第三章 聖霊獣エル・グローリア編

56.オレ様とツンデレ

「クソがっ! なんで出ねえんだっ!」


 自棄になったシロウが通信魔晶を床に投げつけ、魔晶は粉々に砕け散った。


 都市連合との国境、そのほぼ真ん中にある砦の一室で、転生勇者はこれまでになく苛立っていた。

 仲間であり奴隷である、ルースとミンミンに連絡が取れないのだ。

 新国王ハーミットとの通信の後、別途入った軍部からの連絡で、マギルテで起きた魔王創造種の暴走デモンズクリーチャー・スタンピードを殲滅したのがエフォート一党であると確定する。

 その際、承継図書から得た隷属解除の魔法で、ビスハ村の奴隷兵を全員解放したというのだ。


「ルース……!」


 ギリッと歯噛みするシロウ。

 間違いなく、ルースも奴隷から解放されたのだ。

 でなければ、奴隷が主人の通信を無視することなどありえないだろう。

 そして。

 ハーミットから、さも意図的に偽情報を流したと言われたミンミンまでもが、あれから連絡がつかなかった。

 まったく違う方向に行ったミンミンまで奴隷解放されたとは、現状で考えられない。

 何よりも、ミンミンの正体は。


「どうなってやがる、女神の分体が……」


 ガン! と机を殴りつけたその時、部屋に二人の女性が飛び込んできた。


「シロウッ、大丈夫!?」

「坊や、待たせたのじゃ」


 呼び戻されたリリンと、シルヴィア。

 王都を挟んでマギルテと逆方向に派遣されていた二人だ。

 シルヴィアがその特殊な力でリリンを拾って、シロウの元に駆けつけてきた。


「大丈夫か、ってのはどういう意味だ? お前ら」


 心配そうにこちらを見ている栗色の髪の剣士と吸血鬼を、シロウは睨みつける。


「えっ……」

「オレが、転生勇者のこのオレ様が、奴隷の一人二人失ったところで、どうにかなるとでも思ってんのかっ!」


 叫んだシロウはその身から闘気を発散させ、リリン達を圧迫する。


「ひっ……! し、シロウ……!?」

「落ちつくのじゃ、坊や。まだ失ったと決まったわけではあるまい」


 リリンは身を竦ませるが、流石に吸血鬼の真祖たるシルヴィアは動じず、子どもをあやす母親のようなトーンで、いきり立ったシロウに語りかける。


「ったりめーだ! アイツらがオレを裏切るなんてありえねえ。あの陰険反射ヤロウの姑息な罠にかかったに決まってんだ! リリン、お前の幼馴染のなぁ!」

「シロウ……ごめん、あ、あた、あたし……」


 支離滅裂になっているシロウに怒鳴りつけられ、リリンは涙目になり口籠った。


「坊や、リリンに八つ当たりするのは止めるのじゃ」

「うるせえ! 黙ってろ、さもなきゃ」

「妾にも罰則を与えるか!?」


 シルヴィアは大きくはだけた胸元の奴隷紋に手をあて、シロウを正面から見据えて問う。


「……ッ!」


 シロウは続けて吐きかけた暴言を、辛うじて飲み込んだ。

 シルヴィアは微笑むとゆっくり歩み寄り、その豊かな胸に挟み込むように、シロウの頭を抱いた。


「大丈夫じゃ、シロウ。誰もそなたを傷つけぬ。傷つけられぬ。傷つけさせぬ。そなたは勇者じゃ。一時、卑劣な魔法使いの罠にかかったとて、仲間たちはまたそなたの元に帰ってくる」

