101.大事なのは、そこじゃない

「では、これで失礼します」

「よろしくお願い致しますわ」

「くっ……!」


 退室しようとした男はふと立ち止まり、苦虫を噛み潰したような顔で振り返った。

 そして執務室の豪奢なデスクに座る、どう見ても十歳そこそこの幼い少女にしか見えない新任の評議会議員を、精一杯の威圧感を込めて睨みつける。


「……お役に立てるかどうか、確約できませんな。こんな脅迫紛いの要求が、簡単に通るとでも?」

「貴方が清廉潔白、品行方正な敬虔なる女神教司祭であられるなら、どうぞ私のお願いなど無視して下さいませ」

「……卑怯な!」

「あいにく手段を選んでいる余裕は、ないのですわ」


 少女ににこやかに微笑み返され、男は苦々しく舌打ちすると執務室を出て行った。


「ふう……」

「大丈夫? サフィーネ。次の面会まで少し時間がある。ちょっとは休みなさい、昨日も寝てないでしょう」


 横に座っていた評議会副議長・タリアが心配して声をかけるが、サフィーネは静かに首を横に振った。


「ありがとう、タリア姉。でも大丈夫。次は魔法兵団の団長と魔術ギルドのギルドマスターとの面会だから、今のうちに資料を纏めておかないと、打ち合わせできないんだ」


 公衆の面前では殿下、様付けで呼び合う二人だったが、二人だけの今はかつての呼び方に戻っていた。


「資料って、例の魔術構築式スクリプトの相互提供について?」

「うん」

「そんな現場仕事、レオニング君に任せればいいのに」

「そうはいかないわ。フォートはフォートで、忙しいんだから」


 そう言って健気に笑顔を見せるサフィーネに、タリアは心配そうな顔を向ける。


「彼が忙しいのは、あの転生勇者の仲間たちがここに来たからでしょう?」

「……それもあるわ。彼女たちが仲間になるのなら、今後の方針を大きく変える必要がある。……リリンが目を覚ます前に、準備しなければならないことがあるのよ」

「レオニングをまたあの女に関わらせて、いいの?」


 これまでの事情を話していたタリアが考えている事は分かる。それでもサフィーネは、曖昧に笑うしかなかった。


「……いいも何も。リリンの精霊術は強力だし、それにシロウをよく知る彼女たちの存在は、転生勇者への対応にとても重要なファクターよ。フォートが時間を割くのは仕方のないことなんだ」

「そう自分に言い聞かせてるわけだ」

「タリア姉」


 敢えて意地の悪い言い方をする昔馴染みに、サフィーネは眉をひそめた。


「……私のことを心配してくれているのは嬉しいけど、これから戦争が始まるんだよ。都市連合とラーゼリオンだけじゃない、復活が近い魔王との戦争。この世界を簒奪しようとする転生勇者との戦争。そして……私たちをゲームの駒としか見ていない、女神との戦争。男と女の感情でああだこうだ言っている暇は、ないんだ」


