第五章 決戦編

100.終わりの始まりは、とても静かに

 それは穏やかに目を覚ました。

 確たる器、現世に強大な力を及ぼせる核となる肉体を持って。


「……久しぶりなのじゃ」


 黒き肌、黒き髪、黒き瞳、黒き角、黒き爪、黒き牙、黒き翼……

 中性的な見目麗しい人の姿をしていても、誰もその存在を人族や獣人族、魔族などと間違うことはないだろう。

 何者も並び立つこと、能わず。

 存在するだけで生あるものをすべて圧倒する、桁外れの力の片鱗がそこかしこに見て取れた。

 その者は、自らの肉体に視線を落とす。


「……ふう。あの幼女ガキの姿以外で顕現するのは、実に久方ぶりなのじゃ。……っと」


 だがそこに、その者の姿を見る者は誰もいない。声を聞く者も。


「もう、こんな喋り方する必要ねェかァ。『のじゃ』キャラはどっかの吸血小娘と被ってたしなァ」


 クククと笑うと、受肉を遂げこの世に顕現したばかりの存在は、立ち上がった。

 いつの間にか、漆黒の龍鱗と獄魔獣の毛皮で編まれた荘厳な衣装にその身は覆われている。


「はてさて、白との遊戯ゲームもそろそろ決着の時かァ。さて、吾の蒔いた種はどうなってるかなっとォ」


 呟いて、そして軽く目を瞑る。

 次の瞬間、ぶふぉと吹き出した。


「クハハッ……なんだァ、仲間の数が逆転してるじゃないかァ! クハハハハッ……それにアッチの方は……ブハハハハ!」


 威厳も何もなく、その者は笑い転げる。


「やってくれるなァ! ラーゼリオンのイケメン小僧! よくもまあ、ここまで仕込んでおいたもんだァ!」


 心底愉快そうに、その者は笑う。

 これ以上の喜びはないとでもいうように。


「哀れな地球から来た魂たちを手駒に、白ォ……お前はどこまでやれるかねェ」


 そしてピタリと笑い止むと、スッと立ち上がった。


「この世界、舐めんなよ」


 パチンと指を鳴らす。

 その次の瞬間。

 魔素に満ちたその地を、幾千もの、幾万もの、巨大かつ膨大な魔術構築式スクリプトが埋め尽くした。

 その無限にも等しい魔力を喰らい、現れ出でたるは。

 荘厳かつ堅牢、空前にして絶後たる偉容を誇る魔王城。

 そして城の周囲を埋め尽くすのは、魔神、龍神、巨人、獄魔獣、魔族、怪物……魔王創造種デモンズクリーチャーによる大軍勢だ。


「ハッ……まあ、こんなもんかァ」


 国をひとつ丸ごと興したかのごとき魔法を、指先ひとつで行使したその存在。

 大陸を容易く蹂躙しうる軍を眺めて、愉しげに笑った。


「じゃあ、吾も仲間に入れてもらうとするかァ! 楽しい愉しい遊戯ゲームによォ!!」


 ***


 栗色の髪の少女は、柔らかなベッドの上で静かに目を覚ました。

 視界に入ってきたのは、ラーゼリオンでは見ない様式の模様が刻まれた石造りの天井だ。


「……知らない、天じょ」

「それ言っちゃダメなやつニャ」


 不意に聞こえてきたのは、聞き慣れた声。寝たまま首を横に向けると、猫の獣人がにこやかに笑っていた。


「……ニャリス」

「ようやく目を覚ましたニャン。リリン、丸三日寝ていたんニャ」

「そんなに?」

「慣れない精霊術の使い過ぎで、魔力枯渇マインド・エンプティを起こしてたニャ。身体の疲労も溜まってたから、無理に魔法で回復させるより自然治癒させた方がいいって、ミンミンが絶対安静にさせてたニャ」


 ニャリスの説明を聞きながらも、リリンはまだうまく頭が回らない。


(疲れてた……あたしが? まあ、そうか)