「……シルヴィア」

「シロウ。女が誰も皆、あの女と同じではないのじゃ」


 『あの女』とシルヴィアが口にしたところで、シロウの肩がビクンと跳ねる。

 だがシロウはそのまま甘えるように、シルヴィアを抱き返した。


「すまねー、シルヴィア。そうだよな、悪に奪われた仲間は、勇者であるこのオレが、取り戻さなきゃな」

「ああそうじゃ。妾たちが、力になろう」

「……リリン」

「シロウ」


 涙を流し震えていたリリンは、名を呼ばれ見つめ返す。


「悪かったな。来い」

「シロウ!」


 駆け寄り、飛びつくように二人に抱きついた。


「あたし……シロウをこんなに苦しめるエフォートを、絶対に許さない! あたしがシロウを守るから! 仲間を取り戻すから!」


 泣きながらシロウに顔を押しつけるようにして、リリンは叫ぶ。

 シルヴィアはその頭を優しく撫でる。

 そしてシロウも、縋りつくリリンの肩を強く抱いた。


「頼りにしてるぜ、リリン。……策があるんだ、お前らの力も借りるかもしれねえ」

「うん!」

「策、とはなんじゃ?」


 シルヴィアの反問に、シロウは頷く。


「ハーミットからの提案、ってのが苛つくけどな。美味しいとこだけ持って行かせはしねぇ、こっちも王国を利用するだけ利用してやる」


 ニヤリと笑うシロウ。

 ハーミットの裏をかくつもりだった。


「でも……エルミーが向かってるんでしょ?」


 リリンは、先行している仲間の精霊術士の心配をする。


「ああ、もう策は伝えてる。六年前のアレを再現するんだ」

「六年前?」


 リリンがまだシロウ達の仲間になる前の時期だ。


「坊や、それはっ……!」


 顔色を変えたのはシルヴィアだった。

 彼女らしからぬ、苦い表情をしている。


「大丈夫だよシルヴィア。エルミーは喜んでたぜ?」

「それは、そうかも知れぬがっ……!」

「オレが、ヤツを倒す為に必要なことだ」


 有無を言わせない口調で断ずるシロウに、シルヴィアはそれ以上の発言を控える。


「……ああ、そうじゃな。レオニングとあの王女があの森にいるのならば、それが一番効果的じゃろう」


 下手に反論すれば、悟られかねないからだ。

 シルヴィアが納得したと思ったシロウは、ニヤッと笑う。


「心配すんな。ハーミットの指示で、汚れ仕事は王国側でやってくれる。もともと仲が悪いからな、あそことは」

「妾は自分の手を汚すことを忌んだわけではない。見くびるでないぞ?」

「わかってんよ」


 シルヴィアと訳ありの会話を交わすシロウに、リリンは口を尖らせる。


「ずるい、シルヴィアとシロウだけでなんか分かってて。あたしの入る前の話?」

「なんでもねーよ、気にすんな」


 拗ねる彼女の頭を、シロウはクシャクシャと撫でた。


「まあ、このオレ様に任せとけってことだ! 出番が来たらリリンにも暴れてもらうからな!」

「……うん!」


 リリンは朗らかに答え、シロウをまた抱きしめた。


 シルヴィアもため息を吐きながら、微笑んでいる。

 だがその指先は、自らの胸元にある偽りの奴隷紋をなぞっていた。


 ***


「南南西に~進路を取れ~、今日も森は~機嫌がいいっ!」


 エルフィード大森林。

 ラーゼリオン王国の南に広がる森は、その際奥に位置するエルフの谷に近づけば近づくほど、木々が多く生い茂り、険しくなり、人の方向感覚を狂わせる。

 さらに谷に住まうエルフ達が、精霊術により迷いの魔法をかけているのだ。恒常的な効果を優先されており強力ではないが、隣のマギルテ地方に住まい大森林にある程度慣れているビスハの者達がいなければ、並の冒険者ならまっすぐに進むことすら困難だろう。