 すらすらと話すサフィーネ。自分を律する為の理論は完璧だ。


「そんな生き方、後悔しない?」


 だからこそタリアは、この少女の事が心配でたまらない。

 安寧な王族の立場を捨ててしまうほどに、正しくある為に自分を犠牲にしようとする少女が。


「……フォートが一緒だから、大丈夫だよ」


 だがサフィーネは、健気に笑う。

 エフォートとは気持ちを確かめ合ったのだ。何も心配する必要はないのだからと。

 事実、自分は何も心配などしていないのだからと。


「サフィーネ、あなた……」


 やっぱり無理をしているでしょう、とタリアが続けようとした時。

 コンコン、とノックの音が響いた。


「どうぞ」

「失礼しますだ」


 サフィーネの応答に、コボルト混じりの少女が執務室に入ってきた。


「お姫様、お客さんがいらして」

「忙しそうだねぇ、殿下!」

「あ、ちょっと! オラが取り次ぐまで待てって言ったべ!」


 ニョキッと顔を出したのは、都市連合評議会議長ダグラス・レイだった。

 軽薄そうな表情て笑っている。


「固いこと言うなって、小犬の嬢ちゃん。僕と王女殿下は決闘を終えて固い結束で結ばれた仲間、同志なんだから」

「オラは犬じゃねえべ!」

「……そんな大仰な物で結ばれた記憶は、ありませんが」


 ミカをからかうダグラスに、サフィーネは乾いた視線を向ける。


「つれないなぁ、殿下」

「何の用ですか? 議長閣下も今は休む間もない程お忙しいと存じますが」

「そのお堅い喋りかた、止めようよぉ。……なに、緊急に伝えなければならない情報が、飛び込んできたんでねぇ」


 とぼけた物言いながら、視線が鋭くなるダグラス。

 その顔を見て、サフィーネは身を固くした。


「まさか……魔王がもう復活を? それとも、ラーゼリオンが攻めてきた!?」

「いいや、それよりももっと、重大な案件だ」

「なに? もったいぶらないで、早く」


 早すぎる、と青ざめているサフィーネに、ダグラスはゆっくり口を開いた。


「……反射魔法士リフレクターの前カノが目を覚ましたぞ。奴はさっそくウキウキで駆けつけている。さあ、早く後を追うんだ王女殿下! そして血で血を洗う女同志の修羅場で、レオニングを困らせ——」

「開け、我が秘せし扉」

「んん?? 待つんだ殿下、〈神の雷〉まで出して気合十分なのは結構だが、戦う相手は僕じゃあ」

「この……デリカシー欠如のクソ議長ぉ!!」


 本気で対物ライフルの引き金を引こうとしたサフィーネを、慌ててミカが飛びついて止めた。


「お、お姫様っ! 止めるだっ!!」

「離してミカちゃん!」

「サフィーネ落ち着いて! このすっとぼけ議長は、私がノシてやるから!」

「え? タリアたん!?」


 慌てて逃げようとしたダグラスに、タリアは素早い動きで飛び掛かった。


「こ、こらタリアたん! あろうことか議長に向かって——」

「うっさい! アンタには貸しがたんまりあるでしょうが! もう対等だ!」

「マジで!? 助けてキャロぉ!」

「残念、キャロルは魔法の修行でレオニングに付きっきりでしょ!」


 ダグラスの腕の関節を極めて、床に押し倒すタリア。

 都市連合のトップはジタバタと暴れる。


「しまった、そうだったっ! いいのかい王女殿下! 殿下が忙しく仕事をしている間に、君の彼氏は大勢の女たちに囲まれてまるでハーレムみたいじゃ——」

「開けぇぇっ! 我が秘せし扉ぁぁっ!!」

「おおおお姫様! 回転式多砲身連射砲ガトリング・ガンは止めてけれっ!」


 魔王復活の報が届くのは、もう少し後の話だった。


 ***


「……エフォート……? あれ、あんたは」


 リリンは空間から突如現れた幼馴染の後ろに、見覚えのある女魔法士が立っていることに気が付いた。


「ふん。ようやく目を覚ましたねっ、ペラいインチキ自称勇者の取り巻き女ぁっ」

「あんた……前にシロウを散々ムカつかせてくれた、ふざけた女魔法士キディング・ウィッチ!」


 リリンは半ば反射的に、手にし続けていた剣の先をキャロルへと向けようとする。


 ギィン!


