97.深淵より聞こえし声

 目に見えぬ呪いの戒めが、兎の獣人ラビの身体を捕らえた。


「しまっ……!」

「大封魔結界が消えたみたいニャ。不測の事態だけど、ウチには幸運ニャ」


 呪いの波動を放ちながら、ニャリスはニヤリと笑う。

 そして曲刀を振りかぶった。


「魔旋の力を持つウチの曲刀シミターと互角にやり合うニャんて、大した女ニャ、ラビ。けどこれで終わりニャ!」

「……私が、ここで終わっても……」


 呪いに身体を蝕まれながらも、ラビはニャリスを睨みつける。


「……あんたの新しいご主人様の、野望は……これで終わりよ……!」

「ニャ?」

「……マスターの手のひらで、踊っていたのはそっち……あのバカ娘は、ラーゼリオンの怨霊如きに……止められはしない!」

「!」


 その気配は階段の下、暗闇に閉ざされた地下から噴き上がってきた。


「ニャッ……精霊術!? ウチの呪いが!?」

「もらった!」


 呪術に侵されていたラビの身体が、平穏に戻される・・・・・・・

 自由になった兎の剣士は、即座に旧知の猫獣人に斬りかかった。


「ニ……!」


 ギィン!


 勝ちを確信し油断していたニャリスは、鋭い斬撃を捌ききれない。

 曲刀は大きく宙を舞った。


「ニャリス覚悟ッ!」

「く……後は頼んだニャ! クソ兎!!」


 ラビの第二撃が迫るニャリスから、咄嗟に出た叫び声に。

 最短距離で振り下ろされたラビの剣は、首の皮一枚を割いたところで動きを止めた。


「……正気に戻った? バカ猫」

「バカは、そっちニャ……」


 首から血を滲ませて、ペタンとへたり込むニャリス。


「覚えたてのリリンの精霊術が……ウチの呪術はともかく、ライト・ハイドの精神支配まで抑え込めるなんて……確信はあったニャ?」

「マスターが、そう判断したのよ」

「やっぱりバカは、お互い様ニャン……」


 溜息をつくニャリスの胸ぐらを、ラビはグイと掴んだ。


「時間が惜しいのニャリス。状況を話しなさい、転生勇者はどこにいるの?」

「もう手遅れニャ。ハーミットの奴隷になって、精神支配されてるニャ」

「そんなこともう分かってる! だからリリンの力で解くのよ、異世界の叡智がすべて、あの新王に渡ってしまったら!」


 その時、階下から駆け上がってくる者がいた。

 それは栗色の髪の精霊剣士。


「ニャリス! ……ラビ、無事!?」

「リリン、すまなかったニャ」


 正気を取り戻したニャリスは、駆け上がってきたリリンに頭を下げる。

 ラビはふっと息を吐いてから、掴んでいた手を離した。

 リリンはニャリスに駆け寄る。


「そんなこといいよ! よかった、平穏の精霊エントはちゃんと効いてるみたいだね」

「うん、ライト・ハイドの精神支配は完全に抑えられてるニャ。ご主人様の隷属魔法は変わらずだけど、罰則術式は発動してニャい。ラビたちを倒せって命令に背いてるけど、ご主人様の本当の望みは知っているからかニャ」


