94.騎士テレサ
「テレサ・フィン・バルレオス。そなたの騎士位を剥奪する」
誇りは、いとも容易く奪われた。
神聖帝国ガーラントの騎士の家系に生を受けたテレサ。
彼女には優秀な兄がいたが、高ランクの魔物による呪いを全身に受け、再起不能となった。
その代わりになれと、跡継ぎを失った父がテレサに男同然の、いやそれ以上の苛烈な教育と訓練を施し、鍛え上げたのだ。
幼かったテレサは、これまで女というだけで見向きもしてくれなかった父が初めて向けてくれた期待に応えようと、必死の努力をした。
その結果、最年少で白銀の騎士位を授かることとなる。
「女の分際で、栄光ある帝国の高位騎士になるなどと」というやっかみや嫉妬は多かったが、これで父にも認められたとテレサは誇らしかった。
一軍を率いる将となったテレサの初任務は、帝国に反旗を翻した辺境の獣人族の掃討戦だった。
武技・魔法ともに高いレベルを誇る帝国騎士団にとっては、容易い任務と思われた。
しかし。
「ははっ、
獣人族の先頭に立っていたのは、人族の少年。
金髪を翻して戦うその次元の異なる強さは、たった一人で騎士団と先行した歩兵部隊に壊滅的な打撃を与えていた。
「な、なんなのだ、貴様は!? 何者だ!?」
「……ん? お前、女か?」
誰何するテレサの声を聞いて、少年は驚いたように問いかける。
「女だから何だ! 我は
「はははっ! 女騎士、女騎士だ!! くっころ、くっころって言えよ!」
「訳の分からぬことを!」
閃光の如き
これまでテレサを女と侮った男たちはすべて、この一撃で物言わぬ肉塊と化してきた。
だが。
「っとお!」
「なに!?」
少年の手にした剣は、槍を大きく弾き返した。
「思った通り、やるじゃねえかテレサちゃんよぉ!」
ギィン!
ギンギィン!
「くぅ!」
間合いを詰められ、激しい剣撃の嵐がテレサを襲った。
間合いを殺されたテレサは柄で防御するだけで精一杯だ。
「おのれ、我の初撃を捌くとはっ!」
「油断してると思ったか? くっころ女騎士さんよぉ!」
「舐めるな! 我は……」
「おっと悪ぃ、テレサちゃんだったなっ!」
ギン!
金髪の少年は大きくテレサの槍を打ち払ってから、飛び下がり距離を取った。
「なに……?」
剣に有利な間合いからわざわざ離れた少年に、テレサは怪訝な顔をする。
少年はニィっと笑った。
「そっちは名乗ってくれたのに、オレは名乗ってなかったぜ。こりゃ悪ぃ、騎士道に反してた。オレの場合は武士道かな?」
何が可笑しいのか、少年はクククと笑う。そして。
「オレはシロウ・モチヅキ。勇者になって魔王を倒し、この世界を救う男だ。
「……いいだろう!」
先の数合で、既に少年シロウの実力が自分を遥かに上回っていることに、テレサは気づいていた。
だが、名乗りを交わし正面から挑まれた決闘。
誇り高き帝国の騎士として逃げる訳にはいかない。
深く腰を落として、ジャキッと槍を構え直す。そして。
「……受けろ、我が全霊!
