断章
25.二人の出会い
彼女が彼と初めて出会ったのは、五年前。
都市連合との局地戦で指揮下にあった剣奴部隊を全員失った少年魔術師が、ボロボロの姿で砦に帰投した時だった。
「あの、お水です。よろしければ」
軍の慰労で砦を巡回していたサフィーネは、少年に水を差し出した。
ニコリともされず器を奪われ、がぶ飲みされる。
「貴様! 殿下に向かってなんだその態度は!」
激高する御付きの者を、サフィーネは手を上げて制した。
「良いのです。仲間を失って帰ってきて……きっとこちらの方には余裕がないのですわ」
「しかし殿下。失ったといっても、たかが奴隷です。しかも敵部隊は殲滅させたらしいですぞ。むしろ武功を立てていて、こうして殿下に慰労されているのにこの態度。おかしいグハァッ!?」
少年魔術師の拳を顔面に受け、御付きの者は吹っ飛んだ。
「あんた今なんて言った!? たかが奴隷? どういう意味だ!? リリンはっ……!!」
興奮して肩で息をしている少年を、周囲の兵たちが取り押さえる。
「こ……このガキッ! いくら貴族の子弟とは言え、王女の前でこのような狼藉、許されぬぞっ!」
「うるさい!」
「ええい、魔導兵団殲滅の功労者を処罰するわけにもいかん、軍舎の空き部屋にでもぶち込んで、頭を冷やさせろ!」
砦の隊長が指示し、少年は連れていかれた。
敗戦ではなく、勝って帰ってきたのに落ち込んでいた。いくらでも替えの効く奴隷部隊を失った程度で。
その純粋さは支配者階級の多い王都では見られないない輝きだ。
サフィーネは少年に興味を持ち、翌日、彼が軟禁されている部屋を訪ねた。
「失礼いたしますわ。少しよろしいでしょうか」
不意の王族来訪に驚く兵たちを宥め、人払いをさせてから、サフィーネは一人するりと少年の部屋に入り込む。
すると。
「……なんですか、これは」
びっしりと文字が記された羊皮紙が、部屋中に足の踏み場のないくらいに散らばっていた。
その真ん中で少年魔術師はなにやら怪しげな本を数冊広げ、ブツブツ呟きながらペンを走らせている。
サフィーネの入室にも気づいていないようだ。
サフィーネは離れた場所で羊皮紙に埋もれた、怪しい本の一冊を拾い上げる。
「……! 何これ……こんな上質な紙、綺麗な色、均一な文様……大陸中どこを探したってこんな製本技術、ありえない……これは何!?」
手にしたライトノベルがこの世界で絶対に存在しえない物であることを、サフィーネは気づく。
「……っ! 返せっ!」
遅れて王女の存在に気づいた少年は、慌ててサフィーネの手からライトノベルをひったくった。
「ああ、勝手にごめんなさい。私つい」
「……誰だ」
「はい?」
誰何されるとは思ってもいなかったサフィーネは、ポカンとしてしまう。
「あ、あの、私はこの国の王女、サフィーネ・フィル・ラーゼリオンです。つい昨日、軍の慰労訪問でお会いしたばかりではないですか」
「憶えていない。……王女殿下? 本物ですか?」
「にっ……偽物と疑われたのは初めてでございますわ」
思わず笑顔が引きつるサフィーネに、少年は無遠慮な視線を向けてくる。
「あの、少しお話させて頂きたくて……よろしいかしら?」
「王族の頼みを断われるわけ無いじゃないですか。手短にお願いします」
愛想もなく言うと、少年は部屋にあった質素な椅子を移動させ、王女を座らせた。
「ありがとう」
すぐに帰ろうと思ったサフィーネは、簡潔に聞きたいことを尋ねる。
「貴方は、奴隷制に反対なのかしら?」
「いいえ」
より簡潔な答えに面喰らう。
「で、でも貴方は昨日、奴隷を蔑ろにした者にあれだけ怒っていらしてたではないですか」
「制度自体は否定しません。この国の根幹を支える仕組みです。ただ、幼馴染が親の失脚で奴隷に落とされました。助けるつもりでした。その彼女を蔑ろにされたので、手が出てしまっただけです。非常に個人的な理由で、奴隷制自体に何も感じるところはありません」
「……そう」
期待が外れたことに落胆し、サフィーネは立ち上がる。
床一面の羊皮紙を手で避けて、道を作った。
「邪魔をしました。これで失礼しますわ」
「……貴女は本当に、サフィーネ王女殿下ですか?」
去り際に少年から問われ、サフィーネは足を止める。
「なぜ、そのような事をお思いに?」
「この国の姫は美しさだけが取り柄の愚昧なお人形、頭脳明晰な長兄の足元にも及ばない。そう聞いていました」
「その通りですわ」
「本当に愚かな人は、こんなこと言われてすぐ認めません」
「……!」
息を飲むサフィーネ。
「それと、コレが価値ある物と即断してこっそり持ち出すほど、手癖も悪くないかと」
少年はサフィーネが後ろ手に隠し持っていたライトノベルの一冊を、素早く取り返した。
王女は軽く舌を出す。
