27.運命と戦う王女

 五年前。サフィーネはエフォートと初めて出会い、共犯関係となった。

 隷属魔法を改竄した金髪の少年。その力の秘密が記されていると思われる魔導書ライトノベルの解読を目的に、サフィーネはエフォートを軍から魔術研究院に転属させることにする。

 ただ、いかに王女でも軍の人事にたやすく介入できる訳ではない。

 王族として強権を発動すれば不可能ではないが、そんな真似をすれば悪目立ちし、猫被りが見破られ企みが露見する可能性があった。

 そこでサフィーネがとった手段。

 それは、自らが魔術研究院のトップに立つことだった。


「どうしてそういう発想になるんですか」

「トップなら人事権あって当たり前でしょ? さすがに軍の要職にはなれないし。いやー、無事に就任できて良かったよー」

「……〈魅了チャーム〉の魔法でも使ったんですか? いったいどうやって」

「私って見た目しか取り柄のないお飾りでしょ? まして十二歳のガキ。『こいつなら利用できる』って思ってるヤツは大勢いるのよね。そんな人たちにちょこっと媚売って餌チラつかせたら、あとは勝手に動いてくれるわ」

「餌?」

「今頃は王室も軍も教会も、これで魔術研究院は自分達の好きにできると思ってるでしょうね」

「それ、殿下が後々しがらみで大変になるんじゃ」

「ん? 私は世間知らずの無能だから。暗に便宜を要求されても気づかないのよねー。ハッキリ言ってくる馬鹿には、反対勢力に『こんなことぉ、言われてるんですけどぉ……』って上目遣いで告げ口するだけ。こんな残念王女じゃ仕方ないって思われるだけよ」

「怖い女……」

「何か言った?」


 こうして、エフォートは研究に没頭できることになる。

 だが、魔導書ライトノベルの解読は当初、遅々として進まなかった。

 いかに天才魔術師であったとしても、異世界の言語解読は簡単ではない。

 そもそもエフォートはライトノベルを魔法の秘術を記した書物と考えており、最初からアプローチが間違っていた。

 間に挟まっている奇妙奇天烈なイラストも、魔術的な意味合いを持つものと勘違いしている。


「この裸の女達が水を浴びている絵図は、ウンディーネの精霊に恩恵を受ける儀式の筈だ。であれば横の文様は、精霊術に関する記述のはず。頻出する文字列を水属性魔法に関する単語に片っ端から当てはめて……」


 ヒロインたちのサービスシャワーシーンにそんな解釈していれば、異言語解読が進むはずもない。

 だが、並行して行っていた反射魔法のスクリプト開発については、徐々にではあるが進捗があった。

 反射魔法の発想の元になったイラスト。

 そこに描かれていた魔法陣のエフェクトは、当然エフォートの世界の魔術構築式スクリプトとは似ても似つかないデタラメな物だ。

 たがそのデタラメの中に、奇しくもエフォートの発想を転換する部分があった。


「そうか……! 空間魔法の応用と考えて……サフィーネ王女の教師をしている老魔術師が得意だったはずだ。あの人に研究院に入って貰って……」


 エフォートも王女が用意してくれた場所と立場を最大限に利用し、研究と開発を続ける。

 そうして三年の月日が流れた。


  ***


 今から二年前のその日。

 都市連合の軍勢が国境の砦を突破し、王都ラーゼリオンを二万の軍勢で取り囲んでいた。

 対する王都駐留のラーゼリオン王国軍は一万。相手が倍では勝てないと考えた軍団長ヴォルフラムは、籠城を選択。

 複数の国境砦から合計三万の軍が王都防衛に帰還するのを待っていた。


「王都を囲む防壁は魔法に対しても万全、如何に二万の軍でも短期間での攻略は不可能でしょう。その間に国境警備の軍が戻ってくれば、合計四万の軍で敵を挟撃できます。案ずることはありません」

「だがヴォルフラムよ」


 玉座の間で開かれていた作戦会議。

 軍の指揮を執るヴォルフラムに、リーゲルト王が口を開いた。


「今回の都市連合軍は、国境の砦を異常な早さで突破しておる。なにか強力な攻撃手段を手にしたやもしれんぞ?」

「可能性はありますな。ですが王都の防壁は、過去三十年に渡り破られたことはございません。前回も五万の兵力に持ちこたえ、今回はその半分以下です。国境軍の帰還までもたないということは無いでしょう」


 ヴォルフラムの言葉を聞いて、会議に参加しつつも発言権のないサフィーネは不安を抱いていた。


(前回防げたから今回も防げる……? スクリプト開発を加速させてる都市連合を相手に、そんなぬるい考えが通用するもんか!)


