99.戯れに抗う者たち

 ハーミット・フィル・ラーゼリオンの思考は加速していた。

 予測しうる状況のすべてに、打てる手は打っている。

 今の現状も、想定していたパターンのひとつに過ぎない。

 だがリリンの一言が、その想定の大前提を覆していた。


『シロウ、あいつはモチヅキハルトなんだよ!』


 自身を指して、告げられた名。

 エルフ族に伝わる古精霊の力を知っていればこそ、ハーミットにはリリンの言葉が真実であると確信できた。

 であれば、今、優先すべきことは。


「——シロウ、計画変更だよ。今すぐにリリン君を拘束するんだ」


 テレサの死を目の前に茫然としていたシロウに、冷静な指示を出す。


「ハーミット!? こいつはテレサを……仲間を殺したんだぞ!」

「——ッ!」


 シロウの叫びに、リリンはビクッと震えた。

 知らなかったとはいえ、テレサを癒すはずの回復魔法を消してしまったのは、他ならないリリンが使役する精霊だ。

 とてつもない罪悪感と絶望が、リリンを襲う。だが。


「何を言ってるんだい? 騎士テレサの命を貫いたのはシロウ、君が手にしているその剣だ。責任転嫁は止めた方がいい」


 意外にもリリンを庇うような台詞を、ハーミットは口にした。


「そ、それはっ……そもそもリリンが、オレを裏切るからだぁっ!」

「落ち着くんだ、シロウ。リリン君は悪の魔術師エフォート・フィン・レオニングに操られているんだよ。だから救わなくてはならない。わかるね」


 術式による精神支配に頼る必要などない。

 ハーミットにとってシロウなど、口先一つで簡単に使役できる調教動物に過ぎないのだ。

 怒りと恐慌の中にいればなおのこと、ちょっと思考を誘導してやるだけで、容易く望み通りの行動をさせることができる。


「あ……ああ、なんだよ、そういうことかよ」


 シロウの目に光が戻る。

 それは自らの思考を放棄し、易きに流れる愚者の意思。


「リリン、おとなしくしてな。ハーミットとオレの力で、すぐにお前を反射のクソ野郎から自由にしてやるからな」

「——ッ!」


 突きつけられる、禍々しきマスターソードの剣先。

 リリンはそのシロウの顔を見て、背筋が凍った。

 それはかつて、リリンが理子だった時に、何度も見てきた表情だった。


『史郎君、がんばろうよ! もう、お兄さんの介護をする必要もないんだから! あたし、羨ましいくらいだよ!』

『……無理だよ、オレは兄さんの手足になるしか、価値がなかったんだから……』

『そんなことない! 誰がそんなこと』

『みんなが言うよ。兄さんも母さんも、お前はその為だけに生まれてきたんだからって……。兄さんの介護をしないオレは、無価値だって』

『そんなことない!』


 極端に低かった、望月史郎の自己評価。

 生まれ変わっても呪いのようなその言葉は、シロウにつき纏ったのだろう。

 絶対無敵のチート能力をもってもまだ、他者に捨てられることを極度に恐れる。

 自分を否定されることをなにより恐怖し、認めることができない。

 だからリリンが、自分の元を離れることは許されない。

 裏切るのなら殺す。

 え? 違う?

 操られた?

 なあんだ、操られたのか。なら仕方がない。

 オレが見捨てられたわけじゃないんだ、よかった。

 本当によかった。

 リリンはオレのものだ。

 みんなおれのものだ。

 このせかいはおれのもの。ぜんぶてにいれる。

 さからうやつはころす。そのためのちからはある。

 おれはゆうしゃなんだから。

 だからりりん、かえってこい、おれのところへ。

 おれがおまえをじゆうにしてやる……

 カエッテコイ

 オレヲステナイデクレ



「うわあああああっ!!」


 精霊の声ケノンの力により、リリンはいつの間にかシロウのおぞましい思考の渦に囚われていた。

 ハーミットが望月晴人の転生で、シロウは暗い呪詛の底から歪んだ笑みを浮かべてこっちを見て、腕の中では「自由に生きて」と言い残したテレサが死んでいる。

 どこからが現在いまで、どこからが前世むかしなのか。

 気が狂いそうな状況で、リリンは絶叫した。


平穏の精霊エントぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 聖霊獣すら鎮める精霊術が、出力を最大にした。

 そしてそれを合図にしたかのように、宝物庫前の床が一斉に崩れ始める。


「なにっ!?」


 当然シロウの足元も、ハーミットの足元も崩壊する。

 平穏の精霊エントの力はハーミットを守る〈シールズ・チェイン〉までは及ばず、蒼光の鎖は健在だ。

 だがその術式が組まれている台座、その足元の床を崩されてはどうしようもない。

 ハーミットも、シロウやリリンとともに階下に落下した。


「エントに、物理的な力はないはず……?」

「ハーミット!!」


 シロウが落下する床を蹴って空中を移動し、ハーミットの体を支えた。

 そしてそのまま着地し、続いて落下してくる瓦礫を避ける。

 そこに襲いかかる、白い影。


「死ね! ラーゼリオンの怨霊に憑りつかれた、愚かな王よ!!」


 ギィン!


