93.ござーますとウサギと、頭弱い子

「よく来てくれたでござーます、リリンさん!」

「は、はあ」


(そう言えば、いたなこんな人)


 リリンは、半月ほど前に王城でギルドマスターに会っていたことを思い出した。

 とは言っても、シロウの力に酔っていた当時。ラーゼリオンの上層部など、ただの無能な一般人たちとしか思っていなかったが。


「あの。さっそくなんですけど、ニャリスはどこですか? ニャリスの事ですよね? 酷い魔法に掛けられた可哀想な猫って」


 案内された冒険者ギルド本部の応接室で、リリンはガイルズに詰め寄った。


「ニャリスさんは、ここにはいないでござーます」

「はっ? どういうことよ!」

「落ち着くでござーます。こちらの事情を話す前に、いくつか確認したいことが」

「あいにくだけど、そんな余裕ないの。悪いけど勝手に聞かせてもらうわ」


 リリンが精霊ケノンに呼びかけようとした、その瞬間だった。


「だからさ」


 身が竦むほどの殺気が、リリンを襲った。


「簡単に精霊術を使うなって言ったでしょ?」


 いつの間にかウサギの獣人女の剣が、リリンの喉元に突きつけられていた。


(——いつ抜いた!?)


 ギルドの受付で只者ではないと感じた時から、警戒を怠ったつもりはない。

 だが、精霊に意識を向けたほんの一瞬の隙間を突かれて、ウサ耳の女性に動きを制されてしまった。


「あ……あんた、何者なのよ!?」

「ただのギルドの受付嬢よ」


 その言葉を聞いて、吹き出したのはガイルズだった。


「はははっ……」

「マスター、笑わないで下さい」

「いやいやラビちゃん。それはさすがに無理がござーませんか?」


 ガイルズは、ラビと呼んだウサギの獣人女の肩に手をおいて、リリンを見る。


「リリンさん。ラビは、アテクシの優秀な秘書官でござーます。王城で一度顔は見ているはずでござーますよ。ほら、宝物庫の前で」

「……覚えてないわ」


 確かにガイルズは冒険者ギルドの代表として、宝物庫開封の儀に立ち会い、その場にもう一人ギルドからついてきていた。だがリリンの印象にはまるで残っていない。

 ウサギの耳など目立つだろうし、何よりも。


「これだけの使い手、忘れるとは思えないんだけど」


 いまだ剣も抜けないリリンは、冷や汗を流しながらラビを睨んだ。


「だとしたら、光栄ね」


 鋭い殺気を放ちながら、ウサギの獣人は笑う。


「気配をうまく抑えられてたってことだから。強さは、実力は誇示すればいいってものじゃない。あなたのご主人様みたいにね」

「……それはどうも」


 リリンは、シェイドを使ってラビの間合いから逃れようとも考えた。

 だがどうしても、精霊に呼びかけた瞬間に斬り捨てられる未来しか見えない。


「……そこまででござーます。ラビ、剣を収めて」

「しかし、マスター」

「いいから。我々は敵ではないでござーます」


 ラビは不承不承、剣を引いた。

 ようやく殺気から解放されたリリンは、どっと汗が吹き出した。


「リリンさん。今、使おうとした精霊術はもしかして、〈精霊の声〉でござーますか?」

「そうよ。べつに害を与えるものじゃないわ」

「相手の心を許可なく読む行為は、充分に害意があると思った方が良いでござーます」

「……緊急事態なのよ。ニャリスが危ないんでしょう?」

「ならば余計に、手助けをしようとする者に反感を持たれる行為は慎むべきでは?」


 笑顔で述べられるガイルズの正論に、リリンは唇を噛む。


「……本当に手助けしてくれる相手かどうかは、分からないわ」


 それでも捻り出した反論に、ガイルズは笑った。


「街の食堂で、アテクシ達の仲間に同じ術を使ったのでござーましょう? なら、アテクシ達が敵ではないと分かったはずでござーますよ?」

「それは」

「それでも不安だったのなら、もう少し上手くやるべきでござーましたね。精霊術に相当な自信がお有りのようでござーますが、本職の術士ではないラビやアテクシに気取られるようでは、下手が過ぎるでござーます」


