106.魔王の思惑

『とまあ、こんな事情でよォ。分かってくれたかい? テメエらァ』


 都市連合評議会議場。

 その会議室の一室は、異様な雰囲気に包まれていた。

 なにしろ、世界を滅ぼす魔王の分体が唐突に現れ、驚愕の事実を語ったのだ。

 話を聞いていたこの世界の住人たちに、それが真実であるか否かを判断するすべはない。

 だが理屈ではない部分で、漆黒の魔王の言葉が偽りではないと、確信することができた。


「……魔王よ」

『なんだエフォートォ』


 魔王が語り終えた後。

 沈黙が支配した部屋で最初に口を開いたのは、反射の魔術師だった。


「お前の望みはなんだ?」

『ハァ?』


 中性的な美貌を持つ魔王は、エフォートの問いにその漆黒の瞳を丸くする。

 エフォートは続ける。


「今の話が真実なら、お前はわざわざ自分を斃せる力を持つラーゼリオンを助け、その力を温存させた。そして異世界の叡智ライトノベルとともに、俺たちに渡るよう誘導した。その理由はなんだ?」

『……ゲームだよォ。壊し甲斐のねえ相手と戦ったところで、つまんねェだろが』

「その相手は、女神が選んだ勇者では駄目だったのか。実力的には申し分ないだろう」

『強けりゃいいってモンじゃねェよ。楽しくなきゃなァ? 女神に唆されたラーゼリオンの怨霊なんざ論外だ。それから、あのシロウ・モチヅキ。あれもダメだなァ。白のヤツが新たな駒を外から持ち込むっつーから期待したけどよ。あいつァ独創性も何もねえで、ただ現代日本のラノベの真似するばっかでよォ』

「理屈が通っていない。俺やサフィの出現を予測していたとでもいうのか? 千年前から?」

『自惚れんなよォ、エフォート。別にお前らを待ってたわけじゃねえ。楽しそうな相手が登場しなきゃァ、二千年でも三千年でも復活しねェつもりだったさ。いつまでも復活しねえ魔王われにしびれを切らした白の女神が、モチヅキなんか召喚んだからだよォ』

「……俺も『モチヅキ』なわけだが?」


 エフォートの問いに、魔王はニヤリと笑う。


『ああ。白のヤツも大概な性格だよなァ。勇者シロウが前世で死ぬ理由である家族や元恋人まで、こっちに転生させてよォ』

「……これだけは確認させろ」


 エフォートは一歩前に出る。


「魔王である貴様をこの俺が斃したら、それでも【勇者システム】とやらは発動するのか? 世界は俺個人のものになってしまうのか?」

『さっきの実力差を目の当たりにして、まだ吾に勝つつもりのお前が嬉しいぜェ、エフォート』


 漆黒の髪と翼を震わせて、魔王の分体は愉しげに笑い続ける。


『残念ながらその通りだァ。お前の魂は、勇者シロウと同じ現代日本から召喚された望月カナエだ。ましてお前は、吾が召喚したライトノベルを最初に読んで力を得ているからなァ。異世界の知識と女神の力で戦う勇者シロウとお前は、本質的には同一の存在だァ』

「……ふざけるな。俺は独力で、あの異世界の書物を解析した」

『文明的にまるで接点のない異言語を、一個人が数年レベルで本当に解析できたと思うのかァ? 魂のインスピレーションがなけりゃァ、いかにお前が努力したところで読み解けたもんゃねえんだよ。真面目に研究してる言語学者にぶっ殺されるぜェ?』

「く……!」


 ギリ、と歯噛みするエフォート。

 自分の努力の成果だと信じていたものが、シロウと同じ異世界の魂が為したものだったと告げられたのだ。

 愉快な気分になるはずもない。


「……フォート」


 顔を歪めるエフォートの手を、サフィーネが心配そうに掴んだ。

 彼はハッとする。


「! ……魔王、サフィは!? サフィの魂もゲンダイニホンから来ているのか?」

『そいつァ、お前の幼馴染に聞いてみたらどうだァ?』


 魔王の視線の先には、リリンがいた。

 バッと真剣な顔で振り返ったエフォートに、栗色の髪の剣士はドキリとする。

 ククク、と魔王は愉しげに含み笑いする。


『その女……現代日本から来た理子リコの魂を、精霊ケノンどもは滅法気に入ったみてえだからなァ。今は精霊術を封じてるみてえだが、大好きなお前の新しい女の事だ。リリンはきっと、王女の魂の声をしっかり聴いてるはずだぜェ?』