 ウサギの獣人剣士、ラビによる鋭い斬撃は、シロウによって受け止められた。


「なんだテメエ!?」

「君は……ガイルズの子飼いだね」

「チッ!」


 即座に飛び跳ねて間合いを取り、ラビはハーミットを庇って立つシロウに相対する。


「エントの影響下でも、ハーミットを守るか……シロウ、貴様はニャリス達のような精神支配を受けていないのか!?」

「は? なんの話だ!」


 ラビの問いに、シロウは意味が分からないと叫び返す。

 その肩にハーミットが手を置いた。


「聞く必要はないよ、シロウ。私を守る必要はないから、早くリリンを捕らえるんだ」

「ハーミット……けどコイツ、なかなか腕が立つぜ」

「心配はいらないよ」


 ハーミットは笑うと、腰に下げていた剣を抜いた。

 エリオットの持っているものと同じ、王家に伝わる宝剣だ。


「ッ! ……リリン、逃げるんだ!!」


 一瞬でハーミット自身の実力を察したラビは、振り返らないまま叫んだ。


(こうなってはもう、仕方がない!)


 気配を隠す能力を持つ精霊、シェイド。

 その力を破られリリンが姿を現せば、さらにもう一人がシェイドで隠れたまま潜んでいるとは思われないだろう。

 そうしてリリンがシロウとハーミットの注意を引き付けているうちに、ラビが階下で待機。タイミングを見て床を破壊して、先にハーミットを倒すというのが当初の作戦だった。

 シロウはともかく、あのハーミットの注意を引き付けるなどという真似はリリンには難しいと思われたが、ケノンの力で心を読めば不可能ではないと考えたのだ。

 だがもう、作戦どころではなかった。


「う……うわああ!!」


 だがリリンはラビの言葉も聞かず、神殺しの剣・レーヴァテインを構える。

 心は千々に乱れ、もはや冷静な判断ができていなかった。


「し、シロウ……あ、あた、あたしは……」

「リリン! 逃げて! 態勢を立て直すのよ!」


 シロウとハーミット、二人を前にラビは動けない。

 魔法は封じているとはいえ、剣の技量だけでもラビはこの二人に勝てるとはとても思えなかった。下手に動けば、即座に斬り捨てられるだろう。


「あ、あたしは……もう……」


 リリンは役に立たない。

 己のせいで仲間が死に、過去の恐怖が甦り、リリンの心は許容量を超えていた。

 魔法を使えない状況でならリリンは、この中でもトップクラスの実力者だ。

 だが今はまともに戦える状態ではない。


「……よおし、いい子だ、リリン。剣を降ろせ、こっちに来い」


 一歩前に歩み出るシロウ。

 ラビがピクリと反応するが、ハーミットの殺気に当てられる。


(く……この男!)


 激昂したいのはラビも同じだった。

 ガイルズに、敬愛するギルドマスターに何をしたのだと、叫びたい。

 だがここでラビまで感情に任せて暴れれば、すべては終わりだ。

 おまけに階下が騒がしい。

 ハーミットによって人払いされていた衛兵たちが集まってきているのだ。


(終わり、か……!)