 サフィーネは思わず横にいるハーミットを見てしまう。

 妹の視線に気づいた兄は、薄く笑った。


「大丈夫だよサフィーネ。ヴォルフラム殿は優秀な軍団長だ、彼が大丈夫だというなら心配はいらないだろう」


(そんなこと欠片も思っていないくせに、この腹黒兄!)


 サフィーネは知っていた。

 ハーミットは少しずつ、王国軍に、教会に、冒険者ギルドに自分のシンパを増やしている。

 あくまで目立たず慎重にであるから、実際にこの長兄がこれらの組織に影響力を持つにはまだ数年は必要だろう。

 だがもし、今回ヴォルフラムが籠城戦に失敗したら。


(それで王国に損害が出ても、城が陥落しなければいいという考えね。実際、王城が陥落するほどの事態にはならないでしょうけど……)


 都市連合との国境砦が突破されてすぐ、別の各砦に国境軍の一部帰還命令が出ている。

 明日以降で、味方軍三万が順次到着する見込みだ。

 たとえ防壁が突破されたとしても、王都駐留一万の軍で迎撃すれば、一日は持ちこたえるだろう。

 だがその場合は市街戦になり、一般国民への深刻な被害が出る。

 民が死んでも、いや、民が大勢死ねば死ぬほど、守れなかったヴォルフラムの責任が問われ、ハーミットの王国軍掌握が一気に進むということだ。


「お兄様」


 意を決して、サフィーネは小声で長兄に声を掛ける。


「なんだいサフィーネ」

「それではせめて、城下町の民をラーゼリオン城内に避難させられませんか?」

「……それは何故だい?」


 正面からじっとサフィーネを見つめてくるハーミット。

 口元には柔らかい微笑みが浮かんでいるが、目が笑っていない。


「あ、あの……怖いのですわ。私、戦争が本当に怖いのです。町の皆さんが一緒にいて下されば、少しは不安が和らぐかと」


 せめてもの道化を演じるが、通用してはいないだろう。

 そこに二番目の兄エリオットが、横からひょいと顔を出す。


「あはは、サフィーネは可愛いなあ! 大丈夫、俺たちがいるじゃないか。なあ兄ちゃん!」


 黙れバカ、と二番目の兄を内心で罵るがもう遅かった。


「そうだね。エリオット、サフィーネについていてあげてくれ」

「わかった!」

「……お兄様!!」


 肩に置かれたエリオットの手を振り払って、サフィーネはハーミットに向かって声を荒げる。

 リーゲルト王やヴォルフラムを含めた周囲の目が、サフィーネに集まった。


「あ……」


 ハーミットはサフィーネの耳元に口を近づける。


「サフィーネ、覚悟がなければ発言はしないことだ。君が守ろうとするものが何を引き換えにするのか、それをよく考えることだよ」


 たったそれだけの含んだ物言いで、サフィーネは兄に何も言えなくなる。


 サフィーネは兄の思惑を察しているが、ハーミットの方でも妹の動きを知っているのだろう。

 それがエフォートのことまで辿り着いていることは、ありえない。

 ありえないはずなのだ。

 だがもし、知られていたら。


(脅迫するっていうの、このクソ兄貴……!)


 余計な口を挟めば、こちらの企みもバラすと。


「ん? 兄ちゃん何言ってんの?」

「それはサフィーネに聞いてごらん、エリオット」


 ハーミットは首を傾げて笑う。


(……駄目だ、勝てない)


 サフィーネは目を瞑るしかない。

 手駒が少なすぎる。

 ここで兄の企てを暴露したところで、サフィーネは証拠を持っていない。

 兄の方もサフィーネの目論見を知っていたところで、なんら確証があるわけではないだろう。

 だがそれでも容赦なくブラフをかけてくる。

 既にこの兄は、無辜の民を犠牲にしても己の望みを叶える覚悟があるのだ。

 では、サフィーネはどうなのか。


「……承知した、ヴォルフラムよ」


 黙り込んだサフィーネを無視して、リーゲルトは旧来の友であるヴォルフラムに声をかけた。


「籠城戦を継続する。だが非戦闘員である城下町の民は、ラーゼリオン城内へ避難させよ」

「陛下?」

「万が一防壁が破られた場合の備えだ。そなたを信用していないわけではない、ヴォルフラム」

「はっ。慧眼です陛下」


 父王と軍団長のやり取りに、サフィーネはほっと胸を撫で下ろした。

 その様子を見て、ハーミットはクスリと笑う。


「よかったねサフィーネ。これでもう寂しくないよ」

「そう、ですわね」

「ガーランドの王子に良い土産話ができたね」

「……はい!?」

「我が妹は籠城戦で不安になるあまり、城下町の市民達を全員城に入れようとした寂しがり屋だとね」


 それは父王により目論見が潰えさせられたハーミットの、いわば八つ当たりの言葉だった。

 神聖帝国ガーランドの王子。いずれ、サフィーネが嫁ぐことになる相手だ。


「……嫌ですわ、お兄様」

 