 ここに来る前からシェイドを発動しておくべきだったと、リリンは後悔する。


「ふふっ」


 ガイルズは素直に俯くリリンにまた笑ってしまった。


「まあ、いいでござーます。こちらには隠し事をする気はないのですが、先にそちらの事情を喋ってもらってからにしましょうか」

「事情?」


 リリンの反問に、ガイルズは頷く。


「転生勇者シロウ・モチヅキと、エフォート・フィン・レオニング。国境近くで何があったのか。あなた方が反逆の王女と魔術師を追って城を出てから、いったい何があったのか。それをすべて話すでござーます」

「……それと、ニャリスの事になんの関係があるのよ?」

「おおありでござーます」


 ガイルズはすっと、真面目な顔になった。


「モチヅキ殿は、王城に戻ってからまるで人格が変わってござーます。獣人ニャリスと騎士テレサも同様に」

「えっ……シロウだけじゃなくて、ニャリスとテレサも?」


 シロウが、というのは分かる。

 エフォートに手ひどく敗れ、仲間たちを多く失った影響が残っているのだろう。

 しかしニャリスとテレサも、というのが分からない。

 ガイルズは真剣な眼差しで頷く。


「いやな予感がするでござーます。リリンさん、まずは情報交換を。そちらが話してくれるなら、その後で〈精霊の声〉を聞くことも許可するでござーますよ」


 ***


 リリンはニャリスの為にと、素直に知っていることをすべて話した。

 とは言っても、前世がどうなどということまでは、もちろん話していない。

 エフォートが承継図書で手に入れた魔法で、ルース、ミンミン、エルミーを奴隷から解放したこと。そして、自分も隷属魔法の支配下からは外れたこと。

 シロウはエフォートとの戦いに敗れ仲間を失ったことに傷つき、情緒不安定になったこと。

 そして、そんなシロウを見逃してもらう代わりに、自分も手伝ってエフォートたちを都市連合に亡命させたこと。


「……なんと、まあ……」

「呆れるわね、あなた」


 より辛辣な言葉を返したのは、ウサギの獣人女ラビだった。


「どういう意味よ」


 リリンの問いにラビは鼻で笑う。


「王家承継魔道図書群は、ラーゼリオンの秘中の秘。それを盗み出した大罪人を、よりによって都市連合に亡命させる手伝いをしたなんて……どんな神経をしていれば、そんなこと真顔であっけらかんと言えるわけ?」

「……はあ」


 国と国というスケールで物を考えたことがなかったリリンは、ラビの指摘を受けてもあまりピンと来ていない。


「でも、要は魔王を倒せればいい話でしょ? それがラーゼリオンでも都市連合でも、大した問題じゃないじゃない」

「あっ……あなたねえ」

「あはははははっ!」


 あきれ返るラビの横で、ガイルズは腹を抱えて笑い出した。

 そしてラビの背中をバンバンと叩く。


「いや、ラビ。これはリリンさんの方が正しいでござーますよ」

「は? マスター何を」

「冒険者ギルドは、国の枠に囚われるものではない。広く大陸中に広がる全ての冒険者達を支え補佐し、その活躍に寄与するもの。本来はアテクシたちこそが、リリンさんのような考え方をするべきでござーます」

「——っ!」

「素晴らしいリリンさん。あなたは国という小事に惑わされず、世界という大きな視点で物事を捉えているんでござーますね」

「は? ……は?」


 勝手に感動し賞賛してくるガイルズに、リリンは引いている。


「いや、あたしは別に……エフォートとシロウが、戦わないで済む未来が欲しいってだけで」

「それでござーますが、正気でおっしゃってますか?」

「はい?」


 ガイルズの問いの意図が読めず、リリンは反問する。


「シロウ・モチヅキを転生させた女神が、シロウが魔王を倒した暁にはこの世界を渡すという話でござーます。それを防ぐために、サフィーネ殿下とレオニングは転生勇者と戦ったと」