「リリン」


 その声は、静かに響いた。


「!! ……ニャリス! あたしは——ぐ!?」


 振り返ったリリンは、後頭部に衝撃を受けて昏倒した。

 暗い瞳をした猫の獣人は、どさ、と倒れるリリンの体を支える。


「よくやった、ニャリス!」

「お前……!!」


 歓喜の声を上げるシロウ。

 ラビは憎しみのこもった呟きを漏らした。

 エントの影響下で、ニャリスは精神支配を逃れていたはずだ。

 シロウとの隷属魔法は継続していただろうが、それは思考を縛るものではない。


「ニャリスお前、こんな行動がっ……本当にこのクズの為になると思うのか!!」

「うるせえよ、ウサギ」


 シロウが無詠唱の風魔法を解き放った。

 リリンが意識を失い、平穏の精霊術が解かれたのだ。

 ラビは為すすべもなく弾き飛ばされ、壁に叩きつけられる。


「ぐっ……!」

「殺さないでくれよ、シロウ。そのウサギ君にはまだ利用価値がある」

「わーったよ、ハーミット」


 ニイ、と笑うシロウ。

 ニャリスはリリンを抱えたまま、主人のその様子をやや離れた場所で見ている。


「……ご主人様」

「なんだニャリス。ああ、よくやってくれたな。やっぱりお前は、お前だけはオレを裏切らねえ。自慢の飼い猫だ」

「ご主人様……」


 シロウはその猫の内心に気づかないまま、満足げに笑う。


「ご主人様……ご主人様は、テレサの最期に何も思わないニャ?」

「……なんだと?」


 次の瞬間、シロウよりも先にニャリスの覚悟を察したハーミットが・・・・・・、地を蹴った。

 一流の戦士にもまったく引けを取らない凄まじい速さで駆け、ラーゼリオン王家に伝わる宝剣による斬撃が、容赦なくニャリスに襲いかかる。


「ニ゛ャアアアアア!!」


 罰則術式の発動による悲鳴と同時に、ニャリスと抱えられたリリンの姿がかき消えた。


「ちっ」

「なっ……! ハーミット、なんだ!? なにが起こった!?」


 舌打ちするハーミットに、状況を理解していないシロウが叫ぶ。

 シロウは状況を理解できないのではない。

 したくないのだ。


「呪術による隠行だ。シロウ、すぐに君の技で吹き飛ばせ。これでは精神支配もできない」

「呪術? ニャリスが逃げたってのか? バカな、んなわきゃねーだろ」

「罰則術式が発動したのを見ただろう。ニャリス君は、君の命令に逆らったんだよ」

「だから! んなわきゃねえって言ってんだろが!」


 思考を停止して叫ぶシロウに、ハーミットはため息をついた。


「ははっ……あはははっ……!」

「……何がおかしい? クソウサギが」


 壁際で倒れながら笑うラビに、シロウは悪態をつく。

 ラビはそのシロウを無視して、ハーミットを睨みつけた。


「残念だったね、王様。ニャリスは意地を見せた。計算外だったんじゃないのか?」

「……どのみち、そう遠くには逃げられないよ」


 ハーミットはラビに振り返ると、手にした剣を掲げて見せた。


「——ッ!」


 その剣は夥しい血に濡れている。見れば足元にも鮮血が飛び散っていた。

 ラビは青ざめる。

 そしてハーミットは、いつも通りの薄い微笑みを浮かべた。

 堪えきれず、小さい、小さい声で呟く。


「面白くなってきた。私が〈モチヅキ〉……異世界の、ゲンダイニホンの者だというのか。ならば我が魂の内にもまた、異世界の叡智が眠っているということだね」


 それは愚鈍なシロウが曖昧に覚えていた記憶などよりも、はるかに役に立つ正確で膨大な知識であろうと。

 ハーミットは論理的な彼らしくもなく、直感で確信していた。



 ***



「ぐううっ……ニャアアッ……!」


 耐えることが不可能な罰則術式の痛みを受けながら、ニャリスはなんとか隠行の呪術を維持してリリンを抱え、その場を離れる。

 だが、もともと奴隷に反逆を許さないことを目的とする罰則術式だ。その苦しみは尋常ではなく、またハーミットに斬られた傷も浅くはない。


(このままじゃ……逃げられニャい……!)


 壮絶な痛みに、まともな思考もできない。

 城の中は衛兵だらけで、隠れる場所も見つからない。

 ニャリスの心が折れかけたその時。


(ん……?)


 視界の端を黒い小さな影がスッと掠めた。


(なん……ニャ……蝙蝠……?)


 そこでニャリスの精神力は限界を迎え、意識を失い呪術は解除された。



 ***



「ひぃっ!」


 一人きりだった魔術研究院の一室で、カリン・マリオンは悲鳴をあげる。

 無理もない、小さく開いた明り取りの窓から、突然大量の蝙蝠が雪崩れ込んできたのだ。

 逃げることもままならず、腰が抜けてその場にへたり込む。


「なっ……なんっ……だ、誰か、助けっ……」

『待つのじゃ、カリン。妾じゃ』


 どこからともなく響いた声とともに、蝙蝠の群れが部屋の真ん中に集まり、三つの人の形を成した。

 それは共に気を失っている栗色の髪の剣士と、猫の獣人。

 そして凛として立つ、豊満な肢体を僅かな黒衣で隠した吸血鬼の女だった。


「あ、あ……シ、シルヴィアさん……なんだ、脅かさないで下さひ……!」


 カリンは気が抜けたのか、いつも通りに噛んだ後でがっくりとうなだれた。

 幼い彼女のその様子を見て、シルヴィアはため息をつく。


「情けないのう……そなた、王女が見込んだ天才魔術師じゃろ? しっかりせい」

「てて、天才なんて、とんでもないですっ……」


 慌てて顔を上げて、手をバタバタと振るカリン。


「何を言うのじゃ。たった半月で空間魔法の秘石〈つがいの石〉の魔術構築式スクリプトを解析し、改変して、遠方の秘石と同調させてしまうなどと。天才と言わずしてなんというのじゃ」