 絶望的に感じる、長兄との差。

 それは能力だけではない。

 兄が、王位継承第一位であること。

 そして兄が、男であること。

 サフィーネは王位継承第三位、そして女だ。


(女であるというだけで、私は道具として利用される)


 仮にハーミットと同等の能力を持っていたとしても、サフィーネの立場では競争相手になりえないだろう。

 いずれ政略結婚に使われる駒でしかない。そして自分という駒には必要以上の能力など求められていない。

 下手に賢しい王女など、この兄の下ではむしろ身を滅ぼしかねない要素だ。

 例えば教会派に担ぎ上げられ、兄の対抗馬にさせられる。

 そんな政争に巻き込まれない為にも、愚鈍な振りをしているのだ。

 自分の意思でどうにもならない、奴隷と同じような身分だ。

 いくら努力し足掻いても、この運命からは逃れられないのか。

 エフォートの魔導書解読も進んでいない。この兄に全て奪われ、努力は無駄に終わるのか。


「……馬鹿なことを言うな! 通すわけがないだろう!」

「時間が無いって言ってるだろう!? ラーゼリオンを滅ぼしたいのか!」


 玉座の間の扉、その向こうから激しく言い争う声が聞こえてきた。


「なんだ?」

「え、この声……」


 扉が開く。

 姿を現したのは一人の年若い魔術師。

 後ろでは扉の警護兵が気を失って倒れている。


「なんだ貴様は!」


 玉座の間の中にいた近衛兵たちが、その魔術師を取り囲んだ。

 だが彼はいささかもたじろがない。


「恐れながら申し上げる! 都市連合魔法兵団による戦略級大魔法が、この王城を狙っている、すぐに退避を!!」


 王に向かって叫びながら、エフォートの視線はすぐに王女へと移った。

 なぜ一番見られたくない、兄の前に姿を晒した! とサフィーネは唯一の隠し球である彼に理不尽な怒りが湧く。

 たがすぐに自分を救いにきたのだ、と察した。

 近衛兵が槍を構え、その前に立ち塞がる。


「黙れ! 玉座の間で分をわきまえぬその態度、不敬罪である!」


 近衛兵は不心得者を打ち据えようと、槍の柄を叩きつけた。

 だが槍はエフォートに当たる前に、見えない壁に当たったように弾かれる。


「えっ?」


(完成したの……? 反射魔法!)


 サフィーネは目を見張る。


「とっ……取り押さえろ!」

「待て。話を聞こう」


 近衛兵たちが一斉に動き出そうとしたところで、リーゲルトの低い声が響いた。


「……サフィーネ、知っている者か?」

「はい、父上。エフォート・フィン・レオニング殿。魔術研究院所属の魔術師です」


 嘘をつくこともできずサフィーネが答えると、案の定ハーミットの眉がピクリと動く。


「聞いたことがあるね。確か禁忌を犯し、常識外の魔法適正で頭角を現した魔術師だ。軍に入っていたと思っていたけど、そうか。今はサフィーネが飼っているんだね」

「いやな言い方ですわ、兄様」


 今は兄との腹芸に付き合っていられない。サフィーネはエフォートに駆け寄った。


「エフォート殿、いったい何があったのです!?」

「王女殿下、先日より太陽と月の軌道が、大魔法に適した状態にあります。国境の砦が突破されたと聞きました。どんな状況だったのですか?」


(なんで私に聞くの!? 兄貴の前で無能設定を忘れないでよ!)


