50.白の幼女、再び
「サフィ、どいて!」
エフォートはミカに飛びつき、心音を確認する。
犬耳少女の心臓は、停止していた。
「……ガラフ!」
エフォートは、ルースから預かった通信魔晶を、グレムリン混じりの少年に投げ渡す。
「えっ?」
「
横になるミカの上に跨り、エフォートは胸に両手を合わせ、一定のリズムで体重をかけ、強く押し始めた。
「なっ!? 止めて下さいエフォートさんっ!」
「せっかく再生した肋骨が、折れちまう!」
ビスハの救護兵たちが慌てて止めようとするが、エフォートの行動の意味を知るサフィーネがそれを制した。
「待ってっ! これは心臓マッサージって言って、動かなくなった心臓を無理やりにでも動かさないと、ミカちゃんはすぐ死んじゃうのよっ!」
「し、心臓……マッサージ!?」
聞いたこともない単語に、救護兵たちは困惑する。
「……がはっ」
「ミカ!」
しかし、少しして呼吸の止まったミカが息を吹き返した為、また目を瞠った。
魔法も使わずに心臓の止まった者を蘇らせらせる。
ビスハの者たちには、エフォートが奇跡を行っているように思えた。
エフォートは心臓マッサージを止めて、ふっと息を吐く。
「よし! ……けど、もう一刻の猶予もない……ガラフ、通信魔晶は?」
「起動したよ! けどこれどうす、あ」
「ルース!」
ガラフの手から魔晶を奪い取って、エフォートはルースに投げ渡した。
「早くミンミンに繋げ、後は俺が話す」
「あ……あ……アタシは……」
ルースは、目の前でミカの心臓が止まる様を見てもまだ、覚悟の決まらない自分に絶望し、滂沱の涙を流していた。
「アタシは……ダメだ……ミカが死にそうなのに……シロウ様から……離れられない……奴隷を止めるなんて……」
「そんなことどうでもいいっ!」
ついさっき、シロウの奴隷を止めることが取引の条件だと言ったばかりのエフォート。
そのエフォートの鋭い声に、ルースはハッとする。
「えっ? だ、だって」
「もうシロウにでも、ハーミットにでも好きなように報告しろっ! どうでもいいから早くミンミンに繋げっ! 〈ファイヤー・ボール〉!」
エフォートは縛られたバーブフの足元に火球魔法を炸裂させる。
「ムムムーッ!?」
「早くしろ! さもなくばバーブフを殺すぞっ!」
「あ……ああ!」
命令と矛盾しないエフォートの要求を受けて、ルースは慌てて通信魔晶を手に念じる。
『……ん? ルース、どったの? お姫様たち見つかった?』
魔晶から、幼い幼女の声が響く。
「ミンミンッ……」
「貸せ!」
エフォートが繋がった魔晶を奪い取った。
「クソ女神! 取り引きだ!」
『……その声、反射のお兄さん? ちょっとルース、どゆこと?』
「ガキは引っ込んでろ! 聞こえてんだろ、クソ女神がッ!」
しばらく沈黙の後、魔晶から響いてきた声は。
『……せっかく我が、黒のとの約定を守り大人しくしてたのに。何用かしら? 不敬な禁忌破りが』
同じ声なのに。
口調は穏やかなのに。
圧迫感の桁が違う。
人に非ざる、いやこの世の者に非ざる声に、ビスハ兵達は震えあがった。
エフォートも冷や汗を流しながら、乾いた唇を舐める。
「……その禁忌破りに、よく応えてくれたな」
『勘違いしないでほしいかしら。我はそなたの存在を認めていない。黒のへの言い訳が立てば、いつでもそなたをゲーム盤から消し飛ばすかしら』
「そのゲームを面白くしてやろうっていう、提案だよ」
『……ほう?』
興味を引かれたように、魔晶から聞こえる声のトーンが変わる。
『言ってみるかしら』
「その前に、こちらに来い。お前なら容易いだろう?」
『転移など使えば、黒のに気づかれるかしら。奴はそなたの魂に張り付いて』
「もう、魔王の分体は俺を監視していない。
魔晶からの声が途切れ、一瞬沈黙が流れる。
そして。
「……っ!」
「なあっ!?」
「ミンミン!!」
