64.エルミーの過去(3)
「シェイド! ケノン! 行ってくれ!」
「馬鹿か、テメエ!」
エルカードが解き放った闇の精霊の
「オレには
「なら
「……な、に?」
外見は十代前半の人族であるシロウは、エルカードにオジサンと呼ばれて固まった。
「人族でその歳なら、もうオジサンでしょ? 若作りとか恥ずかしくない?」
「……テメエッ!!」
また正体を見抜かれたと、シロウは激昂する。
「覗き見趣味のエルフどもが!! ぶっ殺す!!」
戦略級大魔法、〈カラミティ・ボルト〉の
エルカードの放った闇の精霊が目の前まで迫っていたが、そんなものはこの大威力の魔法の前には塵に等しい。吹けば飛ぶ煤のようなものだ。
「吹き飛びやがれぁ! 〈カラミティ……なにッ!?」
そして次の瞬間、シロウはエルカードの放った闇に包まれる。それはただの闇ではない、まごう事なき漆黒。存在すら不確かになる、真なる黒。
「くだんねえ! この程度、反属性の光魔法で……なあっ!?」
闇の精霊術をレジストする為に描いた
「……どういうことだ!?」
(やれやれ。僕の精霊術の
闇に包まれたシロウに向かって、エルカードの声が響く。
「テメエ、どこだ!?」
全周囲から響いてくる声の主の場所を、シロウは知覚できずにいた。
(教えると思うかい?)
「だったら全方位でっ! 《ガイアス・フォー……クソがぁっ!?」
(学習能力ないの? この闇の中で、君は一切の魔法を使えない)
三たび四散する自分の魔法に、シロウは地団駄を踏む。
「ざけんな! テメエの放った精霊術はただの目くらまし、相手の感覚器官を封じるだけのはずだ!」
(そうだよ、だから隠せる。本命の〈
「……そうかテメエ、オレからそいつの
エルカードは、シロウの言っていた「
まずはシロウの目を誤魔化す為に〈闇の精霊〉を放ち、それに隠して〈平穏の精霊〉を放ったのだ。
(オジサンが、エルミーに自分の手の内をベラベラと自慢する馬鹿で助かったよ)
「ざけんな、ガキぃっ!」
(お返しに、僕の精霊についても教えてあげるよ。〈
〈
「く……ククク……」
全ての感覚を奪われた闇の中で、シロウは笑っていた。
(……何がおかしい?)
「いやあ、人のことを馬鹿だと思って罵る割には、テメエも大概だと思ってよ」
(なんだと?)
「この程度の精霊術で俺を封じた気になって、手の内をベラベラ喋ってんのはそっちだろうが」
次の瞬間、シロウを包んでいたすべての闇の精霊、そして平穏の精霊が吹き飛ばされた。
「……なんでっ!?」
「そこかよっ!」
姿が露わになったエルカードに向かって、シロウは突撃をかける。
「オラぁっ!」
「がぁっ」
拳の一撃。かなりの腕力でシロウに殴られたエルカードは、大きくぶっ飛ばされた。
「ぐ……が」
「はっ、種が割れりゃあこんなもんよ」
「エルカード!」
歯を折られ顎を砕かれ、口から血を吐き出したエルカードに、エルミーは駆け寄る。
「大丈夫? エルカード……凄い、あなたのエントまで、効かないなんて……」
エルミーは恋人の身体を支えながらも、感嘆の視線をシロウに向けていた。
「どうよ、これがオレの実力だ」
ドヤ顔でエルカードを見下ろすシロウ。
「……シルヴィア」
「……まあ、奴隷の力も実力の内ということで、見逃しでやるかの」
そんな彼を見て、こっそりと溜息を漏らす者たちがいた。
実際にエルカードの精霊術を破ったのは、シルヴィアの瞳術だったのだ。
〈闇の精霊〉に紛れて〈平穏の精霊〉がいることが分かり、しかも〈平穏〉が隠されているのはシロウに対してのみだったことから、シルヴィアが外側から〈
精霊とは魔法生物。擬似的とはいえ生物である以上、吸血鬼の真祖たるシルヴィアの強力な瞳術は有効だった。
「……さて。テメエ、さっき面白え事を言ってたな。テメエの操る平穏の精霊は、
「が……がふっ……」
顎まで砕かれているエルカードは、答えることもできない。
「……はっ、いい事を思いついたぜ。ニャリス、シルヴィア」
シロウは仲間の奴隷二人を見て、僅かに口を動かした。
微かに発声もしているが、かなりの小声で近くにいるエルミーにも聞こえない。
だが獣人の聴力を持つニャリス、瞳術使いのシルヴィアには、シロウの言葉はハッキリと分かった。
そして、極限の状態でも微精霊の声を聞くことのできるエルカードにも。
「坊や……?」
「ご主人様、そんニャ!」
「シルヴィア、ニャリス。これは命令だ。オレを愚弄してくれたこの男とエルフの谷には、相応の報いをくれてやらねえとな」
シロウはごく小声でそう言うと、エルミーに歩み寄りその腕を掴んだ。
「おい、オレを聖霊獣のところまで案内しろ」
「……わかった」
「ぎ、ぎぐがッ!」
素直にシロウに従う恋人をエルカードは止めようとしたが、シロウに容赦なく蹴り飛ばされる。
「じゃあ、あとよろしく~」
エルミーに先を歩かせて、シロウは後をついて行った。
