78.本当の想いは言葉にされない

「くううっ……あああ!」


 村の集会所の一室で。エルミーはエルカードに抱かれながら、罰則術式の痛みに苦しんでいた。

 扉を開けたリリンが、慌てて駆け寄る。


「エルミー!」

「うう……こんなの、耐えられなっ……リリン、リリン助けてっ……! 平穏の精霊エントをっ……ワタシにっ!」

「! ……それは……」


 エルミーは、リリンが自身に発動している罰則術式を精霊術で抑えていると言ったのを覚えていたのだ。

 だが実際には、平穏の精霊エントは平静を装うことができるだけで、痛み自体を軽減できない。

 今のエルミーに術をかけても無意味なのだ。

 リリンが困っているところに、エルカードと目が合った。

 エルカードは優し気に微笑む。


「エルミー大丈夫だよ、もうすぐエフォートさんが来る。隷属解除の魔法の前に違う精霊術にかかっていたら、どんな影響があるか分からない。今は我慢して」

「あああっ……我慢なんか、できない痛み……だから、罰則なのにっ……!! リリン!」


 絶叫するように名を呼ばれ、リリンはビクンと肩を震わせる。


「やっぱりっ……あぐうっ……平穏の精霊エントじゃ、痛みを、抑えられっ……ぐっ……ないんだねっ……?」


 気づかれた。リリンは顔を背ける。

 エルカードは最初から気づいていたのだろう、何も言わなかった。


「こんなにっ……痛いのにっ……うああ!! ……どうして、リリンは」

「あ、あたしは」


 そこに、エフォートがサフィーネを連れてやってきた。

 他のメンバーはついてきていない。

 また王国の手の者たちの襲撃がないか、外で警戒している必要があった。


「エルミー。シロウの元から離れる覚悟が決まったか」


 冷静な声で問いかけるエフォート。

 エルミーは血走った目で苦痛に顔を歪めながら、睨み返した。


「そんなの、見れば……分かるでしょっ! ……うああっ!! は……早く!」

「いや、はっきり口にしてくれ。本人に強い意志が無ければ、魂魄快癒ソウル・リフレッシュは膨大な魔力を消費してしまう。さっきの戦いでもかなりの魔力を使った。何があるか分からない国境越えを控えている状況で、これ以上の消耗は避けたい」