空間を切り裂いて、エフォート達の前に幼い回復術師のローブをまとった愛くるしい幼女が、唐突に現れた。
ただし、その眼光は幼女のものではない。
「……違う、ミンミンじゃない」
ルースは、目の前の幼女が姿形はミンミンと同じでも気配がまるで異なる、王城で顕現した女神の分体に間違いないことを悟る。
白の幼女。
そう形容するしかない存在だった。
「……なるほど。確かに黒のの気配は感じないかしら。百二十三ある承継魔導図書群の中から早々に〈
白の幼女は、エフォートの後ろに立つ青年に目を止めた。
エリオット・フィル・ラーゼリオン王子。
白の幼女は弾けるように笑い始めた。
「……くっ……くはははははっ……気づかなかったかしら! この我をここまで謀るとは、なかなかやるかしら、ラーゼリオンの小僧!」
「……何を言っている?」
エフォートは、視線を交わす白の幼女とエリオットを見て問いただす。
しかし幼女は笑い続け、エリオットは険しい表情で幼女を睨みつけたままだ。
「あはははは……なるほど、確かに小僧がいたのであれば……禁忌破りが望み通りの承継図書を見つけることも、簡単かしら! あははっ……!」
笑い続ける幼女。
そして不意に笑い声は止まり、幼女の様子が一変する。
「……なら、このままゲーム続行とはいかないかしら。黒のにも言い訳も立つ」
そう言うと、白の幼女からの気配が劇的に変わった。
それは明らかな殺意。
「がっ……!」
「く……は!」
エフォートはおろか、サフィーネ、エリオット、ルースにビスハ兵たちまで含めて、その場の全員が苦しみ始めた。
幼女の瞳が妖しく輝く。
「これで終わりかしら。みんな消えなさぁいっ」
女神が生存を認めない。
この世界でそれは即ち、死だ。
「……ゲームを面白くしてやると、言ったはずだっ!!」
エフォートが最後の力で、言葉を絞り出した。
とたん、その場の全員を襲っていた絶対の苦痛が止まる。
「はっ!……はあっ……はあっ……」
「な、なんだったんだ……今のは……」
「死っ……死ぬところだったのかっ……俺たちっ……!」
神の気まぐれで、生と死の境を遊ばれるように行き来する。ビスハの者たちは恐怖に喘いだ。
白の幼女は妖艶に笑う。
「苦し紛れの命乞い、ではなさそうかしら」
エフォートは肩で息をしながら、幼女を睨んだ。
「……承継魔導図書を返還する。望むのなら、ライトノベルの知識も奪うといい。お前ならできるだろう」
「フォートッ……!?」
サフィーネが絶句する。
エフォートは王女を振り返った。
その漆黒の瞳が語る意思を察して、サフィーネは頷いた。
命には代えられないと。
「何かと期待したら、そんなこと。がっかりかしら」
白の幼女はあからさまに落胆する。
「そのようなこと、我がその気になれば許可などなくとも、いつでもできたかしら。黒のに卑怯と文句を言われるから、しなかっただけ」
「魔王に文句は言わせない。これは、俺たちとミンミンの取り引きだからだ」
幼女の眉がピクンと上がった。
エフォートは続ける。
「シロウのライバルとして、俺はちょうどいいだろう? 承継図書がゲームバランスを崩すというなら、回収すればいい」
「……取引、というのは?」
白の幼女の反応に手ごたえを感じ、エフォートは倒れているミカを指した。
「ミカを助けてほしい。それが『回復術師ミンミン』への要求だ。見返りに俺たちは、シロウの仲間である彼女に承継図書を差し出す。それならば女神の存在は関係ない。人と人の交渉事として、魔王も文句は言えないだろう」
エフォートの提案に、白の幼女は無言だった。
表情も変えず、沈黙が流れる。
「……おい、どうなんだ?」
エフォートが答えを催促し、ようやく幼女は口を開いた。
「そなた、正気かしら?」
「? ……もちろん正気だ。どうなんだ、この取引に応じ」
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
またも幼女は笑い出した。
