79.エフォートVSリリン

 それは幼い頃の記憶。


「これより、リリン・フィン・カレリオンの王国民としての権利をすべて剥奪する! お前は家名を失い、一生この国に奉仕する奴隷となるのだ!」


 貴族だった父親が政争に敗れ爵位を失い、都市連合との小競り合いにおける敗戦責任を負わさせる形で、カレリオン家すべての奴隷落ちが決まった。

 そしてこの日、王国から管理を委託された奴隷商の元にリリンを連行する為、王国の兵士たちが家にやってきたのだ。


「やめろっ、リリンをどこに連れていく気だ!」


 騒ぎを聞きつけて、幼馴染の少年が家に飛び込んできた。

 だが、あっという間に兵士たちに取り押さえられる。

 

「くそっ! 放せ!」

「暴れるんじゃない坊主! いくらレオニング家の長男とはいえ、これ以上の邪魔だては許さんぞ!」

「うるさい! リリンを奴隷になんか、絶対させるもんかっ!」


 兵士に向けて突き出された少年の掌に、炎が灯る。


「このガキ、無詠唱でファイアーボールを!?」

「ダメぇっ! エフォート!!」


 リリンはあらん限りの声で叫んだ。

 驚いたエフォートは、魔力の集中がまだ甘かったこともあり、せっかく発動した火魔法を消失させてしまう。


「リリン、なんで」

「魔法を使っちゃダメ! この人たちに逆らわないで!」

「でも、このままじゃ」


 正義感に溢れる幼馴染の少年は、たとえ自分がどうなってもリリンを救う為に暴れるだろう。

 そして少年も同じように罰され、最悪の場合はリリンと同じ奴隷落ちだ。

 それだけは絶対にさせてはならなかった。 


「エフォート、王国に逆らったらあなたまで罰を受けるのよ!?」

「構うもんか、リリンだけは僕が絶対に守る!」


 どうすればいい。

 どういえばこの無謀な少年を止められる?

 もともと知恵の回らないリリンは、それでも必死で考えた。

 このあと隷属魔法をかけられ、永遠に自由が奪われるというのに。

 リリンは幼馴染の少年をどうすれば巻き込まずに済むかだけを、必死で考えていた。


「……エフォート、助けて!」

「もちろんだ、リリン! 今度こそっ、ファイヤー……」

「違うの聞いてっ!! 今のエフォートじゃ大人たちに勝てない! だからもっと強くなって!」


 少年の動きが止まった。すぐに兵士たちが、改めて少年を拘束する。

 茫然としているエフォートに、なおもリリンは呼びかけた。


「それでエフォートは、この国で偉くなって! そしたらあたしを買い取って、自由にしてほしいの!」

「リリン……?」

「それができるのは、あなただけ! エフォートは天才なんでしょう? こんなところで暴れて……未来をなくさないで!」


 幼馴染の少年は雷に打たれたように、リリンをただ見つめていた。

 最悪の事態は免れたようで、リリンはホッとする。


「気が済んだか? じゃあ行くぞ」


 兵士が乱暴にリリンを拘束し、外へと引っ張り出した。

 これでいい。これで幼馴染の少年を巻きまなくて済んだ。

 気が抜けた途端に、まだ幼いリリンを猛烈な絶望感が襲う。

 奴隷。

 もう自由はない。

 他人の、国の、道具になるのだ。

 もう二度と、あの頑固だけど可愛い幼馴染と笑いながら野山を駆け回ることはない。


「――リリン!!」


 少年が飛び出してきた。

 涙を流しながらリリンは振り返る。

 幼馴染の少年は――ひとりの男の顔をしていた。


「約束する! 僕はこの国で最強の魔術師になる! そして必ず、リリンを自由にするから!」

「……うんっ!」

「必ずだ! 必ず迎えに行く! 信じて、待っていて!」


 そして。

 少年は宣言通り、王国軍に入隊し異例の早さで出世した。

 どれだけの努力を重ねたのだろう。

 初陣にして、リリンが所属した剣奴部隊を含む一個小隊を任せられる立場にまでなっていた。

 信じられる。

 彼のことなら、絶対に信じられる。

 約束を守ってくれる。


 そう、


 信じていた、


 はずなのに。


(どうして、こんなことに)