「歩み爽やか~、チャラン、チャラチャラ~」

「……なあ、フォートのニイちゃん」

「なんだ」

「お姫様にどんな魔法かけたんだ?」

「なんでだ」

「なんでって……」

「ゆっくぞー、冒険っ、みーんなで探検っ、うふふっ! 一緒~だよ~っ!」

「あんな上機嫌ってゆーか、浮かれまくりってゆーか……オイラ、お姫様が物理的に地面から浮いて歩いてるよーに見えてきた……」

浮遊レビテーションはかけていない」

「わかってんよっ!」


 例えに素で返されて、ガラフは思わず叫んだ。


「何こそこそ話してんの? ガラフ君」

「な、なんでもないっす!」


 歌いながら前を歩いていたサフィーネが、タタタッと駆け戻ってくる。ガラフは慌てて首をブンブンと横に振った。

 いつもなら逆にからかうところだが、今のハイパーハイテンションな王女を冷やかすことは、グリフォンの尾を踏む行為に思えた。


「そう? フォートの代わりに魔法使い続けてるんでしょ、疲れてない?」


 迷いの精霊魔術を無効化する為、エフォートは遠隔魔法でガラフを通じ、微弱な反射魔法を行使し続けている。

 対エルミーの主力となるエフォートは、魔力を温存する必要があった。


「大丈夫だよ、お姫様。コレ貸して貰ってるし、自然回復の方が多いくらいだぜっ」


 ガラフはウロボロスの魔石を指で摘んでみせる。ルースが通信魔晶の起動用に持たされていたものだ。


「……本当に凄いな、ガラフは。俺と同じ禁忌破りとはいえ、凄まじい魔力総量だ。回復速度でいったら俺より上かもしれない」


 エフォートが感嘆する。


「お前がいなかったら、暴走スタンピード阻止も危なかった。助かっている」

「へへっ、だろぉ!? ……いや、マジでありがとうな。ニイちゃん達」


 いつものように調子に乗るかと思われたガラフだが、急に神妙な表情に変わって呟いた。


「ん?」

「どしたの、急に」

「いや……オイラ、グレムリン混じりで良かったと思う日が来るなんて、思いもしなかった。こんな力を持ってても、管理兵団にいいように使われるだけだったし。だから、その……ありがとう! ニイちゃん!」


 エフォートの腕を掴んで、ガラフは頭を下げた。


「ガラフ君が……素直! ほらフォート、何か言ったげて!」


 サフィーネに促されるが、エフォートはストレートなガラフの謝意にどう答えていいか分からない。


「か、勘違いするな。俺だってお前を利用しているだけだ。都合のいい魔力タンクにしていると、お前は怒ってもいい……ガラフ、殿下も、どうして笑っているんだ」

「はいっ、フォートの『勘違いしないでよねっ』いただきましたー」

「お姫様、オイラも分かってるぜっ。これが」

『ツ・ン・デ・レ!』


 二人が声を合わせて笑い、顔を真っ赤にしたエフォートが反論しようとしたところで。


「ちょ、サフィーネ! エフォート! 戻って来てくれ!」


 後方で距離を取って歩いていたエリオットが、慌てて追いついてきた。


「どうしたの、兄貴?」

「ルースちゃんとミンミンちゃんが、喧嘩してるんだ。ミカちゃんが宥めてるけど止まらなくて……」


 三人は顔を見合わせて、駆け出した。


 ***


「ああ……ルース、ミンミンさんも、少し落ち着くべ……」


 睨み合う二人の間で、ミカはオロオロするしかなかった。


「……いいかげんにしてくれ、ミンミン。お前にはソレ、必要ないだろ? レオニングに渡してやってよ」

「ボクにあの化け物の力は無くなったんだ。魔力は有限だし、第一ボクは、彼をまだ信用してない」

「お前を助けてくれたじゃないか!」

「彼自身が言ってたでしょ? 自分たちの為にやったって。だいたいあの時は、化け物をボクから切り離して無力化しなきゃ全滅してたんだ。そこまで恩を売られる筋なんか、ない」

