75.「あなた、バカなの」
昼前に、キャンプの撤収を完了。
都市連合との国境に向けて、エフォート一行は移動を開始した。
多くが熟練の者とはいえ、ビスハ兵は総勢で三百余名。その移動は簡単ではない。
まずは国境付近に辿り着くまで、五日は見込まれた。
それでも歩兵中心の軍隊と考えれば驚異的な速さではあるが。
「五日か……。サフィ、ハーミットは手を出してくると思うか?」
「可能性は高いと思う。シェイドを破られるとは思わないけど、狙われるとしたら補給の時かな」
「そうだな。魔力を消費するのはやっかいだが、保険もある。行軍の間に少しずつでも、承継図書の解封を進めておくべきか」
切れるカードは多い方がいいと、サフィーネも頷く。
歩きながら、エフォートとサフィーネは様々な相談を続けていた。
行軍はビスハ兵たちが縦列隊形を取り、先頭にエフォート、サフィーネ。
中心にリリン、ルース、ミンミン、ギール、エルカード。
殿にガラフ、ミカ、エリオットが配置されていた。
中心にいるリリンが闇の精霊・シェイドの精霊術を用いて全体に隠蔽の魔法をかけている。
その為に行軍はとても順調で、途中で魔物の群れや野盗に遭遇しても、三百余名のこの集団は相手に気づかれることなく、やり過ごすことができていた。
初日の行程は予定通り。
夜は山に入って遮蔽物の多い場所で簡易キャンプを張った。
「じゃ、あたしはまた明日の夜明け前に戻ってくるから。見張りはしっかりね」
「待ちなよ、リリン」
夜、一人キャンプを離れて行こうとするリリンを、ルースは呼び止めた。
「なに?」
「おまえ、昼間はずっと喋らなかったけど。精霊術って黙ってないと使えないの?」
「そんなことないけど」
「じゃあ、もっと話そうよ。とりあえず今夜はアタシと同じテントに」
「ダメよ」
リリンはルースの誘いをあっさり断る。
そして、少し離れた場所でこちらをじっと見ている、ミンミンに視線を移した。
「怖い女の子も見張ってるしね。あたし本当は、ここにいちゃいけない人間だから」
「そんなことは」
「だからあたしとあまり話さない方がいいよ、ルース。でないとあなたも、エフォート達とやり難くなる」
「リリン」
迷いなく淡々と話してから、リリンは振り返ることもなくキャンプを去っていった。
二日目も、前日同様に大きなトラブルはなく、行軍は予定通りに進行。
そして三日日のことだった。
いつもと変わらず同じ隊列で進んでいる途中、ルースが一人で、先頭のエフォートたちのところにやってきた。
「リリンが疲れている?」
「そうなんだ。これはアタシだけの意見じゃない。エルカードさんも同じことを言ってる」
行軍中ずっと、精霊術による隠蔽を続けているリリン。
今回の作戦、要は彼女だ。
そのリリンが本調子でないということは、無視できない事柄だった。
「ねえフォート。精霊術ってそんなに魔力を消費するの?」
「いや、俺たち魔術師の使う魔法と比べたら、燃費はむしろいい方だ。精霊の活動は大気中のマナをエネルギー源としていて、術者の魔力は精霊の召喚・命令に使われるだけだ。常時発動の精霊術は初めこそ使う魔力は大きいけど、ウロボロスの魔石まで使ってそこまで疲労するものなのか……?」
リリンはシロウから渡された通信魔晶用の魔力増幅魔石を使用していたはずだ、とエフォートは首を傾げる。
そういうことじゃないんだ、とルースが口を開いた。
「多分あいつ、寝てないんだ。昨日も一昨日も夜はキャンプを出てって、明け方に戻ってくる。ちゃんと食ってもないと思う。昼間の食事休憩の時も、端っこの方で座って水飲んでるだけだったし」
「……」
戸惑うエフォート。彼はリリンとまともに話をしていない。
エルフィード大森林を出発する際に、必要なことを簡単に打ち合わせただけだった。
「ミンちゃんも一緒だったよね。あの子はなんて言ってるの?」
サフィがルースに問いかける。
「ミンミンは何も言ってない。けど、あれだけリリンを見張ってるんだ、気づいてないはずがない。実際、アタシが持ち場を離れてここに来る時、ミンミンは何も言わないで引き止めもしなかったし」