 ***


「リリン」


 背後からの声に、リリンは足を止めた。

 夜の静寂。やわらかい風が木々を抜ける。


「……どうして、追ってきたの?」


 振り向かないまま、リリンは問いかけた。

 追ってきてほしかったくせに。

 だから、すぐにシェイドを使わなかったくせに。


「約束をしたからだ」


 迷うことなくエフォートは答えた。


「リリンは覚えていないかもしれないけど、俺は君に約束したんだ。最強の魔術師になって、必ず自由にすると」


 震える。

 手が、足が、心が、震える。

 リリンは振り返った。


「あー……そういえば、そんな約束してたっけ。忘れてたよ」


 それは本当だった。

 シロウの元に行ってから。

 リリンはエフォートとの約束のことなど、すっかり忘れていたのだ。


(どうして)


 どうして忘れてしまっていたんだろうと、リリンは悔いる。

 エフォートは片時も忘れることなく、あんな酷い誤解をして彼の元を去った自分を助けるために、必死で努力し続けてきたのに。

 そのエフォートは、忘れていたと言われても動じることなく、小さく息を吐いた。


「それでもいいよ。俺は俺で、約束を果たすだけだ」


 そして迷いを捨てた表情で、リリンを正面から見つめる。


「……リリン。これから君を、シロウの奴隷から解放する」

「結構よ。余計なお世話って言葉、知ってる? あたしはこれからシロウのところに帰るの。この奴隷紋は彼との繋がり。必要のないことしないで」


 声が震えてなければいい。

 ちゃんと憎たらしく聞こえるように、話せていればいい。

 リリンは平穏の精霊エントの力をさらに強くして、自分を平静に保った。


「……エルミーから聞いた」

「えっ?」


 不意にエフォートが告げた言葉に、リリンは凍りつく。


「エルミーと別れる前に話をしただろう? その話を聞いたんだ」

「どっ……どこまで聞いたの!?」


 闇の精霊・ケノンを発動する。

 彼がどこまでを知っているのか、〈精霊の声〉で確認する為だ。

 しかし。


「――っ!?」

「無駄だ、反射してるよ。今の俺に精霊術は効かない」


 冷や汗が流れる。どこまで知られているのか。

 恐れるリリンに、エフォートは一歩足を進めた。


「リリン、今の君はシロウの命令を破って罰則術式が常に発動している。そしてエントで痛みを抑えているというが、それは嘘なんだろう?」

「……」

「精霊の力で平静を装っているだけで、本当は耐え難い痛みにずっと襲われてるはずだ。違うか?」


 リリンは視線を逸らさない。

 認めてはダメだ。それを認めたら、この不器用で心優しい幼馴染は。


「馬鹿にしないで。あたしはエルカードなんかよりよっぽど上手く、エントを使えるのよ? エルミーに何を言われたのか知らないけど、勝手に決めつけないで」

「ならばなぜ、エルミーの痛みを抑えてやらなかった」

「エルミーはシロウを裏切ろうとしていた。そんな彼女をどうして助けなきゃいけないの? あたしはそんなお人良しじゃない」

「あんな顔をしていて、よく言うよ」

「どんな顔? いつまでも幼馴染面して、あたしのこと分かった気でいないで」


 平穏の精霊エントの力がなければ、単純なリリンの感情など容易く見抜かれていただろう。

 いや、それともこの反射の魔術師はとっくに見抜いているのか? リリンには判断がつかない。


「……そうだなリリン。俺とお前の幼馴染の関係は、今日で終わりだ」


 エフォートは呟き、そして右掌をリリンに向けた。


(隷属解放の魔法だけは、受けちゃダメだ!)