残されたのは、シロウにボロボロにされたエルカードと、命令を受けたシルヴィアとニャリス。
「が……がげごッ……!」
「……すまぬな、エルフの坊や」
「うかつに過去に、前世に触れられた相手にはご主人様、容赦ニャイの」
ニャリスの呪術が、シルヴィアの催眠眼が発動。エルカードの精神を蝕んでいく。
「が……がげッ……!」
苦しむエルカードの姿に、シルヴィアは眉をひそめる。それは彼への憐憫ではなく、己への嫌悪だ。
「ニャリス。妾たちは坊やに甘すぎるかの」
「ご主人様の前世を知ってれば、癇癪を起こすのも仕方ないって思えるニャ。それに」
「それに?」
「……命令だから仕方ないニャ。ウチ達は奴隷だから」
「それで思考停止できれば、本当に楽なのだがの」
「あとは、これも魔王を倒す〈グロリアス・ノヴァ〉を手に入れる為っていう大義名分もあるニャ。それでどうかにゃ?」
「……ニャリス、そなたは妾より逞しいかもしれぬの」
「ウチは、ご主人様に拾われた猫ニャ。この世界の猫は義理堅いのにゃ」
シルヴィアは覚悟の決まっているニャリスの言葉に頷くと、エルカードの支配を強めた。
***
「はっはー! コイツが聖霊獣エル・グローリアか、すげえすげえ。封印された岩塊の状態でも、とんでもねえ魔力総量と
シロウはエルミーに案内させた巨大な洞穴の奥に眠るその姿を見て、愉快そうに声を上げた。
「あなたは、聖霊獣を、どうするつもり?」
エルミーの問いかけに、シロウは振り返ってニヤリと笑う。
「シロウだ」
「えっ?」
「オレの名前はシロウ・モチヅキ。お前は確か、エルミーだったな」
「そう、よ」
「やけに素直だな。オレに惚れたか?」
にやけ顔でからかうように問いかけてくるシロウに、エルミーはあまり間隔を開けずに頷いた。
「……そうかも、しれない」
「なんだよ。やけにあっさりしたヤツだな」
「正確に言えば、あなたの力に、惚れたと思う」
「おい、人格は?」
「傲慢なところは、嫌いじゃない」
「褒めてんのか? それ」
シロウはケタケタと笑い、また聖霊獣に向き直った。
その背中に、改めてエルミーは問う。
「ねえ、あなたの目的は、なに? 聖霊獣を、どうするつもり」
「じゃあお前の目的はなんだ? エルミー」
「えっ?」
問い返されて、エルミーは面喰らった。
「ワタシの、目的……? ワタシの目的は、谷を出ること。
「はっ、あの程度の力でか? そりゃ小せえ話だな」
長い間悩んでいた事を、小さい話と一蹴された。だがエルミーには不快感はない。そう豪語できる実力を、目の前の金髪の少年ーー本当は少年ではないようだがーーは、確かに持っているからだ。
「で? 谷を出た後は?」
「……出た、後?」
またも虚を突かれた感じで、エルミーは言葉に詰まる。
「後……その後……」
「なんかあんだろ? 自由を奪っていた一族を滅ぼすとか、王国を支配してエルフの女王に君臨するとか」
「……そんなこと、考えてない……」
「なんだよノープランかよ! じゃあ、勇者の仲間になって魔王を倒し、世界を手に入れるっつーのはどうだ?」
「はっ?」
あまりに突拍子もない提案に、エルミーはあんぐりと口を開けた。
シロウは壮絶に笑う。
「オレが
「……魔王相手に、戦うっていうの……?」
「ああ。オレは女神に選ばれし勇者だからな。褒美はどデカイらしいぜ? この世界全部って話だ。どーよ、乗るか? どうせ自由になっても、やりてえこともねーんだろ?」
「……ワタシ、は」
エルフの谷に未練などない。
シロウが来て引っ掻き回してくれて、むしろ清々しているくらいだ。
このままドサクサで谷を出て、勇者を自称する目の前の男の仲間になる。女神に選ばれたというのも、あの実力を目の当たりにすればあながち嘘とも思えない。悪くない選択肢に思えた。
けれど。
(エルミー!)
エルフの少女の頭の中に、幼馴染で恋人の声が響く。
「あの男のことか?」
シロウの問いに、エルミーの肩がビクンと跳ねた。
エルフの少女はその問いに答えずに、顔を背ける。
だから彼女は目撃しなかったのだ。シロウの浮かべた、恐ろしい程に利己的な笑みを。
ズズン……!
そのとき、大きな地響きが起こって、封印の祠を揺らした。
森に地震など滅多にない。エルミーは慌てる。
「……な、なに!?」
「外からだな」
その肩に、シロウは優しく手を置いた。
「何が起こったみてえだ。嫌な予感がしやがる、見に行くぞ」
そして少女の肩を抱えながら、封印の洞穴の外へと歩き出した。
***
「それをお前、信じたのか?」
「……」
エフォートの問いを、反射壁に囲まれた中でエルミーは無視した。
「……人の芝居を下手と罵ってくれた割には、随分と陳腐なシナリオだな」
「レオニング。エルミーの話はまだ終わってないよ」
毒づくエフォートを、ルースは宥める。
そしてエルミーはまた、ゆっくりと口を開いた。
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