「オラァッ!」
砕け散ったのはテレサの槍、そして兜だった。
美貌の素顔を晒したテレサに、少年は口笛を吹く。
「さっすが女騎士、美人って相場が決まってるねえ」
「くっ……殺せ、お前の勝ちだ」
「ハイ、くっころも頂きぃ! ……ま、そう落ち込むこたぁねえよ」
ビシ、と少年が手にした剣にヒビが入った。
「コイツもそれなりの名剣なんだがな、オレとお前の力に耐えられなかったみてえだ。お前も強かった証明だな」
「負けた以上、なんの慰めにもならぬ。さあ殺せ」
「べつにお前の命なんか欲しかねえよ。……いや、くれるっつーなら違う意味で貰ってもいいけどな」
「は?」
少年は唇を舐めながら笑う。
「オレがここに来た目的は、オレの
「……マスター・ソード?」
沈黙が流れる。
「いやいやいや、何ポカンとしてんだよ! お前、
「……知らぬ」
本当に知らなかった。
確かにテレサは皇帝から白銀の騎士位を授与された。だがそのような剣の話は、聞いたこともない。
「はあ? ……なんだよ、嘘ついてる訳でもねえみてーだし……お前、もしかして帝国から信用されてない?」
「ふ、ふざけるな!」
「なんだよ無駄足かよ~」
シロウは天を仰いで頭を掻く。
「……おい、ニャリス!」
「ニャ?」
別の場所で戦っていた猫の獣人が、呼びかけに応えて跳んできた。
「帰るぞ。もうここに用はねえ」
「ニャニャッ? で、でも、一族の反乱がまだ……」
「オレの知ったことかよ。……お前も知ったことじゃねえだろ? 使い古した道具みてーにお前を捨てた、クソみてえな一族のことなんざ」
「……ニャ」
ニャリスと呼ばれた猫の獣人は頷くと、何らかの呪術を発動させた。
途端にシロウとニャリスの姿が揺らぐ。その存在を認識できなくなっていく。
騒ぎ出したのは、取り残された獣人族達だ。
「ま、待て!」
「貴様、俺たちを散々焚きつけておいて!」
「逃げるのか!?」
泡を食う彼らを、シロウは嗤う。
「乗ってきたのはテメエらだ。他人の力でいい目を見ようなんざ甘えんだよ! ……ああ、団長さん。テレサちゃんよ」
シロウは振り返り、歯を見せて笑った。
「帝都に戻ったら、
そう言い残して、金髪の少年と猫の獣人は姿を消した。
残された獣人族たちは、壊滅的な打撃を受けたとはいえまだ余力を残していた帝国騎士団に対し、即座に降伏した。
完全にシロウの力を頼りにした蜂起だったのだ。
体良く利用されたことにようやく気付き、命を惜しんだ結果だった。
「獣人族は捕虜として扱え。必要のない危害は加えぬように。掠奪、暴行、殺害行為は一切認めぬ」
テレサは厳命したが、シロウに多くの仲間を殺された帝国兵たちは、その怒りを抑えられなかった。
「何をしている! 副団長、止めろ!」
「バルレオス卿、それは無理ってもんだぜ」
女の獣人をいたぶり弄んでいたところを踏み込まれた、騎士団のナンバー2。
彼はテレサの怒号を歯牙にもかけず、鼻で笑って言った。
「こいつらは身の程も弁えず、帝国に逆らった。罪には罰が必要だ」
「罰は帝国に戻ってから、法と皇帝の御意志の下で与えられるべきだ!」
「うるせえ! 俺たちは、この畜生どもに仲間を殺されたんだ! バルレオス、お前の無能のお陰でなあっ!」
「な……に?」
副団長の怒声に、テレサは凍りつく。
「お前があの金髪のガキを殺していれば、俺たちの怒りも少しは抑えられたんだ! はっ、所詮は女か。ガキ一人倒せねえで、何が
「……ッ!」
「間抜けな女騎士! さすがは伝統の宝剣も賜れない半端者だなあ!」
「どっ……どういう意味だ!」
副団長は侮蔑に満ちた嘲笑で応える。
「
「……!!」
ショックを受け言葉を発することもできないテレサ。
副団長は下卑た笑みを残して背を向け、狼藉していた途中の女獣人を見下ろした。
「や……やめ……やめて、くださ……」
服を剥かれ、殴られ、無残な姿になっていた獣人女は慈悲を乞い懇願する。
だが副団長は容赦なく、その顔を殴りつけた。
「ぎゃふっ!」
「諦めな。恨むんなら帝国に逆らったテメエらの馬鹿さ加減と、そこにいるお飾りの女騎士団長様を恨むんだな」
そして、忌まわしい行為を再開しようとした、その時。