「……あら。こんなにあっさり見破られたのは、初めてですわ」
「それは殿下が僕を舐めて、雑な猫の被りかたをしていたからです」
はっきりと言われてサフィーネはぐうの音も出なかった。
それと同時に、興奮する。
(……この子、面白い)
「僕を値踏みしに来たんですね? 王女が国の制度を否定する仲間を集めているとは意外でした。クーデターでもするつもりですか?」
「く、クーデター!?」
「それくらいしないと、この国から奴隷制はなくせませんよ? 隷属魔法が絶対解除不可能で便利極まりないうえ、敵対国が奴隷制反対を名目に戦争を仕掛けている現状。ラーゼリオン王国を消滅させる以外、奴隷制をやめる手段はありません」
「……危険思想ですわ。私は昨日の騒ぎで、貴方がそんな考えを持っているのではと疑って、ここに来たのです」
「王女がご自身だけで、ですか? せめて近衛兵の一人でも連れてきてから言って下さい。……そうか、まだ同じ思想の仲間がいないんですね」
値踏みされていたのはこちらの方だった。サフィーネは首筋に冷たい汗が流れる。
だけど、何故か口に笑みが零れる。
この少年との会話は楽しい、と。
ふとある考えに思いが至り、王女は話題を変える。
「……先程、幼馴染が奴隷になってしまったとおっしゃいましたね。その方が、今回の戦闘で亡くなられたのですか?」
次の瞬間、王女は少年に胸ぐらを掴まれ、睨みつけられていた。
「死んでなんかいない。ふざけたことを言うな」
「それは本当に良かったです。……ところで、不敬罪ですわ。私がここでひとつ大声あげれば、貴方は失脚。そのまだ生きておられる幼馴染さんを助けることもできなくなりますわよ?」
臆せずに睨み返すサフィーネ。
実は剣奴部隊のうち一人は死亡が確認されておらず、行方不明であること。
そしてそれが少年魔術師の知己であることは、事前にサフィーネは確認していた。
わざと焚きつけられたことに気づいて、少年は息をひとつ吐き手を放した。
「失礼しました、お詫びします」
サフィーネは乱れた胸元を直してから、少年魔術師に改めて向き直る。
「貴方こそ、私を測っていたんですね? 幼馴染さんを奴隷から解放する方法を、ずっと探していたんでしょう。でなければ奴隷制を無くすにはクーデターがどうとか、あんな立て板に水で言えるはずありません。私はさしずめドラゴンの口に飛び込む愚かな狩人、だったのかしら」
少年は黙って、ふたたび質素な椅子をサフィーネに向かって引いた。
王女は王族らしい仕草で完璧な礼をして、また椅子に腰かける。
「貴方のお眼鏡にかなって光栄ですわ。幼馴染さんを助ける為に、手助けが必要なのでしょう?」
「……僕は必ずアイツを探し出して倒す。それには力が必要だ。その力を得る為の協力が、ほしいんです」
「アイツ?」
「リリン……僕の幼馴染は、都市連合でもこの国の人間でもない不思議なやつに奪われました」
「奪われたっていうのはどういうことでしょう?」
「都市連合の魔法兵団を殲滅したのは僕じゃない。僕と同じ年頃の金髪の男。そいつがリリンの隷属対象を主人の承認もなく、移管しました」
「承認もなく? それでは隷属魔法の改竄ではないですか! そんなこと不可能です!」
サフィーネは立ちあがって驚く。
奴隷魔術の強固さは絶対であるのが、常識だからだ。
「だけど僕はこの目で見た」
少年は呟く。
嫌な記憶なのだろう、その表情は苦渋に満ちている。
「そんな、そんな力が手に入れば……その男は今、どこにいるのですか!」
「それが分かれば、今すぐ向かっています」
苦々しく吐き捨てる少年。サフィーネはまた椅子に腰を下ろした。
「でも手がかりはあります。これです」
少年は、先程サフィーネから取り返したライトノベルを見せた。
「それ……なんなのですか?」
「わかりません。ただ金髪の男がリリンを連れ去った後に、落ちていました」
「この世界の書物ではありえませんわ、それ」
「ええ。魔導書だと思います」
「あと何か」
「何か?」
「表紙の絵が……気に喰いませんわね」
少年は噴き出した。
「なぜ笑うのですか!?」
「だって殿下、真顔で……」
「だってこんな、私と同じ歳くらいの女の子が、こんなに大きなお胸なんて変じゃありませんか!」
「同じ歳くらい……?」
少年がそれこそ真顔でこちらを見てきて、サフィーネの動きは止まる。
「貴方、まさか」
「殿下、おいくつなのでしょうか?」
「またその質問……」
サフィーネはがっくりとうなだれた。
「……十二ですわ」
「僕と同い歳ぃっ!?」
「ちょっと驚き過ぎですっ!」
腰を抜かして驚く少年に、サフィーネは怒る。
そして二人は同時に噴き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます