26.二人のはじまり

「昨日リリンが奪われたのに、もう笑ってるんだな、僕は」


 ふと笑い止んだ少年は、俯いて呟く。

 そんな彼に、サフィーネは柔らかく笑いかけた。


「それは悪いことではありませんわ」

「……絵、といえば」


 少年はライトノベルの最初の方のページを広げ、サフィーネに見せた。

 そこには、見慣れない服を着た一人の青年に向かって、大きな物体が迫る絵が描かれていた。大きな物体には二つの光が目のように灯っており、その片目の上には、物体の中にいると思われる別の男が、丸い輪のような物を両手で持って目を見開いている。


「なんの絵ですか?」

「おそらく、この迫ってくる物体は乗り物です。馬を必要としない馬車の魔道具かもしれません」

「じゃあ、この輪を持った人が御者ですか?」

「はい。それが手前の奇妙な服をきた男にぶつかろうとしている」

「左下に斜めに線が入って、男が倒れている絵も描いてありますわ」

「この部分は魔道具がぶつかった後を表現しているかと。血を流してます、おそらく男は死んだのでしょう」


 少年はまた数ページめくる。

 文字と思われる整然と並んだ文様が続いた後、また絵のページが出てきた。


「これは、女神?」


 幻想的な空間で宙に浮いている蠱惑的な姿の女性が、先の絵で死んでいた男に何か光の球を手渡している。


「ええ。女神……少なくとも女神に類する何かが、死んだ男に力を授けているように見えますね」


 さらにページがめくられる。

 また文様だけが続いた後に現れた絵には。


「……私たちの世界ですね」


 この国で見慣れた服装で、この国とよく似た街並みを歩く男の姿。


「これは仮説ですが」

「話してみて下さい」


 少年の言葉にサフィーネは食いつく。


「……どこか別の世界でこの男は死に、そして女神から力を渡されて、こちらの世界で生まれ変わった。〈転生〉したということだと思うんです」

「女神から力を得て、転生……」

「それがあの金髪の男だったとしたら、あの魔法の力も隷属魔法を改竄できたことも、説明がつく」


 少年はパタンと本を閉じる。


「あの男に勝つ為には、この魔導書の解読が絶対に必要です。殿下、お願いがあります」


 少年は真剣な眼差しをサフィーネに向ける。


「自分をラーゼリオンの魔術研究院に転属させて下さい。そこでこの魔導書を研究させてほしいんです」

「そうすれば、解除不可能な隷属魔法をなんとかする方法も分かる……?」


 サフィーネの反問に、少年は頷いた。

 王女はごくんと唾を飲む。そして。


「ねえ君。私たち、気が合うと思うんだよね」

「……はい?」


 突然口調の変わったサフィーネに、少年は驚いた。

 サフィーネは既に確信している。

 会ってまだ一日、実際に話したのはごく僅か。

 だけど間違いない。


「手を組もう。私はその魔導書の研究の為に、なんとしても君を魔術研究院に捻じ込む。だから君は、研究結果を私だけには教えて頂戴。他人には絶対に秘密で」

「奴隷制度を廃止する為に使うから、ですか」

「ええ。夢なの」

「それは国家転覆と同じ意味ですよ」

「覚悟はあるわ。つまり君には、国家反逆の共犯者になれって誘ってるのよね」

「……どうしてそこまでして奴隷制を無くしたいのか、聞いていいですか」

「んー。それはまた、もう少し仲良くなってからね」


 ニッと笑って、サフィーネは手を差し出す。

 少年は躊躇う。

 だがすぐにこんな好機はないと決意し、王女の手を握り返した。


「わかりました。よろしくお願いしま」

「えいっ」


 王女はその手をグイッと引っ張る。


「わ、」


 不意を突かれた少年は、サフィーネのすぐ鼻先までに顔を近づけてしまった。


「ちょ、え、な、」

「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」


 触れあいそうな距離で、王女は笑う。

 もともと既に大陸中に響き渡っている、ラーゼリオンの王女の美貌。

 可憐な少女のその笑顔に、エフォートは耳まで真っ赤になった。


「あ、あの、その」

「おしーえて?」

「だ……」

「ダ?」


 コクンと可愛らしく小首を傾げるサフィーネ。


「……騙されないぞ、サフィーネ・フィル・ラーゼリオン殿下! それが貴女の手口なんでしょう! 僕を都合よく利用する気だな!?」

「ちっ。そういえば幼馴染さんって女の子の名前だったわね。女に免疫はあるのか」

「そ、そそそそんなものはない!」

「あら可愛い反応。面白ーい」

「からかうな! もういい! ……いや、もういいです。手は組みます。よろしくお願いします!」


 今更ではあるが敬語がぶっ飛んでいたことに気づいて、少年は言い直す。

 そして手にしたライトノベルをブンブンと振った。


「解読できたら、必ず殿下だけに報告を……あっ」


 手が滑って、本を床に落としてしまう。


「ちょっとー。気をつけて? 私たちの切り札なんだから」

「私たちのって、いつから二人の物に……ん?」


 開かれたページには、派手な絵が描かれていた。

 それは魔法での戦闘シーン。


「これ……魔法を反射してるのか? そうか、レジストじゃなく反射……それなら防御と同時に反撃もできる。魔術構築式スクリプトを見て同じ魔法を撃てるアイツも、反射攻撃なら対応できないかもしれない……いや、反射なんて魔法を瞬時に出せるなら、今度こそ、あの子を守れる……!」


 少年はガバッと床に這いつくばって、魔法反射の絵が描かれたページの横の文様を、羊皮紙に書き出す。


「この文様は文字のはずだ、反射魔法の魔術構築式スクリプトについて説明しているはずだ……呪文の形式で書いてるのか? くそ、こっちの世界みたいに式で描いてくれればいいものを……! 文様に規則性があるはずだ。それを見つけて……!」


 少年はもうサフィーネの存在など忘れたように、ガリガリと羊皮紙に書き込みをしながら、頭を抱えている。


「……頼もしいね、ホント」


 サフィーネはふっと笑う。

 自分の猫被り全開モードが無視されるのは久しぶりだった。

 それが頼もしく、そして少しだけ悔しい。


「ねえ! 名前! 君の名前が分からないと、魔術研究院に入れようがないんだけど!」


 大声で怒鳴るサフィーネ。

 少年は振り返りもせずに片手をひらひらさせる。


「殿下のことだから、もうとっくに調べてあるでしょう?」


 十二歳にして驚異の魔法適正値を叩き出し、軍で一部隊を任され初陣で功績を上げた少年魔術師。

 もちろん調べていなければ、最初から声も掛けない。


「……それでも、礼儀でしょう!?」


 図星を刺されたことがまた悔しく、サフィーネは頬を膨らませる。

 少年はため息をついてから、面倒そうに振り返った。


「エフォート。……エフォート・フィン・レオニングです、殿下」


 後にサフィーネは振り返る。

 この日この時が、王国最強の反射魔術師が生を受けた瞬間であったと。

 自分とエフォートが最初の一歩を踏み出した日であったと。

 そして。

 この時はまだ、エフォートに恋してはいなかったと。


 王女がこの魔術師に、心を決定的に奪われたのは二年前。

 ラーゼリオン王城が都市連合の魔法兵団による戦略級大魔法〈カラミティ・ボルト〉に狙われた日のことだった。

 そして、あの黒の幼女と出会ったのも。

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