68.主役は遅れてやってくる

 誰もその手を掴まない。

 望まれていないのだから。

 誰もその名を呼ぶことはない。

 興味がないのだから。


「あなたが好き」


 嘘だった。

 欺瞞だった。

 道具でしかなかった。

 そして使えなくなった道具に価値はなかった。


「大丈夫、味方だよ」


 信じられるはずがなかった。

 だから壊してしまいたかった。

 けれどそんな力はなかった。


 だから、自分が壊れることにした。


 ***


「クソが」


 汗をびっしょりとかいて目を覚ます。

 もう違う世界にいる。違う人間になっている。二度と戻ることはない。

 分かっているのに、その夢は彼をいつまでも彼を逃がしてくれない。


「一人で寝ると、いつもこれだ……」


 無意識に噛み締めていた歯が痛い。

 最悪の気分で目を覚ましたところで、手元に置いていた通信魔晶が起動した。手に取って魔力を込める。


『坊や』


 聞こえてきたその声に、彼は安堵した。

 夢は夢でしかなく、今の現実はここだということに。


「……シルヴィアか。どうだ?」

「眠っていたのじゃな。大丈夫かの?」


 声だけでこっちの状態を察してくれる吸血鬼に、彼は活力が戻る思いだった。


「余裕だぜ。そっちの計画は順調か?」

「ああ、もうすぐ坊やの出番じゃ。そろそろ来ておくれ」

「了解だ。へっ……主役は遅れて現れる、ってなぁ!」


 跳ね起きて、金髪を掻き上げる。

 何もかもうまくいく。そんな予感がした。


「さあ……罠にかかった哀れな咬ませ犬を、嬲り殺してやるぜ!」


 ***


 さすがに、肩で息をしているエリオットとリリン。

 呼吸を整えてから、リリンは顔を上げてニイッと笑った。


「76対63! あたしの勝ちぃ!」

「くっ……ズルいぞ、その剣! 攻撃範囲も威力もデタラメじゃないか!」

「当然っ! シロウがあたし達の為に作ってくれた武器なんだから!」


 勝ち誇るリリンに、悔しがるエリオット。

 だがそのチートな武器を持つリリンを相手に、競争で接戦を演じたエリオットの技量こそ、本来は異常なのだ。

 剣技に詳しくなくともそれを理解できたサフィーネは、改めて女神の分体がエリオットを指して言っていたことを思い出した。


『ゲームマスターに危険を及ぼすかもしれないその男、生かしておくだけ感謝するかしらぁ?』


(兄貴……いったい、何者なの?)


 グルアアアァアアン!!


 サフィーネの思考は、聖霊獣エル・グローリアの咆哮によって遮られた。

 状況はまだ変わっていない。サフィーネは頭を振って、目の前の巨獣に意識を集中した。


 グルル……グウウ


 その巨体により、ただの唸り声でも空気を震わせる威圧感がある。

 人間を大きく上回る魔力を持つエルフの精霊術士でも、単体で短時間しか使役できないウィル・オ・ウィスプ。

 それを百を超える数で長時間操ったことだけでも、目の前の存在は桁が違う怪物だ。

 だがその聖霊獣の様子が、先程までと少し違っていることにサフィーネは気づく。


(……兄貴を見ている)


 最初は確かに、異世界の兵器アンチ・マテリアル・ライフル〈バレットM99〉を警戒していた。

 だが今、その黄金の瞳はリリンの前で悔しがりバタバタと手足を動かしているエリオットにだけ向けられていた。


(ガラフが倒れた今、〈グロリアス・ノヴァ〉を撃てばそれで終わりのはず……どうしてそれをしないの?)


「お姫様」


 ミンミンがサフィーネの服の袖を引っ張った。


「ミンちゃん。……気づいた?」

「うん、聖霊獣の様子がおかしい。このままおとなしくしてくれれば」

「そうだね。なんとか時間は稼げ――」


 グルアアアァアアン!!


 咆哮とともに、聖霊獣の周りの空が輝く!


