54.パニック・バイ・キス

 五歳を迎えたその日に、ミンミンは孤児院から教会へと送り出された。

 だが、洗礼を受け司祭になる道を歩むわけではない。

 そもそも司祭になれるのは、ごく一握りのエリートやコネのある者、教会への多額の献金が可能な者だけだ。

 戦争で親を失ったミンミンは、教会で修行をし、回復術師を目指すのだ。

 軍に所属することになるのか、それとも教会の下部組織で働くことになるのか、それはその時にならないと分からない。

 だが戦災孤児が奴隷に身を落とすこともなく、職にありつけるのは極めて幸運だ。

 それは彼女が、五歳になる前に行った〈鑑定〉で、高い魔術適性値を叩き出したからだった。


(魔法の適性なんて、ボク、無ければよかった)


 だがミンミンにとって、それは不運以外の何物でもなかった。

 ソレは、気づいた時には自らの内に存在した。

 回復魔法の修行をする度に、大きくなった。

 気づけば、自分が自分でない時間が多くなった。


(我に近い、新しい人格を作った方が楽しいかしらぁ)


 最後にそんな声が聞こえてから、ミンミンはついにミンミンであることがなくなった。

 だが、その間も知識は得た。

 記憶は残った。

 新しいミンミンが誰と出会い、何を為し、そして自らの内に在ったものの正体がなんなのか。

 それはすべて、分かっていた。

 だから、今自分がどういう状況で目を覚まそうとしているのか、ミンミンにはよく分かっていた。


 ***


「な、なあ、ルース……」

「どうしたの? ミカ」

「あ、あの、離れた方がいいべ……」

「なんで?」

「なんでって……ルース、こんな性格だったべか……」


 ミンミンの枕元には同じパーティの仲間、ルースがいるようだった。

 それはいい。

 だが問題は、そのルースが誰に引っ付いているのかだった。


「……ルース」

「どうしたレオニング? あ、お腹空いたか? ミンミンまだ目を覚まさないみたいだし、アタシと一緒に夜食でも喰いにいくか? ビスハ名物の角兎ホーンラビットの煮込みでも作るよっ、アタシの得意料理」

「いいかげんに離れろ」

「きゃんっ」


 グゥァンッ、と空間が軋むような音がして、ルースは小さな悲鳴を上げる。

 小さな反射壁でもぶつけられたのだろう。


「いった~い。何するの」

「何するのじゃない。何故そんなにベタベタする。目的はなんだ?」

「目的って。言ったじゃん、レオニングに惚れたからだよ」

「だからそれはどんな罠だっ」

「罠って、ははっ、ウケる」

「なっ」

「……まったくウケませんわ。ルースさん」

「あ、お姫様、ゴメンねアタシ、自重とかまったくできないタイプみたい」

「シロウ相手には、それなりにわきまえた態度だったと思いましたが」

「ああ。ねぇー」

「ねぇー、って!」

「いやあ、アタシほんとにシロウ様のこと、そんなに好きじゃなかったんだなぁ。こうなってみてビックリするくらい思うわ」

「貴女ねぇ……」

「いいのか。俺は奴を倒すぞ」

「協力するって言ったじゃん。一緒にリリンを取り戻そうねー」

「だから引っ付くなっ」


 グゥァンッ


「ぎゃっ! ……愛のリフレクション……!」

「うっとりするでねえべ、ルース。気色悪いべ」

「ねぇ。アタシにエムっ気があるとは思わなかったわ」

「え、えむっけ?」

「ミカちゃんに変な言葉を教えないで!」

「冗談じゃんお姫様、怖いなあ。レオニングもビビッてるよ?」

「こ・の・お・ん・な……!」


(何やってんだろ、この人たち……)


 ミンミンはまだ寝ている振りをして目を瞑っているが、ルースの声はもちろん、エフォートとサフィーネの声は分かる。

 二人とも、隷属の主人だったシロウの敵のはずだ。

 ルースは間違いなく、自分にかけられたものと同じエフォートの魔法で、隷属魔法を解除されたのだろう。

 それにしてもここまで変わるだろうかと、ミンミンは静かに驚いていた。

 

