53.覚悟
「……生きてる」
ルースは篝火に照らされたテントの天井を見上げ、呟いた。
寝かされていたのは、木材と藁を雑に組んだ簡易ベッド。ビスハ村にいた頃は慣れていた寝床だ。
テントには眠っていたルース一人きり。
枕元に置かれた羊皮紙のメモには、『バーブフを捕らえている。不審な動きをすれば殺す。おとなしくしていろ』と書かれていた。
「……適当だなあ」
問答無用で殺しにかかってきた自分に対する警戒が、これでいいのか。
ルースはベッドの上で上半身を起こす。
身体はなんの拘束もされておらず、自由に動いた。
さすがに〈魔旋〉の力が込められた戦斧は取り上げられていたが、テントの外に見張りの一人も立っている気配はない。
(
「……いや。あの性悪陰険魔術師が、そんな油断するはずないっか」
「性悪陰険で悪かったな」
「うわっ」
バサリとテントの入口から、エフォートが一人で入ってきた。
独り言に返されて、ルースは驚く。
「なんだ、気配を消して見張ってたのか。おどかさないで」
「見張っていたわけじゃない。今来たところだ」
「……お前一人か?」
「ああ」
「……そうか」
枕元に立つエフォート。
ルースの方は立ち上がろうともせず、おとなしくしていた。
意外な反応に、エフォートは怪訝な表情を浮かべる。
「……落ち着いているな。てっきり、すぐにでも襲いかかってくると思っていたが」
「アタシをバーサーカーみたく言わないで。どっちかっていうとその役目、ウチのパーティーじゃリリンだから」
唐突に出された幼馴染の名前に、エフォートは戸惑いを隠せず視線が泳ぐ。
「ぶはっ……なんなんだお前、分かりやすいな」
噴き出すルースに、エフォートは思わずムッとする。
「うるさい、余計なお世話だ」
「お前、本当にシロウ様を嵌めたエフォート・フィン・レオニングか? どっかで魂入れ替わってんじゃないのか?」
「……残念だが、今も昔もこれからも、本物のエフォートだ」
「そうか。じゃあ……」
ルースはグイッと顔を近づけて、エフォートの瞳を覗き込んだ。
ウェーブがかった前髪がぱらりとかかった、美しい貌がエフォートの眼前に迫る。
「なっ……」
「五年前。本当にリリンを盾にして自分だけ助かろうとしたわけじゃ、ないんだね」
「……!」
エフォートは顔を背けてルースから離れた。
「何を、いきなり」
「そうなんだろ?」
「……どうしてそう思う」
問われてルースは、顔にかかった髪を指で耳にかけた。
その仕草は篝火に照らされて、普通の男性ならばドキリとする色っぽさだ。
「お前は、あんなにも必死にミカを助けてくれた。シロウ様と死闘の末に得た承継図書を、犠牲にしてまで。それに、サフィーネ王女との関係を見ていれば分かるよ。女を盾にするような卑怯者を、あの王女様が好きになるはずがない」
「……俺と殿下は、共犯関係にあるだけだ」
朴念仁らしいエフォートの答えに、ルースはクスリと笑う。
「そんなこと言っていいのか?」
「えっ?」
エフォートの視線が一瞬、テントの外に泳ぐ。
その仕草でバレバレな事に、ルースは内心でまた笑ってしまった。
(なんだコイツ、本当にあのレオニングか? 可愛すぎだろ)
「まあ、その辺はいいや。とにかくお前は、リリンを見殺しにするようなヤツじゃない。それがわかったってだけ」
「……俺はそんないい人間じゃない」
少し沈黙した後で、エフォートは呟く。
「みんな勘違いしている。承継図書を引き換えに女神と交渉したのは、ヤツをあの回復術師の身体から引き剥がす隙を作る為だ」
「それも、もしかして女神の分体に取り憑かれたミンミンを助ける為じゃないのか?」
「まさか。王城の時のように、
ルースは黙って、肩を竦めた。
エフォートは続ける。
「みんな俺をいい風に考え過ぎだ。実際に俺は、勇者選定の儀ではリリンに魔法を放ってシロウの隙を作った。宝物庫前ではサフィに一人で戦わせたし、今日だって俺は、サフィにとんでもない苦痛を味あわせる作戦を実行したんだ。女を盾にしていると言われても、文句は言えない」
「でも、お前の反射ならリリンへの魔法は絶対に防げたんだろ?」
「……ああ」
「それに宝物庫前の時も、今回も、サフィーネ王女は嫌々戦ったのか? むしろレオニングと一緒に戦って傷ついて、それを誇りに思ってるんじゃないのか?」
エフォートは少し考えてから、頷いた。
「サフィーネ殿下は、きっとそう思っている。自分だけ安全な場所にいて、他の者に危険な役目を負わせるような事を、あの方はできない。王族に向いていないんだ……でもこれは、俺の問題だ。俺が守りたい人を守れていないということが……おい、なんでさっきから俺の話になっている。こんな話をする為に、来たんじゃない」