 シロウの本当の望み、という言葉にリリンは頷いた。


「テレサはどうしてるニャ? 下にいたはずだけど」

「大丈夫、ニャリスと同じ状態だよ。怪我させちゃったから、後から来る」

「テレサに勝ったニャ!?」

「手加減できなかった」


 リリンは一度階下に視線を移してから、真剣な眼差しでニャリスを見つめる。


「……シロウは、上の王城でハーミットと一緒にいるんでしょう?」

「そうニャ」


 その答えを聞いて、ラビの顔色が変わった。


「……マスターが危ない! リリン、上に戻るよ!」

「もちろん! ニャリス、テレサのことお願いね!」


 言い残すとリリンは、ラビとともに階段を駆け上がり始める。


「ま、待つニャ!」


 慌ててニャリスが呼び止めた。


「精霊術の範囲外に出たら、ウチとテレサはまた操られて——」

平穏の精霊エントは残していくから大丈夫! 後から追ってきてっ!」

「ニャ!? そんニャことできるニャ!?」


 振り返りもせずに叫び、リリンは駆けあがっていった。


「……リリン。エントを残していくなんて本気か? シロウ・モチヅキを正気に戻す為に必要なはずだ」


 駆けながら、ラビの問いにリリンは頷く。


「うん、大丈夫。あたしに考えがあるんだ」

「……リリンに……考えが……?」


 絶句するラビ。 


「ちょっ、ラビ! 『この残念能天気の考えなんかに任せておけない』ってどういうことよ!」

「便利だな、〈精霊の声ケノン〉」


 状況が状況だけに、ラビは心を読む精霊術を全開にしているリリンに苦情は言わない。


「ケノンと……もうひとつ、〈闇の精霊シェイド〉だけでなんとかするつもり?」

「そうよ。あたしだってシロウをどう説得したらいいか、ずっと考えてきたんだから!」

「だが、まずはライト・ハイドの精神支配を解除することが先決じゃないのか?」

「前にエルカードから聞いた話だと、シロウはエントをレジストできるみたい。だったら狙うのは」

「エルカードとは誰だ。いや……そうか、なるほどね」

「そう、その通りだよ!」


 ラビが作戦を察したことが分かり、リリンはまた頷いた。

 兎の剣士は素直に感嘆する。


「確かにそれなら可能性はある……よし。その作戦、乗ったよリリン!」

「うん! ……って、『びっくりするくらい穴だらけだけど、私がフォローしよう』って酷くない!?」

「本当に便利ね、ケノン」

「ああもう納得いかない……シェイド!」


 闇の精霊の力で身を隠し、二人は王城へと駆け上がっていった。


 ***


 ラーゼリオン魔術研究院の一室で、少女は通信魔晶への魔力供給を終えた。

 そして歳に見合わない、深い深いため息を吐く。


「無茶振り……ですよ殿下ぁ……ひっ!?」


 コンコンとノックの音が響いて、少女は小さく悲鳴を上げた。


「ど、どどうぞ」

「失礼するよ、カリン嬢」

「……ハーティア様」


 入室してきた一人の老魔術師の顔を見て、少女カリンはホッと安堵する。

 老魔術師は笑う。


「だから様付けはよして下され、カリン嬢。ワシは一介の研究員で、嬢とは対等の同僚じゃ」

「な、なにをおっしゃいますか! ハーティア様は、サフィーネ殿下の魔術のお師匠様で、わたしなんかと対等なんて、とんでもなひてふっ……!」


 慌てて喋って、また噛んでしまうカリン。

 恥ずかしさに頬を赤く染めた。

 老魔術師・ハーティアは柔らかく笑う。


「なんの。ワシなぞ理想の高さでサフィーネ殿下に負け、魔術の才能と研鑽でレオニング殿に劣る非才の身よ。なればこそ、あの二人の役に立ちたくて必死でな」

「そんな……」

「それでカリン嬢。ワシの姪っ子……タリアからの通信魔晶は、無事に受けられたかな?」


 話が本題に入り、カリンは慌てて姿勢を正す。


「は、はい。人払い、ありがとうございました」

「通信相手は、今回も」

「はい。……殿下でした」


 唾を飲むカリン。

 この情勢下で、クーデターを起こし亡命した王女と連絡を取ることが、どれだけ危険なことか。

 万が一にも通信を傍受などされないよう、サフィーネを信じている同志である老魔術師が、別の場所で警戒してくれていたのだ。


「内容は?」

「はい。いつも通り例の魔石についての進捗状況と、こちらの状況報告をしました」

「そうか。立場的につらいだろうに、すまぬな」


 頭を下げる老魔術師。

 カリンは、女神教高司祭グランの妾腹の子だ。

 建前上、王家と女神教の間で中立の立場たる魔術研究院に教会側から送り込まれた密偵でもある。

 まだ幼い少女であるカリンに、その両方を裏切らせている形なのだ。

 ハーティアが後ろめたい気持ちを抱くのも無理はなかった。


「そんなことありません。殿下からは詳しい事情もお聞きできましたし、わたしは大丈夫なんですが……」


 カリンは口ごもる。


「また、無理難題を?」

「は、はい……ハーティア様にもご協力をいただくようにって、言われてるんですが」

「もちろん引き受けよう。あの二人の無茶な要求には慣れておるでな」

「たぶん、今までで一番の無茶だと思いますよ……」


 そして、老人と少女は動き出す。

 王国一の知恵者が支配するこの国で、誰が敵で誰が味方となるかまるで分からない状況の中で。


 ***


 ラーゼリオン王城の最上階に位置する、宝物庫。

 かつて王家承継魔導図書群が封印されていたそこは、半月程前の転生勇者と反逆の魔術師の戦いで、大きく損壊した。

 なにしろ、地下の大封魔結界牢から宝物庫まで、戦略級大魔法〈カラミティ・ボルト〉が貫いたのだ。

 現在では大急ぎでの復旧工事により城の大部分は修復されたが、ラーゼリオン建国時より続く宝物庫の持つ古い魔法回路については、魔法を封じる機能以外の能力は喪失してしまったというのが、軍の魔術師と魔術研究院双方の見解だった。