「本当よ。少なくとも、あたしがケノンで聞いた限りじゃ」


 リリンの答えに、ガイルズは首を捻る。


「精霊ケノン……エルフィード大森林に住まうエルフの伝承で、確かに聞いたことはござーますが」

「疑うんならその力、今すぐ証明できるけど」


 リリンの言葉に、ラビがワザとらしくキン! と剣の鍔を鳴らした。

 不意打ちでなければ抜刀の速さで負けないと、リリンも剣の柄を片手に睨み返す。


「ちょっと、止めるでござーます君たち」

「マスター」


 ラビが不愉快そうに手を挙げる。


「精霊ケノンの力が本当だとしても、この女がそれを正直に話しているとは限りません。バカげています、魔王を倒せば世界をやる、など」

「いやいや。アテクシはリリンさんを信じるでござーます」

「マスター?」


 ガイルズは柔らかい眼差しで、リリンを見る。


「この頭の弱……純粋そうなお嬢さんが、仲間の危機が迫ったこの状況で嘘を吐けると思いますか?」

「思いませんね」

「今頭が弱いって言いかけたよね? それとウサ耳、アンタが即答したのは純粋の部分にじゃないよね!?」


 心外そうに声を荒げるリリン。

 ガイルズ、そしてラビは吹き出して笑った。


「あははっ……」


 これまで応接室に入って以降、ツンツンした態度だったラビ。だが今は、ギルドの受付で見せた作りものではない笑顔を見せて、口に拳を当て笑っている。


「……それで、リリンはさ」

「いきなり呼び捨て!?」


 リリンの突っ込みにラビは構わず続ける。


「リリンは幼馴染のエフォート君と、一時は奴隷になっても後悔しないくらいに好きだったシロウの二人を、戦わせたくなくなったと。だから反射の魔術師を国外に逃がして、勇者を説得しに自分は戻ってきたってことね」

「す、好きって……ま、まあ簡単に言っちゃえばそうよ」


 動揺しながら答えるリリンに、ラビの反応は。


「馬鹿でしょ」

「はっ!?」

「頭弱いって言われてもしょーがないでしょそれ。あんたに何の得があるのそれ」

「なっ……な、」

「でも、嫌いじゃないかな」


 ニカッと笑いかけるラビ。

 さっきまで強烈な殺気を叩きつけられていた相手にいきなり愛らしい笑顔を向けられ、リリンは混乱する。


「は? は? ええと、なに、どういうこと?」

「では、ラビの許可を得られたわけでござーますので」


 ガイルズは芝居がかった咳払いをした。


「大体の事情は分かったでござーます。では次はこちらの番でござーますね。どうぞ精霊ケノンの力、お使いあそばせ」

「……いいの?」


 リリンは怪訝な顔をする。


「ケノンの力は、すべてを暴く。あたしが聞くのは、ニャリスの件だけじゃないよ?」

「そこは黙っていた方が良かったのでは? リリンさん。ならやっぱり駄目、と言われたら損をするだけでござーましょう?」

「あっ、しまった……」


 慌てて口を塞ぐリリンに、二人はまた吹き出した。

 そして、優しく笑う。


「信じるでござーますよ、それに余裕がないのは、実はこちらも同じでござーます」


 ガイルズはまた真面目な顔になって、リリンに告げる。


「勇者の力と異世界の叡智。この二つを〈ライト・ハイド〉に渡すわけには、絶対にいかねえんだ」

「……ねえんだ?」


 急に男らしくなったガイルズの語尾に、驚くリリン。

 突っ込むところはそこじゃないでしょ、とラビはまた呆れた。

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