35.アンバランス・パーティ(その3)

 気まずい空気が、アンバランスなパーティの間に満ちていた。

 日が暮れ、岩山に魔物の気配を感じない場所を見つけたエフォートたち一向。焚き火を起こし休んでいた。

 火の横で、三人は何故か向かい合わせで正座している。


「……女神の癒しを。遍くすべての存在に、変わらぬ慈愛を。〈治癒ヒール〉」


 サフィーネは幾度目かの詠唱を繰り返し、ズタボロだった兄の怪我を癒していた。


「……サフィーネって、治癒魔法、下手だよね」


 エリオットなりに場を和ませようとした一言だったが、妹にギンッと睨まれて首を竦める。


「いやっ、あのっ、城の回復術師と比べて、詠唱が長いわりに治りが遅いなーって」

「……私は、空間魔法に魔術修練の時間すべて当ててました。あんなクソ女神の恩恵を受ける魔法なんて、上手くなくて当然です」


 堅い口調で、サフィーネはまた兄の傷に視線を戻しブツブツ呟く。


「だいたいお兄様だって、回復どころか魔法は何一つできないではありませんか」

「それは俺も、剣の修行ばっかしてたから……なあサフィーネ、機嫌直せよ」

「私は普通です」

「でもお前、また『お兄様』って」

「兄貴と呼ぶなと言ったのは、お兄様です」

「……なあ、ほんと気にすんなって! お前のおっきいおっぱいなんて、俺はほとんど見てなブフォヴェッ!?」

「記憶を失えバカ兄貴ィィィ!!」


 サフィーネの全力右ストレートが炸裂し、エリオットの回復はまたやり直しになった。


「……俺の配慮が足りませんでした。殿下の御身を危険に晒し、あまつさえ、あんな」

「あんな? あんなって何かなぁフォート?」

「あ、いえ、その……」


 何度目であろうエフォートの謝罪にも、サフィーネは嚙みつく。

 だが、それが理不尽な言い分でもあることもまた分かっていた。


「……ごめん。そもそも私が油断して眠らされたのが悪かったのよ。悲鳴の一つも上げてれば」

「違います殿下、水浴びを勧めたのは俺ですし、警戒を怠った……つもりはなかったですが、気づくのが遅れた俺に、責任はあります」

「『自分が悪い』の撃ち合い、もう止めようフォート。……忘れて。私も忘れるから」


 これ以上、無駄話をしている余裕はなかった。

 エフォートは仕方なく頷く。


「……はい、忘れます」

「忘れるんだ? はあ」

「ええ!?」


 微妙な乙女心への正解が分からずエフォートは混乱し、サフィーネはようやくくすりと笑った。 


「……警戒を怠ったつもりはなかった、って言ったよね、フォート」

「え、あ、はい……低級な魔物は、絶えず微弱な魔力を垂れ流します。俺なら絶対に気づくはずだった」

「つまり、あいつらは普通じゃなかった?」


 こんな失態は、いくらエフォートが魔力切れを起こしていたとはいえ考え難いのだ。

 原因をハッキリさせなければいけない。


「そうですね。あのゴブリン・シャーマンは、俺の〈ファイヤー・ボール〉をレジストしました。それに〈アクア・エッジ〉に〈スリープ〉、〈ストーン・バレット〉を、ほとんど無詠唱で使った。あのレベルの魔物にできることじゃない」

「うん」

「そういえば、雑魚のゴブリンも変に強かったよー」


 エリオットが鼻血を拭きながら会話に参加してきた。


「もちろん敵じゃなかったけどさ、あんな風に待ち伏せして時間差で仕掛けるとか、あいつらにしちゃ珍しいよね」


 戦士としてのエリオットの正確な分析に、エフォートは頷いた。

 サフィーネは不安げに口を開く。


「魔物の知性が上がってるってこと?」

「ええ。考えられるケースは二つです」


 エフォートの言葉を待って、サフィーネは唾を飲む。


「一つはいよいよ魔王復活が近く、魔物全体のレベルが上がっている可能性。もう一つは……こちらの方が今の俺たちには影響は大きい。〈魔王創造種の暴走デモンズクリーチャー・スタンピード〉の前兆です」