「とりあえず、二人とも落ち着いてくれ。ミンミンはとっくに起き」

「二人とも!? 二人ともってどういう意味よフォート! あ……エフォート殿! 私は落ち着いておりますし、何も悪いことをしておりませんわ!」

「言い直してる。あはっ、お姫様カワイイ」

「……っ!!」

「ルース! ルースやめるべ! お姫様をからかうでねぇっ!」

「からかってないよー。褒めただけで」

「……バカにしてるでしょう」

「してないってばぁー」

「殿下、まともに相手をしないで下さい」

「どうして私だけ我慢をっ……だいたいエフォート殿がデレデレしているから、その女が調子に乗るんです!」

「お、俺がいつ、デレデレしましたか!?」

「鎧を脱いだルースさんのお胸にひっつかれて、心地良かったですかっ!?」

「反射したでしょう!?」

「さんざんベタベタされた後で、でしたけどねっ。充分堪能できたんじゃないですか?」

「してない! サフィ、頼むから落ち着いてくれ。今はこんな話をしている場合じゃ」

「サフィーネ、です。サフィー・ネ。勝手に名前を縮めないで下さい」

「……わ……分かりました、殿下。とにかく今は、ミンミンから情報収集を」

「分からないでよっ! 殿下呼びしないで!」

「えええ!?」

「あはははっ、あはははは!」

「何がおかしいのよあんたっ! ミカちゃん、この女なんとかしてぇ!」

「ルース! いいかげんにするべッ!」

「大丈夫だよ、お姫様」

「はあ? 何が」

「ほっぺだから」

「……え?」

「さっきのキス。ギリ唇に近かったけど、ほっぺだったから」

「はっ? えっ? ……はあ、え……えええっ!?」

「あははははっ! ホッとしていいのかどうか、分からないんでしょう? もーあんたら、かーわーいーいー!」

「……開け、我が秘せし扉」


 ガチャン!


「サフィっ!?」

「お姫様! か、神の雷はやめてけれっ!!」

「撃つ! 絶対に撃ち殺す!」

「助けてレオニング~! 反射して~」

「フォートに触るなぁー!!」


(絶対ボク、起きたくない……!)


 少女の願いも空しく。

 ミンミンがシロウに持たされていた通信魔晶が輝き、遠話の待機状態に入った音が響き渡った。


 ***


 むっくりと起き上がったミンミンに、エフォートを除く一同が驚いた。


「えっ、ミンミンいつから起きて……って、ちょっと待っ」


 ルースが制止するより早く、ミンミンは足元にあった通信魔晶を手に取った。

 膨大な魔力が必要な魔晶を、幼い少女は容易く起動させ通信状態にする。


『ミンミンか? オレだ、シロウだ』


 エフォート達にとっては忌まわしい、勇者の声が魔晶から響く。

 ルースがビクンと肩を震わせた。

 強がってはいたが、五年もの間、奴隷契約を結んでいた相手だ。

 裏切る形になった今、平静でいるのは簡単ではないだろう。


(どっ……どうするの、フォート)

(今から通信を妨害しても不自然だ。ミンミンが何を話すか分からないが、様子を見るしかない)

(レオニング……)

(ルース、お前も黙っていろよ。いざとなったら俺が魔晶を破壊する)


 エフォート達は、小声で囁き合う。

 ミンミンはその様子を一瞥してから、口を開いた。


「お兄ちゃんっ! ボクだよ、ミンミン。どしたの~?」

『どしたの、じゃねーよ。定時連絡忘れやがって』

「あっ、そうだった。ごっめ~ん」


 何事も無かったようなミンミンの対応に、エフォート達は顔を見合わせる。


『ったく。調子はどうだ? シュエールには着いたのか』

「もう少しだよっ。でも途中の街で、意地悪魔術師っぽい人たちの噂は聞いたんだー」

『マジか!? お前そういうこと、なんで早く言わねえんだ!』

「噂だし、確かめてからって思って」

『どんな噂だ』


 ミンミンは、またエフォート達に視線を向ける。

 エフォートはいつでも魔法を放てる状態だ。こちらの情報を漏らせばタダではおかない、と言いたげな厳しい表情。

 一方その横のルースは、先程までの軽口はどこへやら、今にも泣き出しそうな懇願する目でミンミンを見つめている。


「……なんかねー、三人組の男女がシュエール山脈の方に旅してたってっ。ボクみたいに小っちゃい女の子がいたから、冒険者のパーティーにはあんまり見えなかったってー」

『……シュエール山脈か……東の端が都市連合との国境に接してんな。軍も張ってるが、そうか。遮蔽物の多い山中なら、対策取られてる〈インビシブル〉に頼らねえで突破できる可能性があんな。姑息なヤロウの考えそうなことだ』

「どうする? お兄ちゃん、こっち来る?」

『……いや、シュエールは都市連合との国境線の最北端だ。その情報がヤロウの罠で逆を突かれたら、オレが間に合わなくなる。もう少し確証が欲しいな』

「分かったー。シュエールの麓の集落で、また情報集めてみるねっ!」

『頼む。……珍しいな』

「えっ?」

『いつものミンミンなら、お兄ちゃんがいないとツマンナイからこっち来い、ぐらいの我儘言いそうだからよ』


 ポタリ、とミンミンの頬を伝って冷や汗が落ちた。


(こいつ……)

(この子……)


 エフォートとサフィーネは、明らかに緊張しているミンミンに驚き、顔を見合わせる。


「……なぁに、お兄ちゃんもミンミンと遊べなくて寂しいのっ!? やっぱりボク、人探しなんか止めてお兄ちゃんとこ戻る~!」

『ああ気のせいだった! 反射のクソヤロウ見つけたらたっぷり遊ばせてやるから、さっさと行けっ!』

「ちぇー。約束だよお兄ちゃん!」

『ああ、あとひとつだけ。ミンミンとこにルースから連絡きてねえか?』


 ルースの拳がギュッと握られる。


「ルース? ううん。なんでー?」

『あいつも定時連絡してこねーんだ。こっちからの遠話にも出ねえ。……マギルテで魔王創造種の暴走デモンズクリーチャー・スタンピードがあったって話だ。巻き込まれたかもしれねえな』

