49.死なせない
それはある夜の記憶。
「シロウ様」
「なんだよ」
「どうしてシロウ様はアタシに……アタシ達に、手を出さないの?」
ルースに腕枕されていたシロウは、ベッドの中で盛大に咳き込んだ。
「いっ……いきなり、何聞いてんだよっ……!」
「だって。こうしてアタシ達一人ずつと入れ替わりで、毎晩一緒に寝てるくせに。ずっと誰のことも抱こうとしないから」
「んだよ……どうでもいいだろ、そのことはもう聞くな」
「じゃあ、質問を変えるね」
シロウの言葉に命令のニュアンスを感じて、ルースは言い方を変えた。
「シロウ様はアタシ達のこと、ううん。アタシのこと、どう思ってる?」
「仲間だ」
即答したシロウ。
「奴隷契約のことが気になってんのか? 解除できねえから仕方ねえし、これはオレたち皆の心が繋がってる証だって、いつも話してんだろ?」
この話題になると、シロウはいつも饒舌だった。
シロウの言葉にルースは疑念はない。
体を求めてこないのも、誠意の現れだと思えた。
大切に思われていると、信じられた。
でも。だからこそ。
「アタシは裏切らないよ、シロウ様」
「分かってる。もう寝ろ」
誰の為に、彼は女たちを大切にしているのか。
シロウの気持ちが、もしあるとしたならばその愛が。
いったい何処に向かっているのか。
「奴隷契約に縋ってるのは、アタシの方だ……」
あの頃の自分はどこへ行ったと、ルースは歯噛みする。
「ルースはかっこええべ」
「えっ? ……ミカ!? なんでっ……」
それは昔、妹のように過ごしてきた犬耳の少女に言われた言葉。
「こんな村で、嫌なことは嫌だって言えたルースは、ホントにすげえべ」
「……アタシはワガママなだけだった。村の皆にも迷惑をかけて」
「憧れるべさ、ルースは奴隷じゃねえみてえだ」
「意地っ張りなだけだった」
意地を張り、罰則を受けながらも軍の兵隊に身体を許さなかったルース。
ミカはそんな自分に憧れ、ずっとその背中を追ってきてくれていたのだ。
***
「けど……ちょっと、追い越しちまった……みてえだべ……」
血の海に沈んでいる少女。胸の辺りまで、身体が引き裂かれている。ルースの斧が、そうしたのだ。
魔物の血が辛うじて即死を免れさせていたが、命の灯火はあと少しでかき消えるだろう。
「ミカァァァァッ!!」
ルースがミカに駆け寄るその前に、バーブフが口を開いた。
「ルース貴様何をしておる!? 早く」
「黙れ! 〈ファイヤー・ボール〉!」
エフォートはまた命令を出される前にと、魔法を放った。
「ひいっ!」
しかし僅かに早く、ルースが盾のように斧を構え射線に入り、火球を防いだ。
「ああ……アタシは、何を……」
ミカよりもバーブフを、いやミカの命よりもシロウの命令を優先している自分に、ルースは困惑する。
「ちっ!」
エフォートは舌打ちした。
「ルース、お前は軍の支配からは解放されたんじゃなかったのか!?
「あ……アタシは……シロウ様の命令で……」
「クソがっ、またあの男かっ!」
バーブフを守って立つルースと睨み合う、エフォートとエリオット。
その後ろでは、サフィーネが血塗れのミカを抱え、治癒魔法をかけ始めていた。
「ミカちゃん! ミカちゃんっ!」
だがレベルの低い回復魔法では、ここまでの重体にまるで役に立たない。
そこに、隷属魔法から解放されたギールが駆け寄ってきた。
「殿下、ここは我らにお任せをっ……救護兵!」
ビスハ兵の回復魔法を使える者たちが、招集される。
「ミカッ! しっかりしろっ!」
「俺たちは、お前に謝らなくちゃいけないんだっ、だから死ぬな!」
数人のビスハ兵がミカを囲み、治癒魔法を開始した。
これまで、理不尽に八つ当たってきたこの少女が、奴隷の呪縛から解放されるきっかけをくれたのだ。
彼らは、ミカを絶対に助けるとあらん限りの魔力を込めるが、女神教会の司祭ですらここまでの致命傷にはなす術がない。
当然彼らの治癒魔法も気休めにしかならず、ミカの瞳からはどんどん光が失われていく。
「フォート……フォート! どうしよう、このままじゃミカちゃんがっ!」
「くっ……」
エフォートは戦闘態勢を解いていないルースから、視線を逸らすことができない。隙を見せれば、彼女はすぐにバーブフの命令通り襲いかかってくるだろう。
「エフォート。この女、殺していい?」
「なに?」