 エフォートは冷静に徹する。そうしなければ、決意が揺らいでしまいそうだからだ。

 対して痛みで余裕のないエルミーは絶叫した。


「わ……ワタシは、もう、無力だっ!! ぐううっ……モチヅキ様の役に、立てないしっ……それにっ……!」

「それに?」

「……弱い勇者に、用はないんだっ!! ワタシと、モチヅキ様は、等しく価値がない!! だからもう、奴隷でいる意味は、ないんだっ!!」

「素直で結構だ。美辞麗句を並べ立てられるより、余程信用できる」


 エフォートはすっと右掌を掲げた。

 魔力を手中させ、承継魔法の魔術構築式スクリプトを組み上げていく。


「あるべき姿に還れ、魂よ、忌まわしき呪縛よ、消え去るがいい!〈魂魄快癒ソウル・リフレッシュ〉!!」


 蒼い光が迸り、エルミーに流れ込んだ。


「ああ……あ……」


 エルミーの胸から奴隷紋が消え、痛みが和らいでいく。


「これで……自由、だ……」

「ん? エルミー、お前まさか」


 あまりにも軽い魔力消費とエルミーの態度に、エフォートはある疑念が浮かんだ。


「もしかして、最初から隷属解放される為に、一人で俺たちに挑んできたのか?」

「えっ!?」


 驚くサフィーネ。


「……そんなわけ、ないじゃない」


 エルミーは顔を背けた。

 エフォートは後ろに立っているエルカードの、わざとらしくトボけた表情を見て全てを察する。

 サフィーネも同じく、深いため息をついた。


「はあ……このエルフにまで、してやられたんだ。私たち」

「なんのこと?」


 額を押さえるサフィーネに、エルミーはシレッと尋ねる。

 エフォートが睨みつけた。


「とぼけるな。俺たちを倒して承継図書を取り返せればそれで良し、たとえ負けても、ルースやミンミンのようにシロウの元から逃げられるという魂胆だったんだろう」

「だから、そんなわけ、ないでしょ?」

「まあ、エルカードの行動は計算外だったようだがな。無力な精霊術士」

「……くっ」


 若干のドヤ顔まで見せたエルミーだったが、エフォートの皮肉にすぐ絶望の底に叩き落とされ、エルカードを睨んだ。


「すまない、エフォートさん」


 そのエルカードが、深く頭を下げる。


「エルミーには僕が必ず、罪を償わせる。この返しきれない恩も返す。その為にも……僕はエルミーと二人で、贖罪の旅に出ようと思うんだ」

「は? は? ちょっと待って、何それ」


 エルミーが焦って、エルカードに掴みかかる。


「どうしてワタシが、あなたと、旅なんか」

「おや? いいのかいエルミー。僕が七大上位精霊グレート・セブンを持ったままで」

「そっ……それは」

「エルフの谷に戻っても、僕たちの居場所なんかない。かといってこの国で定住なんかしたら、いつ王国やシロウの手が伸びてくるか分からない。だから、世界を旅しよう。その中でエルミー、君は償い、学ぶんだ。君の考え方がいかに浅くて、そして傲慢だったのか」

「……」


 エルミーはエルカードを突き飛ばして、背中を向けた。

 だが元恋人の言葉を、否定はしなかった。


「それでいいかな? エフォートさん。王女殿下」


 エルカードが二人に許可を求める。

 なにしろ、これまでエルミーがもっとも迷惑をかけた相手なのだから当然だ。

 もちろんエフォートの反応は冷たい。


「その女は、あわよくば俺たちを殺そうとしておいて、さらに利用したんだ。なのにそんな自分勝手で都合のいい話が、通ると思うか?」

「それは、確かにそうなんだけど」


 厳しいエフォートの言葉に、エルカードは平身低頭だ。

 エフォートは続ける。


「……残念だ。俺たちはお前らの動向に構っている暇はない」


 サフィーネが吹き出した。


「おい、サフィ」


 エフォートに抗議めいた視線を送られるが、サフィーネは笑ってエルカードに告げる。


「気にしなくていいみたいだよ、エルカードさん」

「誰もそうは言ってない」


 エルカードはまた深く頭を下げた。


「本当にすまない。魔王と戦う時には、必ず力を貸すと約束するから」

「あてにはしない。せいぜいエルミーを教育し直せ」

「お説教の旅だね」

「ふん」


 エルミーは壁を見つめたまま、最後までエフォートたちに隷属解放の礼を言うこともなかった。

 だが。


「……旅に出る、前に。リリン、話があるの」

「……うん」


 エルミーの呼びかけに、リリンは頷いた。


 ***


 ラーゼリオンの王都。

 強大な国家の城下町として繁栄し、煌びやかな街並みが広がっている。

 だが、光には必ず影がある。

 太陽の光の下で権利を行使し、豊かな日常を送る者たち。

 その影に蠢く、権利を剥奪され光から隠れて生きる者たち。

 影が集まり具現化したようなその組織を、自らの野望の為に手足とする男がいた。


「ついに手に入れた。世界を変革する力だ」


 その男は、誰に知られる事もないラーゼリオンの地下施設にいた。

 通信魔晶で組織の末端から任務完了の報告を得て、ほくそ笑む。

 そして地下の一角、隠された工房へと移動した。


「捗っているかな? 親方」

殿でんッ……陛下!?」


 突然声をかけられて驚く髭面の男に、ハーミットは人差し指を口に当てた。


「静かに。ここには陛下と呼ばれるような者はいないよ」

「しっ……失礼しました」


 工房のトップである男は、冷や汗を流しながら何度も頭を下げる。

 ハーミットは薄く笑った。


「そんなに恐縮しなくていい。それより状況はどうかな? 正規の鍛冶ギルドに協力させ始めてから、それなりの時間は経ったけれど」

「は、はい……正直申し上げて、前回ご報告した以上の進展はありません。そもそもサフィーネ殿下から依頼された時点で、我々としてもできる限りのことはやっていたのです。新しい情報がない中でこれ以上は……」


 ハーミットから親方と呼ばれたこの男。

 実はサフィーネが、解読されたライトノベルから得た知識で「銃」の製作を依頼していた工房の者だった。

 妹の動向を水面下で追っていたハーミットは、サフィーネがこの工房と組んで密かに何を研究していたのか、早期に掴んでいたのだ。

 泳がせていたサフィーネが国を出てすぐに、ハーミットは自ら工房を掌握。

「銃」の有用性を確信していた彼は、国力を投じて開発を急がせていた。

 ハーミットは作業台に並べられていた鉄の筒を手に取る。


「バレルの精度については、鍛冶ギルドの製鉄技術の最高機密トップシークレットを開示させたから、解決したんだろう?」

「ええ。躓いているのは、やはり弾丸に使用する火薬です。必要な素材が分かっていても、その配合率が何度試しても分からないんです。どこかで決定的に、考え方を間違えているとしか思えません」