ミンミンもリリンの不調を感じ、なんとかしようとするルースを止めなかったということだ。
エフォートは考え込む。
「……フォート、ここは私に任せて」
「サフィ」
「なに? その不安そうな顔。大丈夫だよ、うまくやるから」
サフィーネは小さく笑うと、ルースと一緒に隊列の中央へと向かった。
「お姫様!」
ミンミンがタタッと駆けてくる。
その表情は暗く、後ろめたさが感じられた。
報告すべきことを報告しなかったと、自覚しているのだ。
「ごめんなさい。明らかな不調なら伝えたんだけど……タイミングを逃しちゃったって言うか……」
「ううん。私がミンちゃんに気を使わせちゃったんだ、こっちこそごめん」
リリンは、ビスハ兵が引いている荷馬にまたがって精霊術を行使していた。
馬上の彼女の目は虚ろで、時折、頭がグラッと揺れる。
横で精霊術の行使状況をチェックしているエルカードは、いつ落馬するかとハラハラしていた。
「……想像してたより悪い、ね」
サフィーネは呟く。
今ここでリリンに潰れてもらっては困る。
なにせ、都市連合への亡命に支障を来すのだ。
国境の王国軍を無事に抜けることができないから。
だから仕方がない。
彼女のケアするのは必要に迫られているから仕方がないのだ。
サフィーネはそう、自分を納得させた。
***
「補給で、村に寄る?」
「一部の人員だけね。でも王都の手配が回っているのは確実だから、リリンさんにはシェイドを使って同行してもらいたいの」
その晩。またいつものようにキャンプを出ていこうとしたリリンは、サフィーネは呼び止められた。
意識して避けていた相手から声を掛けられ、リリンは戸惑う。
「村って……」
「ここから歩いて一刻もかからないところ。できれば今から行きたい」
「国境まであと二日でしょ? それまで何とかもたないの」
「大っぴらに狩りや採取をするわけに行かなかったから、軍糧はほとんど食べ尽くしちゃったんだ。都市連合の領土に入った後は、街に着くまで食糧確保はもっと不透明になるし。できればここで、買っておきたい」
「……分かった」
断固として断るほどの理由はなく、リリンは承知した。
「で、何なの? このメンバー……」
リリンは補給に行く為に集められた「一部の人員」を見て、憮然とする。
メンバーはサフィーネ、ルース、そしてリリンの三名のみだったのだ。
「男手がないじゃない。軍糧の補給に行くんじゃなかったの? っていうかそれ以前に、三人だけって……」
「アタシがいれば、男手なんか必要ないの分かるだろ?」
怪力自慢のルースが腕を捲ってニッと笑う。
「そういう問題じゃなくて」
「あと、私もアイテム・ボックス持ちだから」
「だから」
「よし、じゃあ行こうリリン! しゅっぱーつ!」
「声が大きいって」
「闇の精霊があるから平気っしょ?」
「だからそういう問題じゃ、もう、なんなのこれ? 子どものおつかい!?」
奇妙な三人のおつかいが始まった。
***
「ていうか、もう、おつかいですらない……」
かっぽーん
ラーゼリオンの地方集落、その村の唯一の自慢は豊富な湯量の温泉だった。
サフィーネ達はシェイドの精霊術で身を隠しながら村に入ると、その温泉宿で術を解除。宿の主人に金貨を握らせた。
「あ、あの、これは」
「ご主人、あなたは何も見ていない。この金貨もたまたま拾ったのです。ですがもし、貴方が私たちのことを誰かに話したのなら。この金貨の持ち主であるオーガの血が混じった女戦士が、地の果てまであなたを探しにくるでしょうね」
賄賂と脅迫。
愛くるしい幼い外見の美少女に手を握られ、その後ろから恐ろしいオーガ混じりの戦士に睨みつけられ、宿の主人は壊れた玩具のようにコクコクと頷いていた。
「なに、してるの、あたし」
「おーいリリン、何してんの早くおいでよっ! てかお姫さんおっぱいでっか!!」
「きゃああっ! やめなさい!!」
「てかありえない。この顔でこの身長で、なんでこのサイズなの。着やせとかいうレベルじゃない」
