34.アンバランス・パーティ(その2)

 若々しい肌が、水滴を弾く。

 濡れても美しい流れるような髪が豊かな双丘に貼りつき、曲線の艶めかしさを強調していた。

 愛らしい大きな瞳に長い睫毛。

 通った鼻筋に薄い唇。

 幼くも気品に溢れた清楚可憐な美貌と、小柄で細身な体躯に不釣り合いなほど大きく実り張っている胸の果実と腰回り。

 彼女に接見した者は皆、口を揃えて言う。大陸一の麗しい幼女、いや少女……王女であると。


「魔力回復にはリラックスが重要だって、言われてもね……」


 陽の傾き始めた夕暮れ。夜になる前に汗を流すことを勧められたサフィーネは、一糸纏わぬ姿で水浴びをしていた。

 パチャリと水面から手のひらで水を掬い、顔にかける。

 だが、顔を洗っても気分は晴れなかった。


(一人でいると、考えちゃうよね)


 父を失った。

 転生勇者に娘は渡さないと、そんな素振りを決して見せなかったのに、大事なところで守ってくれた父。

 また、愚かと見下していた二番目の兄も、当然のように自分を救ってくれた。王族の地位を犠牲にしたことを自覚していなかったが、後から説明しても「仕方ない」の一言で済ませ、礼も受け取ってくれない兄。

 二人がいなければ、昨日でエフォートとサフィーネの命運は尽きていたのだ。


(結局、私は何も見えてなかったんだ)


 聡明さを隠し愚鈍な振りをしていたつもりだったが、なんのことはない。本当に自分は愚鈍だったのだ。


「――いけない、いけない!」


 バシャバシャと勢いよくまた顔を洗う。こんな顔を決してエフォートに見せてはならない。


(ちょっと、わざとらしくはしゃぎ過ぎたかな)


 虚勢はバレバレで、だからエフォートは気分転換を勧めてきたのかもしれない。

 彼ならありそうだと、サフィーネは思った。

 木陰から麗しい少女の裸体を見つめる、赤く輝く妖しい瞳に気づかないまま。


 ***


「腹……減ったぁ……」

「我慢して下さい。もうすぐ、サフィーネ様に渡せるくらいの魔力は戻ります。そうしたらアイテム・ボックスから保存食を出してもらいましょう」


 サフィーネが川で水浴びしている間、エフォートとエリオットは少し離れた場所で見張り兼休憩をしていた。

 実はエフォートは、サフィーネに渡せばアイテム・ボックス数回分になる魔力は既に回復している。

 だか不測の事態に備え、エリオットには話さず温存していた。


「だああっ! 角兎ホーンラビットどころか、丸蛇ファットスネークの一匹もいないじゃないか! どうなってんのこの森?」

「確かに不自然ですね。何かあるのかもしれません」

「何かって、何?」

「分かりませんが」


 森で動物が姿を消すなど、良くない予兆でしかない。エフォートが魔力を温存したい理由でもあった。


「分かんないのかよ! ……ああもう、黙ってると飯のことしか考えられない!」


 エリオットは、落ちていた長めの枝を拾って素振りを始めた。


「余計に腹が空きますよ」


 だが所詮は木の枝。エリオットの鋭い一振りで簡単に折れてしまう。


「あーもう」

「……そういえばエリオット殿下」

「うん?」

「宝物庫前でシロウの仲間と、剣で戦ったそうですね。失礼ながら、殿下がそれほどの達人とは存じ上げませんでした」

「ああ……うん。……まあね」


 何故か途端に歯切れが悪くなるエリオット。エフォートと視線を合わせない。


「誰に師事されたんですか?」

「え? シジ?」

「……誰に剣を教わったんでしょうか。ヴォルフラム軍団長も驚かれたんでしょう? 軍で訓練はしてないんですよね?」

「えー……ああ……うん……頑張ったんだ」

「はい?」

「頑張って稽古したんだ。それだけだ。……そ、それよりさ! エフォートはさっきから何してんだよ、胡座かいて座って、さっきからピクリとも動かないじゃないか!」


 明らかにごまかしているエリオットに、逆にエフォートはようやく警戒心を解いた。

 予期せずついてきた(サフィーネが連れてきた)この第二王子は、当初ハーミットによる罠ではないかと疑っていたのだ。

 だがここまで嘘のつけない彼が、少なくともサフィーネの不利益になることはしないだろう。

 剣の腕前についても、おそらくリーゲルト以外の誰にも秘密にしていた事は気になるが、またいずれサフィーネに聞いてもらおうと考えた。


「……瞑想です。こうして話してますし、本格的ではないですが。大気中のマナから微量の魔力を得てます。本職の精霊術士に比べれば、魔力変換効率は恐ろしく低いですが」

「……ホンショク……?……ヘンカンコウリツ……?……エフォート、ちゃんと大陸語で喋ってくれ」

「喋ってますよ」

「本当か?」


 これまでまったく興味を持てなかった第二王子。だがサフィーネを救ってくれた事もあり、エフォートは多少の馬鹿には目を瞑って、エリオットを嫌いにならずに済みそうだった。


