55.ごほうび
「ボクはあなた達の仲間になるつもりもないよ」
断言するミンミン。
幼い外見に似合わない鋭い眼差しは、固い決意を窺わせた。
「……なあミンミン、そんなこと言わないでくれ。このままじゃお前も危ないんだ」
最初に口を開いたのはルースだった。
「なんで?」
落ち着いたトーンでミンミンは問い返し、ルースは自分の考えを説明する。
「エルミーがここに来るんだろ? あいつには精霊術がある。このあたりの精霊に聞いて、何があったか把握するはずだ」
「そうだろうね」
「アタシのこともミンミンのことも、シロウ様に伝わってしまう。特に承継図書を持っているミンミンは、きっと狙われる」
「そうかもね」
「でもレオニングなら、シロウ様に対抗できる。きっとミンミンのことも守ってくれるから」
「ルースはそんな打算で、レオニングさんを好きになったの?」
「えっ……」
予想外の言葉に、ルースは雷に打たれたようなショックを受ける。
「五年前、あの男の奴隷になったのはビスハ村から逃げる為。今回レオニングさんを好きになったのは、あの男から守ってもらう為。……ルース、ずいぶん安い女だったんだね」
「……ち、ちが、アタシは」
「違うって言うなら、ルースがボクを守ってよ」
「えっ」
「ボクはもう誰にも利用されたくない。ボクの生命も運命も、ボクだけのものだ。助けてくれたレオニングさんには悪いけど、二度とあの男には関わりたくない。アイツと戦う為の仲間になんて、絶対ならない」
「ミンミン……」
「それでもルースがボクの為にって言うなら、レオニングさんを諦めて、ボクを守る為にボクについてきてよ」
「……あ、アタシじゃミンミンを守りきれない。アタシは、シロウ様には勝てないから」
「じゃあ、ルースに気安くレオニングさんを好きだなんて言う資格はないよ。だってそんなの、利用してるだけじゃないか」
ミンミンの言うことは辛辣だが正論だ。ルースは返す言葉もなく、落ち込んでしまった。
「……ミンミン。お前本当は幾つなんだ」
あまりにも大人びた発言の連発に、エフォートがため息まじりに問う。
「九つ。あの化け物に取り憑かれたのは、六つの頃から」
「……そうか」
子どもらしく過ごすべき時期に、女神に人格を支配された。早熟を余儀なくされるのも無理はないだろう。
エフォートはミンミンに哀れみの感情を抱かざるを得なかった。
「……わかった、ミンミン。俺たちの仲間になる必要はない」
「レオニング、でもっ!」
慌てるルースをエフォートは制する。
「だがルースの言ったことも本当だ。お前、あのエルフの精霊術士をどうするつもりだ。あいつにシロウへ報告させない策でもあるのか?」
「そんなのない。でも国外に逃げれば、いくらあの男でもそう簡単には」
「甘いな」
冷静に、そして容赦なくエフォートは指摘する。
「相手はシロウだけじゃない。ハーミット王子……今頃もう国王になっているだろうが、あいつが組んでいるんだ。承継図書を持つお前を逃すはずがない。俺たちにそうしているように、あらゆる政治力を使って国外に手を回すだろう。都市連合以外にお前を受け入れる国はない」
「さすが口が回るね、レオニングさん。なんとかボクを取り込むつもりだろうけど、無駄だよ。エルミーがここに着くより早く、脱出すればいいだけ」
「ミンミンちゃん、ハーミットを甘く見過ぎよ」
サフィーネが口を挟んだ。
いつの間にか、私情から落ち着きを取り戻している。
「
「……そんな、まさか」
「王国最強の魔術師が承継図書を得て消えた直後に、災害規模の魔物の軍勢が一日で消滅した。そのタイミングで私たちの関与を否定する情報を、ミンミンちゃんがもたらす。シロウはともかく、あの兄がそんな出来過ぎを疑わないはずがない」
「で……でも! 隷属魔法が解かれた事を知られてなきゃ、ボクが嘘をついたとはっ……それ以前に、ボクはあの化け物の分体だと思われてる。貴女たちに協力したなんて考えるはずがっ!」
「そんなことはありえない。不可能だ。そういった状況を排除せずに、すべての選択肢に対応策を講じるのが、ハーミット・フィル・ラーゼリオンよ」
「……っ!」
ミンミンは、逃亡の時間を稼ぐ為に流した虚偽情報がむしろ下策だったことを悟り、絶望する。
エフォートがサフィーネの言葉を補足する。