 シルヴィアはカリンが手にしている魔石を指さして、にこやかに笑った。


「そんな……たまたま、上手くいっただけです」


 カリンの手にしているそれは、サフィーネ王女が王国を出る前夜に、カリンに『可能な限り早く繋げて・・・おいて』と託していった転移の魔石だった。


「シルヴィアさん、それで状況は? その二人、大丈夫なんですか?」

「状況は最悪じゃ。だからこの二人を一刻も早く、逃がさなければならぬ。……反射の魔術師の元へ、の」


 倒れているリリンとニャリスを見てから、シルヴィアは答えた。

 カリンは首を傾げる。


「二人? ……シルヴィアさんは、どうするの?」

「妾は残る。妾までシロウ坊やから離れてしまっては、あまりに可哀想じゃからの」

「……甘やかし過ぎじゃないですか?」

「……手厳しいの」


 幼い少女の指摘に、シルヴィアは指で頬を掻いた。


 シルヴィアは、〈ライト・ハイド〉による精神支配を受けていない。

 傀儡眼や魔術による洗脳をはるかに上回る強力な支配力を持つライト・ハイドの術は、隷属魔法の魔術構築式スクリプトを改竄して成立させている術だった。

 その為、そもそも隷属魔法を魔王の分体により解除されていたシルヴィアには、効果がなかったのだ。

 だがテレサとニャリスを支配され、シロウも心が弱ったところをハーミットに言葉巧みに篭絡されてしまった為、シルヴィアは身を隠し、ハーミットへの反撃の機を伺っていたのだ。

 そうして王城に潜んでいた時に、シルヴィアは通信魔晶でサフィーネとコンタクトを取っているカリンの存在に気づいたのだった。


「……まあ。妾と王女殿下たちとの間を取りなしてくれた、恩人カリンの忠告じゃ。甘んじて受けねば、の」

「恩人だなんて。わたしはただ、みんなの話をちゃんと聞いただけです」

「それができぬ者たちが、この世にどれだけ多いことか」


 シルヴィアは、カリンの頭にポンと優しく手を置いた。


「だからカリン。王女殿下と反射の魔術師からも、交換条件として頼まれておる。妾はここに残って、そなたらの事も必ずハーミットから守ろう。やっかな事を頼まれておるのじゃろ?」

「……はい」


 カリンは頷いた。

 シルヴィアも微笑んで、頷き返す。


「ではすまぬが、頼むのじゃ。……つがいの石を」

「はい、わかりました」


 カリンは倒れているリリンとニャリスに近づくと、魔石に膨大な魔力を注入する。

 そして、二人を都市連合へと送る転移魔法は起動した。



 ***



 白き存在は嗤う。


 ああ、可笑しい!

 とっても可笑しいかしら!

 あの小僧の廃棄物ごときが、まさかここまで楽しませてくれるなんて!

 あの地球ほしで見つけた我好みに歪んだ魂どもが駒となって!

 愉快な愉快な輪舞ロンドを踊り続けている!

 これほど愉しいゲームがあるかしらぁ!


 ひとしきり嗤ったあとで、白き存在はふっと意識を別の場所に飛ばす。

 そして、顔を顰めた。


 こちらはちょっと、面白くないかしらぁ。

 ラーゼリオンの小僧め。

 いったい何を企んでいるかしら。

 魂の表層に浮かんでこなければ、我とて知りようがないかしらぁ。


 不満げに漏らしたが、すぐに気配は変わった。


 まあ、いいかしら!

 そろそろ、黒のが動き始める頃かしら!

 魔王と勇者の戦い、まもなく決戦が始まるかしらぁ!


 けたたましい嗤い声が、どこでもない無限の空間に響き渡る。

 しょせんこの世は神の玩具。

 戯れに産み出された、星の数ほどある世界のたったひとつ。

 戯れの賭け事は、神の暇潰し。

 だが、ゲーム盤に住まう者には、たまったものではない。

 だから、抗うのだ。


 その時は、すぐ目の前まで近づいていた。

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