63.エルミーの過去(2)
エルカードの得意とする精霊は、平穏と闇の精霊。
攻撃には適していないが、その能力のひとつに対象を隠して、存在を悟らせない術があった。
「エント、シェイド、ケノン。来たりて我らを覆い給え。其は普遍なり、其は平安なり。如何なる眼差しも、汝を看破すること能わず。〈フォビドゥン〉」
光、音、熱、魔力、精霊、殺気……あらゆる気配を断絶する精霊術を、エルカードは行使した。
これで、対象となったエルミーとエルカード自身は、周囲からその存在を認識されることはない。それがたとえ、最強の攻撃力を持つ精霊術を使ったとしてもである。
「相変わらず、長い詠唱。ヘタだよね」
「エルミーが天才過ぎるだけだよ」
「ふふっ……」
全力の精霊術を、しかも実戦で使うことなど初めてのエルミーは、高揚していた。その顔には溢れんばかりの笑みが零れていて、エルカードは怖くなる。
「……やり過ぎたらダメだよ。森に被害が出過ぎたら、エル・グローリアが」
「約束できない。そうなったら、エルカードが抑えて」
「ちょっ、エルミー!?」
戸惑う恋人を無視して、エルミーは谷に伝わる両手杖を掲げ、魔力を集中し始めた。
「うわっ……!」
もしエルカードによる〈フォビドゥン〉の精霊術がなければ、居合わせた者は荘厳な光景を目にすることができただろう。
「……イフリート!」
炎の巨人が。
「リヴァイアサン」
巨大な海獣が。
「ケツアルクアトル」
竜巻を纏った大蛇が。
「ヴォルト」
神秘の雷球が。
「ベヘモス」
大地を守護する巨獣が。
「ルミニス・ルキス」
光の化身が。
「ヴォイド・テネブラールム!」
闇の化身が。
「みんな、ありがとう」
エルミーを囲むように顕現していた。それは戦略級の大魔法に匹敵するほどの、膨大な破壊力そのものだ。
「……綺麗だ」
エルカードの呟きに、おそらく万人が同意するだろう。それほどまでに
そして、残酷だった。
「
七つの圧倒的な力が解き放たれた。
虹色の輝きとなり、シロウ達へと向かう。
三人の異邦者、そして先導していたエルフの女王へと。
「四人!? エルミー!!」
「女王の命令は、
「そんな!?」
エルミーに迷いは無かった。その無慈悲さをエルカードは信じられない。自分は恋人を理解していなかったということを。
ガゴオォォォォォン……!!!
大森林に轟音が響き渡った。
エルミーは約束できないと言ったが、その威力は見事に収束されており、森への被害は限定的だ。
だが、それでもシロウ一行の前を歩いていたエルフの女王は、間違いなく巻き込まれただろう。
「そんな……」
「あは……あははっ」
笑うエルミーの横でエルカードは絶望的な気分になりながら、〈フォビドゥン〉の術を解除した。
その時だった。
「ニャるほど。闇と平穏の精霊ニャんて、珍しいモノ使ってたのね」
「!!」
「なっ!」
いつの間にか、猫の獣人が二人の背後に立っていた。
極大精霊術を直撃させたあの場に、確かにいたはずなのにとエルミーは驚愕する。
「まさか女王自ら囮を引き受けるニャんて、さすがエルフ族は高潔ニャン」
「
「無駄ニャ」
エルミーの呼び声に、今度は精霊は応えなかった。
「……く!」
「なんだこれッ……!?」
二人の精霊術士は動揺する。思うように操れないのは、精霊だけではなかった。自分自身の身体も思うように動かせず、まるで深い泥の中に全身が沈んだような感覚だった。
「これ……呪術!? こんな、強力な」
