第四章 都市連合編
82.ニュー・ステージ
ふふふ。
ふふふふふ。
あはははは。
やってくれるかしら、我の本体も。
まさかこんな楽しいことを、我が分体となりし時に忘れさせてくれるとは。
あら。勇者の仲間そのものになりたいと望んだからこそ、あまり知り過ぎていないように、気を使ったのよ。
楽しみを残しておいたと言えば聞こえはいいかしら。でもこんな楽しい玩具たちを、あやうく壊してしまうところだったかしら?
これくらいで壊れる玩具なら、用はないわね。
確かに、実際に壊れるどころか我から一本取ってくれたかしら。
楽しめたようで、何よりね。ところで。
うん?
あのラーゼリオンの小僧、まるで処置できていないわ。
は?
……本当かしら。確かに封じたはずかしら。なのにどうして。
こちらのちょっかいにまで、対策をしていたのね。
面白くないことに、なりそうかしら。
まあまあ、いざとなればどうとでもなるわ。
それより、こちらをご覧あそばせ。
ふはっ
ふははははっ
とっても面白いことになっているかしら!
さすが人族、小賢しい! さすが小僧の血脈といったところかしら!
盤上に登る資格を得し駒が、こんなところにまだいたかしら、なんと愉快な!
あらら、これでは我らが勇者様が。
でもこれも一興。しばらくちょっかいは出せぬ故、存分に楽しみましょう?
その通りかしら。所詮、駒はどんなに足掻こうと指し手に届かぬ。高みの見物としゃれこむかしら!
***
「……クソ、が」
灯りもついていない、砦の一室。
シロウはふーっ、ふーっと荒い呼吸を繰り返している。
その手には、国宝級の鎧も紙のように斬り裂くマスター・ソードが握られていた。
部屋の中央で血走った目で睨みつけてくるシロウを、吸血鬼は穏やかな顔で見返している。
「よいぞ、坊や。それで坊やの気が済むのなら」
「……あああっ!!」
瞬間移動の如き速さで間合いを詰め、シロウはシルヴィアに斬りかかった。
その刃は、目を瞑ったシルヴィアの眼前で制止する。
「くっ……味方だって言っておいて、またオレより先に死ぬのかよっ!?」
「妾は死なぬ、不死のヴァンパイアじゃからな。坊やの祖母とは違う」
「……っ!」
シロウはマスター・ソードを投げ捨てた。
石畳の床に深々とそれは突き刺さる。
「……いい加減に……してくれ、シルヴィア。どうして、こんな真似……」
「それでも十日かけて、なんとか耐性がついてきたようじゃの。荒療治ですまなかった。坊や、ここはどこじゃと思う? ニホンかの?」
「……違う。ラーゼリオン王国、都市連合近くの国境砦だ」
「妾は?」
「吸血鬼の真祖、ヴァンパイアのシルヴィアだ」
「妾だけでは不満かの?」
「……不満だよ、面白ロリババアだけじゃな。転生勇者はハーレムに囲まれてこそなんだよっ!!」
シロウは荒々しくベッドを蹴り砕く。
シルヴィアは深くため息をついた。
「やれやれ……坊やは正気と狂気の境界が曖昧じゃの」
「言ってろ、クソったれ。……クソと言えばあの連中は!?」
「今頃、都市連合じゃろうな」
「ちっ……まあいい、ニュー・ステージってわけだ。都市連合にはこっちも土地勘がある。伝手もある。株式会社の仕組みを教えてやった連中には貸しがあるしな」
シロウは半ば無理矢理に笑う。
「追っかけてって、今度こそブチ殺すぞ。リリンにエルミー、ルースにミンミン! あいつらはとっ捕まえて、改心するまでじっくりたっぷり説教してやる!」
「……それじゃがな、坊や」
シルヴィアは薄く笑って、通信魔晶を取り出した。
「坊やが気を失っている間に、リリンからは連絡があったのじゃ。まもなくここに戻ってくるよ」
「……マジかっ!!」
パッと顔を明るくするシロウ。
そのあまりにも子どもじみた反応に自分でも気がついて、慌ててシルヴィアから顔を逸らした。
シルヴィアは微笑む。
「マジじゃ。リリンは遅くなってすまないと言っておった。戻ったら、話したいことが沢山あるそうじゃよ」