エリオットが剣を構えたまま呟き、エフォートは思わず耳を疑った。
「……らしくないですね、王子」
「許せないんだ……ミカちゃんを、よくも」
「倒せるんですか?」
「ああ。だからエフォートに許してもらってからと思って」
またもらしくないエリオットの言葉に、エフォートは驚く。
「なぜ、俺の許可を?」
「え? だってエフォート、あの女もシロウの奴隷から解放したいんだろ? ……違った?」
明言した記憶はない。
だが、ルースがこの村を出た経緯を聞いて、確かに考えていた。
ルースは、転生勇者に依存しているだけではないか、と。
(もしそうなら、リリンを説得して解放する為の手がかり……きっかけに、なるかもしれない)
エフォートは打算でそう考えている。少なくとも本人はそのつもりだった。
「エリオット王子」
「うん?」
「すみませんが、ルースは殺さずに制圧して下さい。ミカを救う方法も、思いつきました。その為にはあの女が必要です」
「……お前がそう言うなら、分かったよ」
エリオットは答えると、ふっと笑ってからルースに斬りかかった。
「ひいいっ! きたぞルース、ワシを守れぇぇ!!」
「……うわああっ!!」
バーブフに命じられ、ルースは奴隷契約に従いエリオットを迎撃する。そんな場合ではないと分かっているのに。
ギィン!
「苦しそうだねっ、お前! ミカちゃんが死んでもいいのか!?」
「うるさい! お前ら全員殺してから、ミカを助ける!!」
「それで間に合うと思ってんの!?」
壮絶な斬り合いを演じるエリオットとルース。
先のエリオットの言葉、そして表情にエフォートは違和感を感じたが、今は構っていられる場合ではない。
「……ビスハ兵たち!」
隷属契約から解放されたが、どうしていいのか分からず囲んでいたビスハ兵たちに、エフォートは呼びかけた。
「今のうちに、バーブフを捕縛して口を塞げ! 殺すなよ、その男はまだ使い道がある!」
エフォート自身が行えば早いのだが、
「おおっ!」
ビスハ兵たちはエフォートの指示に従い、恨み重なるバーブフに襲いかかった。
「ひいいっ、ルース戻れぇっ!」
「閣下!」
「行かせるかよっ!」
ギィン!
エリオットに邪魔され、ルースはバーブフを守ることができない。
「くそ、どけえっ!」
「お前! 守らなきゃいけない相手が違うだろ!?」
ルースとエリオット、二人の実力は拮抗しており、〈魔旋〉の力を秘めた武器の強さの分、ルースが有利だ。
だが仲間がいて時間を稼げばいいエリオットと違い、ルースの心は千々に乱れ、一人で戦わなくてはならない。
ルースにエリオットを倒すことは不可能だった。
「おおお前ら、来るなぁぁっ! がふっ!?」
バーブフはなすすべもなくビスハ兵達に取り押さえられ、なんなら積年の恨みと殴り蹴られしながら、捕縛される。
当然その間に、エフォートは動いていた。
「ガラフ、お前はこっちだ!」
「はいよ、ニイちゃん!」
ガラフがエフォートの元にすっ飛んでくる。
「救護兵に魔力を注ぎ込め、魔力切れを起こさせるな!」
「がってん!」
「お前達は治癒魔法を続けろ! 目標は現状維持でいい、絶対に死なせるな!」
「了解です!!」
「任せて下さい!」
ガラフ、そして治癒魔法を使う救護兵たちに矢継ぎ早に指示を出すと、エフォートは顔面蒼白になって立ち尽くしているサフィーネの肩を揺すった。
「サフィ、サフィ! しっかりしろっ!」
「フォート……ミカちゃんは、私を助けようとして……さっさとアイツを撃ち殺しておけば……ううん、それ以前に、私がビスハの皆を巻き込まなかったら、ミカちゃんは……」
「まだ死んでいない!!」
エフォートの叫びに、サフィーネはハッとする。
「絶対に助ける! 方法はある、サフィ、俺を信じろ!」
「フォート……うん。ごめん私、何を諦めようとして……!」
サフィーネは両手で自分の頬をパンと叩いた。
エフォートは頷く。
「よし。魔力はまだ大丈夫か? ありったけのポーション、それに例の針と糸を出してくれ。とにかく傷を塞いで、血を止める!」
「フォート、まさか……アレを!?」
「治癒魔法だけじゃ間に合わない!」
「……分かった! 開け、我が秘せし扉よ!」
サフィーネがアイテム・ボックスから救命道具を取り出すと、エフォートはそれらを掻っ攫いミカの前に戻った。
