57.エルフの精霊術士
マギルテ地方からエルフィード大森林の最奥、エルフの谷に向けて弧を描くような形で、ビスハ兵の各小隊は先遣隊として進んでいた。
そして個々にローテーションで伝令を出し合い、状況を確認している。
連絡の途絶えてしまった小隊の位置が、マギルテに向かってきているであろう敵――あるいは目標である精霊術士との接触ポイントということだ。
今は解放されたが、かつて全員が隷属魔法の支配下で完全に統率された、ギール率いるビスハ兵だからできること。
しかも全員、なんらかの特長を持つ魔物混じり。個々の能力は高いレベルにあった。
「……! 待て」
先遣隊の一つが、不審な一団を発見した。こちらが先に気づけたということは、森に慣れたエルフの者ではない。
「なんだアイツら……?」
「エルフでもねえ奴らが、なんでこの森に」
それは周囲に紛れるように、深緑色の衣を纏った数人の者たち。人族と思われるが、フードを被っており詳細はわからない。
だが周囲を憚るような所作から、少なくともただの冒険者とは思えなかった。
バシャッ!
その中の一人が、何か液体を樹木にぶち撒ける。
「あれは、まさかっ」
別の一人がボソボソと呟いた後、手のひらに小さな火球が生まれた。
次の瞬間、巨木が炎に包まれる。
「油!? 信じらんねえ、奴ら森に火をつけやがった!」
それは森に住まうすべての存在にとって禁忌であると、赤子でも知っていた。
「ヤベェぞ。確かエルフの連中怒らせたら、姫様たちマズいんじゃ……!」
「伝令飛ばせっ! 姫様にもだ!」
小隊長が指示を出し、三人のビスハ兵が異なる方角へ飛び出した。
そこまで動けば当然、緑のフードの者たちもビスハ兵に気づく。
「何者だ」
「そっちこそ!」
ビスハの小隊長は剣を抜き、残りの仲間に指示を出した。
「奴らを仕留めて、延焼を防ぐ! 行くぞぉっ!」
「
突撃を仕掛けるビスハ兵たちに、フードの男たちはそれぞれ得物を抜いて応戦する。
「違う! 俺たちはもう
剣が、魔法が、交錯する。
戦闘集団としての技量は互角のようだった。
「ほう? ならなんだと言うんだ?」
「俺たちは、サフィーネ殿下に従う……ビスハの勇兵だ!」
パァン!
「なっ……!?」
ビスハ兵の気勢とともに破裂音が鳴り響くと、フードの一人が唐突に倒れた。
魔法でもない不測の遠距離攻撃に、男たちの間に動揺が走る。
「い……今、何をした!?」
「それはなんだ!?」
ビスハ兵の小隊長が手にした短い筒のついた道具から、硝煙が上がっていた。
「……全員、抜銃ッ!」
小隊長の号令で、ビスハ兵たちは同じ道具を抜き、動きの止まったフードの男たちに向けて構えた。
「ま、待て……」
「放てッ!」
パァン! パァン! パァン!
男たちは抵抗もできず、次々と銃弾に倒れた。
小隊長は叫ぶ。
「燃えている木の周囲を切り倒せッ! 急ぐんだ!」
「……ぐ……無駄、だ」
一人だけ、手足を撃ち抜かれただけで生きている男がいた。正体を暴く為に、ビスハ兵があえて殺さなかったのだ。
「無駄? どういう意味だ」
小隊長がその男の頭に銃口を突きつけ、詰問する。
直後。
ゴォォン!
ドォォォン!
離れた場所から、爆発音が響いてきた。次いで、空に黒煙が上がってくるのが見える。
「な……お前ら、他にも!?」
「ククク……エルフどもの、そして
血を流しながら、フードの男は笑う。
ゴンッ! とその頭を踏みつけ、小隊長は改めて銃口を向けた。
「お前ら何者だ? 死にたくなければすぐに――」
「死にたくなければ? ははっ、笑わせる」
男は頭を踏みつけられながら、ググッと無理やり首を捻り、小隊長を見上げた。
「……さっさと死にたかったよ。これでやっと、自由になれる……ガハッ」
男は突然、大量に吐血した。
小隊長は慌てて男を確認するが。
「……毒を仕込んでやがった」
小隊長は絶命した男のフードを取る。
見る限りは、純血の人族だ。
男が最後に吐いた台詞から確信を持って、小隊長はそのまま男の胸元を確認する。
「この国は、クソだな」
ビスハの勇兵は呟く。
男の胸にあったのは、奴隷紋。
男は最後に、死にたかったと。やっと自由になれると、呟いた。
「死ななくても、自由を得られる世界を……俺達は」
改めて彼は、奴隷解放を謳う美しい王女と共に戦う決意をした。
***
「
美しいエルフの呼び声に応え、突風が渦巻いた。
木々の向こうから魔物混じりの男達が跳ね飛ばされ、エルミーの前の地面に落下した。
「グッ!」
「ガハッ……!」
ビスハ兵達は衝撃の苦痛に喘ぐ。
その兵達の中に。
「く……今の精霊術、まさか……」
オーガ混じりのビスハ兵リーダー、ギールがいた。
「さすが、モチヅキ様。怖いくらい、予想通り。火の手が上がれば、そこにいるって」
倒れたビスハ兵達を見下ろして、エルミーは不敵に笑った。
「やはり……お前がエルミーか。どうしてエルフが、森に火をかける?」
ギールは、燃え盛る大樹を前にして笑っていたエルミーが火をつけたと思ったのだ。
そのギールの問いに、エルミーは首を傾げる。
「は? 何を、言ってるの? 火をつけたの、アナタたちの仲間でしょ」
「……なんだと!?」
「ワタシを、呼び寄せる為の、卑劣な罠。あの魔術師が、やらせそうなこと」
エルミーは真顔で答えていることから、ギールはとんでもない勘違いをされていると悟る。
「何をバカなっ! エフォート殿は――」
「やっぱり、あの男の手下。さあ、アイツのところ、案内して」
手にした
「……分かった。その前にそこの燃えている木を」
「え?」
「火を消させろ! 何をしている、エルフは森と共に生きる者ではないのか!?」
「……ああ」
エルミーはギールの指摘に、そう言えばとでもいう調子で反応する。
「
「なっ……!」
ギールが驚愕するのも無理はない。大樹は白銀の煌めきを放ちながら、一瞬で凍りついていた。信じがたい力である。
「……なんだ、大森林を焼き尽くして、エルフをあぶり出す、作戦、じゃなかったの。がっかり」
明らかに落胆しているエルミーに、ギールは困惑する。
(この女、普通じゃない)
ギールは軍に派遣されていた時に、聖霊術を使う人族を知っていた。
だが長い詠唱を必要とする割には威力は小さく、とてもではないが精霊の
(魔術師が無詠唱で戦術級を使うようなものだ……! それに)
先程見た、燃える大樹を前にしたエルミーの、狂気じみた笑い。
エフォートに殺すな、とは言われていたが。
(このエルフは……ヤバい!)
ギールは直感的に察すると、即断した。
風の精霊魔術で強かに地面に叩きつけられていたが、この程度の痛みには慣れている。
パァン!
懐から素早く抜き放った
しかし。
「ふぅん。それが、承継魔法で作った、『神の雷』? 大したこと、ないね」
パリィィィン……!
背後の凍りついた大樹が、砕け散った。
「なっ……く!」
パァン!
パンパァン!!
正確に狙いをつけ、連射するギール。
だがエルミーは片手杖を僅かに操作するだけで、僅かもたじろぐことはない。
その背後で地面が、別の木の幹が、次々と爆ぜた。
「弾いているのか!?」
「……〈魔旋〉、だよ」
魔力適性の低いギールには知覚し難かったが、エルミーの持つ
転生チート勇者のシロウ・モチヅキが作成したものだ。
「
エルミーは嗤う。
「そっか、それが王城で、お姫さんの言ってた、『銃』だね。……承継魔法使って、その程度か。所詮、咬ませ犬の実力。あははっ」
「……殿下たちを侮辱するな。女神の飼い犬の、そのまた犬風情が」
ギールがエルミーを睨みつける。
国に媚びて得る安寧よりも、命を賭しての誇りを選んだのだ。
自らの意思で決めた主君を侮蔑されて、黙っているわけにはいかない。
だがそれは、エルフの精霊術士も同じだった。
「……
ガォン!!
「がぁぁっ!」
「ギール……ッ!」
「た、隊長!」
仲間のビスハ兵たちが悲鳴のような声を上げる。
唐突に巻き起こった旋風により、発生したかまいたちがギールの銃を構えた腕を斬り飛ばしたのだ。
「し……心配するな!」
ギン! とギールはエルミーを睨みつける。そして無事な方の腕で剣を振りかぶると、自身の夥しい流血にも構わず、斬りかかった。
「おおおッ!!」
「へえ? すごい、すごい」
裂帛の気合いがこもった斬撃を、エルミーは魔旋を纏った
ギールは連撃を続けながら、仲間に向かって叫んだ。
「ここは任せろ! お前たちは殿下達に報告をっ!」
「し、しかし……!」
「早くしろ! 長くは保たんっ」
逡巡の後、仲間のビスハ兵達は痛みを堪え、背を向けて駆け出した。
「あははっ、おじさん、すごいね、そんな体で! オーガ混じり? ルースと同じだ!」
「おじさん、なんて歳じゃないっ」
ギールの猛攻を受け流し続けるエルミー。明らかに加減していた。
ほぼ無詠唱と言える精霊魔法を使えば、容易くギール達全員を無力化できただろう。
つまり、ビスハ兵たちをわざと見逃したのだ。
「どういうつもりだっ!」
「どういうって……〈魔旋〉」
バキィン!