「あああ……お前本当にあのミンミンかよ~!」


 頭を掻き毟るルースに、冷めた表情のミンミン。

 そこにエリオットに呼ばれたエフォート達が戻ってきた。


「おい、どうした。何を言い争っている」

「フォートさん、あの、ルースが、ミンミンさんにウロボロスの魔石を渡せって……」


 ミカがたどたどしく説明する。

 ミンミンも、ルース同様に魔力増幅の魔石を渡されていたのだ。

 もっとも、個人として優れた魔力総量を持つミンミンは、通信魔晶にも回復魔法にも増幅は必要ない。念の為のものだった。

 ルースはそれを、大分回復してきたとはいえまだ魔力が全快していないエフォートに譲れ、と言ったのだ。


「どうしてボクが、ルースの点数稼ぎに協力しなきゃいけないの?」

「点数稼ぎって、そんなんじゃないっ! ああもうミンミン、お前はそんな意地悪なやつじゃなかっただろ!?」

「化け物が憑いてた時の方が、ボクよっぽど性格悪かったと思うけど」


 ミンミンはプイと顔を背ける。


「悪いけど、ルース達が知ってた方が偽物だからね。だからボク、ルースの仲間でもない。嫌ならボクに構わないで。ボクも最低限の協力しかしない」

「ミンミン! アタシは!」

「やめろ、ルース」


 抑えているが鋭い口調で、エフォートが制止した。

 ルースはいやいやと首を振って、懇願するようにエフォートを見る。

 サフィーネがその肩を叩いた。


「ルースさん、今は何を言っても無理よ」

「……お姫様」

「ミンミンちゃんは三年の間、人格を乗っ取られていた。誰のことも信用できないのも無理ないわ」

「でも」

「無理強いは止めろ」


 エフォートも同意する。


「確かにウロボロスの魔石はガラフに持たせているから、もう一つあればかなり楽になる。だがそれで、ミンミンの信頼を失っては意味がない」


 そう言ってエフォートはミンミンを見る。


「俺たちはエルミーの協力を取り付けて、ミンミンを国外に逃すまでの一時の利害関係者だ。何かを強要することはできないんだ」

「冷静な判断で助かるよ、レオニングさん。ついでにそこのオーガ混じり、もうボクに近づけないで。あの男と同じパーティだったことを思い出して、気分が悪いんだ」

「なっ……」


 ミンミンの言葉にショックを受けて、俯くルース。

 エフォートは深くため息をついた。


「……わかった。だが一つ言っておくぞ」

「何?」

「ルースは隷属解放される前、シロウを裏切れないから自分を殺してくれと、俺に懇願してきた。その時最後に言った言葉が分かるか?」

「さあ」

「ミンミンを頼む。あの子はいい子だから、だ」


 ハッと顔を上げて、ミンミンはルースを見た。


「……でも、ルースの知ってるボクは、本当のボクじゃない」

「そうかもしれない。だがルースが死の間際、最後に気にかけたのがお前だというのは事実だ。それをよく考えるんだな」


 そう言ってエフォートは、エリオットとガラフの方を向いた。


「王子、ガラフ。ミンミンを頼む。俺たちは先を歩くから、ついてきてくれ」

「わかった」

「まかせろ!」


 二人は頷く。

 エフォートはルースを促し、サフィーネとミカとともに、前を歩き出した。


「……ルース、元気出すべ」

「ごめん、ミカ。アタシ、ダメだね」

「そっただことねえべ。凹んでるのは、らしくね。前を向いてけれ」


 落ち込むルースをミカが支える。

 少しミンミン達から離れてから、エフォートが話しかけた。


「ルース。お前は俺たちの役に立とうとか、考えるな。本当に望むことだけをしろ」

「レオニング、アタシは本当に、お前を利用したいんじゃない。アタシは」

「わかっている。昨日、ミンミンが言ったことは気にしていない。今はエルミーと会った時にどう説得するか、考えておけ」

「……ああ」


『五年前、あの男の奴隷になったのはビスハ村から逃げる為。今回レオニングさんを好きになったのは、あの男から守ってもらう為。……ルース、ずいぶん安い女だったんだね』


 ミンミンに言われた言葉が、ルースの胸に突き刺さっていた。

 そんなことはないと、ルースは早く証明したかったのだ。

 

「優しいんだね、フォート」


 少しだけ離れて、サフィーネはエフォートにポツリと囁く。


「やめてください、殿下。俺は全部計算づくで喋っています。自分が嫌になる」

「自己嫌悪しなーいの。私は好きだよ、フォート」


 殿下呼びでも敬語でも、サフィーネは気にせずエフォートの肩にコツンと頭を当てた。


「……ありがとう」

「うん」


 エフォートはその言葉を、ただの慰めとしか受け取っていないと分かっている。

 でもサフィーネは、もう不安にならなかった。


 ……ォォォン……


「なんだ?」


 エフォートが周囲を見回す。

 ルースも、ミンミンも、エリオットも同様だった。


「……レオニング……」

「わかっている。王子! 隊列を変える、みんな集まれ!」


 警戒範囲を広げるため二つに分けて長くしていた隊列を、一つにまとめる。

 エフォートたちが密集陣形で森を進んでいると、先頭のエリオットが足を止めて、剣を抜いた。


「……王女殿下ッ!」


 前方の草叢から、一人のビスハ兵が飛び出して来た。

 エリオットは構えを解き、サフィーネが前に出る。


「何があったのですか?」

「森の中で、爆発が……! 複数箇所で、火の手が上がっています!」

「森で、火が!?」


 それは許されざる、禁忌だった。


 ***


「あははっ、また……」


 緑の髪に長い耳。

 凛とした美貌の、純血のエルフは燃え盛る炎に照らされ、笑っていた。


「今度こそ、全部燃える、かな? それも、いいな」


 ポツリ、ポツリと、特徴的な口調で精霊術士は呟く。嬉しそうに。


「今度こそ、燃えちゃって、いいかも。谷も、森も。あははははっ!」


 銀の瞳は炎を写し、爛々と輝いている。

 その奥底から、六年前から静かに押し込めていた狂気が、目覚めようとしていた。

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