58.キケンな精霊術士
「ぐっ……」
右腕に激しい痛みを感じて、ギールは目を覚ました。思わずその腕を見ようとするが、肘から先がない。
「……そうか」
エルフの精霊術士、エルミーの操る風の上位精霊ジンに斬り飛ばされたことを思い出した。
それでも無理に戦いを継続した為、すぐにでも失血死すると思っていたが。
(そういえば、炎の蜥蜴が現れて……傷口が焼き塞がれている?)
「もう目を、覚ましたの? 本当に、オーガ混じりは、大した回復力」
凛とした、しかしどこか冷たさも感じる落ち着いた声が響いた。
ギールが顔を上げると、岩に腰掛けたエルミーがこちらを見ている。
「……どうして助けた?」
「餌、だから」
即答するエルミー。
その口元には、酷薄な笑みが張りついていた。
「まあ、そうだろうな」
餌、という言葉の意味を問い質す必要もない。サフィーネとエフォートを呼び寄せる人質ということだろう。
「だが、らしくない」
「どういう、意味?」
「エルフは誇り高い、高潔な種族と聞いている。我らのような魔物混じりを人質にするとは、およそエルフ族らしくないと思ってな」
「あははっ、なに勘違い、してるの?」
エルミーはギールを見下ろして笑う。
「あなたみたいな、亜人混じり一人。あの計算高い魔術師が、助けに来るはず、ない」
「……」
「お姫さんは、分からないけど。止められるでしょ、普通に考え」
「
エルミーの言葉を遮り、ギールは問いかけた。
「……ん?」
「おかしなエルフだ。魔物混じりなら分かるが、亜人混じり? 高慢なエルフ族なら、自分たちと俺たちを同じ亜人と一括りにするなと。少なくとも俺が知るハーフエルフは言っていたがな」
「
ゴンッ!
ギールの目の前で、大地が小さく爆ぜた。巻き起こった土砂で跳ね飛ばされ、オーガ混じりの戦士は強かに打ち据えられる。
「ぐ……!」
「ワタシは、ワタシ。そこらのエルフと、一緒にしないで」
(どこに地雷があるんだ、この女……!)
ギールはそれでも、このエルフの精霊術士のことを詮索しなければと考えていた。彼女の思惑はどうあれ、間違いなく自分を助けに、エフォート達は来るだろう。その際には、何かしらサポートをしなければならない。実力で劣る以上、それは情報を得ることでしか叶わないことだ。
「……ならば俺は、何の餌だと言うんだ?」
「聞いて、どうするの? 無能な、奴隷兵さん」
「俺はもう奴隷じゃない」
「……同じでしょ? あの魔術師に従って、こんな真似」
「火をつけたのは俺たちじゃない!」
「嘘ついても、無駄。精霊の声で分かる。フードを被った男たち。この森を、エルフ以外でうろつくの、あなた達くらい」
「フード……?」
ギール達の小隊は放火犯の姿を見ていない。だが、それがビスハの者ではないのは明らかだった。
「俺たちの仲間にそんな奴らはいない。そんな頼みもされていない」
「嘘ばっかり。モチヅキ様の読みが、外れるはずない」
「モチヅキ……ルースを連れて行った男か。アイツのせいで、ルースは苦しんだんだ」
「何を、言ってるの? 助けられた、でしょ?」
「独善と言うんだ、あれは」
「なら、本人に、聞いてみる?」
「なんだと?」
エルミーが視線をギールの背後に向けた。
振り返ると、そこには大きな
「ルース!? ……お前、」
ギールが声をかけるその前に、ルースは動いた。
「ヤアアァァァ!!」
「ルース!?」
「ーーッ!」
蹴った地面が爆発する勢いで、突撃を仕掛けるルース。
「……〈魔旋〉」
「〈魔せぇぇぇぇぇん〉ッ!!」
オーガ混じりの膂力による物理・魔法混合の斬撃を、エルミーは片手杖で捌いた。
ガォン!
受け流され斧が叩きつけられた地面が爆発する。
「おおお!」
しかしルースの勢いは止まらない。
大地を抉りながら
「〈魔旋〉ッ」
ギャリギャリギャリギャリギャリ!!
金属同士が擦り合うような不快な音を立てながら、エルミーはその強烈無比な一撃を受け止めた。
「……やっぱり強い! 良かったエルミー!!」
「ルース、あなた、どうして」
本来の武器の特性ならば、戦斧の一撃を片手杖で受けられるはずがない。
それを可能にしているのは、〈魔旋〉の威力に影響する魔力総量の絶対的な差。
「……奴隷紋が、ない。やっぱり、モチヅキ様の心配通り、裏切ったの?」
「違う! 聞いて、エルミー!」
ギィン!