 慌てて問うエフォートに、サフィーネは答えるわけにいかない。王女はヴォルフラムを振り返る。


「……情報は錯綜しておる。一瞬で主力部隊が壊滅したとしか、聞いておらん」

「では、戦略級が使用されたのは間違いないでしょう」


 ヴォルフラムの回答を受け、エフォートは断言した。

 軍団長は眉をひそめる。


「仮にそうだとして、王都の防壁に施された魔術結界は砦とは比較にならんほど強固なものだ。過去に戦略級に耐えた実績もある。それは魔術師なら知っているだ」

「前も耐えたからという根拠だけで今回も耐えると判断するのは、愚か者の思考です」

「ちょっ……エフォート殿!」


 遠慮の無い言葉にサフィーネが慌てる。

 言いたかった台詞を言ってくれる爽快感はあったが、それで交渉がうまくいく筈がない。

 サフィーネは内心で舌打ちする。

 案の定、ヴォルフラムは気分を害した。


「……近衛兵、この不届き者を摘みだせ」

「はっ!」


 ヴォルフラムの指示に、改めて兵たちが槍を構える。


「待って下さい、ヴォルおじさま!」

「サフィーネ、下がるんだ。王の近辺警護は近衛兵の管轄だよ」


 ハーミットが正論でサフィーネを制する。

 どこまでも邪魔をする! とサフィーネが切れかかったところで。


「国王陛下ぁ!!」


 王国軍の兵士が、玉座の間に飛び込んできた。


「お、おお、王都の上空に怪しげな暗雲が!」

「なんだと?」


 ヴォルフラムが狼狽する。


「王都を囲んでいる敵魔法兵団が、合唱呪文を! 軍の魔術師は異常な魔力を探知しています!」

「くっ……遅かったか」


 エフォートは近衛兵を突き飛ばして、窓に駆け寄った。

 見上げた空には確かに暗雲が不自然に集まってきており、雷鳴が聞こえてきている。


「マズい……間に合うかっ!?」


 エフォートは両手の平を上に高く掲げる。


「五芒、六芒、天の七星、地の八極! 幾何の理、虚の地平! 命ずるは数多の論と理、其を覆す新たな法! ……」


 呪文の詠唱を始めたエフォートに対して、ヴォルフラムは目を見開いて剣を抜く。


「止めよ小僧、ここを何処だと……!」


 剣士の抜剣と同じように、魔術師が呪文を詠唱するのは玉座の間において不敬極まりない行為だ。だが。


「止めるな、ヴォルフラム!」


 国王が許可を出し、軍団長は不承不承ながら剣を収める。

 ハーミットが舌打ちしそうになったと感じたのは、サフィーネの気のせいだろうか。


「エフォート……」


 詠唱を続けるエフォートを、サフィーネは固唾を飲んで見守る。

 ほとんどの戦術級魔法を僅か一文節、二文節で発動するエフォート。

 その彼がこれだけ長い詠唱をしているのだ。

 おそらく術者である彼自身には膨大な魔術構築式スクリプトが可視化されているだろう。


「くそ……間に合わな……〈ソーサリー・リフレクト〉!!」


 エフォートが完全な構築式を描き切ることを諦め、途中で魔法を発動させた次の瞬間。

 閃光と爆音、振動がほぼ同時に起こった。


「おおっ!?」

「ぬう……」

「陛下、こちらへっ!」


 玉座の間の天井と床、その一部が崩れた。

 エフォートの魔法防御は適わず、ラーゼリオン王城を戦略級魔法が襲ったのだ。

 壁際にいた兵士と執政官の何人かが瓦礫に潰されている。


「ば、バカな……小僧のレジストはいざ知らず、王都の魔法防壁を抜いて、戦略級魔法など……!」


 ヴォルフラムが愕然としている。

 だがのんびりとしていられる暇はなかった。

 尋常ではない汗をかきながら、エフォートが叫ぶ。


「……違う、今のは魔法照準を定める為の試射モニターだっ!」


 反射出来なかったとはいえ、その魔法を受けたエフォートだから分かった。


「魔力の気配は晴れてない、すぐに第二射が撃たれるっ! ……かすめただけでこの威力だ、次は城が消し飛ぶぞ!!」


 容赦のない警告に、場の全員が息を飲んだ。


「……総員、退避ぃ!!」


 ヴォルフラムが叫んだ。

 無事な近衛兵達が一斉に動き出す。

 片足の無いリーゲルトは、一人では脱出も適わないのだ。


「王よ、私が担がせて頂きます。王族の皆様もこちらへ……!!」

「うう……う」


 微かに響く呻き声。

 それはサフィーネ自身の声だ。

 王女は己の不手際を呪う。


「私と……したことが……」

「……王女殿下っ!?」

「サフィーネ!!」


 近衛兵たちとサフィーネが慌て、そして。


「えっ……」


 エフォートが青ざめる。

 サフィーネは足を崩れた瓦礫に挟まれ、身動きできずにいた。

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