 ポタリ、とサフィーネの冷や汗が落ちた。


「……それって、十年に一度の災害じゃない」

「デモ……クリ? ん?」


 エリオットが分かっていなかったが、エフォートは構わず続ける。


「前者と違い局地的な影響に留まりますが、それでも本格的に発生したらこの辺りの貴族領の三つや四つ、壊滅するでしょう」

「カイメツって?」

「……住人も農作物も建物も、全部メチャクチャにされて奪われるってことよ。パワーアップした万単位の魔物による集団暴走でね」


 サフィーネの言葉にようやくエリオットの顔色が変わった。


「なんだよそれ、ヤバいじゃん!」

「今回の件だけでは断定はできません。それに……スタンピードだとしても、必ずしも悪いことばかりじゃない」

「……」

「はあ? なんでだよ、人がいっぱい襲われるんだろう?」


 エフォートの思惑を察したサフィーネは無言だが、エリオットには意味が分からない。


「……エリオット王子。スタンピードが起これば、必ず国民を守る為、軍が大きく動きます」

「そりゃそうだろ。ヴォルおじさんもハーミット兄ちゃんも、見過ごすはずない」

「つまり、俺たちへの手配が薄くなります」


 エフォートの言葉の意味を理解するのに、エリオットは時間がかかった。


「……国民を囮にして、自分たちだけで逃げ出そうってのか!?」


 エリオットは声を荒げて立ち上がる。


「そういう選択肢もあるということです」

「そんなのはない。俺は戦うぞ、民を守るのは王族の務めだ」


 エフォートの発言を即座に否定する第二王子。彼の言うことは間違いではない。間違いではないが。


「ここで議論しても意味はありません。明日ビスハ村に着けば、魔物の活性化について何か情報が得られるかもしれない。その時に考えましょう」

「考える必要もないけどな」

「どちらにしても、今優先すべきは体力と魔力の回復です。いまだ承継図書も読めていないんだ、俺たちは。見張りを交代しながら睡眠をとりましょう」


 サフィーネは頷いたが、エリオットは返事の代わりに立ち上がった。


「……俺は平気だから見張りをする。サフィーネとエフォートは休んで、魔力を回復して」


 そう言うと、見晴らしの良い大岩の上へ、エリオットは一人で登っていった。


「……魔物の情報もそうだけど」


 サフィーネがポツリと口を開いた。


「私たちの手配も絶対、回ってるよね? ビスハ村に」

「でしょうね、奴隷兵を供給する為の村ですから。王国の役人がいて通信魔晶もあるでしょう。明日は変装していく必要があります」

「兄貴……あの村の実状を知ったら、暴れ出すんじゃないかな?」


 サフィーネの表情は暗い。

 奴隷制を忌避する彼女にとって、ビスハ村は忌まわしさの象徴であった。


「なら好都合です」

「えっ?」


 エフォートの反応に、サフィーネは目を丸くする。


「エリオット王子が結果的に殿下の思想に共鳴してくれれば、今後も動きやすくなる。王子は善人です。スタンピードが事実だとしたら対応は難しいですが」

「フォート……」

「もう休みましょう、明日の朝にはアイテムボックスを開けたいですから」


 そう言うと、エフォートは体を横たえる。サフィーネは眠れるかどうか、自信がなかった。


 ***


「とりゃっ! うりゃっ! せいやー!」


 エリオットの斬撃が舞い、ギガンド・アントの群れは次々と斬り倒されていく。


「村がもう近いのに、まだ魔物が……殿下、俺の後ろから出ないで下さいよ」

「分かってる」

「心配すんなエフォート! サフィーネが持ってきてた王家の剣、これさえあれば、俺は無敵だっ!」


 翌朝、エフォートがパサーした分も合わせて何とかアイテムボックスの魔力が回復したサフィーネは、異空間収納から用意していた旅道具を出した。

 装備を整え一向は出発する。あともう少しで村に着くというところで、ギガント・アントの群れに遭遇したのだ。

 保存食で空腹を満たしていたエリオットが、ここは任せろと突っ込んでいった。


「おりゃあ! 裂空斬!!」


 横薙ぎの一閃で、何十というアントが一気に散った。


「今のはリリンの技!? なんでエリオットが!?」

「兄貴……どこで修行したのか、ちゃんと聞き出さないとね」


 充分な強度を持つ武器で戦うエリオットを初めてまともに見て、エフォート達は驚愕していた。

 しかし。


「よしっ、後はボスっぽいヤツを倒せば終わりぃ!」

「!! 待てエリオット! クイーン・アントは魔法を使う、一度距離を取ってから——」


 瑠璃色の半透明な体を持つ、ひときわ大きな体躯のクイーン・アント。

 ギガント・アントの群れの長である魔物に特攻していくエリオットに、エフォートは慌てて叫んだが遅かった。


「〈シャシャシャーシャシャ〉」


 ドサァッ


 地面に突っ伏して倒れ、エリオットはグゥグゥといびきをかき始める。


「……バカなのか!?」

「シャシャシャアアアア!!」


 クイーン・アントの金切声とともに、地中からまた大量のギガンド・アントが姿を現した。


「……焼き尽くせ!〈フレイム・バースト〉!! あーもう!!」


 またも大量に魔力を消費してしまうエフォート。その後ろでサフィーネも深いため息をついた。


 ***


「なあ。この格好、しなきゃダメ?」


 くたびれた鎧兜を纏ったエリオットからは、兄、妹によく似た見目麗しい高貴な印象は消えていた。

 同じように薄汚れた魔導士のローブを着たエフォート、そして回復術師の格好でフードを目深に被ったサフィーネは頷く。


「当たり前でしょ。いい兄貴、もう一回確認するよ? 私たちは誰?」

「え? サフィーネ大丈夫か? 疲れて自分が誰だか分からなくなったか?」

「このおバカ!」


 ジャンプして、スコーンと兜の上から兄の頭を叩くサフィーネ。

 当然手の方が痛く、王女は飛び跳ねて手をおさえた。


「ダメだ……兄貴と一緒にいるとバカが感染る……」

「あ、ひでえ」

「酷いのは王子の方です」


 エフォートは冷たい声で口を挟む。


「村で俺たちの身元がバレたら、すぐにシロウとハーミットが飛んできて、殺されると思って下さい。いいですか、絶対に騒ぎを起こさないで下さいよ!」

「また大げさなんだから。ああそうか、俺たち旅の冒険者のフリをするんだったっけ。大丈夫大丈夫、任せとけって」


 エフォートの脅しは半ば本気だったのだが、いまいちエリオットには伝わっていないようだ。


「いや、村に入ったら王子は口を開くの禁止です。一言も喋らないで下さい」

「おいエフォート、お前少しは信用しろって」

「じゃあ、先ほど決めた俺たちの偽名を覚えてますか?」

「………………もちろん」

「俺は?」


 明後日の方向を見た後、ハッと思い出した顔をして、エリオットは自信たっぷりに答える。


「『エロート』!」

「『ロート』です!! ふざけんなこの脳筋!! いいか、あんたの偽名は『ノウキング』だからな『ノウキング』! 覚えたら返事しろこの脳筋!!」

「い、いい、イエッサー! あれだよな、ノウキングのキングって王様って意味だよな? かっこいいよな!」

「黙ってろノウキング!」

「サー・イエッサー!」


 もう敬語を諦めたエフォートが怒鳴り、エリオットは敬礼している。

 そんな二人を見て、サフィーネがポツリと呟いた。


「いいなあ、仲が良さそうで」

「やめてくれサフィ!」


 呼ばれて、王女はにこりと笑った。


「違うでしょ、ロート。私の名前は?」

「う……」


 言いよどむエフォート。

 しかしサフィーネは笑顔のまま、答えを待っている。


「……『サリィ』」

「違うでしょ?」

「……殿下、やはり止めましょう。『サリィ』でいいじゃないですか。見た目に無理があるんですから、怪しまれるだけですよ」

「あ、俺もそう思うよサフィーネ! 止めようよ無理だよ!」


 男二人の必死の訴えに、しかしサフィーネは頑として首を横に振る。


「だからそれは話したよね? 人の心理の裏をかくって。バレたらマズい状況で、わざわざ無茶な設定にする奴はいないと思わせるって。はい、私は誰ですか? ロート」


 腰に手を当て、胸を張るサフィーネ。

 仕方がないとエフォートは諦めていたのだが、心が否定する。

 何とか絞り出すように、声を出した。


「サリィ……え……ん」

「往生際が悪い!」

「っ……さっ……『サリィお姉ちゃん!』


 サフィーネは満面の笑みを浮かべた。


「はいよろしい! 私は二人のお姉ちゃんです! そしてこの冒険者パーティのリーダーだからね。行くわよロート、ノウキング! ついてらっしゃい!」


 宣言して「サリィお姉ちゃん」は先頭に立ち、すぐ丘の向こうに見えているビスハ村の入り口へと歩き出した。

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