「……ああ、恨め。無力な我を」
「なに?」
テレサの声に、副団長は振り返ることができなかった。
その前に、副団長の首と胴が離れてしまっていたから。
帝都に帰還すると同時に、テレサは拘束された。
「バルレオスの小娘が! よくも儂のかわいい息子を!!」
テレサは『任務失敗の腹いせに部下をリンチの末に殺害』したとされ、投獄される。
そして形だけの詰問会の後。
即日で騎士位を剥奪され、奴隷階級への降格を言い渡された。
「テレサ・フィン・バルレオス。そなたの騎士位を剥奪する」
誇りはいとも容易く奪われ、そして帝国の奴隷として永遠に自由を奪われる隷属魔法をかけられてしまった。
「……わ、我は……」
「無様だな、テレサ。このバルレオス家の面汚しが」
隷属魔法が完了した後。姿を現したのはテレサの父だった。
「いや、女如きに一時でも家督を継がせようとした私が愚かだったということか」
「父上! ……言い訳は致しませぬ、ひとつだけ、ひとつだけ教えて下さい!」
地下牢で拘束されたまま、テレサは父に縋る。
「なぜ……なぜ皇帝陛下は、我に白銀騎士団長の証たるマスター・ソードを賜らなかったのですか!」
「私がそう陛下に進言したからだ」
父の予想外の答えに、テレサの思考は止まった。
大したことではないように、彼は淡々と続ける。
「お前は予備に過ぎん。本命が復帰すれば用無しになるのだから、証しであるマスター・ソードまで渡す必要はなかったのだ」
「予備……? 本命? 父上、一体何をおっしゃって」
「こういうことだよ、テレサ」
不意に響いた別人の声。
現れたのは、柄に禍々しい装飾が施されたブロードソードを手にした一人の青年。
テレサはよく知るその青年の笑顔を見て、息が止まりそうになる。
「あ……兄上……兄上ですか! 大丈夫なのですか!? 呪いはっ!?」
「呪いは解かれたよ。帝国の回復術士達が長い年月をかけて、解いてくれたんだ」
「ほ……本当ですか! 良かっ」
「残念だったなぁ、テレサぁ!!」
「……え?」
柔らかな兄の笑顔が、唐突に醜く歪む。
「僕がいない間に、僕に成り代わろうとするなんて! なんて悪い子だ!」
「そんな! 違います兄上、私は、我は!!」
「でも残念でしたぁ! バルレオス家の跡取りは長男である僕一人だ!
青年はブロードソードをテレサの目の前に突き出す。
「これが
「そのくらいにしておけ。テレサももう、身に染みて分かっているだろう」
父がはしゃぐ兄を制した。
「父上……」
「テレサ。お前には黙っていたが、これの治療は続けていたのだ。お前を育てていたのは、万が一治療がうまくいかなかった時に、代用品とする為に過ぎん」
「代用品……」
「こうして本物が蘇った今、もう使い終えた道具に用はない。元老院に連なる者に手を出すなど愚かなことをしてくれたものだ。だが皇帝陛下は、お前ひとりの奴隷落ちでバルレオス家に累は及ぼさないと擁護して下さった」
「わ……我は……私は……」
テレサは震える。
目の前が闇に閉ざされる。
ひどく寒くて、自分だけがこの世界にいないかのようだ。
「私は……ただ、この家の役に立ちたくて……父上に、私を見てほしくて……せめて、兄上の代わりに、少しでも」
「ほらぁ! 僕の場所を乗っ取ろうとして! この不埒者め!」
兄が、跪くテレサの頭を蹴り飛ばした。
「ぐっ!」
「痛いか? この奴隷!」
兄はそのまま、足をテレサの顔先に突き出す。
「舐めろ。そして分不相応にこの兄にとって代わろうと企んだ罪を、悔い、詫びろ!」
「あ……兄上……私は」
「舐めろと言っているんだ!」
「ぐっ……ぐああああああああああ!!」
胸に刻まれた奴隷紋から黒い稲妻がテレサを襲った。
耐え難い激痛が、帝国の騎士の命に背いたテレサを打ち据える。
「あはははっ……これが罰則術式かぁ!」
愉快そうに笑う青年に、父は眉を顰める。
「呪いの後遺症で、性格が歪んだか……。まあ、時をかけて矯正すればよいか」
「惨めだなあ、テレサ! ほら、これ以上痛い目を見たくなかったら、ほら、僕の足を舐めろぉ!」
差し出される兄の足。
テレサは痛みから逃れるため、顔を近づける。
だが。
「……我は……」
「ううん?」