「……んだよ、脅かしやがって。どうせまた、あのネクラ反射ヤロウの罠に嵌ってたんだろ。ったくしょうがねえなぁ。あいつにはまだまだ、オレが必要だな」
「……逆じゃろうに」
「なんか言ったか?」
「聞こえておろう?」
「……うっせーよ」
憎まれ口を叩いても、口元に喜びが隠せないシロウ。
もう、仲間はシルヴィアしかいないと思い込んでいたのだ。
一度は反射の魔術師の元に帰ったと思われたリリン。
その彼女が、自分の意思で返ってくる。
つまり、それだけの価値が自分にはあるということなのだ。
「ははっ……そうだよ、俺は、勇者なんだ」
「坊や。リリンは坊やが勇者だから戻ってくるのではないぞ」
シルヴィアが苦言を呈そうとした時だった。
「おっ?」
一人の強い気配が近づいてくるのを、二人とも察する。
シロウが正気を取り戻す邪魔にならないように、この砦の兵たちはシルヴィアが全員眠らせている。この部屋に近づいてくるのはリリン以外にあり得なかった。
そして、扉が開いた。
「遅っせーぞリリン! ……え?」
そこに立っていたのは、兜のみ外した白銀の鎧をまとった、槍を手にした女騎士。
「テレサ……テレサじゃねーか!」
シロウはさらに顔を明るく輝かせて、駆け寄る。
「ニャリスは一緒じゃねえのか!? お前ら、なんで通信魔晶に出なかっーー」
「危ない坊や!!」
テレサが放った閃光の如き槍が、シロウの身体を貫いた。
***
「ようやく、ここまで来れた……ルトリア」
サフィーネの呟きには、万感の思いがこもっていた。
都市連合。
正式名称は、大陸西部八大都市連合国。
八大と名乗っているが、実際は主導権を握っている巨大都市ルトリアが、他の中小の七都市を纏めていた。
大陸の貿易における要衝に位置し、経済的な繁栄を遂げている。
だが同時に、隣国のラーゼリオン王国とは長く軍事的対立が続き、そして反対側にはまもなく復活が予見されている魔王の城がある、未開の地が広がっている。危険度も高い国であった。
そこで都市連合は、ルトリアに本拠地を置く魔術ギルドへ経済支援を厚く行い、見返りとして進んだスクリプト研究結果を受け取ってきた。そうして連合軍の魔法兵団は非常に高いレベルにある。
また、それだけの軍事費を捻出する為、経済的な政策も精力的に行われていた。
これらの施策により、国土面積や人口では列強に劣るが、総合的な国力では神聖帝国ガーランドに届かずとも、ラーゼリオン王国にも負けていなかった。
「サフィ。今までこちらの事はすべて任せきりだったが……都市連合、信用できるのか?」
その都市連合の首都ルトリアの
三百余名のビスハ兵達は、いきなり街に連れてくるわけにいかず、やや離れた山中に待機している。
この場にいるのは、王族であるサフィーネとエリオット。エフォート。そしてビスハの代表としてギール。その四名だけだ。
「はっきり言おうか? フォート」
エフォートの問いに、サフィーネはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「都市連合とは、理念では奴隷制反対で一致。利害ではラーゼリオン現王権との対立で一致。ただ……それだけよ」
「それだけ?」
「私が連絡を取り合ってきた連合評議会の副議長は、小都市サバラの代表。主流派である評議会議長を含むルトリア一派への影響力は、ほとんどない。ぶっちゃけ、亡命したところでどんな扱いを受けるかは、この後次第ね」
横で聞いていたギールは顔をしかめる。
「……我らビスハ兵は、当初の殿下の計画には入っていなかったでしょう。ご迷惑になりませんか?」
「迷惑なんて。みんながいなかったら、ここまで来れなかったよ。それにラーゼリオン王国で軍の裏任務を負ってきた奴隷兵の亡命は、評議会に対してのカードにもなる。心配しないで、うまくやるから」
そう言って微笑むサフィーネに、珍しくエリオットが真面目な顔で歩み寄った。
「サフィーネ」
「な、なに? 兄貴」
「ビスハの野戦料理は美味かったけど、そろそろ飽きた。都市連合のメシは美味いかな?」
「……大陸各国の名物料理をすべて網羅している、オリエンタルな食文化だそうよ」
