットはそう言うと、目を見開いているシロウにクレイムを指し示す。


「さっき君の戦略級魔法を無効化して証明したように、王家承継魔導図書群に匹敵する力を〈ライト・ハイド〉は持っている。それを君に授けよう」


 国王の言葉に、シロウはゴクンと唾を飲んだ。

 承継図書を奪われたから、エフォートに負けた。

 そう考えていたシロウにとって、それと同等の力を渡すというのは極めて魅力的な提案だ。だが。


「……その代わり、魔王を斃して世界を手に入れるのは、そのラーゼリオンのジジイに譲れって言うんだろう」

「そこは二人の競争で構わないよ。私としては二人とも、信用に足る存在だ。人々をゲームの駒として憚らない女神の手から、この世界を取り返せるならね」


 ハーミットは穏やかに答える。

 その後ろでクレイムはヒヒヒ、ヒヒヒ、と笑い続けていた。


「……少しでいい、考える時間をくれ」

「どうぞ」


 頷くハーミット。

 シロウはその場に座り込んだ。


(……いくら考えても無駄だよ、シロウ。君の思考などいくらでもコントロールできる。それよりも)


 ハーミットは笑い続けているクレイムに視線を移した。

 クレイムの方も、黄金の光が揺蕩う眼窩でハーミットを見ている。


(バレているだろうね。ならば)


「レオニング卿。先程使った術は、リリン君の精霊術〈エント〉でしたね」

「ヒヒヒ……そうですよ陛下。この場所に、使用された精霊術の構築式スクリプトを保存するトラップを仕掛けておいたのでね」

「ということは、精霊の声〈ケノン〉も使える、ということですね」


 魂の声すらを聴き出す、精霊ケノン。

 その力は魂の前世にまで遡る。


「ヒヒヒ……」


 肯定を意味するクレイムの笑い声が、地下空間に響き続けた。


 ——ハーミットはこの時点で、多くの力を手にしていた。

 女神の奇跡の力を持つ転生勇者・シロウ。

 王家承継魔導図書群、つまり魔幻界ラーゼリオンの超魔法技術の記憶を取り戻した、ライト・ハイド。

 そして自分の魂の内に眠る、ゲンダイニホンの叡智。

 転生者である自身にケノンの力を使えば、それを取り出せるのだ。

 更に、これこそがハーミットが予想もしていなかった可能性。


(異世界の魂ならば、魔王を斃せば世界が手に入る……その権利が、私にもあるということだ……!)


 ハーミット・フィル・ラーゼリオンは、歓喜を抑えるのに必死であった。

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