「練り上げる時間は、充分にあったニャン」
「そんな、どうやって!?」
「お前ら、馬鹿じゃねーのか?」
猫の獣人の背後から、その人影は歩み出てきた。
「いきなし森の一角から精霊どもの気配が消えたら、怪しむなっつー方が無理だろ」
ヘラヘラと笑う金髪の少年。
その後ろには吸血鬼の真祖もつき従っている。
「そんな……あの距離から、微精霊の気配まで察していたなんて」
もちろんエルカードは、金髪の少年が言ったことなど始めから理解していた。
だから、目標と充分な距離が開いたことを確認した上で術を発動したのだ。
存在の出現を察するならいざ知らず、遠くのごく僅かな気配が消えたことまで感じ取るとは、尋常な実力ではない。
「よく言うのじゃ、坊や。鋭敏な感覚を持つニャリスの忠告を受けておらねば、怪しいところだったじゃろ?」
「あ、シルヴィアてめえ! ……それでも、あの精霊魔法を止めたのはオレの実力だろ?」
「無論、それは認めるのじゃ。七大上位精霊を直接ぶつけるなどという、あの馬鹿げた威力の精霊術を片手間でレジストするなど、シロウの坊やにしか出来ぬ芸当じゃ」
「そんな……ありえない!」
エルミーは叫んだ。
シルヴィアが言ったことは、彼女にとって絶対に認められないことだったから。
「……ああん?」
怪訝な顔でエルミーを見返すシロウ。
「ワタシの、精霊術は……最強だ! 最強でないと、いけないんだ! ワタシを、この谷に縛る鎖。それが、あんたみたいなガキに、簡単に防がれる、チャチな代物でたまるか!」
「……へえ」
必死の形相のエルミーに、シロウは興味深そうな声を上げる。
「なら、もっぺん試してみっか? ニャリス、この女の呪術を解け」
「ニャッ!? 危険ニャ」
「そう思うか?」
「……あきらめるのじゃ、ニャリス」
シルヴィアにも促され、ニャリスはため息をついてから、エルミーの呪縛を解いた。
「……本気?」
動くようになった自分の身体を確かめながら、エルミーはシロウに問う。
「ああ。テメエみてえな女、嫌いじゃねえぜ。ついでにそんな女を、屈伏させることもな」
「調子に、乗らないで!」
エルミーは再び魔力を練り上げ、七大精霊に呼びかける始める。
「……ダメだエルミー! 逃げて!」
エルカードは叫んだ。
まだ呪術の影響下にある彼は、叫ぶことしかできない。
「ソイツはおかしい! ただの人族じゃ」
「お前、黙るニャン」
ぐらり、とエルカードの視界が歪む。呪術の力を強くされたのだ。しかしこのまま意識を失う訳にはいかないと、エルカードは呪いに
「ニャ? お前……?」
魔法と異なり、呪術はそもそも知識や技術を持っている者が極端に少ない、外法とされている。それゆえに、
だがその稀なことを、不完全とはいえエルカードは行っており、ニャリスは目を瞠った。
「……イフリート!」
その一方で、にやけ笑いのシロウに見られながらエルミーが、七大精霊を召喚していた。
「リヴァイアサン! ケツアルクアトル! ヴォルト! ベヘモス! ルミニス・ルキス! ヴォイド・テネブラールム!」
「おお、すげえすげえ。こいつは壮観だ。七種の属性の同時召喚、確かに普通じゃレジストなんか不可能だな」
「……今度こそ、消し飛べェッ!!」
エルミーから七つの極光が放たれ、シロウに襲いかかった。
「……普通の奴じゃなあっ!」
シロウが突き出したその手にもまた、七色の光を放つ障壁が現れた。
ガガガガガガガガガガガガガガッ!!