 魂魄快癒の魔法は、本人にその意思は無くともその分の魔力を消費すれば、効果を発揮するという。

 リリンは剣を抜いた。

 シロウに渡された、反射を無効化する力を持つソードを。


「やめて、エフォート」

「やめない。俺は約束を守る」

「何の為に? ……あたしの事に決着をつけて、あのお姫様と仲良くやっていく為でしょうッ!!」


 その叫びに、エフォートの顔が強張った。

 リリンは続ける。


「何度も言うけど、馬鹿にしないで。あたしだって……あたしにだって、あんたの気持ちくらい分かるんだから!!」


 再会してから長い時間ではなかったが、それでも分かった。

 エフォートが、いかにあのラーゼリオンの王女を大事に思っているのか。

 もうとっくに、幼馴染の少年の心の大部分を占めている存在が、変わってしまっていたことを。


「……魔旋!」


 ソードの周りに、高速回転する魔力の渦を発生させた。

 そのまま裂空斬を放てば、いかにエフォートでも簡単には防げないはずだ。

 反射壁を何重にも叩きつける〈リフレクト・ブラスト〉なら一時的に止められるかもしれないが、魔力消費も大きいらしい。

 その状態で隷属解放の承継魔法までは使えないだろうとリリンは考えた。


「エフォートの自己満足に、あたしを巻き込まないで! あたしはシロウとの繋がりを消さない。あの可哀想な人を、あたしは絶対に見捨てちゃいけないんだ!」


 そのまま剣を構えるリリン。

 エフォートは問う。


「ならどうして、すぐにシェイドを使って消えなかった! 俺に助けて欲しかったからじゃないのか!?」

「っ……!」


 痛いところを突かれて、リリンは反論できない。

 エフォートはなおも畳み掛ける。


「どうしてそこまで、シロウに拘る? あの男がそれほどの男か? 聖霊獣エル・グローリアと戦った日、お前にどうしてそこまでするのかと聞いたら、俺には分からないと言ったな。どういう意味だ!?」