「あー駄目だ。腹減った。……ちょっと川の水飲んでくる」

「行かせるわけないでしょう」


 ガンッ。


 見えない反射壁に頭をぶつけ、エリオットは蹲った。


「痛たた……」

「妹の水浴びを覗くとか、どれだけ変態ですか」

「なっ、違っ、俺は本当にただ水を飲みに……ってお前! いま反射魔法使っただろ! 魔力回復してるんじゃないか!」

「何のことでしょう」

「おま、何しれっと……ああ! わかったぁ!」


 瞑想を続けているエフォートに、唐突に叫ぶエリオット。


「なんですか急に」

「お前、サフィーネの事が好きなんだろう! だから変な心配して!」

「なっ……!?」


 ある意味で今更ながら、ド直球な指摘を受けてエフォートは動揺する。


「なな何くだらないこと言い出すんですか、貴方は!」

「照れるな照れるな、うん。若いなあ、青春だなあ、少年よ」

「少年って歳じゃない!」

「お、敬語じゃなくなった」


 思わず口を抑えるエフォート。


「いいじゃん、いいじゃん。俺たちもうただの王子と配下ってわけでもないだろ? 気にすんなよ、俺たち気が合うと思うぜ!」


 肩に手を回して胸を叩いてくるエリオット。

 エフォートはため息をついた。


「……さすが、あなた達は兄妹ですね」

「うん? どういう意味?」

「……あのですね殿下、はっきり言っておきます。昨日の王前会議でも挙げられましたが、俺にはシロウの奴隷にされた幼馴染がいて……っ!?」


 エフォートの言葉が不自然に止まる。

 

「どした?」

「シッ……まずい、サフィ!」


 エフォートは川の方向に向かって駆け出した。


「あ、おい、お前も覗くのかよ!」

「違うバカ! 魔物の気配だ、サフィが危ない!」

「なんだって!?」


 遅れて駆け出したエリオットだが、身体能力で遥かに勝り、すぐにエフォートを追い抜く。

 その背中に、エフォートは叫んだ。


「上だ、エリオット!」

「ギャギャギャギャギャギャギャギャ!!」

「っらあ!!」


 樹上から飛び降りてきた三匹の小鬼ゴブリンたち。

 エリオットはエフォートの声に素早く反応して、蹴りと打突でほとんど同時に三匹を叩き落とした。


「ガギャッ!」

「ギャッ!」

「ゴギャッ!」


 魔物といえど人型のゴブリン。首や水月、眉間の弱点に強烈な打撃を受け、一瞬で無力化された。


「待ち伏せ? ゴブリンが!?」


 上位種ならともかく、知能が低いゴブリンでは考え難い行動。エフォートは驚愕するが、それ以前に。


(俺が察知する前からここにいたのか!? だとしたら――)


「エリオット!!」

「わかってるっ!」


 エリオットはゴブリンが装備していた錆びたショートソードを拾い上げ、再び駆け出した。

 後を追うエフォート。


「――右から四! 左から五!!」

「グギャギャギギョギャギ!!」

「ちィッ!」


 草むらから半包囲の形でゴブリン集団が飛び出し、先頭のエリオットに襲い掛かる。

 一匹一匹の攻撃は稚拙。エリオットは容易くゴブリンの攻撃を躱し、次々と斬り伏せていく。だが。


 バキィン!


「この、ナマクラめ!」


 どこかの冒険者か戦士から奪ったであろう、長く手入れもされていない剣ではエリオットの斬撃に耐えられず、簡単にへし折れる。


「とりゃあ!」


 それでもエリオットは徒手空拳でゴブリンを打ち倒し、また武器を奪った。今度は手槍だ。


「ギャギッ!」

「〈ファイヤー・ボール〉!」


 またも樹上に潜んでいたゴブリンを、今度は後ろからエフォートが魔法で叩き落とす。

 エリオットが叫んだ。


「無駄に魔力を使うな、エフォート! ここは俺に任せて、お前は早くサフィーネを!」

「わかった!」


 エフォートは素直に駆け出す。

 迂回している暇はない、エリオットとゴブリンたちの乱戦の只中を突っ切る形で。


「ちょ!? 待てエフォー……」

「ギャギッ!?」

「反射も使わないっ! 任せたぞエリオット!」


 王子の技量は見た。遅れをとることなどないとエフォートは判断する。


「おま、度胸ありすぎ……だっ!!」


 無防備に突っ込んできたエフォートに、ゴブリンたちは当然襲い掛かる。だがそれより早く、エリオットが一瞬で仕留めてみせた。

 しかしまだ数がいる。

 数匹のゴブリンがエフォートを追おうとしたが、エリオットは素早く回り込んだ。


「行かせるかよ!」

 