 残された魔法を封じる機能をかろうじて司っていた、王杖を差し込む台座。

 それが先程、冒険者ギルドのギルドマスター・ガイルズの手によって破壊されたのだ。


「……これは駄目だね。すぐの復旧は無理そうだ」


 謁見の間から登ってきたハーミットは、破壊された台座を調べてから呟いた。


「マジかよ。〈ライト・ハイド〉でも直せねえのか?」


 シロウの問いに、ハーミットは首を横に振る。


アレ・・の本体は、城の地下から動くことはできないんだ。それにどうやら、今は直接の手出しをするつもりはないらしい」

「へえ。なんで?」

「君の仲間、リリン君を警戒しているみたいだよ。彼女はエルフィード大森林で、七大上位精霊グレート・セブンよりもさらに強力な精霊を手に入れた。どうやらそれは、〈ライト・ハイド〉でも一筋縄ではいかない力らしい。ずいぶん優秀な仲間を持ったね、シロウ」

「けっ……遅刻しまくっておいて、なにやってんだアイツは」

「もうすぐ、ここに来る。分かっているね? シロウ」


 不機嫌そうに顔を背けるシロウに、ハーミットは笑う。

 

「……ああ、分かってる。アイツはオレの物。つまりハーミット、お前の物だ。必ず従わせる」

「頼んだよ。リリン君の持つ精霊、そのひとつは完全にその存在を隠す闇の精霊だ」


 ハーミットのその言葉に、シロウはハッとした。


「……っと。あぶねえ、あぶねえ。そういうことか……隠れてねーで、出て来いよ! リリン!」


 シロウは魔旋の要領で、全身に魔力を高速回転させる。

 そしてそのまま、全方位に向けて魔力を解き放った。


「く……!」


 闇の精霊シェイドが。跳ね飛ばされる。

 そこには一人の剣士が、魔旋の衝撃から耐えるように剣を構えて立っていた。


「シロウ……!」


 リリンが、悲愴な覚悟を以てシロウを見つめていた。

 その姿を見て、シロウは頬を緩める。


「ずいぶん重役出勤だなぁ、リリン。そうか、その精霊……昔、エルミーを仲間にした時にあの優男が使っていた精霊か」


 実はシロウは、エルフィード大森林で三度目にエフォートと戦った時に、リリンが精霊術を使うところを見ている。

 だが、その時シロウはパニックを起こしていた為、覚えていないのだ。


「……そうだよ」

「なら確か、平穏の精霊エントとかいう魔法を消せるヤツもあったはずだ。そいつはどうした?」

「……今は、いない」


 正直に答えるリリン。

 ハーミットが眉をピクッと動かした。


「そうか、地下でテレサ君とニャリス君を解放したんだね?」

「……そう、よ……」


 リリンは、ハーミットの問いにまたも正直に答える。

 その顔色は真っ青だ。

 冷や汗を流して、ガクガクと震えている。


「……リリン?」


 普通ではないその様子に、シロウは首を傾げた。

 ハーミットは続ける。


「愚かだねリリン君。あの二人を見捨て、この場でエントの力も使っていれば、私たちへの不意討ちも成功する可能性はあっただろうに」

「できるわけが……ない……あなたが、その台座の傍に……〈シールズ・チェイン〉の輪の中に、いる限りは……」

「ほう」


 呻くようなリリンの言葉に、ハーミットは興味深そうに感嘆の声を上げる。

 次の瞬間、ポウッと蒼い光の輪がハーミットの足元に輝いた。

 宝物庫の魔法回路、魔法を封じる力以外の能力は喪失していた。

そのはずであったのだが。


「ハーミット、お前それ……前にオレを封じたヤツか」

「そうだよ。父が使った時よりも、能力はかなり制限されているけどね」


 シロウの問いかけに、ハーミットは情けないとでもいう風に笑う。


「少なくともこの魔法の鎖による輪の中にいる限りは、あらゆる物理・魔法の攻撃を受けることはない。まあ、攻撃以外は通してしまっているようだけどね。……私の心が、読まれているようだ」


 ハーミットの顔から、笑みが消えた。

 鉄の仮面のような無表情で、震えているリリンを見据える。


「……〈精霊の声ケノン〉か。想像していたよりかなり不愉快だね、内心を覗かれるというのは」

「ば、化け物……」


 リリンが聞いた、ハーミット・フィル・ラーゼリオンの真なる声。

 それを形容できる言葉を、リリンは持っていなかった。

 あえて言うのであれば、闇より深い闇。深淵より暗き澱。

 そして。


(えっ……!?)


 暗き王の魂の奥底にまで届いた時。

 リリンはその声を疑った。


「!? う……そ……そんな……」

「うん?」


 様子の変わったリリンに、ハーミットは怪訝な顔をする。


「嘘、嘘でしょ……そんな、こんな、ことが……どうして、あなたまで、ここにいるの……?」

「なんだ? なにを言っている?」


 震える体を自分で押さえて、リリンはハーミットから距離を取るように後ずさる。


「あなた、あなたさえいなければ、こんなことには……」

「だから何を言っている? 私の何を知ったというんだ、リリン君!」

「こっちが聞きたいよっ!!」


 ハーミットに詰問され、リリンは叫んだ。


晴人ハルトッ……望月晴人!!」


 それはシロウの前世、望月史郎の兄の名前だった。

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