「サンプルが手に入ったとしたら、どうかな?」

「……サンプル、ですか」


 親方の反問に、ハーミットはニコリと笑う。


「実際に使用可能な、未使用の弾丸だ。我々が作ろうとしているモノの遥か雲の上のような、超高性能な銃の弾丸ではあるけれどね。銃本体も手に入った。大いにヒントになると思うよ」

「ほ……本当ですかそれは! それなら確かに、飛躍的に開発は進みます!!」


 親方は高揚する。

 サフィーネが信頼してライトノベルの情報を渡していた男であったが、技術者としての好奇心と、ハーミットが提供する潤沢な開発資金と鍛冶ギルトの秘匿技術の公開に、すっかり新国王に転んでしまっていた。

 ハーミットは笑う。


「サンプルは明日にも王都に到着する。どれだけ劣化版でも構わないから、まずは試作品を仕上げてくれたまえ。量産体制は既に整っている」

「えっ……し、試作品もまだなのに、ですか?」

「魔王が復活するまで、あとどれほどの時もない。その前に決着をつけておかなければならない存在もあるしね。できることはできるうちに、しておくのさ」


 呆気に取られている親方を置いて、ハーミットは工房を後にした。

 そして、そのまま地下の秘密の通路を従者も連れずに一人歩く。

 辿り着いたのは、陽も差し込まぬ地下でありながら多くの篝火が焚かれて昼間のように明るい、ドーム状の広い空間だった。

 地下空間を支える柱には、華美ではないが荘厳な装飾まで施され、古くから存在する施設であると分かる。

 誰もいないその空間の中央まで、ハーミットが歩いたところで。


「作戦の成功、おめでとうございます」


 唐突に男の声が響いた。

 祝いの言葉であるのに、その声の印象は異様に冷たい。

 死神の声だと言われても誰もが納得するだろう。


「このくらい、なんてことはないよ。どうやらサフィーネは慣れない長旅で疲れているようだ。実に私の思い通りに踊ってくれる。 ……ところで」


 どこからともなく響いた冷酷な響きの声にいささかも驚くことなく、ハーミットは応じる。


「そちらの進捗はどうかな? なんの進展もないとは思いたくないけれど」

「〈ライト・ハイド〉を見くびらないで頂きたいですな、陛下。まもなく自分たちの足で、ここに参りますよ」

「ということは、成功したんだね?」

「それは陛下ご自身で確認を」


 声に促され、ハーミットは地下空間の自分がやってきた方角と反対方向を見た。

 コツン、コツンと複数の足音が響く。

 闇から浮かび上がるように篝火に照らし出され現れたのは、一人の騎士と一人の獣人。

 騎士は白銀のプレートメイルを纏い、獣人は曲刀を装備した、ともに女性だ。

 二人は一言は話さず、ただ何もない中空を見ているかのように目も虚ろ。

 ただハーミットの前で立ち尽くしている。


「……素晴らしい」


 ハーミットが感嘆の声を上げた。

 冷たい声は、笑ったかのような吐息を漏らす。


「隷属魔法が改竄できないなど、もはや過去の常識。そして本人の意思に関係なく、行動を操ることまでできる」


 冷たい声の主は姿を見せないまま、それでも僅かな高揚を感じさせる口調で滔々と喋り続ける。


「これも陛下が国王となり、魔術研究院と教会が秘匿していた魔法技術を流してくれたお陰ですな。特に、魔術研究院がここ数年研究していた隷属解除の魔法。あれの研究結果が大いに役に立った。研究者の意思とは真逆の使われ方だろうに、陛下は非道なお方だ」

「それはまるで、私が主犯のような言い方だね」

「否定されるのですかな?」

「いや……手段を選んでなど、いられないからね」


 ハーミットは呟く。


「サフィーネは予定通り、都市連合へと亡命するだろう。大義名分は整い、状況は次の段階に進む。……こちらも新しい兵器の目途がついて、進歩した隷属魔法で奴隷兵たちの運用も格段に効率化できるだろう。少しは勝ちの目が出てきたかな」