 エリオットに背中を任せたエフォートは、木立の中を駆ける。

 木々を抜けて見えてきた小川の対岸には。


「サフィ!!」


 気を失ったサフィーネが裸のまま、ボロの法衣と杖を装備した大型ゴブリンに連れ去られようとしていた。


「ゴブリン・シャーマン!? ……貴様ァ!!」


 エフォートが魔法を放とうと掌を差し出す。

 ほぼ同時にゴブリン・シャーマンは、サフィーネの身体を盾にして、エフォートに向けた。


「〈ファイヤー・ボール〉!!」


 躊躇いなく放たれたエフォートの魔法。

 僅かに逸れる軌道で撃ち出された火球は、ゴブリン・シャーマンの横を通り過ぎてから見えない壁に反射され、背後から不埒者を襲う。


「ギャギィッ!?」


 外れたと思い込んだゴブリン・シャーマンは、背中からの不意打ちになす術もなく倒される。


「サフィ、大丈夫かっ!」


 はずだった。


「〈ギャギ・ギョギョゲ・ギギョ〉」


 浅い川を駆け渡ろうとしたエフォートを、水刃が襲った。


「なっ!?」


 咄嗟に反射で身を守り、水刃を川の水面に撃ち返す。


(水の精霊魔法っ……いやそれより、レジストしたのか? ゴブリンが!?)


 低級とはいえ、火属性魔法の直撃を受けたはずのゴブリン・シャーマン。ボロの法衣が僅かに焦げているだけで、ほとんどダメージは通っていない様子だ。


(こんな、雑魚中の雑魚に……!)


 あられもない姿で気を失い、人質にされているサフィーネ。

 こちらの魔力は著しく枯渇し節約しなくてはならないのに、ジリジリ魔法を使わされている。

 敵が遥か格下であることは、逆にエフォートに焦りを生ませていた。


「ギャヒヒヒ……」


 ゴブリン・シャーマンは下卑た笑い声とともに、サフィの肌を蛇のような舌でベロリと舐めた。


(……殺す!!)


 今後の備えも何もかも忘れ、ハイレベルの魔法を反射と組み合わせ行使しようとした時。


「何している、この野郎!」


 ゴブリンの群れをあっという間に殲滅したエリオットが、追いついてきた。

 ゴブリン・シャーマンの下劣な真似を目撃し、奪ってきた手槍を構えて激昂する。


「サフィーネを放せぇぇぇ!!」


 川を駆け渡り、特攻するエリオット。


「待て、そいつは!」

「〈ギョヒーヒュ〉」


 ザッパァン


 エリオットはゴブリン・シャーマンの〈スリープ〉を、まともに喰らう。

 一瞬で眠り、川に沈んだ。


「馬鹿なのか!?」


 エリオットの晒した無様を見て、エフォートの頭は冷える。


(……いや、馬鹿なのは俺だ)


 最小限の魔力消費で、この場を乗り切らなくてはならない。

 エフォートは呪文を唱えた。


「〈浮遊レビテーション〉」


 水面より極僅かの高さに浮かび、ゴブリン・シャーマンに向けて滑空する。

 途中で川に沈んだエリオットを抱えてから、急上昇。

 昏睡したまま水中で放置しては、溺死してしまう。


「〈ギョギャガギャギョ・ギャ〉!」


 ゴブリン・シャーマンから〈ストーン・バレット〉が放たれた。

 エフォートは反射を使わず、巧みに浮遊魔法を操り石礫を回避する。

 そして。


「悪い!」


 空中から眠るエリオットを放り投げた。


「ギョギャ!!??」

「がふっ!?」


 すぐ横にエリオットの身体が落下して、ゴブリン・シャーマンの意識が逸れる。

 まさか味方を放り投げてくるとは思っていなかった魔物は、次のエフォートの行動に対応が遅れた。


「くらえっ!!」


 魔術師のエフォートが、エリオットの手から取っていた手槍を構え、直上から落下してくる。


「グギャアアアア!!」


 脳天から、体重と落下速度で倍加された力で槍に突き抜かれる。

 ゴブリン・シャーマンは悲鳴を上げて、絶命した。


 ***


「ううん……あれ、私……ええっ!?」


 意識を取り戻したサフィーネが最初に見たものは、うつ伏せで河原に突っ伏しているエリオット。

 そして槍で貫かれ絶命している大型ゴブリンに、その返り血を浴びて膝を突き、肩で息をしているエフォートだった。


「だっ、大丈夫!? 兄貴、フォートっ!?」

「来るな!!」


 慌てて近づこうとしたサフィーネは、必死な口調でエフォートに制止された。

 なぜか真っ赤になって、視線を反らしている。


「フォート? いったい何があっ」

「その恰好で来ないで下さいっ! まずは服を着て下さいっ!」

「は? …………………きゃああああああああああああ!!!」


 王女の悲鳴が響き渡った。


「ん……さ、サフィーネ?」


 空中から落とされても目を覚まさなかったエリオットが、妹の悲鳴で覚醒する。


「無事かっ、サフィーネごぶあっ!」

「見るなあああ!!」


 サフィーネの投げた石がクリーンヒットし、哀れな王子はまたも気絶した。

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