「そのままの意味よ。あなたには分からない。……あなたにだけは、分からない」

「話せ! 理由を!」

「あなたにだけは言えない」

「……なら、力づくで聞き出すだけだ」

「あんたにできる? あたしは強くなった」

「俺もだ」


 幼馴染の二人の間に。

 一陣の風が、巻いた。


「……〈リフレクト・シャクルス〉!」

「ちっ!」


 リリンの想像を越える速さで魔法が展開され、リリンの片脚は反射の足枷で封じられた。

 即座に魔旋の一撃で枷を砕くリリン。

 だが剣士と魔術師の戦いにおいて、初手を魔術師が取った事ですでに勝敗は決していた。


「〈アイシクル・ランス・クルセイド〉!!」


 早々に間合いを詰めなくてはならなかったリリンは、上空から降り注ぐ氷の槍に行く手を阻まれる。


「くっ……裂空斬・嵐!」

「遅い、〈ペリディジョン・マッド〉!」


 リリンの足元が一瞬にして泥沼に変わる。リリンならばその沼を剣撃で吹き飛ばすことも可能だったが、上から降り注ぐ氷の槍がそれをさせてくれない。

 人族離れした脚力で跳躍することもできず、剣士は魔術師との間合いを詰められない。

 その隙にエフォートは、聖霊獣の角の欠片戦略級魔法の触媒を取り出して魔術構築式スクリプトを展開し始めた。


「いっ……同時にいくつの魔法を!?」


 彼の狙いを察したリリンは焦るが、エフォートは淡々と構築式を描き続ける。


「承継魔導図書をひとつ解封した。構築式無限並行展開《マルチ・スクリプト・

エクスパンド》。理論上、魔力さえ続けば際限なく多種の魔法を同時発動できる。もともと制限付きで似たような事はできたが、その制限が無くなった」

「そんなの……それこそチートじゃないっ!」

「苦労して手に入れた承継図書チートだ。なんの苦労もなく転生で力を得たシロウと、一緒にしないでくれ」

「あの人だって代償を払ってないわけじゃないッ! 魔旋・裂空斬! 雷破鷲爪ォッ!!」


 リリンは防御を捨て、聖霊獣にもダメージを与えた剣の奥義を魔旋を乗せて放った。


「なら、その代償を教えてくれ! リリンがあの男を捨てられない理由を!! 爆ぜろ〈グロリアス・ノヴァ〉!!」


 属性変容する爆発魔法が収束して、リリンの剣撃を迎え撃つ。

 刻々と変わっていく属性に、魔旋の回転は乱されていった。

 ピシ、ピシとソードにヒビが入っていく。そして。


「か……勝てない……!」


 心の奥底では迷いの中にいたリリンが、どんな形であれ覚悟を決めていたエフォートに勝てるはずもなかった。


 バキィィン!!


 魔旋の剣は砕け散る。

 さらにエフォートの意思で威力をコントロールされた爆発が、栗色の髪の剣士を襲った。


「きゃああっ!」

「よし……あるべき姿に還れ、魂よ!」


 エフォートの右掌に、蒼く輝く光が集まる。


「くっ……やめてエフォート、お願いだから!!」

「忌まわしき呪縛よ、消え去るがいい!……〈魂魄快癒ソウル・リフレッシュ〉!!」

「いやああああっ!」


 蒼光の柱がリリンを中心に、屹立した。


 ***


「あの光はっ!?」


 見覚えのある色の光柱が夜空に立ち昇り、ルースが叫ぶ。


「……フォート」


 サフィーネは更に拳を強く握りしめた。

 その震える手を、ミンミンの小さな手が優しく包んでくれる。


「お姫様……」

「ありがとうミンちゃん、大丈夫だよ」


 そしてサフィーネは、指先で自分の唇にそっと触れた。


 ***


 シロウ・モチヅキの精神は、限界を迎えていた。


「エルミーも! リリンも! 帰ってこねえ! テレサも、ニャリスも、連絡がつかねえ!! みんなっ……みんなオレを捨てたんだ、結局この世界も、オレを認めねえんだぁっ! ああああっ! クソがああああっ!!」

「坊やっ」


 シルヴィアが暴れるシロウ抱え込んだ。その豊かな胸に、金髪の頭を埋めるようにかき抱く。


「妾がおる! 妾はいかなる時もそなたを見捨てぬ! 皆も……皆も必ず帰ってくるのじゃ!」

「嘘だ! 嘘だ嘘だ!! オレは世界に必要ねえんだ、みんなオレがいなくなっても、誰も気にもしねえんだぁっ!!」


 シロウの尋常ではない握力が、シルヴィアの腕を握り潰した。

 肉は潰れ骨は砕け、吸血鬼の腕は引き千切れる。

 それでもシルヴィアは、シロウを抱き締めることを止めなかった。


「シロウの坊や……すまぬ、妾が甘かったのじゃ。妾と同じ苦しみを抱くそなたを、自由にさせ許し続けることが、坊やにとっても歪んだこの世界にとっても、正しいことと錯覚しておった」


 吸血鬼の真祖の瞳が、血の色に輝く。

 瞳術・催眠眼。

 我を忘れているシロウはレジストもできずに、シルヴィアの術中に囚われていく。


「あ……あ……シルヴィア? な、何を……」

「共に乗り越えようぞ、過去を、トラウマを。そうしなけば我らは、先に進むことはできぬ。あの反射の魔術師に勝つことは適わぬ」

「うあ……うああああああああああああああ!?」

 

 魂が、過去の記憶に取り込まれていく。

 シロウのこれまでにない絶叫が、砦中に響いた。


 ***


 エフォートが放った光の奔流、その中でリリンは必死に抵抗していた。

 蒼く清らかで心地よい光が、自分の魂に絡みついている戒めを解いていく。

 

(ダメだ……ダメだ! このまま楽になってはダメなんだ! 知ってしまったんだ、あたしは!)


 リリンは呪う。

 前世にまで遡り、 彼の魂の声を聞いてしまった精霊ケノンの力を。

 そして宿命を。

 女神の悪辣さを。


(なかったことには……できないんだ)


 望月史郎との出会いを。

 その過去を。

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