大音響をあげて、光が乱舞する。
そんな中で、破滅の光はシロウに届くことはない。
「なっ!?」
「エルフの女ぁ、魔法の
未だ荒れ狂っている七大精霊を弄ぶようように相手をしながら、シロウはエルミーに問いかける。
「なに、を?」
「一番省エネなのが、反属性の魔法をぶつけることだ。だがテメエの術にはこれができねえ。できねえことはねえが、面倒くせえ」
金髪の少年は軽薄に笑う。
「なら次は、相手の攻撃力を上回る防御力での結界だ。オレなら大抵この方法でも、ほとんどの魔法を防げる。無尽蔵の魔力を持ってっからな」
「嘘を、つくなぁっ!」
エルミーは七大精霊の制御を続けながら、叫んだ。
「たとえ、お前の魔力総量が、本当に無尽蔵だとしても! 七大精霊を上回る出力、瞬間的に出せるはず、ない! そんな人族……いやそんな出力に、耐える物資あるはずない!」
それは電力量と電圧の関係に例えられた。いかに膨大な電力を蓄えられたとしても、瞬間的にその力を全て使おうとすれば、凄まじい電圧に耐える出力機が必要になる。
この場合、常設の防御結界ならともかく、エルミーか放った七大精霊の力を上回る防御力を瞬間的に出そうとすれば、この世界で耐えられる出力機は存在しない。それができるのは、神や魔王といった超常の存在だけだろう。
「ああその通りだ。だからオレは第三の方法を使ってるぜ?」
「な……に?」
「精霊ってヤツは、言ってみれば複雑な
パァァァン……!
エルミーとシロウの間で、七大精霊がことごとく砕け散った。
「あ……あ、あ……」
「朝飯前だぜ」
七色の光の粒子が舞う中で、壮絶に笑う金髪の少年。
「信じ、られない……」
「え、エルミー……逃げ、て」
目の前で改めて最大の術を破られ、目を瞠り動けない恋人に、エルカードはニャリスの呪術に抵抗しながら必死に呼びかける。
「なんて……力……こんな人が、いるなんて……!!」
「エルミー!」
しかしその声は僅かも届いていない。彼女はまだ、笑っていた。最強を超える最強が存在し、それがこの倦んだ日常を切り裂いている現実に。
シロウはそのエルミーの表情を見て、ヒュウと口笛を吹いた。
「……お前、なんで笑ってんだよ?」
「え?」
「楽しいのか?」
「楽しい……ワタシが?」
エルミーは自分がどんな顔をしているのか、分かっていない。
自分の感情を理解していなかった。
「そう見えるぜ。どうだ、もっと楽しい世界を見せてやろうか?」
「……誰が」
「オレに決まってんだろ」
谷を出たことのない若いエルフの少女は、その悪い意味での純真さのあまり、かつてない力を目の前にして我を失いかけていた。
「止めろ! ……エルミー、この男と話すな!! コイツはヤバい! 見た目通りの人族じゃないッ!」
だからエルカードは、決死の覚悟で叫び続ける。このままではエルミーの心が汚染されると、分かっているからだ。
「ニャリス」
「分かってるニャ、シルヴィア。……お前ホントにいい加減にするニャン!」
エルカードに好きに言わせておけばまたシロウが激昂すると、シルヴィアがニャリスを促した。
ニャリスは並みの相手なら呪殺できるレベルまで、呪力の桁を上げる。
「あ……あああ!」
恋人が上げる悲鳴も、今のエルミーには届かない。
(……仕方が、ない!)
エルカードは覚悟を決めた。
「あああ……ッ! エント! ケノン! 僕に力を、貸してくれ!!」
ゴウッ!!
「ニャニッ!? ウチの呪術がっ……」
「これは!?」
エルフの青年の身体から、闇の柱が吹き上がった。
それはエルミーの七大精霊にも匹敵する魔力の塊。呼び出した精霊は下位であるにも関わらずだ。
「僕を見ろ、エルミー!」
「……エルカード?」
シロウに魂を奪われかけていたエルミーが、恋人に視線を移した。
シロウは舌打ちする。
「チッ、人の恋路を邪魔する奴は……なんだ、テメエ?」
見たことのない奇怪な
エルカードは禁忌の術を発動している。その精霊術は、森の守護者・
「エルミー! 僕は君よりも、その金髪の男よりも、強い!」
「えっ?」
「はあ? 殺すぞテメエ」
凄むシロウを無視して、エルカードは宣言した。
「だから僕を見ててくれ! 今からそれを、証明してみせるから!」
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