「うっ」

「落ち着けリリン。お前たちに昔いざこざがあった事は聞いているが、今はいがみ合っている場合じゃない」


 エフォートが反射魔法で剣を弾き、その勢いでリリンは片膝をついた。


「エフォート……」

「けど、やっぱり凄いなその剣。あらかじめ調べておかなければ、反射できなかった」


 エフォートは軽く目を見開いて呟く。

 リリンは頷いた。


「うん。これは神殺しの剣レーヴァテイン。……ガイルズさんが、貸してくれたの」

「冒険者ギルドのマスターか。ニャリスからも聞いているが、いったいラーゼリオンで何があった? 詳しく話してくれ」

「……」


 俯くリリン。

 彼女はもう二度と、エフォートに会うつもりはなかった。もう関わらせてはいけないと考えていた。

 だが、状況は変わった。

 あのハーミットがシロウの前世の兄の生まれ変わりで、シロウを篭絡してしまっていたのだ。

 もはや自分だけでシロウを説得はおろか、止められるとはリリンには思えなかった。

 無理をすればまた誰かが、テレサのように——


「リリン」


 横からニャリスが声をかける。

 リリンが見つめ返すと、猫の獣人は優しく頷いてくれた。


「……わかった、話すよ。そのかわり」


 リリンは意を決して、エフォートの正面に立つ。


「なんであたし、いきなり都市連合にいるの? そっちの事情も知りたい。だから精霊ケノンを使わせて。あたしを囲んでる反射魔法を解いてほしいの」

「気づいてたか。……それはできない」

「なんで!」


 リリンが詰め寄るが、エフォートは表情を変えなかった。

 その後ろでキャロルがため息をつく。


「あんたって、やっぱりバカだねっ」

「なっ……」

反射魔法士リフレクターは、あんたの為を思って言ってんだよっ」

「キャロル」


 エフォートは諫めるが、キャロルは気にせず続ける。


「あんたつい最近、精霊と契約したばっかりなんでしょっ? それなのにバカスカ術を使いまくって、いくら燃費のいい精霊術でも、魔力に慣れてないあんたの身体は回復魔法も受け付けない程、ボロボロだったんだよっ」

「えっ……」


 そんな実感はないリリンは、自分の身体を見回してからまたエフォートを見つめてくる。


「そうなの?」

「ああ。だからしばらくは、精霊術は禁止だ。安心しろ、こちらの事情は全部話す。それでいいだろう?」

「……わかった」


 選択の余地はないリリンは、素直に頷いた。

 ニャリスに促されベッドに座る。

 エフォートも部屋にあった椅子に腰を掛けた。


「よし。……キャロル、転移で連れてきてくれたのにすまないが、ダグラスのところに戻っていてくれないか? リリンとニャリスと、落ち着いて話したい」

「却下っ」

「……キャロル」

「勘違いするなよっ、反射魔法士リフレクター。キャロはダグラスの為に、あんたからすべての魔法技術を盗むんだ! その為に一時たりとも、あんたの傍を離れることはないっ!」