「……一部の管理兵団も逃してしまった。捕らえているバーブフを使って偽の報告で撹乱するが、俺たちが奴隷解放の手段を得ていることも、伝わるだろう」
「じゃあ……ボクはあの男から逃げられないの? なら……どうしたら……」
シロウに怯え不安がるミンミンに、王女と魔術師は同時に言った。
「心配しないで」
「俺たちが必ず逃す」
サフィーネとエフォートは思わず目を見合わせる。
後ろで黙っていたミカが、ルースを慰めながらクスリと笑った。
***
「クシュン!」
『風邪か? 回復魔法でもかけてやろうか』
「
『冗談だよ。誰が男なんか回復するか』
王城の執務室でハーミットは、都市連合との国境砦にいるシロウと通信していた。
通信兵には魔晶に魔力を限界まで注がせてから、退室させている。
「クシュン! クシュン!」
『おいおい、情けねーな』
「失礼。……三回か、まあ私の悪い噂をする者には事欠かないからね」
『……同じような迷信は、何処の世界にもあんだな。テメエがそんなの信じるとは意外だぜ』
「私は信心深い女神教の信徒だよ。だから、女神の選んだ勇者であるシロウ殿を信じて、こうして協力している』
『勝手に言ってろ』
「……女神、か」
ハーミットはフッと笑う。
通信魔晶越しでも、シロウはその気配を察した。
『なんだ? 何笑ってやがる』
「いや。では私はシュエール側の国境警備を強化するよう、手配すればいいんだね?」
『ああ、ミンミンが得た情報だ。確度に不安はあるが、もっと詳しく分かったらまた知らせる』
「……モチヅキ殿」
『なんだ』
「マギルテで起きた
『ああ。ルースが巻き込まれたみてーで、連絡がつかねえ。エルミーに確認に行かせてる』
ハーミットは呆れたようにため息を吐いたが、今度はシロウは気づかず話を続けている。
『ルースには軍の命令に従うように言っておいたからな。ビスハ村……だったか? そこで魔物討伐に駆り出されたのかもしれねえ』
「モチヅキ殿。ひとつ聞きたい」
ハーミットが声のトーンを変えて、問う。
「ビスハ兵の協力も前提にしていい。ルースさんは一日で
『……規模によるが、さすがに一日は難しいだろうな。何が言いたい?』
「何が言いたいか、分からないかい?」
ここまで言われれば、シロウも気がついた。
『……反射ヤロウがマギルテにいるってのか?』
「そして、このタイミングでそれを否定する情報を入れたミンミンを、疑うべきだ」
『バカ言うな。俺の仲間が裏切るわけねえだろ』
「隷属魔法があるから?」
『そんなもんが無くてもだ』
ハーミットは笑う。
隠すつもりもない嘲笑に、シロウは苛立った。
『笑ってんじゃねえ、テメエには分からねえよ』
「いや失礼。だがモチヅキ殿、シュエール方面のギルド関係者、教会関係者の情報網からは、そのような三人組の目撃報告は一切ないよ?」
「なんだと?」
「それから、念の為に確認しておこう。先日レオニングが君に話したことを覚えているかい?」
『はあ?』
「承継図書群の中に間違いなく、隷属魔法を解く魔法があると」
『なっ……まさか』
「では私は、君の忠告通りにシュエール付近の国境警備を強化しよう。エルミー君の報告、楽しみにしているよ。ミイラ取りがミイラにならないよう、気をつけてくれたまえ」
『待て、テメエッ』
「すまない。こちらの魔晶の魔力切れだ」
ハーミットはシロウの声を無視して、通信を切った。
これ以上話をしても、時間の空費になるだけだと。
直後、ノックの音が響いた。
「入れ」
「失礼します! マギルテ領ビスハ村の奴隷管理兵団より、緊急の報告が入りました!」
入室した秘書官が敬礼して、要件を伝える。
ハーミットは薄く笑った。
「報告の内容、当ててみようか」
「は? ……はっ」
「
「……さすがです、陛下」
ハーミットの慧眼に秘書官は驚く。
当然といった表情で、新国王は続ける。
「こんなに容易く居場所を漏らすとは、愚かな妹だ。
妹が兄を理解していたように、兄もまた妹を理解していた。
「ところで、解放された奴隷の中にモチヅキ殿の仲間、ルースとミンミンはいたかな?」
ハーミットの質問に、秘書官は管理兵団との通信内容を記した書類を確認する。