「なっ……!? ちょ、ちょっと!?」


 リリンは顔を真っ赤にして、動揺する。

 周囲から注目されるも、否定する言葉を上げられなかったのは、リリンの実直さゆえだ。


「……リリン」

「エフォート、あのね、あた、あた、あたしは」

「いいよ、リリンさん。私の心なんかいくら読まれていても、構わない」


 リリンに助け舟を出したのは、当のサフィーネだった。


「えっ?」

「だから教えて。私の魂は、ゲンダイニホンの物なの?」


 自分だったら、とリリンは考える。

 こんな嫉妬と未練と後悔と自己嫌悪でグチャグチャな心を他人に覗かれたら、とてもではないが平気でいられないだろう。

 だが目の前の王女は、構わないと言い切った。

 それだけ自分に自信があるのだろうか。確かにリリンが聞いたサフィーネの心は、高潔な理想と清廉な愛に満ちていた。


(……わかってたけど……勝てない、な)


 リリンは深く落ち込み、そして顔を上げる。

 それからゆっくりと首を横に振った。


「……サフィーネ王女殿下。貴女の魂は間違いなく、この世界のものです。ゲンダイニホンの転生者じゃ、ありません」

「なんで急に敬語?」


 いちいちサフィーネに食って掛かっていたリリンを知っているルースが、思わずつぶやいた。


「……そうですか」

「うん」


 頷いたサフィーネに、リリンは頷き返す。


「あたしが知っている限り、ゲンダイニホンの転生者はシロウとエフォート。ニャリスにシルヴィア。それにあたしと、ハーミットだけだよ」

「シルヴィア……あの吸血鬼もか?」


 エフォートの問いに、リリンはまた頷いた。


「うん。シルヴィアはシロウのおばあちゃんだったんだ」

「……妙だな」


 エフォートは首を捻る。


「聞いた話では、前世でシロウ・モチヅキが歪んだもっとも大きな原因は、あの男の母親だろう。コンプレックスの対象である兄もハーミットとして転生している以上、女神の性格を考えれば、必ず母親の魂も転生しているはずだ」


 リリンは、シロウの魂の声を聞いた時に聞こえた、彼の母親の言葉を思い出す。


『あーあ。お母さん、あんたの育て方、間違えちゃった』


 その言葉はシロウの魂の奥底に、深く深く、突き刺さったままだった。

 確かに女神の悪辣さを考えれば、そんな母親の魂もこの世界に転生させていようものだ。


『ククク……まあ、全部が全部、答え合わせしちまっても面白くねェよ』


 魔王が口を開いた。

 また空気が、ピリッとひりつく。


『良かったなァ、エフォート。吾にトドメを刺せる仲間が残っててよォ。安心しな。魔幻界ラーゼリオンの技術である承継魔法〈道具創造アイテム・クリエイション〉、そいつで生み出した現代日本の兵器で吾を斃したとしても、使い手が王女様ならそれは【勇者システム】の範疇外だァ』