「待ってやめて触らないでっ! ……リリンさん、ちょっと助けて!」
「なにやってんの……」
リリンはがっくりと肩を落とすと、もう諦めて服を脱ぐ。
そして罰則術式が発動している奴隷紋をタオルで隠してから、脱衣場から温泉へと入っていった。
「はふぅ……!」
迂闊にも、完全脱力した声を上げてしまうリリン。
温泉には何度か入ったことがあった。
シロウと仲間の女たちと一緒に、ぎゃあぎゃあ言いながら入ったのだ。
「温泉回はハーレムラノベの特権! 醍醐味だぜ」とか意味のよくわからないことをシロウが言っていたことを思い出す。
じんわりと身体の内側まで温まっていく感覚が、リリンは好きだった。
これで罰則の痛みが無ければ最高なのにな、と思ってしまう。
「……リリン。国境を突破したら、シロウのところに戻るのか?」
ルースがボソリと聞いてきた。
リリンは頷く。
「当たり前でしょ。ルースこそ、本当にもう戻らないの?」
「あたしは、シロウ様のことが好きじゃなくなったから。レオニングに惚れたからね」
「本気で言っ……てるんだね。ルースだもんね」
「うん。こーいうのアタシは嘘つけないから。っていうか、つこうとして酷い目に合ったし、合わせたから」
自分の弱い気持ちを誤魔化して、結果としてミカを殺してしまうところだった。
ルースはあの時の斧の手応えを二度と忘れないと決めていた。
「でもルース、エフォートに惚れたって……脈、あるの?」
「あると思う?」
ルースが聞き返した相手は、リリンではなく。
胸を隠して風呂の隅で小さくなっている、王女様だ。
「……なんで私に聞くの」
「いや、お姫さんがチャンスあるって言うなら、あるかもなあって」
「知らない」
「そこは自信持ちなよ」
「そんな話をしに来たんじゃないでしょ!?」
執拗にからかってくるルースに、サフィーネは思わず声を大きくした。
リリンがピクリと肩を震わせる。
「なら何の話をしにきたの? お姫様」
「えっ」
リリンは顔を背けて、それでもきつい口調で問いかけた。
「これなんの茶番? あたしにシロウを裏切って仲間になれって話をしにきたの? だとしたら、あらゆる意味でどんだけお人良しなのよ」
「私がそんなにお人良しに見える?」
サフィーネは胸を隠す仕草を止めて、堂々とリリンに向き直る。
「貴女を連れ出した目的は、体力をしっかり回復してもらいたいってだけ。国境の軍を突破する時に、疲れて倒れちゃいましたじゃ困るから。それだけよ」
「あたしはべつに、疲れてなんか」
(しまった、エントの力を罰則の痛みを隠すのに集中し過ぎて……)
普通の疲労感までは隠せていなかったかと、リリンは後悔する。
そして後に続いたサフィーネの言葉に、更に驚いた。
「昨晩もその前も、その前の晩も。眠りもせずに何をしていたの? あれはどういうこと?」
「っ!? 見てたの!? そんな、シェイドで隠してたのに……あれは違う!」
リリンは慌てて叫ぶ。
「なにが?」
「あれは、ああしないと、たとえ体は平穏でも心が落ち着かなくって……え、ちょっと待って」
リリンは闇の精霊・ケノンの力を発動する。
「……嘘つき! 見てなんかないじゃないっ!」
「〈精霊の声〉を聴いたのね。なら分かったでしょう、私の本心。私は本気で、貴女にフォートの元に戻ってなんかほしくない。シロウに拘る今の貴女の存在は、彼を苦しめる。ただ安全な国境越えの為、貴女には体調を万全にしてほしいだけ。国境を無事に越えたら、後はシロウの元へ帰るなりなんなり、好きにしたらいいよ。次に会う時は、また敵同士ね」
「えっ」
「えっ?」
リリンの頬を、涙が一筋スッと伝った。
「ちょ、何? なんでいきなり泣いてるの?」
「王女様……あなた、バカなの?」
「はああ!? 貴女に言われる筋合いない! いや、そうでしょ!? 私たち敵でしょ!? 何? そこ異論ある!?」
「あるはずないけど」
「けど? けどなに!?」
「だって、〈声〉が……」
「は?」
自覚してないのか、と。
リリンは言葉を飲み込んだ。