「報告では、確かにルース殿が現れサフィーネ殿下たちと敵対したようです。ただその後どうなったかは、分かりません。ミンミン殿の情報はありませんでした。シュエール山脈に向かっていたのでは? 方角が違うかと」
「ふむ、そうだね……」
秘書官の答えを聞き、ハーミットは思案する。
(女神の分体なら距離など関係ないだろう。承継図書の力を得て力を増すエフォートに、危機感を覚えた女神が先に動いた。充分ありえることだ。だがシロウに偽情報を流す理由は? ……まあ、我らが気まぐれな女神様の思惑を、人ごときに測れるはずもない)
「と、思考を止めるのは愚か者のすることだね」
「はい?」
ハーミットの脈絡のない独り言に秘書官は戸惑う。
「モチヅキ殿へのただの嫌がらせだったが、それが真実の可能性も考えておかないとね。……ヴォルフラムを呼んでくれ」
「はっ!」
秘書官が退室すると、ハーミットはデスクに王国の地図を広げた。
「さて面白くなってきた。サフィーネとエフォートなら、軍の防衛線を突破するため向かう場所は……」
ハーミットは地図上にほとんど迷わず軍棋の駒を置く。
「そしてルースが殺され……いや取り込まれて、ミンミンとも通じていたとして」
トン、トン、と小気味良い音を立て、駒を次々に置いていく。
「ふっ。奴隷解放の力を得た反逆の王女一党が、次に狙う者は」
手にした最後の駒をくるりと回して、ビスハ村とエルフィード大森林最奥のエルフの谷、その中間地点にトンと置いた。
「確率は六割、といったところかな。さて。軍を動かすか、転生勇者をけしかけるか……精霊術はやっかいだからね」
ハーミットは実に楽しげに笑っていた。
***
夜が明け、エルフィード大森林の手前にビスハ兵たちは並んでいた。
前に立っているのは、ギールだ。
「いいか、伝令は細かく回せ。連絡は怠るな。相手はエルフの精霊術士だ。森の中でこちらが先に見つける可能性はない。つまり連絡が途絶えた部隊の位置が、目標の位置だ。すぐにエフォート殿へ知らせ、その地点を囲んで逃すな!」
「はっ!」
ビスハ兵達が一斉に応える。
「皆さん、よろしくお願いします」
サフィーネが前に出て、頭を下げた。
「この作戦が終われば、先程お話した通り、一度解散して、バラバラに潜伏してもらうことになります。もう少し、私達に力を貸して下さい」
「頭を上げて下さい、姫様!」
ビスハ兵の一人が声を上げる。
「俺たちは姫様達に、返しきれない恩があるんだ!」
「どんなことでも命令して下さい!」
「自分の意思で、あんた達に従うぜ!」
「エルフの一人捕まえるくらい、朝飯前ですぜ!」
「ありがとう……皆さん」
口々に笑顔で声を上げるビスハ兵達に、サフィーネはもう一度頭を下げた。
「よし、行け!」
「おうっ!」
ギールの指示に従って、ビスハ兵達は小隊を組み、森の中へと駆け出して行った。
「では両殿下、エフォートどの。あとは予定通りに」
最後に残ったギールが数人の仲間とともに、エフォート達に声をかける。
「ああ。もし運良くエルミーを捕らえられたとしても、殺すなよ? 承継図書を持つミンミンは仲間にしたい。エルミーを殺してしまえば、あの子は俺たちを信用しないだろうからな」
エフォートの言葉にギールは頷く。
「分かっている。では……ミカとガラフ、それにルースを頼みます」
「まかせとけって、俺がいるんだから!」
一晩で元気を取り戻したエリオットが、豪快に笑ってギールの背中を叩いた。
「何言ってんだエリオットの兄貴、頼まれるのはオイラの方だ! ギール、こっちのことはオイラに任せて!」
「こらガラフ、また調子に乗るでねえ! ああギール兄、オラも頑張るから、気をつけてけれ!」
意気の高いガラフとミカに、ギールは笑う。
「頼りにしているぞ。では!」
ギール達の小隊も、森の中へと駆け出して行った。
残っているのはエフォートとサフィーネ、エリオット、ミカにガラフ。
そして少し離れた場所で、ルースとミンミンが話をしていた。
ミンミンは差し当り、エルミーを奴隷解放し説得するまでの間という条件で、同行することに納得した。
だがそれでも思うところはあるのだろう。人格が変わったとはいえ長くパーティの仲間だったミンミンに、ルースが何かと気を使っていた。
「また、あんな露悪的な言い方して」
エフォートに向かって、サフィーネがポツリと呟く。
「……なんですか?」