そしてポーションをミカの傷と、自分の手にぶっかけてから処置を始める。
「にっ……ニイちゃん!? 何を!?」
「説明している暇はない!」
「でも! なんでミカに針を刺してんの!? えっ……縫って……るの?」
回復魔法に適性のないエフォートは、二度とリリンの時のように何もできない事態にならないよう、外科的な救命技術を身につけていた。
それも、異世界の技術を。
「大丈夫、ガラフ君。エフォートは
サフィーネはそう言ってガラフを落ち着かせたが、実は誰よりも不安だった。
何しろ、ライトノベルの正体は異世界の虚構ローマンなのだ。
『回復魔法が衰退した異世界で、医学部生がモテモテになります。』
そんな書名を解読した時、エフォートは崩れ落ちたと言っていた。
だがそのローマンは、回復魔法が存在しない代わりに医術が発展したゲンダイニホンで、実際に医者として働いている者が記した物だった。
剣で斬られて瀕死だった仲間を、魔法に頼らずに外科手術で主人公が治療していく様子が、虚構ローマンには不必要の思えるほどの綿密さで微細に描写されていた。
「大丈夫だ……あのラノベとは違う、治癒魔法も並行してるんだ……内臓の修復は……魔法に任せて、まずは……出血を……止める……!」
エフォートは頭の中でラノベの描写をなぞりながら、処置を進める。
汗が噴き出し、目に入る。
「フォートっ……」
サフィーネは手布を取り出して、その汗を拭った。
「……レオニング!? ミカに何をしてる! 離れろぉっ!」
戦いながら一瞬エフォートたちが視界に入ったルースは、その異様な光景を理解できずに叫び声をあげる。
「離れるのはそっちっ……裂空斬・改!!」
「しまっ……」
ガォン!!
ルースの戦斧がその手を離れ、宙を舞った。
エリオットの裂空斬を超える剣速と絶妙な軌道の一振りが、弾き飛ばしたのだ。
「くぅっ!」
「俺の勝ちっ……ちょっとフェアじゃなかったけどね」
エリオットはルースの首筋に剣の切っ先を突きつけ、宣言する。
「ムムー! ムームム、ムー!!」
背後でビスハ兵達に縛り上げられ口も布で塞がれたバーブフが、何事か叫ぶ。
「黙れ」
ギールが、そのバーブフを横から蹴り飛ばした。
そして剣をバーブフの首筋に当て、ルースを牽制する。
「動くな。動けばバーブフを殺す」
これでようやく「バーブフを守れ」という命令下にあったルースと少しは落ち着いて話すことができる。
ギールは妹を正面から見つめた。
「……ギール……」
「ルース、
「そ、それは」
ギールの問いに、ルースは答えに詰まる。その反応を見て、彼は理解した。
「やはり、この豚にまた従うように、勇者に命令されたのだな。お前の出自を知っていて酷い奴だ」
「それは違うっ! シロウ様は承継図書を取り戻す為に、軍の協力が必要だから、仕方なくっ!」
「仕方なく、お前をまたこの豚の奴隷にしたのか」
「っ……レオニング……!」
処置をしながら聞いていたエフォートが、ミカから視線を外さないまま口を挟んだ。
ルースは憎しみの籠った瞳でエフォートを睨みつける。だが。
「!? ……お前……」
ルースは、自分が手にかけてしまった妹同然のミカを懸命に処置しているエフォートの姿に動揺する。
「だから……さっきからミカに、何をしているんだ……」
「傷口を塞ぎ、出血を止めようとしている。治癒魔法が追いつかずに死亡するケースは、ほとんどが失血死だ。いくら心臓や血管が治癒されても、その前に一定以上の血を失えば肉体は死ぬ。そうなれば治癒魔法も意味はない」
「……ミンミンを、呼ばせてくれ」
ルースが口にしたのは、シロウの仲間の一人である幼女。回復魔法のスペシャリストの名だ。
だが同時に女神の分体であり、エフォート達にとってシロウと同様に最も危険な人物でもある。
「ミンミンならっ……死んでさえいなければ、どんな状態でも蘇らせられるっ……! 頼むっ……!」
呼ばせてくれるはずはないと分かっていながら、ルースはそれでも口にした。
「当たり前だ。この処置は時間稼ぎに過ぎない。通信魔晶は持っているか? 早く呼べ」
「……えっ?」
予想外の回答に、ルースは目を丸くする。
「い、いいのか?」
「あいつレベルの回復魔法でない限り、ミカの死は避けられないだろう。ただし連絡するのはミンミンだけだ。シロウはもちろん、他の連中に俺たちの情報がいく事態にはするな」