サフィーネ王女。この人はこの状況でまだ、エフォートが真に望むのなら、そしてリリンが心を入れ替えるのなら、自分は身を引くことも考えなくてはいけないと思っているのか。
「やっぱり、ただの馬鹿だ……」
「はああ? もう知らない! ルース、後は頼んだわよ! 私はもう寝ます!」
ざばっと立ち上がって、サフィーネは風呂から出ていく。
と、戸を開けてから振り返った。
「リリン! 部屋を取ってるから、今日はしっかりベッドで寝なさい! あと食事も用意させるから、きちんと食べるのよ。これは命令っ!」
母親のような捨て台詞を残して出て行った。
ポカンとしているリリン。
「な……な……」
「気持ちは分かるよ、リリン」
ルースは苦笑いして、リリンの肩をポンと叩く。
「勝てる気しないだろ?」
「……そういうレベルじゃない……」
リリンはしばらくの間、立ち尽くすしかなかった。
***
「良かったの? エフォートさん」
「なにがだ」
村の温泉宿、そこから少し離れた場所で。
エフォートが〈インビジブル〉を使用し、エルカードとエリオットとともに周囲を警戒していた。
もっとも、エリオットは道端にもかかわらず大の字になってぐぅぐぅと眠っているが。
「いや、ルースさんがいるとはいえ、王女様とリリンさんを二人にしてさ」
「サフィが言い出したことだ。気を使わせているなとは思っている」
仏頂面で答えるエフォート。エルカードはクスリと笑う。
「まあ、そうなんだろうけどさ。実際のところ、エフォートさんはどう思ってるの?」
「なにが」
「リリンさんのこと。彼女がシロウを捨てたら、受け入れるの?」
「なぜそんな話を、会ったばかりのお前としなくてはならない」
ますます仏頂面になるエフォートだが、エルカードの調子は変わらない。
「いや、僕たち状況が似たところがあるじゃない? 転生勇者被害者の会」
「バカバカしい」
エフォートは吐き捨て、もうエルカードを見向きもしない。
エルフの青年はこれ以上の話はできないな、と苦笑して諦めた。
***
翌朝。
サフィーネとルース、リリンが宿で用意された朝食を黙々と食べている時だった。
唐突にリリンの手が止まる。
「サフィ」
「わっ……」
〈インビジブル〉を解除したエフォートが、空間から湧き出るように姿を現した。
「おどかさないでよフォート、何が」
「食事中に済まない。すぐにここを出るぞ、お前たちも来い」
「あっ、ちょっと待ってこのパンだけっ」
「ルース! まずい急いで!」
異変を察したリリンも、ルースの腕を引っ張ってシェイドを発動した。
***
フードを被った異様な雰囲気の男たちが、村の中央の広場に村人を集めていた。
「なっ……なんだお前たち、これはいったい何の真似……」
「黙れ」
鋼の刃が肉を断つ、不快な音。
不審な男たちに抗議した村の青年は、自分の太ももに突き刺さったブロード・ソードを、信じられないモノを見ている目で見つめ、そして倒れた。
「ぐああっ! 足がっ……オレの足が!?」
「きゃあああああっ!」
突然の惨劇に、村人たちの悲鳴があがる。
「聞けっ、お前たち!」
フードの一団、その一人が叫んだ。
「この村に、ラーゼリオン王国に反逆する大罪人の王女と魔術師が来ている! 隠し立てするのならば、貴様らも同罪だ! 命が惜しければ、今すぐここに連れてこいっ!!」
「そ、そんな……そのような者たち、ワシらは知りません! こんな無体なこと、今すぐやめて下され!」」
村長が叫んだ男に懇願する。
だが。
「あなた達が、知ってるとか、知らないとか。本当は、どうでもいい、の」
独特の口調。
途切れ途切れに話す、女の声が響いた。
そして突然の突風が、村長をフードの男から跳ね飛ばした。
「うおあっ!?」
現れたのは、緑の髪のエルフ。
その眼光は鋭く冷たい。
「聞こえて、るんでしょう? 陰険魔術師。それに、リリン。出てきなさい、最後の、勝負よ」
エルミーが、非道なフードの一団を従えていた。
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