「なっ!?」

「なにが……これは!」


 空全体が輝いている。

 太陽など問題にならない明るさだ。

 天変地異以外の何物でもない空を見上げて、エルカードはぼそりと呟く。


「……全部……光の精霊……だ……」


 輝きの正体は、空を埋め尽くさんばかりの光の精霊・ウィル・オ・ウィスプの大群。

 さっき召喚した数とは桁がいくつも違う。

 何万、何十万とも思える光球が、上空に出現していた。


「……マジで?」


 素が出て口調が悪くなるサフィーネ。横でミンミンも、開いた口が塞がらない。

 ソードを振り回してエリオットに勝ち誇っていたリリンも、愕然としていた。


「……ね、ねえ……ラーゼリオンの王子様、今度は譲ってあげる。思う存分暴れてきたら?」

「い、いやあ……リリンちゃんこそ、どうぞどうぞ。俺より強いんだから……」


 さすがのエリオットも、この数の前には勝てる気がしない。

 リリンと二人でまた空に向かって剣を構えるが、この数の光球が先程と同じように襲いかかってきたら、もう打つ手はなかった。


「はは、こりゃ、終わりかな」

「まだよ、シロウがあたしを見捨てるはずないもの。だってこれは作戦なんだから!」


 冷や汗を流しながら、泣き言をもらすエリオットにリリンは強がる。

 そう、これはあの悪辣な魔術師を倒すための作戦なのだ。

 だからこんなところで、自分がやられるはずがない。

 もしそうなるのなら、必ずシロウが助けてくれるはずだ、と。


「お……お姫、様……」

「ガラフ君!」


 倒れていたガラフが起き上がり、フラフラになりながらサフィーネのもとに歩いてきた。

 魔法技術が卓越しているミンミンと異なり、複雑な反射魔法の計算を長くし続けてガラフの精神力は限界を超えていた。


「大丈夫!? ごめん、無理をさせて……!」

「全然……平気だって……それより」


 ガラフは懐から、二つに割れた通信魔晶の片割れを取り出して、サフィーネに手渡した。そして輝く空を見上げてから、サフィーネに向かってニッと笑う。


「……まったくもう」


 王女は、グレムリン混じりの少年の意図を察して、安堵した。


「あの人、主役は遅れて登場するとでも言いたいのかしら」

「まあまあ……遅刻してないだけ……いいじゃん?」

「そうね」


 ガラフの軽口に、サフィーネは華が咲くように笑った。


  グルアアアァアアアアァアア!!

  グルオオオオオ! アアアアアア!!


 光の雨が降った。逃げ場のない絶望の光。

 人が抗えるはずもない断罪の光だ。


「そんな、助けてよ……シロォォォォッ!!」


 現れるはずなのに、現れない勇者。リリンは悲鳴を上げる。


 そして、その声は響いた。


「最悪だな、その呼び違えは」


 空が闇に包まれた。

 光を反射しているのだ。

 静寂が場を支配した。

 音を反射しているのだ。


「……遅いよ」


 静寂の世界で、王女は呟く。


「ごめん、サフィ」


 彼は詫びながら、彼女の肩を抱いた。


「持ち堪えてくれてありがとう。守ってくれて、ありがとう」

「ちゃんとご褒美、ちょうだいよね。私は無償の愛なんて持ち合わせてないんだから」

「怖いな。いくらでもあげるよ、本当に」

「はい、言質とった」


 パキィン!


 反射壁が解除された。


 グルオオオオオ!?

 グルア、グルアアアアアア!!


 そこには、また別の反射壁にぐるりと取り囲まれて、ウィル・オ・ウィスプの乱撃を受けている聖霊獣の姿があった。


 ***


「はあっ、はあっ……まったく、レオニングのやつ……途中でアタシを降ろしやがって……」


 空が輝く方向に向かって、必死で森を駆けるルース。

 王女との通信を終えてからエフォートは、このままでは間に合わないと言って途中で彼女を降ろして飛んで行ったのだ。

 気持ちは分かるし責める気にもならないが、ルースとしては複雑な思いだった。


「とにかく急がなきゃ。アタシの足ならすぐに……えっ?」


 その強靭な足が、ピタリと止まった。

 目の前に、ヒラヒラと飛ぶ黒い鳥のような群れが現れたのだ。


「いや、鳥じゃない……あれは!」


 それは、無数の蝙蝠だった。

 群れになってルースに向かって突っ込んでくる。


「うわっ……! ちょ、ちょっと待って、シルヴィア!!」

『待たぬよ。そなたを連れて帰らねば、坊やが悲しむのじゃ』


 視界と感覚を奪われ、そのままルースは気を失った。


 ***


 グルアアアッ!

 ゴアア、ゴァアア!!


 巨大な光の竜巻が、エル・グローリアを包んでいた。

 聖霊獣は光の精霊ウィル・オ・ウィスプをコントロールし、森を破壊した愚か者たちの方へと飛ばそうとしていた。

 だが、何度飛ばしても反射壁に弾かれ返ってくる。

 呼び出した光の精霊ウィル・オ・ウィスプの数は百万に届く。ありとあらゆる方向から狙ったが、すべて計算され的確に聖霊獣自身に向けて反射されるのだ。

 そして反射壁の檻はどんどん狭められ、今に至る。


「……国を滅ぼすと言われた聖霊獣も、大したことはないな。この程度の単純な精霊術なら、倍の数があっても反射できる」


 エフォートは反射魔法を駆使しながら、横で驚愕しているエルフの青年をチラリと見た。


「あなたがエルカードか。生きていてくれて良かった」

「……君が、エフォート・フィン・レオニング? 反射魔法……すごい、こんな魔法技術が存在するなんて」


 リリンから精霊の声で聞きその存在を知ってはいたが、常識外れのその能力を目の当たりにし、エルカードは唖然としていた。


「早速だが、あいつを封印してほしい。確か、平穏の精霊と――」

「待ってフォート、見てっ!」


 サフィーネに呼ばれ視線を移すと、聖霊獣を取り囲んでいた〈光の精霊ウィル・オ・ウィスプ〉の大群が消えていた。

 聖霊獣が諦めて、精霊術を解除したのだ。


「ちっ……やはり無傷か」


 聖霊獣が唸り声をあげていたのはウィル・オ・ウィスプたちが思い通りにならないからで、自身がダメージを受けていたわけではなかったのだ。

 エフォートは舌打ちする。


  グルアアアァアアン!!