「我は……我は騎士だ! 白銀のテレサ・フィン・バルレオスだ! 騎士は決して、主君以外の靴など舐めぬっ……! ぐああああああっ!!」
「き、貴様! この僕に屈するよりも、罰則術式の方がマシだっていうのか!!」
マスター・ソードを抜き放つ、狂った兄。
痛みに苦しむ妹に向けて、その騎士の証たる剣を振りかぶった。
「お、おいよせ!」
父が制止しようとするが、間に合わない。
「死ねぇ!」
その凶刃がテレサの首に届くより早く。
彼は、現れた。
「……なっ!?」
「何? なんだお前は!? どうやってここに」
金髪の少年が、指二本でマスター・ソードの刃を止めていた。
「……止めるなよ、ニャリス」
「止めるつもりもニャいよ。人払いはしておくニャ」
「ああ」
「お……お前ら、いったいな」
次の瞬間、剣を持っていた青年の右腕が捻じ切れた。
「ぎっ……!? ぎいやああああああああ!!」
「え、衛兵! 賊だ! 衛へ……!? !!??」
青年の叫び声が響く中、兵士を呼ぼうとした父は一瞬で言葉を奪われる。
ニャリスによる呪術だ。
「ぐ、ぐううっ……」
テレサが罰則術式に苦しみ喘ぎながら、シロウを見上げる。
「お前、たちはっ……」
金髪の少年は飄々とした印象だったが、今の彼は怒りに満ち満ちていた。
「よく言ったテレサ。苦しいだろ、今はオレのモノにするぞ」
一方的に言い放つと、シロウはテレサの胸の奴隷紋に問答無用で手を当てる。
「隷属対象を移管する。テレサ、もういい。もう苦しまなくていいんだ。オレは、オレだけはお前の味方だ」
テレサの身の内から、熱とともに身体と心を引き裂かれそうな激痛が引いていく。
「……シロウ……殿?」
「あとはオレに任せろ」
そして振り返ると、大量の吹き出す血で失血死しようとしていた青年に、無詠唱で治癒魔法をかけた。
「……え? な、なに……何が」
「気づいたかクソ野郎。オラ」
強烈な前蹴りが青年を吹っ飛ばし、その父に激突した。
「ぐあっ!」
「……!!」
父の方はニャリスの呪いで言葉を奪われ、悲鳴を上げることもできない。
「……覚悟しろ。お前らは、オレの前で絶対にやっちゃいけないことをした」
奪ったマスター・ソードが一閃、青年の残された腕も斬り飛ばされた。
「ひ」
そして即座に、魔法で出血だけを止められる。
「ひいいっ」
「兄の為の、代用品だと? 道具だと? ふざけんなよ。オレは」
「ご主人様?」
怒気に溢れるシロウに、不安げにニャリスは声をかける。
だがその声は届いていない。
「オレは、お前らの道具じゃねえ!!」
足を斬り飛ばす。
胸を突き刺す。
肉を削ぐ。剝ぐ。
骨を折る。断つ。砕く。
愚かな狂った騎士と、家の存続しか考えないその父親に、シロウは何かの代わりにするがごとく、回復魔法を繰り返しながら凄惨な拷問を繰り返した。
***
(シロウ殿は、我と同じ苦しみを抱いていた)
(あの方も、歪んでしまっている。我が、シロウ殿に救われた我が、今度は時をかけて癒して差し上げなくてはならぬ)
(あの時のシロウ殿の行動は、マスター・ソードを得る為で)
(あの時のシロウ殿の怒りは、自分の身に投影してのものだったのだろう)
(だがそれでも、我が救われたのは事実なのだ)
(シロウ殿はあの時から、帝国に命を狙われる身になった)
(だから我は)
(我はシロウ殿のもの。彼の剣となり戦い、そしていずれ、彼の歪みを正してみせる)
テレサは手にした槍を握りしめる。
目の前には、青い顔で何かを叫んでいる、栗色の髪の剣士がいた。
必死で何か叫び続けているが、テレサの心には届かない。
目の前にいる者は敵だと、それだけは分かった。
「テレサ! 目を覚まして!! あなたはハーミットに操られているのよ!!」
ほら、あんなことを言っている。
ハーミット国王陛下は、シロウ殿の味方。
その邪魔をする者は、皆、敵なのだ。
そう信じるテレサは、腰を深く落として槍を構える。
「テレサ止めて! あたしだよ、リリンだよ!!」
「……シロウ殿の敵! 死ね!
破魔の一撃が、リリンに襲いかかった。
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