「分かってるよ」
ルースは薄く笑って、ひとつ大きく息を吐いた。
「レオニング」
「なんだ」
「お前はシロウ様と真逆だな。違い過ぎて、だから似てる」
「は? 何を言っている」
リースの胸元の奴隷紋が、ボウっと黒く光り始めた。
途端に、ルースは膝に置いた拳を強く握り締め、額に脂汗が浮かび上がる。
罰則術式が発動したのだ。
今のルースには、耐え難い痛みが襲っている。
「……ルースッ!」
「静かに」
大声を上げそうになったエフォートを、ルースは小声で諌めると、テントの外に視線を向けた。
テントの外で聞き耳を立てている者たちがいると分かっている仕草に、エフォートは驚く。
「お前、気づいて」
「優しいな、レオニング。ミカとギール兄がいたら、アタシが取り乱して、冷静に考えられないって、思ったんだろ?」
想像を絶する痛みに耐えながら、ルースは小声で囁く。
「でも、厳しくもあるよな。アタシを楽な方に、逃してくれない。自分で決めさせようと、してる……あの時、殺してくれないなんて、ひどい奴だ」
「……悪いな。俺は性悪で陰険なんだ」
「ははっ、まったくだ」
ルースは罰則術式の痛みに耐えながら、立ち上がった。
そして。
「ミカ、ギール兄、それにいるんだったら王女殿下も。入ってきてくれ」
「ルースッ!!」
バサッとテントの入口からミカが飛び込んできて、ルースに抱きついた。
追ってギールと、サフィーネが入ってくる。
エフォートと目が合ったサフィーネだったが、すぐに視線を逸らした。
「……殿下」
「なんでしょうか、ただの共犯関係のエフォート殿」
「な、何を怒っておいでですか」
「何を怒っておいででしょうね」
まずい。これは相当やらかしてしまったとさすがのエフォートも自覚するが、ではあの時にどう言えば良かったのかなどと、見当もつかなかった。
「ルース!? た、大変だべ、また罰則術式がっ……」
「大丈夫、ミカ。見てて、ほしいんだ、ミカに」
奴隷紋が光っているルースにミカは慌てたが、苦痛に顔を歪めながらも、ルースはハッキリと妹同然のミカの目を見て話す。
「ギール兄も、見ていて」
「……ああ」
「レオニング、待たせた」
そしてミカに背を向けて、ルースはエフォートの前に立った。
(ああ……オラが憧れた、背中だべ……)
ミカは初めて、ルースが帰ってきたと実感する。
「アタシは、ビスハ村のルースだ。誰の物でもない。王国軍の物でも、シロウ・モチヅキの物でもない。レオニング、アタシを隷属魔法から解放してく……レオニング聞いているのか?」
「あ、ああ、すまない。聞いている。後は任せろ」
完全に拗ねているサフィーネに、明らかに気を取られ動揺しているエフォート。
勇者はおろか女神すら手玉に取った男が、一人の女を相手にオロオロしている。
ルースは罰則術式の痛みでそれどころではないのに、何故か笑えてしまう。
(何故か、じゃないな。アタシもうダメだ)
ルースの想いに気づかないまま、エフォートは咳払いをしてから、魔術構築式を描き始める。
そして。
「魂よ、あるべき姿へ戻れ! 〈
エフォートの詠唱とともに、蒼光の柱が屹立した。
ルースの胸に刻まれた奴隷紋は、瞬く間に跡形もなく消えていく。
「……すごいな」
魔法の行使を終えたエフォートは、声を上げて感嘆した。
「ほとんど魔力を消費しなかったぞ」
それはルースの覚悟の強さ、その現れだった。
ミカは飛び上がって喜ぶ。
「やったべ、さすがルース! これでみんな自由だべ!」
「……ああ」
ルースは自分の綺麗になった胸元を覗いて、柔らかく微笑んだ。
そして。
「ありがとう、レオニング。お前のおかげだ。これは礼にもならないけど」
「えっ」
「あっ」
硬直するエフォート。
全身から血の気が引くサフィーネ。
響いたのは、チュッという可愛らしい音。
「ええええええええええええええ!!」
「ルルルルルルルルルルース!? ななななななななな何を、今、何をしただ!?」
絶叫するギールとミカ。
当のエフォートと横に立つサフィーネは、声を上げることはおろか身動きひとつ取ることができない。
「えへへ、ゴメンねお姫様」
ルースは自分の唇を舐めて、妖艶な表情を浮かべる。
「惚れたよ、レオニング。お前がリリンをシロウ様から取り戻すまで、アタシもお前の仲間だ。よろしくなっ」
マギルテ地方最後の夜は、まだ明けなかった。
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