 エル・グローリアの至るところにある赤・緑・青のオーブが一斉に輝きだした。

 そして、黄金の双眸の前に魔力が集中される。


「……〈グロリアス・ノヴァ〉かっ!?」


 エフォートは反射壁を展開する。

 聖属性の戦略級大魔法。

 だがエフォートは、王城でシロウが放った同じ魔法を何度も反射している。不安はなかった。


「気をつけてエフォートさんっ!」


 そこに、エルカードが叫ぶ。


「聖霊獣の使う〈グロリアス・ノヴァ〉は属性変容する! その反射魔法がどんな魔術構築式スクリプトか知らないけど、光の精霊ウィル・オ・ウィスプみたいに単純な魔法じゃない!」

「……属性変容!?」


 ルアアアァアアァアアアアア!!


 咆哮とともに〈グロリアス・ノヴァ〉が放たれた。

 エフォートは仲間たち全員を守るために、広く反射壁を展開する。


 ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ!!


「くっ、これは!」


 明らかに異質な力を受けながらも、エフォートは持ち堪えた。


「フォート!?」

「本当に……属性が変化し続けている! こっちもスクリプトを変え続けないと、反射どころか……破られる!」

「エフォートさんっ!」


 ミンミンがエフォートの背中に飛びついた。


同期シンクロする! 計算をボクも手伝うから、なんとか反射を!」

「ミンミン……分かった!」


 虹色に変化する光が爆発し、轟音とともに連鎖する。

 だが森の木々や地面の岩などが影響を受けている様子はない。


「これが真の〈グロリアス・ノヴァ〉か! 破壊したい対象を識別してダメージを与えて……クソ、あの手抜き勇者め! めんどくさがって魔術構築式スクリプトの一部を省略オミットして覚えていたな!」


 グルアアアァアア!!!


「くっ……反射、できない……! けど、やらせないっ……!!」


 吠える聖霊獣と、エフォート。

 放たれ続ける〈グロリアス・ノヴァ〉は確実に、エフォートの魔力を消費させていった。


「エフォート……」


 その反射壁に守られながら、リリンはぼうっとエフォートを眺めていた。

 かつて、自分を見捨てて生き永らえた幼馴染。

 だが今は、決死の覚悟で仲間を守っていた。


『……計画通り、だね。リリン』

「!! エルミー!?」


 耳元で声が聞こえて、振り返るリリン。

 だがそこに声の主はいなかった。


『静かに。遠くから、風の精霊の力で、話しかけてる。任務、おつかれさま』

「そ、そうか。エルミーもおつかれ」

『うん。後は、陰険魔術師の魔力が尽きるの、待つだけ、だね』

「うん」

『モチヅキ様が、こっちに向かってるって。シルヴィアが』

「……今、向かってるの?」

『そう。近くにいたら、あの魔術師に警戒、されるから』

「そうか、そうだよね。さすがシロウ」

『だから、今のうちに、離脱して』

「……わかった」


 リリンはもう一度、エフォートを見る。


「フォートッ、みんなを避難させるから、もう少し頑張って!」

「わかったっ……それまでは持ち堪えてみせる!」


 サフィーネは足の動かないエルカードや疲れ切っているガラフを連れて、その場を離れようとしていた。

 エフォートの傍にいたい気持ちはやまやまだったが、仲間を巻き添えにすることはできなかった。

 そしてエリオットはその殿に立ち、剣を構え不測の事態に警戒している。いざエフォートが失敗した時には、妹を守るためだ。


「ミンミンっ……君ももういい、サフィと一緒に離脱しろ!」


 エフォートは背中に張り付いているミンミンに向かって叫ぶ。

 だが幼い少女は首を横に振った。


「ごめん、それはできない相談」

「どうしてだ、君は俺たちの仲間じゃない。ただ利害が一致してただけで」

「今も一致してるよ。あのお姫様、レオニングさんが死んだら立ち直れないでしょ」

「それが、なんで」

「ボクもお姫様を悲しませたくないんだ。ほら、利害が一致してる」


 協力し、助け合い、困難に立ち向かっている。

 リリンは、幼馴染のその姿を見て、胸が痛むのを感じた。


「……でも、あたしは」


 グルアアアァアアア!!


 輝く爆発グロリアス・ノヴァを受け止め続けながら、エフォートの魔力は削られ、決着の時が迫る。

 リリンは静かに駆けだした。

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