杖の一撃で、ギールの剣が砕け散った。そしてエルミーは体勢を崩したギールに、蹴りを叩き込む。
「ぐ!」
倒れるギール。負傷しているとはいえ、戦士であるギールを精霊術士のエルミーが圧倒した。恐るべき技量だ。
そして。
「
火焔の蜥蜴が、中空に現れる。
そしてもはや抵抗の術がないギールに襲いかかった。
***
「ギール兄がっ!?」
エフォート達と共に報告を受け、ルースは絶句する。
その横でミカも、顔面蒼白だった。
「……作戦は失敗だね」
ミンミンが冷静に呟く。
「エルミー、銃のことも知ってたんでしょ? こちらの事情はほとんど筒抜け。ボクたちの裏切りもきっとバレてる。終わりだね」
「そう判断するのは早計だ」
諦めの表情を浮かべるミンミンに、エフォートは言う。
「伝わった情報は、逃げた管理兵団と奴隷兵ブルゴーによるものだろう。バーブフを使った偽の報告に引っかからなかったのは残念だが、連中もルースとミンミンの隷属解放を目撃していない。ミンミンに至っては、まだこちらに転移したことも知らないはずだ。当然、承継図書の一部を持っていることも知られていない。諦めるのは、まだ早い」
「……」
「でも、フォート」
サフィーネが口を挟んだ。
「ハーミットも動いてるはずだよね。ビスハの皆が目撃した、森に火をつけた者たちって……」
「ええ、王国の手の者でしょう。奴隷紋を持ち自害したということは、正規の軍人やギルド所属の冒険者ではありえない。ハーミットが手を回した、王国の暗部だ」
「暗部……あのクソ兄、奴隷商に盗賊の闇ギルドにも手を伸ばしてた……」
「それにエルフはともかく、暗部の人間が漏らした
「うん。推測の域は出ないけど」
考え込むエフォートとサフィーネ。
他の仲間たちは状況の変化についていけず、彼らの判断を待つような形だ。
「レオニング、頼みがある」
しかしそんな中、決意を込めて声を上げる者がいた。
「……ルース」
「アタシに、ギール兄を助けに行かせてくれ。オーガ混じりは簡単には死なない。エルミーだって、不必要な殺しはしないはずだ」
「あっ、オラも! オラも行くだ!」
ミカがピョンピョンと飛び跳ねながら、手を上げる。
エフォートは頷いた。
「……確かに、ギールが生きている可能性は高い。ルースが言った意味とは違うけどな」
「えっ」
エフォートはルースを正面から見返す。
「……さっきも言った。お前はお前の望むように動け。ただ、その為に演技はしてもらう」
「え、演技?」
ルースは目を白黒させるが、エフォートは構わずに続けた。
「本隊を二つに分ける。俺とルース、ミカはエルミーのところへ」
エフォートは王女に視線を移す。
「サフィーネ殿下とエリオット王子、ガラフ、それにミンミンはエルフの谷へ向かってくれ。……サフィ、やる事は分かってる?」
「そのつもり。でも、合流する場所は……」
「連絡を取り合おう。これを使う」
エフォートは通信魔晶を取り出した。ルースから預かったものだ。
「……王子」
エフォートはエリオットに向けて、その魔晶をポイッと放り投げる。
「えっ?」
「ふたつに斬って!」
「あ、ほい」
シュン! と閃光が走る。
空中で通信魔晶は綺麗に真っ二つとなり、地面に落ちた。
エフォートは拾いあげると、片割れをサフィーネに渡す。
「小さくなって通信距離に極端な制限が出ますが、大森林内なら問題ないでしょう。消費魔力も増えますが、ガラフがいれば問題ない」
「まかせろー!」
ガラフが朗らかに笑い、サフィーネは頷いた。
「あの……オレたちは?」
エフォートたちの元に報告に来ていた、ビスハ各小隊の伝令たちが尋ねる。
「大森林を周って、火災の延焼を防いでくれ。万が一にも、奴を目覚めさせてはならないからな」
「奴……とはさっきの、エルなんとか、の事ですよね。なんですか? それ」
ビスハ兵の問いに、エフォートは神妙な顔で答える。
「光の聖霊獣エル・グローリア。冥竜プルート・ドラゴンなど足元にも及ばない強大な力を持つと言われる、大森林を守護する伝説の存在だ。これのせいで王国は、エルフの谷に手出しができなかった。六年前にも出現したと言われているが……そうか、あいつの戦略級魔法は……!」
シロウが仲間の奴隷を集めていた時期。
純血のエルフである、精霊術士エルミー。
光の聖霊獣エル・グローリア。
王国と仲の悪いエルフの谷。
森を焼く王国の暗部。
動き始めたハーミット。
点と点が繋がり線となり、エフォートは自分の嫌な予感が真実だろうと確信する。
既に仕組まれた悪意ある罠を食い破り、エルフの里で望む精霊魔法を得る為には。
「むしろ好都合だ。……ルース」
「な、なんだよ」
「お前は、俺の奴隷になれ」
「は……はああ!?」
目を丸くするルース。
(はあ……また。大して演技力ないくせに)
エフォートが思いついたであろう性格の悪い策を察して、サフィーネは深いため息を吐いた。
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