「……今ここで、魔法を使うことはない」

「どうかなっ。そこのアタマ残念な女が、また逆上して襲ってきたらどうすんの? そしたらバトルになんでしょ? チャンスじゃん!」


 グッと両手を握りしめ、キャロルは目を輝かせる。

 リリンはカッとなって、また立ち上がった。


「あたしがそんなこと、するはずないじゃないっ!」

「はあ? 今さっきキャロに剣を向けようとしたくせにっ! この単細胞女ッ!」

「だ……誰がタンサイボウよ! それどういう意味よ!?」

「バカだ! やっぱりこの女バカだっ……んんんん!?」


 突然、口を開けなくなるキャロル。

青い顔になって、周囲を見回した。


「……少し静かにするニャ」

「んんん!?」

「キャロル、それはニャリスの呪術だ。都市連合では研究されてない魔術構築式スクリプトだから、いくらお前でも対処できないよ」


 エフォートは淡々とした口調で、キャロルに状況を説明する。


「んんんんん!! んん!!」


 キャロルはニャリスに掴みかかろうとするが、その前でがくっと膝をついた。


「ん……んん~……!」

「いいかニャ? 反射の魔術師さん」

「俺は何も見てないよ」

「んんん! んんーんん……ん……ん……」


 やがてトロンとした表情になり、キャロルの瞼が閉じられていく。

 エフォートと壮絶な魔法戦を繰り広げた天才魔法士キャロル・キャロラインだったが、相性の悪い呪術士の手により、あっさりと眠りに落ちてしまった


 ***


「……これで、わかった?」

「なんとか、な。王城の地下に巣食う〈ライト・ハイド〉に、隷属魔法を改竄して発動する精神支配……それすら使わずにハーミットに篭絡された、シロウ・モチヅキか……」


 要領を得ていたとは言い難かったが、それでもリリンはラーゼリオンで起こった事、そして知ったことを、全てエフォートに話し終えた。

 エフォートが通信魔晶でシルヴィアと、そして先に目覚めていたニャリスと話をしていなければ、正確に理解するにはもう少し時間がかかっていただろうが。


「……それよりも」


 初めて聞いた事実があった。

 それは、ハーミット・フィル・ラーゼリオンの前世。


「ハルト・モチヅキか……」

「そうなんだよ! シロウの兄が、前世でシロウを苦しめたあの男が、また!」

「大事なのはそこじゃない」


 声を大きくするリリンに、エフォートは冷静に口を挟む。


「えっ?」

「前世などどうでもいい。シロウのように記憶が残って連続した人格でない限り、たとえ魂が同一でも違う人間だ。そうだろう? リリン」

「ええっ?」

「リリンも転生者なんだろう? だけど君はゲンダイニホンの人間じゃない。記憶があるわけじゃないく、精霊ケノンの力で知識として知っただけだ。違うか?」

「そ、そうだけど……」

「転生者がシロウ以外にもいて、それが奴の関係者だったという時点で、こんなことは予見できた。あのクソ女神が思いつきそうなことだ。……ニャリス」

「ニャッ?」


 エフォートに水を向けられ、わざとらしく驚いてみせるニャリス。


「お前もまた、転生者か?」

「……転生じゃニャいよ。転生ニャ。前の世界じゃ正真正銘、ただの猫だったニャ」

「あちらの世界にも猫がいるんだな。シロウの飼い猫だったのか?」

「違うけど、まあ似たようなものニャ」


 薄く笑うニャリス。

 頷くとエフォートは、リリンに視線を戻した。


「この際、前世が誰だったのか何だったのかなどどうでもいい。リリンも早く忘れるんだ」

「で、でも、あたしはっ!」

「大事なのはそこじゃない。まずは、あのハーミットが、ゲンダイニホンの知識を手に入れる可能性が出てきたことだ」


 リリンが深く思い悩んできたことをあっさりと切り捨て、エフォートはさっさと次の話題に移る。


「リリンが精霊術で魂の声を聞いたように、前世の出来事を知る方法がこの世界にはある。自分の魂に異世界の叡智が宿っていると知ったハーミットが、何らかの方法でそれを手に入れる危険があるということだ」

「……最悪ニャ」

「そしてもうひとつ、最悪なことがある。……リリン」


 エフォートは真剣な面持ちを更に固くして、リリンを見つめる。


「君はあの時、俺に全てを話さなかったな? 気づかなかった俺も愚かだったが」

「な、なんの話……かな?」

「とぼけなくていい。……俺の前世は、なんだ?」


 それはあの、泥の味のキスをした時。

 永遠の別れを告げる覚悟で、それでも隠し通したこと。

 けれどエフォートはたった今、それはどうでもいいことだと断言したのだ。

 もう、告げないわけにはいかなかった。


「……エフォートの前世は、望月モチヅキカナエ。……シロウのお姉さんだよ」

「女、か」


 やや目を見開いたエフォートだったが、それでもさほどショックを受けてはいなかった。


「やっかいだな」

「エフォート?」


 ただ面倒なことになったと、目頭を押さえて天を仰ぐ。


「……あのクソ女神が言ったんだ。『輪廻の理を破り、外から持ち込まれた駒に救われるような世界に、価値はない。ゲームクリアの暁には勇者にプレゼントする』と」


 それが女神の意思なのか。

 それとも、そうなる因果律が発生してしまうのか。

 それはハッキリとしないが。


「クソが……! 俺も『外から持ち込まれた駒』だとしたら、俺が魔王を倒すわけにもいかないということなのか……?」


 白い幼女の嗤い声が、聞こえた気がした。

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