武器同士で弾き合い、距離を取るルースとエルミー。
ルースは戦斧を構え直し、叫ぶ。
「エフォート・フィン・レオニング……あいつは悪魔だ! アタシのシロウ様との繋がりを破壊して、まったく別の力でアタシの心を奪ったんだ!」
「えっ?」
「ルース何を!?」
「ヤアアッ!!」
困惑しているギールを尻目に、またもエルミーに突撃を仕掛けるルース。
「
精霊術士の呼び声に応え、かまいたちを伴った突風がルースを襲った。
ルースは戦斧を叩きつけ迎撃。風は全て弾き飛ばされるが、突撃の勢いは殺されエルミーに届かない。
その隙にエルミーは大きく下がって再び距離を取った。
「どういうこと? 改めて隷属魔法、かけられた? でも、そんな痕跡は」
「今、アタシの心は魔法とはまったく別の力で、レオニングに囚われてる!」
「魔法と別の力??」
精霊の声を聞く限り、ルースのステータス異常はエルミーには認められない。
だが魔法とは別の力と言われれば、それを判別する方法はなかった。
「ヤアアッ……大地割り!」
ルースはノーモーションで戦斧を地面に叩きつける。
地は裂け、衝撃波が走りエルミーを襲う。
「
地の防御壁が現れ、エルミーを守った。だが相殺して砕けた防御壁の隙間にルースはまたも突貫する。
「〈魔旋〉」
「〈魔せぇん〉ッ!」
再び大音響を上げて、戦斧と片手杖が鍔迫り合う。膂力ではルース、魔力ではエルミー。その力は拮抗していた。
「……だからエルミー、アタシを止めて!」
「えっ?」
「今のアタシは、レオニングの為に戦うことしかできない! でも〈魔旋〉の力を得たあんたなら、精霊術を組み合わせてアタシを倒せる! シロウ様を思うなら……アタシを殺してぇっ!」
「わかった。
「え、即答!? わっ!」
ゴゥン! と炎が渦を巻いた。
「ルースッ!」
思わずギールは叫ぶが、次の瞬間。
「とりゃああああ!」
戦斧が巻き起こした烈風の如き斬撃で、オーガ混じりの女戦士は火精霊の炎を弾き飛ばした。
「ダメだよエルミー、その程度じゃあアタシは焼けない!」
「相変わらずの、力技。ルース、あなたと本気で戦うの、久しぶり」
「本気で……行くよっ!」
三たびルースは、突貫した。
***
「あれは本当に演技なのか……?」
「……まあ、ルースは嘘を言ってねえべ。そういう意味じゃ、ルースは演技してねえだ」
木陰に隠れていたエフォートとミカは、ボソボソと呟いた。
精霊の声を聞けるエルミーを相手に、この森の中で物陰で隠れても意味はない。
だがエフォートは、〈インビシブル〉の魔法を行使していた。
精霊術士が本気で探れば見破られる可能性は高いが、少なくともルース相手の戦闘中にその余裕はないだろう。
エフォートはルースを先行させ、戦闘の開始を確認してからミカとともに接近していた。
「じゃあ、オラはギール兄を避難させてくるべ」
「気をつけろ。いざとなったら反射で守るが、今はまだエルミーの前に出たくない」
「わかっただ、慎重に行くべ」
ミカは大怪我を負って動けないギールに、ジリジリと近づいていった。
***
「速いっ……速すぎるよ、ガラフ君ッ!!」
「時間ないんでしょ? しっかり掴まってお姫様、もっと飛ばすよッ」
「よし行けガラフ!」
「煽るなバカ兄貴ぃぃっ!」
「……バカみたい」
大森林の最奥エルフの谷に向けて、サフィーネ、ガラフ、エリオット、そしてミンミンの四人は、生い繁る木々を縫うように飛んでいた。
グレムリン混じりのガラフによる〈
ガラフが習得していた〈
「きゃああ、ぶつかるっ!」
「あ、やっべ!」
「まかせろ、裂空斬!」
ガラフが目測を誤り正面衝突しかけた巨木を、寸前でエリオットが斬り裂く。
「あっぶねえ! サンキュー、エリオットの兄貴!」
「どうってことないよ! なんならガラフ、ずっと真っ直ぐ飛んでいいよ。行く手を塞ぐモノは、俺が全部ぶった斬る! って痛あ!」
調子に乗るエリオットの頭をサフィーネは叩いた。
「馬鹿言わないで! 必要以上に森を傷つけて、エルフ達を怒らせたらどうするの!?」
「あ、そうだった!」
「……バカみたい」
ギャアギャア騒ぎながら森の中を飛び続けた一行は、驚異的な速さで大森林の最奥に辿り着く。
無事に地面に足を着くことができたサフィーネは、そのままへたり込んだ。
「し、し、死ぬかと思った……」
「お姫様ごめん、いつも苦手な魔法がすっげえうまくいって、調子に乗っちゃった」
「まあ、早く着けたからいいよ……すごいね、ミンミンちゃんの〈マインド・アップ〉って」
サフィーネは涼しい顔で谷を見つめているミンミンの横顔を見ながら、呟いた。
そのミンミンが、急に眉を顰める。
「どうしたの? ミンミンちゃん」
「様子が変だよ。ここってエルフが多く住んでるんでしょ? 静か過ぎるよ」
「えっ?」
サフィーネは谷の入り口を見る。
素朴な木造の小屋が一軒経っているが、確かに人の気配を感じられなかった。警戒心の強いエルフ族が、あそこまで大騒ぎして飛んできたサフィーネ達に気づいていないとは考え難い。
「……行こう、嫌な予感がする」
立ち上がり背筋を伸ばして、サフィーネは歩き出す。
鬼が出るか、蛇が出るか。
一行はエルフの谷へと足を踏み入れていった。
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