エフォートという存在を根本から嘲笑う。
「な……」
「そのような! そのような雑種一匹の命を救う為に! 神にも届こうかという魔導の叡智を捨てるというのかしら! あはははははははははははははははははは!! あはははははははははははははは!!」
それこそ正気かと疑いたくなるほどに、白の幼女は笑い続ける。
しばらく腹を抱えて笑った後、幼女はようやく口を開いた。
「そなた、王都でシロウと戦っていた時は、目的の為には手段を選ばない冷酷な男と思っていたかしら。そなたは……」
白の幼女は、ミンミンの顔で凶悪に笑う。
「自分のせいで女が死ぬのが、嫌なのかしら。それほどにリリンを救えなかった事が、トラウマなのかしらぁ?」
「……は?」
幼女の言葉に、エフォートは意味が分からないと怪訝な顔をする。
「何故、ミカの事にリリンが関係ある?」
「自覚もないとは! 黒のがそなたらを気にいる気持ちが、ほんの少し分かった気がするかしら! あはっ、あはははは!」
そなたら、と複数形で呼んだところで白の幼女はサフィーネを見て、笑う。
女神の分体が言っていることの意味を、間違いなく世界一理解しているサフィーネは、顔を歪めた。
「……いいでしょう」
幼女は手のひらを差し出し、サフィーネに向ける。
「ラノベの知識を抜くのは、さすがに一介の回復術師の技としては不自然かしら。承継図書だけ、頂いていくわ」
「……! 待て、サフィは魔力を使い果たして、もうアイテム・ボックスを開けない。まずはミカの治療を!」
「問題ないかしら」
倒れているミカを一瞥すると、白の幼女は片目を瞑る。
たったウィンクひとつで、ボロボロだったミカの肉体は修復され、真っ白だった顔色に血の気が戻った。
「……ミカちゃん!」
「良かったかしら、お姫様。じゃあ、こちらの番かしらっ」
サフィーネの前の空間に、まるで見えない手で強引にこじ開けられたかのように、穴が開いた。
「うああああっ!?」
「サフィ!?」
無理矢理にアイテム・ボックスを広げられ、サフィーネは悲鳴をあげる。
「生身の体に手を突っ込まれるのと同じ位、痛いけど。我慢できるかしらぁ?」
「あああっ!」
さらに強まる痛みに、サフィーネは絶叫する。
「サフィーネッ!」
エリオットが堪え切れずに剣を構え、白の幼女に突撃した。
「やめろっ、このガキぃぃっ!!」
「おっと、お前を見逃すつもりはないかしら」
「ぎィっ!?」
しかし剣は届かず、エリオットは唐突にミンミンの前に倒れ伏した。
「エリオット! ……サフィーネ!!」
「安心するかしら禁忌破り。二人とも死にはしないかしら。ラーゼリオンの小僧の方は厳重に……処置させて貰ったけどねぇ。面白いから! えへっ」
白の幼女はニッコリと笑うと、自分の前の空間にも穴を開ける。
「では、貰っていくかしらぁ!」
幼女の嬌声とともに、サフィーネのアイテム・ボックスから承継図書が次々と飛び出してきた。
そして、幼女の前の空間へと飛び込んでいく。
百二十三冊すべての収納に、僅かな時間もかからないだろう。
「なめ……るなぁああああっ!」
苦痛に喘いでいたサフィーネが、絶叫する。
「閉じよ!! 我が秘せし扉ぁあっ!!」
承継図書が飛び出してくる速度が僅かに遅れ、アイテム・ボックスの穴も僅かに歪む。
「あはっ? 人族風情がこの女神様に抵抗する気かしらぁ? 無駄な足掻き、もっと強い力で苦しむだけかしら」
「止めろサフィ! もういいんだ!」
エフォートは叫ぶ。
それでも苦痛に顔を歪めながらサフィーネは抵抗を続ける。
そして。
叫んだ。
「今よ、フォートぉぉッ!!!」
「まかせろサフィ!」
ウロボロスの魔石を手に、
「えっ?」
「幼き回復術師の魂よ! 女神の移し身を拒絶し、あるべき姿へ還れ!
ミンミンの身体に、蒼光の柱が屹立した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます