51.魂魄快癒(ソウル・リフレッシュ)

「幼き回復術師の魂よ! 女神の移し身を拒絶し、あるべき姿へ還れ! 魂魄快癒ソウル・リフレッシュ!!」


 ミンミンの身体に、蒼光の柱が屹立した。

 吸い込まれていた途中の承継魔導図書が、バタバタと地面に落ちる。

 同時にミンミン、いや白の幼女である女神の分体が苦しみ始めた。


「そっ……そんなっ……ウソかしらっ、こんな……!」

「俺たちを甘く見過ぎだ、クソ女神」


 入念に魔術構築式スクリプトを重ねて描き、魂魄快癒ソウル・リフレッシュの効果を倍加していくエフォート。

 そこに増幅させた魔力を注ぎ込んでいく。


「〈ウロボロスの魔石〉を手に入れたのは幸運だった。これをルースが持ってこなければ、俺とガラフの魔力が回復するまで、お前を呼び寄せるのを待たなくてはならなかった。そうなればミカは保たなかっただろう」

「我を……この我を、罠に嵌めたというのかしらっ!? ……魂魄快癒ソウル・リフレッシュで我とこの小娘を引き離せると、どうして知ってッ……!」

「さあ、どうしてだろうな」


 エフォートは数日前に、黒の幼女と最後に交わした会話を思い出していた。


魂魄快癒ソウル・リフレッシュ。これをそなたが覚えれば、もう吾はこうして会いにくることも、覗き見することもできなくなる。吾はそなたの魂に取り憑いておったからの』

『……なるほどな。それはあの白いクソ女神も同じか?』

『おそらくな』


 そして、その更に前。

 ラーゼリオン王城地下の結界牢に閉じ込められていた時、黒の幼女と交わした会話。


『ミンミンとかいうシロウの仲間。回復術師のあの子どものことだ』

『ああ、あのガキか。確かに怪しさ大爆発じゃの』

『あれは今の貴様と同じじゃないのか?』

『女神の分体という意味か? ふむ。ありえるのじゃっ』

『貴様の方で抑えておけないのか』

『無理じゃな。アレがもし本当に女神の分体なら、完全に受肉しておる。吾のような精神体ではない。手を出そうものなら一瞬で消し飛ばされるのじゃ』

『使えないやつだ』


 つまり。

 復活後や完全体ならともかく、他人の魂に憑いている状態の分体には、〈魂魄快癒ソウル・リフレッシュ〉は魔王や女神に対しても有効。

 更に言えば、魔王が「受肉」と表現した「肉体を有している状態」でなければ、その現世における影響力は低減するということだ。

 だがその予想は、あくまで黒の幼女の発言から推測しただけ。なんら確信を持てる実証があるわけではない。


「分の悪い賭けみたいな罠だったけどな……サフィ、ありがとう」

「……フォート」


 魂魄快癒ソウル・リフレッシュの重ねがけを続けながら、エフォートはサフィーネを助け起こす。


「サフィが命をかけて、貴様の注意を引いてくれたおかげだ。安心したよクソ女神」


 エフォートはこれまでの意趣返しとばかりに、ニィっと笑う。


「世界の管理者だろうがなんだろうが、俺が密かに魔術構築式スクリプトを描いていたことにも気づかない、十分に対抗できる間抜けな相手であってくれて」

「人族風情が……なめるでないかしらぁッ!!」


 白の幼女が叫ぶと、ミンミンの身体が糸の切れた操り人形のようにパタリと倒れた。


「ミンミン!」


 ルースが駆け寄って、幼い回復術師の身体を抱える。

 その身体から白い影が霧のように抜け出し、ひとかたまりに纏まって人の形を形成した。


「うわわっ、なんだコイツ!?」


 怯えるルース。

 現れたのは、エフォートとサフィーネは会ったことがある、髪も肌も瞳も、何もかもが白いミンミンとは異なる幼女の姿。

 ただし、その輪郭は淡く揺らいでいる。


「これなら、どうかしらぁっ?」


 次の瞬間。エフォートはサフィーネを抱き起こしたまま、白の幼女とともに上下左右が無限に広がる、白く輝く異空間にいた。


「無駄だ。〈魂魄快癒ソウル・リフレッシュ〉」


 エフォートは冷静に、自らとサフィーネに承継魔法をかける。

 蒼い光が白い空間を一瞬で砕き、二人は元の荒野へと戻ってきていた。


「く……」

「やはりな。これまで何度も貴様らに連れ込まれたあの空間は、魂だけを連れ出すものだ。あそこなら今の貴様らでも影響力を持つだろうが、魂をあるべき姿に戻す魂魄快癒ソウル・リフレッシュの前には、無意味だ」

「……あはっ……あはははははっ!」


 白の幼女は笑う。それはこれまでの嘲笑と異なる響きを持っていた。


「……認めるかしら、禁忌破り。我はまんまと、そなたにしてやられたかしら」


 落ち着いた口調を取り戻して、白の幼女は続ける。


「そなたの想像通り、小娘から引き離された分体の我に、現世で出せるチョッカイは限られるかしら。まずは見事と称賛しましょう、エフォート・フィン・レオニング。それにサフィーネ・フィル・ラーゼリオン」