 リリンは思い返す。

 確かにエルフィード大森林で聖霊獣と戦って以降。

 リリンは自身にエントを使いながらビスハ兵達全員にシェイドを掛け国境を越え、そのままエフォートと激闘を繰り広げ、また王国に戻り国境の砦から王都までを僅かな日数で駆け、ろくな休息も取らずに冒険者ギルドを訪ね、そして王城に忍び込み、地下で操られたテレサと戦い、そして、そして……


「そういう訳ニャから、暫くは精霊術は封印して――」

「ニャリス!!」

「フニャアッ!?」


 飛び跳ねるようにベッドから身を起こしたリリンは、横の椅子に座っていたニャリスに詰め寄った。


「テレサは!? テレサは無事なの!? シロウはどうしたの! ラビは……ここは何処なの!? ハルトからは逃げられたの!?」

「おお、落ち着くニャ、リリン! まずはその物騒なモノをしまうニャ!」


 ニャリスに叫ばれてようやく、リリンは自分が抜き身の剣を握りっ放しだった事に気がついた。


「ご、ごめ……」


 慌ててニャリスから離れるリリン。

 剣をベッドの上に置こうとするが、手が離れない。


「あ、あれ……?」

「まったく。ここまで来て、神殺しの剣に滅ぼされるなんてゴメンだニャ」

「あ、あの、ニャリス。なんか指が開かないんだけど……」


 石になったかのように剣の柄を掴んで放さない自分の手を、リリンはブンブンと降った。

 レーヴァテインの剣先が、ニャリスの鼻先をかすめる。


「ああ危ないニャ! ……当然ニャ。リリンは寝ている間も、凄い力でそれ握ったまま放さなかったニャ。三日もそのままで、筋肉も関節も固まってるニャ」

「そうなの……?」

「ひどく怯えた魂が、臨戦態勢を解いてないからだって。ミンミンはそう言ってたニャ」

「……怯えて……」


 リリンは形だけとなった奴隷紋が刻まれた、レーヴァテインを掴んでいる手を見つめた。

 そして少しずつ、気を失う前の記憶が戻ってくる。

 胸を締めつけられるような悲哀と後悔が蘇り、リリンは顔を歪めてニャリスを見つめた。


「……ニャリス。テレサは死んだんだね」

「そうニャ」

「あたしが殺したんだ」

「違うニャ。テレサを殺したのはご主人さ……いや、シロウ・モチヅキ、ニャ」

「えっ?」


 ニャリスの、シロウの呼び方に違和感を感じたリリン。

 訝しげな視線に彼女の疑問を察したニャリスは、胸元を開けて見せた。


「う、そ」


 豊かな双丘が実るその胸元に、あるべきものがない。

 ニャリスの奴隷紋は、後も残さず消え去っていた。

 猫の獣人は自嘲気味の笑顔を見せる。


「ウチはもう奴隷じゃないニャ。反射の魔術師に、隷属魔法を解除してもらったニャ」

「どういうこと……?」


 リリンの反問にニャリスは頷くと、歩み寄って部屋のカーテンを開けた。


「え、ここは」


 そこに広がっていたのは、かつてリリンもシロウと仲間たちとともに、一時期滞在したことのある見覚えのある街並みだ。


「そう、都市連合ニャ。シルヴィアが、ウチとリリンをラーゼリオンから逃してくれたのニャ」

「シルヴィアが!? シルヴィアは操られてないんだね? 良かった……! それで、今はどこに」

「シルヴィアはラーゼリオンに残ったままニャ」

「えっ……じゃあどうやって、ここまで」


 シルヴィアの術で運ばれたのではないのか、とリリンは戸惑った。

 ニャリスは、枕元の台に置かれていた小さなベルを手に取る。


「それは直接、聞いた方がいいニャ」


 そう言って、リン……と小さくベルを鳴らした。

 少しの間の後。部屋の入り口付近の空間が、渦を巻くように歪んだ。


「え? なっ!?」


 そして一人の青年が、空間の歪みから湧き出すように室内に現れた。


「……エフォート……!」

「思ったより、早い再会になったな。リリン」


 永遠の別れを告げたはずの幼馴染が、複雑そうな、だが微かな笑みを浮かべて、そこに立っていた。

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