「え? あの馬鹿力お姉ちゃんなら、それくらい大丈夫でしょ~」

『だと思うけどな。念の為、一番近いエルフィード大森林に行ってるエルミーを向かわせるか』

「あははっ、エルミー文句言いそ~」

『だな。じゃ、なんか分かったら連絡しろよ』

「ほいほーい。じゃ、お兄ちゃんまたね~」


 通信魔晶の輝きは消え、遠話は終了した。


 バリィィン!


「ミンミン!?」


 ルースが驚愕する。

 ミンミンが通信魔晶を地面に叩きつけ、砕いたのだ。


「これでいいでしょ……もう嫌だ。ボクもうアイツと、話したくない」


 先程までの快活で明るい口調から打って変わり、嫌悪感を露わにするミンミン。

 エフォートは、疑念が確信に変わった。


「ミンミン……お前、女神の分体になってからと人格が違うのか」

「一緒にしないで。ボクはあんな化け物じゃないし、あんな人お兄ちゃんなんて、二度と呼びたくない」

「み、ミンミン……?」


 文字通り性格が変わった幼女に、ルースは戸惑う。

 ミンミンは自分の胸元を覗き込んだ。

 女神の分体を相手に形だけだったろうが、シロウによって刻まれた奴隷紋は綺麗に消えている。


「レオニングさん」

「……なんだ」

「ボクをアイツの奴隷から、何よりあの化け物の操り人形から解放してくれて、ありがとう。それについては礼を言います」


 ミンミンはペコリと頭を下げた。


「……ルースよりしっかりしてるな」

「アタシだって礼はしただろ」

「あんなのは礼と言いいませんわ」

「まあ、お姫様にとってはそうかもだけど」

「フォートにとってもよ!」

「そりゃレオニングにしか分からないだろ」

「分かるわよ!」

「痴話げんか、止めて下さい」


 最年少の幼女に諌められ、サフィーネは仕方なく口を閉じる。


「難しい言葉、知ってるんだな」


 フォートの言葉に、幼女は年齢に見合わない自嘲めいた笑みを浮かべた。


「ボクは、この世界のどんな生物より長く生きている女神に、取り憑かれてたんだ。知識くらい増えるよ」

「……待て。ということは、女神の知識と記憶が残っているのか?」


 エフォートの声が上ずった。

 もしそうなら、とんでもないアドバンテージだ。


「残念だけど、残ってるのは本当に表面的なことだけ。もし重要な記憶を引き継いでたら、あの化け物がボクを生かしておくわけないでしょ」

「……それもそうか」


 エフォートは肩を落とすが、他にも確認しなくてはならないことがある。


「なら、お前に魂魄快癒ソウル・リフレッシュをかける前に奪われた、承継図書群は? ミンミン、お前のアイテム・ボックスに入っているんじゃないか?」


 サフィーネはハッとして、ミンミンを見る。

 ミンミンは自分の中の魔力を確かめるように、胸に手を当てて目を瞑った。

 そして。


「……異物感はあるね。あの化け物、ボクを通してじゃなきゃ力を使えなかったはずだから。多分承継図書は、ボクが持ってると思う」

「本当にっ!?」


 サフィーネが歓喜の声を上げる。


「けどボク、異空間収納アイテム・ボックスの魔法を使えない。取り出すことはできないよ」

「そんなの私が教えるよっ、貴女みたいなすごい回復術師なら、すぐに……」

「空間系と回復系は、魔術構築式スクリプトがまるで違います」


 逸るサフィーネに、冷静に告げたのはエフォートだった。


「殿下も優れた空間魔法を使えますが、回復魔法のレベルは低いままでしょう。ミンミンにも同じことが言えます。アイテム・ボックスは非常に高位の空間魔法だ。チートの転生勇者ならともかく、女神の分体でなくなった回復術師に扱えるとは思えません」

「……ていうこと」


 ミンミンは肩を竦めた。


「けど、それが分かっただけで充分だ」


 だがエフォートは安堵の声を出す。


「最悪なのは、奪われた承継図書が女神を通してシロウに渡ることだった。たとえ取り出せなくても、こっちで確保できているのなら……」

「こっちで? 何か勘違いしてない? レオニングさん」

「え?」


 ミンミンは、目を丸くしているエフォートを正面から見返す。


「ボクはルースとは違う。あの男の元に戻るつもりはないから、さっきの通信では嘘ついたけど。ボクはあなた達の仲間になるつもりもないよ」


 それは、今まで女神の操り人形だったミンミンの絶対の決意表明だった。

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