「モウラ……オリエンタ……つまり美味いってことだな! よし、楽しみだ! 早く行こう!」
スタスタ歩き出すエリオットに、サフィーネはため息をついた。
その横で、エフォートは呟く。
「……一番の問題は、俺か」
「まあそうだね。ここじゃとんでもないアダ名がついてるよ、フォート」
「都市連合相手には、やり過ぎてきたからな。特に二年前は」
「仕方がないよ。やらなかったら、やられてた」
そしてサフィーネも死んでいた。
こうしてエフォートに恋に落ちることもなかった。
「大丈夫、私はあのハーミットの妹。この新しい舞台、踊り切ってみせるよ」
「……分かった。背中は任せてくれ」
「うん!」
そして一行は、
門を守る連合兵の中に、サフィーネやエリオットの顔を知る者がいたのだろう。列が進む前に、一個小隊にも劣らない数の兵士達が飛び出してきて、サフィーネ達を取り囲んだ。
「……動くな!」
「おお、けっこういい動きじゃん」
エリオットが感嘆した通り、兵士達は非常に訓練されていた。
前に出ている兵の後ろで、複数の魔術師も控えている。
その都市連合の兵たちが最も警戒していたのは、頑強そうなオーガ混じりの戦士ギールでも、業物であると一目で分かる宝剣を携えたエリオットでもなかった。
サフィーネは一歩前に出る。
「……門兵の皆様、先触れもなく突然の来訪、どうぞお許し下さいませ」
久しぶりのお淑やか王女モードで、スカートの裾を持ち上げて完璧な礼をする。
「私はサフィーネ・フィル・ラーゼリオン。こちらは兄のエリオット・フィル・ラーゼリオンです。供は二人連れて参りました。お騒がせして申し訳ございません」
敵対国家の王族が唐突に現れたことに、門の前に並んでいた一般の民たちは騒めく。
だが、サフィーネ達の顔を知っていた兵達はそんなことでは動揺しなかった。
そんなことよりも、全神経を集中しなければならない相手がいたからだ。
「そ、そんなことは分かっている! そこの……戦士ではない方の男!」
兵士達の中で最も階級の高そうな男が、構えた槍先をエフォートに向ける。
「貴様……名を名乗れ!!」
口を開こうとしたエフォートを、サフィーネはすっと手を上げて制した。
そして大陸中に鳴り響く優美可憐な美貌をもって、ニッコリと微笑む。
「ご紹介が遅れました。彼の名は、エフォート・フィン・レオニング。……いえ、そちらでは
僅かな沈黙の後。
遠巻きに事態を見ていた一般市民たちの一人が、悲鳴を上げた。
「きゃああああっ!!」
「ラ……ラーゼリオンの、反射の悪魔がなんでぇっ!?」
「一切の攻撃が効かない、魔族……!」
「逃げろ、殺されるぞ! 一人で軍に匹敵するんだろ? あいつは!!」
一斉に逃げ出す市民たち。
軍の兵士や魔術師たちは、逃げこそしないものの真っ青な顔色で怯えきっている。
「……そこまでか」
悪魔だの魔族だの言われ、一般市民たちには泡を喰って逃げられ、エフォートは割と本気で凹む。
「ほ……本物……なのか?」
「本物ですわ。少なくとも、後ろの魔術師さん達は顔をご存知のようですね」
サフィーネの指摘通り、兵士達以上に魔術師達はエフォートを見て、震え上がっている。
王女は何事もないかのように、また深く一礼した。
「お忙しいところ恐れいりますが、連合評議会副議長、タリア・ハート様にお取り次ぎ願えますでしょうか。ご迷惑にはなりませんよう、細心の配慮は払わせて頂きます」
本当に配慮するならば、最初に都市連合側の国境砦を訪ねてから、ここに来るべきだった。
だが国境の守りを連合軍に察知されることなく突破し、唐突に首都の目の前に出現しておいて、サフィーネはシレッと告げる。
「おとなしくしておりますから、どうかタリア様にお会いさせて頂くまで、余計な真似はなさいませんよう」
その見る者の背筋が寒くなる笑顔は、まさにハーミット国王と同じ血の為せるものだった。
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