 白の幼女は拍手をしながら、二人に賛辞を送る。


「けれど勘違いしないことね? 受肉した分体でも、その力は本体の万分の一以下。そなた達が所詮ゲームの駒である事実に、なんの変わりもないかしら」

「だが、充分に楽しめる駒だろう? 勢い余って持ち主に噛みつくかもな」

「あらら、間違えないで。そなたが噛みつく相手は我ではなく魔王、その前に転生勇者の望月史郎かしら」


 白の勇者は気絶したミンミンを抱き抱えるルースを見てから、ニッと笑う。


「我が再び受肉するには、ほんの少し時間がかかるかしら。承継図書も大半は頂いたし、その間は高見の見物で、そなた達の戦いを楽しませてもらうかしら」

「……趣味のいいことだ」

「高尚な神の趣味は、下賤な人間には理解できないものかしら」


 言いたい事を言うと、白の幼女の輪郭が空間に溶け出すように、揺らいで消え始める。


「……待て、エリオットに何かしたと言っていたな! 承継図書を半分以上奪っていけば充分だろう、王子を元に戻していけ!」

「断るかしら。ゲームマスターに危険を及ぼすかもしれないその男、生かしておくだけ感謝するかしらぁ?」

「なんだと? どういう意味だ!」

「ふふふ……ちょっとしたスパイスかしらっ……ふふふ……」


 白の幼女はエフォートの問いにろくに答えないまま、不気味な笑い声とともに跡形もなく姿を消していった。

 

 ***


 女神の分体が去ってからしばらくの間、沈黙が場を支配していた。

 特にビスハの者たちの大半は、何が起こっていたのかほとんど理解できず、ただただ呆然としている。


「う、うーん……なんかすっかり、寝ちまったみてえだべ。あれ? オラなんで……」


 そんな彼ら、彼女らを現実に引き戻したのは、暢気な犬耳少女の寝起き声。


「……ミカちゃん!」

「わっ! お、お姫様!?」


 飛ぶように抱きついてきたサフィーネに、ミカはようやく状況を思い出す。


「そうだ、オラ……お姫様、無事で良かったべ」

「こっちの台詞よ! もう、無茶をして! ……でも、ありがとうミカちゃん。助けてくれて」


 サフィーネは涙を流しながら、笑顔でミカを抱きしめる。

 ミカは手足をバタバタと振って慌てた。ついでに犬耳もパタパタと動いている。


「な、なんにもだべ! そもそもお姫様達がオラ達を助けてくれたのに、ルースがいきなり……あ」


 そしてミカは、もう一つ残酷な現実を思い出す。 


「オラ……なんで生きてるんだべか? 確かルースに斬られて……」

「……ミカちゃん」


 サフィーネ向けた視線の先には、気絶した幼い回復術師を抱き抱え座り込んでいる、褐色の肌の女戦士がいた。


「ルース!?」


 こちらに背を向けているが、どんなに変わってしまっていたとしても、ミカがその背中を見間違えるはずがない。


「……そっただ背中、見せねえでけれ」


 ルースは肩を震わせながら、振り返らない。会わせる顔がないとは、まさにこのことだった。

 自分のことばかりを考え、村を見捨てて飛び出したルース。

 その自分が捨てた村の仲間たちを、奴隷から解放し、おそらくは魔王創造種の暴走デモンズクリーチャー・スタンピードの脅威からも守ってみせた反射の魔術師エフォート。そして反逆の王女サフィーネ。

 そんなサフィーネを、ルースは軍の命令に従い殺そうとしたのだ。

 そして、王女を守ろうとしたミカを、ルースは殺しかけた。

 ミカが助かったのは、ひとえにエフォートとサフィーネのおかげだ。

 あれだけ苦労して得た承継図書を失ってでも、救おうとしてくれた。


(あの人とは違う……そして、アタシとも)


 もう、目を逸らし続けることはできない。


「こっち向いてけれ、ルース。オラはゆっくり話がしたいだ。お姫様とフォートさんは、優しいいい人だ。話せばきっとルースも分かってくれ……ルース?」


 背中に向かって語り続けていたミカが、ルースの様子がおかしいことに気がつく。


「……ルースッ!」


 駆け寄って正面に回り込んだミカが、悲鳴のような声を上げた。


「……ミ……カ……」

「なして、罰則術式がっ!?」


 ルースの胸の奴隷紋が黒く光り、壮絶な苦痛を与え続けていた。

 ルースはミンミンを抱きながら、その痛みに黙って耐えていたのだ。


「ルースお前、どうして!」


 ギールは、口を封じ拘束していたバーブフに改めて剣を突きつける。


「ムー! ムムーッ!」

「ルース聞け! 俺たちはバーブフを人質にとっている、お前は止むを得ず大人しくしているんだ、命令に背くようなことはしていない!」


 罰則術式との付き合いに慣れていたギールは、なんとか妹を罰則から回避させようと、建前を伝える。

 だがルースは、兄を見て涙を流し、首を横に振った。


「ギール兄……ごめん……殺して……アタシを……殺し、て……」

「ルース!?」

「何を言うだ、いきなり! せっかくまた会えだのに!」


 慌てるギールとミカに、ルースは頭を下げる。


「本当にごめん……アタシは、ダメだ……だから、殺して……」

「そっただことできるわけねえべ! フォートさん、お願えだ! ルースを奴隷から解放してけれっ!」


 無表情のフォートが答える前に、ルースはまた首を横に振った。


「駄目……だよ……アタシ……シロウ様を裏切るつもり……ない、から……レオニングの魔法は……通じない……」


 もう目を背けることはできないと、ルースは覚悟していた。


「そんな!」

「だから……殺して……あの可哀想な人を……アタシが裏切る前に! あの人の命令に背く前に! アタシを殺してぇぇッ!!」

「わかった」


 氷よりも冷たい声で。

 ルースの懇願を了承した者は。


「ミカ達のことは任せろ。安心して死ね」

「……ああ……そうだね、あんたには……アタシを殺す権利がある……ミンミンのことも、頼むよ……この子は、いい子なんだ……」

「わかった」


 エフォート・フィン・レオニングが掌をルースに向ける。


「まっ……待ってくれだ! フォートさんッ!!」

「さらばだ」


 エフォートの言葉とともに、ルースの視界は急速に暗転した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る