そこまで言うと、エフォートは手を止めてサフィーネを見た。
「サフィ、難しいところは終えた。続きを頼む」
「……まかせて」
「ポーションで自分の手を消毒するのを忘れないで」
「うん」
緊急事態で、エフォートは敬語も飛んでいる。処置をサフィーネに引き継ぐと、ルースの前に立った。
「通信魔晶を出せ。下手な動きはするなよ、ギールはいつでもバーブフを殺せる」
「分かっている」
ルースは腰のポシェットから、手のひら大の魔晶を取り出し、エフォートに投げ渡す。
「あらかじめ、遠話の
「シロウ様からは、話したい相手を念じれば会話できると言われている」
「……通信魔法には、かなりの魔力が必要だ。戦士のお前にまかなえるとは思えないが」
「それは……」
ルースは言い淀む。
話せばシロウに不利なことがあるのだろう。
「……ギール」
「分かった」
ギールはバーブフに突きつけた剣を、振りかぶった。
「わ、分かったっ……! 別にこれくらい、どうということはない。コレを使えと言われているんだ」
ルースはポシェットからまた別の石を取り出した。
エフォートは飛びつくように、それを奪い取る。
「ウロボロスの魔石ッ……!」
エフォートが近寄った際、ルースの腕にピクリと動いた。
だがすぐ横で警戒していたエリオットが剣を構え直し、ルースは抵抗を諦める。
エフォートは魔石を検分した後、懐に収めた。
「……なるほどな。魔力増幅のこいつがあれば、確かにお前でも通信魔晶は使えるだろう。最初に俺たちを見つけた時、シロウには連絡しなかったのか」
「
エフォートはルースの目を見る。
嘘をついている気配は感じられなかった。
「……ミンミンは今、どこにいる? ここに来るまではどれくらいだ?」
「王都から北西のシュエール山脈に、アタシと同じ早馬で向かってる。体力がないからまだそんな遠くまでは……ここに来るまでは五日、というところだと思う」
「五日……間に合わないな」
エフォートは振り返り、ミカの様子を見る。
ミカは意識を失い、顔色は真っ白だ。付け焼き刃の緊急手術とビスハ兵レベルの治癒魔法では、せいぜい一日二日、死ぬのを遅らせるのが精一杯だろう。
今すぐ急変してもおかしくない。
「よし。取引だ、ルース」
「え?」
「ミカの命を救う為だ。シロウの奴隷をやめろ」
「なっ……」
それは、ルースにミンミンを呼ばせる上での絶対条件だった。
「隷属契約がある以上、お前は主人に不利な行動はできないだろう。通信魔晶を使うチャンスがありながら、俺たちのことをシロウに伝えないなど、できないはずだ」
「で、でも……やめると言ったって……」
「俺がビスハの皆を解放したのは見ただろう。お前自身が強く願えば、俺は承継図書から得た魔法で隷属契約を解除できる」
「……そんな」
ルースには、シロウの奴隷でなくなることなど考えられない。
「でもっ!」
だから言い訳をする。そんな自分の姑息さを自覚しながら。
「どうせミンミンを呼んだって、間に合わないんでしょう!?」
「策はある。あいつは女神の分体だ、その気にさせれば空間転移もわけないだろう」
「……!」
ビスハ村の皆が、ルースを見ていた。
かつて自分が、誇りを持たない心まで奴隷になった者たちと蔑んだ人々。
いや、人の目などどうだっていい。
「……ミカ……!」
見捨てるのか、あの子を。
シロウを失えば、自分はただの
「ギール……」
ルースは、縋るように兄を見た。
しかし、その視線は厳しい。
「どうしたんだルース。五年前のお前なら、迷うことはなかったはずだ」
(その通りだ)
ルースはうなだれる。
アタシは弱くなった。
王国の奴隷じゃなくなって。
あの人の物になって。
戦士としては強くなった。
あの人となら、どこまでも行ける気がした。
だけどそれは、自分一人では戦えなくなったということだ。
安寧に溺れて、誇りをシロウに預けてしまった。
「……アタシは、弱くなった」
ポツリとルースが呟いた、その時だった。
「フォートッ!!」
サフィーネの悲鳴が響く。
「縫合したところが破けてっ……ミカちゃんの……ミカちゃんの心臓が……止まっちゃうッ……!!」
運命は残酷に決断を迫る。
残された時間は、あと僅か。
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