「ミンミンちゃんのこと、ただ助けたいだけのくせに。エルミーにしても、シロウの仲間はみんな解放したいんでしょう?」
「買い被り過ぎです。俺はリリンさえ取り戻せれば、それでいいんだ」
「……そう」
ふいっとサフィーネは顔を背け、一人森の中へと歩き出した。
「サ……殿下?」
「何してるだ、鈍感フォートさん!」
「さっさとお姫様を追いかけろよ、無神経ニイちゃん!」
ミカとガラフが、鈍感無神経の反射魔術師をけしかけた。
「は? いや俺たちは、まとまって行動する作戦だろう。ミンミンとルースも呼んで」
エフォートは二人の剣幕に目を丸くするが、ミカが怒鳴る。
「いいから! 後からオラ達が連れてくから! お姫様を一人で行かせるつもりけ!?」
「あ、じゃあ俺がサフィーネについて行こう……痛ぇ! ガラフなんで殴る?」
「バカ王子はオイラ達と一緒だ! ほら、ニイちゃん!」
「なんなんだ……」
意味が分からないエフォートだが、ずんずん歩いていくサフィーネを放っておくわけにもいかない。
仕方なく小走りになって、サフィーネに追いついた。
「殿下、待って下さい」
「殿下呼び止めて」
「……サフィ」
それでもサフィーネはしばらく無視して森の中を歩いた後、ようやく足を止めた。
「フォート」
立ち止まり振り返ったサフィーネに、エフォートはホッと安堵する。
「サフィ、すまない」
「なんで謝るの?」
「いや……怒ってるから」
「なんで怒ってるか、分かってるの?」
「……一応は」
「へえ! じゃあどうするの!? どうすれば私は、フォートを許すと思う!?」
睨みつけてくるサフィーネに、エフォートは戸惑いながら口を開きかけた時。
「わあああああっ!」
「サフィ!?」
両掌で顔を覆ってサフィーネは、しゃがみ込んだ。
「ごめん! ごめんフォート! 謝らなくちゃいけないのは私の方なんだ!」
「えっ……?」
「私には、フォートに怒る権利なんてないのに。私たちは共犯者で、それだけで、なのに私は勝手に……利用するだけ利用して、それなのにもっと、もっとって求めて……私はっ……! ……あ」
頭の上に、温かい感覚。
ポンポンと、優しく置かれる掌。
「フォート……」
「サフィ。俺はこの五年間、魔法の勉強とアイツに勝つことばかり考えてきた。その為に多くの人を傷つけ、利用してきた。でもサフィ、実は俺は、サフィだけは一緒に罪を犯してくれている仲間だと思っていた。何も言わなくても、分かってくれていると思っていた。傷つけて、苦しめていたんだな。すまない」
「……あやまら……ないで……」
「怒っていいんだ、サフィ。俺は忘れていたんだ。……ごほうびを」
「えっ?」
ガバッと顔を上げるサフィーネ。
真顔だ。
エフォートは動転する。
「えっ? ……違うのか? いつもサフィは、役目を終えると頭を撫でてサフィと呼んで褒めろって……違ったのか?」
「違っ……わないけどっ……あははっ」
サフィーネは笑ってしまう。
こんな人だった。
こんな人だから私は、と。
「……足りないよ」
「え?」
「私、頑張ったよね? 承継図書の魔法を使って、魔物の軍勢相手に戦って、女神の隙を作って」
「ああ。ここまで来れたのは、サフィのおかげだ」
「だから、頭ポンポンだけじゃ足りない」
「じゃあ……どうすれば」
「自分で考えて」
「えっ」
「フォートは頭がいいでしょ? 私が何を求めてるか、自分で考えて」
「……わかった」
エフォートは考える。
いかなる敵を前にした時以上に、過去最大級に頭を回転させる。
すべての問題は、その過程にヒントがあるはずだ。考えろ、王女のこれまでの言動を。必ず答えがあるはずだ、と。
「……あ」
「何か思いついた?」
サフィーネは笑う。
あのエフォートが、他の様々な問題ではなく自分の事だけを、必死で考えてくれた。その時間こそサフィーネにとって至福だった。
そんなエフォートを間近に見れて、実はサフィーネは既に満足している。
「サフィ、間違ってたらゴメン」
だから、それはサフィーネにとって十七年の人生で一番の衝撃だった。
「え……!」
不意に近づく顔。
唇への柔らかな感触とともに、チュッと可愛らしい音が響いた。
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