「これで少しは、ですか。怖いお人ですな」

「君に言われたくはないよ、ラーゼリオンの怨霊にね」


 笑うハーミット。

 その表情は、自らの手を汚す覚悟を決めた妹にとてもよく似ていた。


 ***


 エルミーを連れたエルカードと別れ、村を出発してから二日後。

 エフォート達は国境付近に陣を張る王国軍のすぐ手前まで到着していた。


「リリン、頼むぞ」

「約束は守るわ、エフォート。……シェイド、全力でお願い。ケノンもエントも協力してね」


 リリンは闇と平穏の精霊を使役し、術者と任意の対象の気配を消す〈フォビドゥン〉を発動させる。

 多くのビスハ兵を含む総勢三百余名の姿と気配が、完璧に掻き消えた。

 精霊術であるがゆえ、王国軍が常時発動させている魔術師による〈インビジブル〉対策では対応できない。


「すごいな……本当に見えてないんだ、こいつら」

「これが、精霊術……!」


 ビスハ兵たちは驚愕しながら軍の陣地を静かに抜けていく。

 そして、そのまま都市連合との国境も突破。

 ついに、エフォートとサフィーネはラーゼリオン王国からの脱出を達成した。


「……ここまで来たら、大丈夫だね」


 都市連合の領土内、まだ深い山奥で、リリンは術を解除した。

 連合側の国境砦からも離れ、まだ街も集落も遠く人の気配はまったくない。

 夜も更け、一行はここで一晩を明かす予定だ。


「じゃあ、あたしはここまで。ラーゼリオンに戻るわ」


 リリンは手をひらひらと振って、エフォート達に背を向ける。


「あたしが言うのも変だけど、せいぜい頑張ってシロウより先に魔王を倒してね」

「……」

「……」


 ビスハの者たちはキャンプの設営を始めていて、リリンを見送っているのはエフォートとサフィーネ、エリオット。そしてルースとミンミンだ。

 誰もが、空気を読めないエリオットまでもが、エフォートとサフィーネの内心を思って口を開けずにいる。


「じゃあね、バイバイ」


 リリンは振り返ることもなく、歩き出した。

 残された一同は、誰も何も言わない。

 その沈黙を破ったのは。


「……フォート」

「……」

「リリンさん、行っちゃうよ」

「……俺は」


 サフィーネの言葉に、エフォートは拳を強く握る。

 リリンの背中はどんどん遠くなる。

 闇の精霊シェイドを使われたら、いかにエフォートでも追跡は困難だろう。


「サフィ、俺は」

「ごめんフォート。私からは何も言えない。本当は『行って』って言うべきだって、分かってるのに」

「お姫様、そんなことない!」


 ミンミンが、飛びつくようにサフィーネに抱きついた。

 そしてエフォートをキッと見つめる。


「お父さ……レオニングさん。お願いだからお姫様を泣かせないで」

「分かっているミンミン、だから俺は」

「違うよレオニング」


 エフォートの言葉を遮ったのはルースだ。


「お前がリリンに心を残したまま旅を続けるなら、それはお姫さんを泣かせ続けるってことじゃないのか?」

「ルース……?」

「アタシに言えた義理じゃないけど、後悔しない選択をしなよ。それがきっと、お姫さんの為にもなるんじゃないのか」

「黙って、ルース」


 サフィーネは俯きながら、絞り出すように声を出した。


「お願い、これはフォートに決めさせて」

「……そうだね。余計なお世話だった、ごめん」

「お姫様」


 ルースは詫びて、ミンミンも王女の傍らから離れた。

 エリオットは何も言わず、言えず、苦しそうな妹の背中をただ見ている。


「……サフィ」


 やがてエフォートも、俯くサフィーネを見つめて絞り出すように声を出した。


「なあに、フォート」

「もう二度とこんな機会は、ないかもしれない。だから……過去に決着をつけてくる」

「うん」

「待っていてくれ」

「うん、待ってる。いつまでも」

「いつまでもって……大丈夫だ、すぐに戻るから」


 もう森の中へと入り、姿が見えなくなったリリン。

 その方角に向かって、エフォートは駆け出した。

 サフィーネは、その背中を見ない。

 ただ俯いて、消せない不安に耐えていた。


「お姫さん」

「お姫様」


 ルースとミンミンが、震えているサフィーネに駆け寄る。

 遅れてゆっくりとエリオットが歩いてきて、妹の頭に手を置いた。


「……心配すんな、サフィーネ。エフォートは『過去に決着つけてくる』って言っただろ? つまりリリンちゃんはもう、あいつにとって昔の女ってことだよ」

「……怖い」


 サフィーネが呟く。

 エリオットはガシガシと妹の頭を撫でた。


「大丈夫だってば!」

「違う。なんだかまともな事を言ってる、兄貴が怖い」

「えっ? それどういう意味?」


 きょとんとしているエリオットに向かって、サフィーネは笑う。

 カラ元気だ。それでも笑うことができた。


(……大好きだよ、フォート。君がどんな選択をしても、私は君が好き)


 だから不安に思うことはない。

 サフィーネは異国の夜空を見上げ、ただひたすらに、想い人の帰りを待つことにした。

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