「……貴様の言葉を信じるなら、な」


 エフォートは魔王に向き直った。


「つまりこの場にいる者で、貴様にトドメを刺せないのは俺とリリン。それにニャリス。あとは魔幻界ラーゼリオンからの転生者であるエリオット王子、ということだな」

『その通りだァ。……さて、こんなところかなァ』


 空中に坐したまま浮いていた魔王は、すっと立ち上がった。

 それだけで、魂が冷えるような圧迫感が生まれる。


『敵に塩を送るのはここまでだァ。吾が分体を魔王城に戻したら、そっからはもう完全に敵同士だぜェ。何せ吾は、世界を破滅させる魔王様だからなァ』

「……一応、聞いておくぞ」


 エフォートは、ニヤつく魔王の目の前にゆっくりと歩み寄った。


『なんだァ?』

「魔王よ。俺たちと組んで、女神を斃すつもりはないか? ……俺たちとの戦いも望みなら、その後で相手をしてやる。貴様も女神に対して、好意的ではないはずだ」

『言うと思ったぜェ。お前らしい提案だァ』


 すっと目を細める、美しい漆黒の存在。

 その眼差しはともすれば、悪しき者が虐げる者に向ける視線ではないとも思えた。


『……ダメだぜェ。吾も、この世界の基幹システムが生み出した存在。広い意味での女神の一部だァ。女神ヤツと正面からやって勝てるはずもねェ』

「だから、俺に力を渡したんだろう?」

「……」


 魔王は、笑う。

 最初にエフォートが口にした問い。

 なぜ魔幻界ラーゼリオンの技術〈王家承継魔導図書群〉と、現代日本の叡智〈ライトノベル〉をエフォートに渡すべく動いたのか。

 それは、この世界の理から外れる魂を持つエフォート・フィン・レオニングに、女神を打倒させる為ではないのか、と。

 エフォートはそう言っていたのだ。


『……ククク。魔王が勇者と手を組むことは、ありえねェ』

「俺は勇者じゃない」

『ハァ? バカかァお前!』


 魔王の分体は底が抜けたような笑顔になって、エフォートの頭をガシッと掴んだ。

 周囲の仲間たちは、咄嗟に身構える。

 だが魔王からまるで殺気を感じられず、また微動だにしないエフォートの様子に、実際に動く者はいなかった。


『おい、エフォート・フィン・レオニング! 見返りも求めねェで、むしろ世界が一個人の物になるのをここまで忌避しながら、人々の存続のために戦うお前みてえなヤロウ。勇者じゃなくてなんだっつーんだよォ!』


 魔王は、エフォートの目の前にくっつかんばかりに、顔を近づける。

 反射の魔術師は冷静だった。


「俺は、この世界がシロウやクソ女神の遊び場になるのが気に食わないだけだ。世界の為に、すべての人々の自由のため戦っているのは、サフィだ」

『はっ! ラブラブだなァ。お前ら!』


 今度はサフィーネにグイと近づいて、魔王はケラケラ笑う。


『愛の為に戦うってかァ? はっ、笑わせるぜェ! 吾は世界の破壊者だァ! そんなお前らと吾が手を組むなんざ、天地がひっくり返ってもあり得ねえんだよォ!』

「……なら、天地をひっくり返してみようか?」


 エフォートが呟く。

 魔王の笑い声がピタリと止まった。


『……話を聞いてたかァ、エフォート。天地がひっくり返ってもあり得ねえっつってんだよォ』

「だから、それが本当かどうか。ひっくり返してみようじゃないか」

『……くっ……クハハハハハハハハ!!』


 再び、魔王は弾けるように笑い転げた。

 ひとしきり、腹を抱えて笑ったところで。


『……楽しみにしてるぜェ、エフォート。吾は魔王らしく、世界を滅ぼす。もうお前らを覗き見する暇もねえなァ。だから……』


 また、スッと目の前に顔を寄せる。

 この世の物とは思えないほどの中性的な美貌が、エフォートの眼前にあった。


『……この世の理、ひっくり返してみせろよォ』

「——ッ!!」


 魔王の唇が、魔術師の唇に触れた。


「……なっ!?」

「えっ? ええっ!?」

「ちょ、なん……」

「どういうこと!?」

「待て魔王ッ! 今何をした!?」


 仲間たちが、口々に叫び声を上げる。


『クハハハハハ! クハハハハッ!!』


 どこまでも笑いながら、魔王の分体はその姿を消した。


 ***


 その日。都市連合に正式な形で、ラーゼリオン王国から通達が届いた。

『ラーゼリオン王国は、都市連合にエフォート・フィン・レオニングとサフィーネ・フィル・ラーゼリオン、そして王家承継魔導図書群を引き渡しを要求する。王国には女神教認定の勇者がいる。勇者はこれより、王国軍を率いて都市連合を通過し魔王討伐へと向かう。反逆の魔術師と王女、また承継図書を渡さずに、勇者と王国軍の進軍を妨害するのであれば、都市連合は魔王に与する国家として、実力をもって排除する』

 通達を受け、ダグラス・レイは緊急の評議会を召集。

 決戦に向けて、最後の会議が行われることとなった。

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