8.再会

「リリン……!」


 エフォートは王女に握られていた手をさっと引いた。

 その仕草にサフィーネは胸に痛みを覚えるが、そんなことを気にしている場合ではない。


「どうして? 魔力を感じ取れるエフォート殿が、人の気配に気づかないなんて……」

「あたしはシロウのパーティよ。気配を断つなんて、たいしたことじゃない」


 落ち着いた声でサフィーネの問いに答えると、リリンはゆっくりと歩み寄ってきた。


「久しぶりだね、エフォート。五年ぶり?」

「……ああ」

「反射の魔術師ってエフォートのことだったんだ。王女直轄の魔術研究院なんて、出世したね」


 ふわりと笑うリリン。

 エフォートはその笑顔に、もう一度逢いたかった。その為にこれまで、頑張ってきた。

 だが待ち望んていたはずの少女の笑顔は、すぐに冷酷な嘲笑へと変わる。


「でも、女を盾にして隠れるところは変わらないね」

「……!」

「この卑怯者」


 言葉が刃になるのなら、その一言だけで致命傷だ。

 得意の反射魔術でも跳ね返すことは適わない、恋し守れず奪われた少女からの侮蔑。

 エフォートは拳を強く握りしめ、叫び出しそうになる自分を必死で抑えた。

 爪が食い込み、血が滲む。


「今度はこんな小さな王女様を盾にしてるんだ。ロリコン趣味があるとは知らなかったよ」

「違いますわ。私はエフォート殿と同じ歳です。彼はロリコンではありません」

「へっ? 嘘でしょ?」


 幼い外見の王女に否定され、リリンは目を白黒させた。


「ロリコンなのは、私の外見だけに反応された貴女のご主人様では?」

「うるさい! シロウは守備範囲が広いだけ……と、とにかくよ! うまいことやってるんだねえエフォート。これであたしも安心して、シロウと旅を続けられるよ」

「嘘を仰らないで」


 リリンの皮肉に一言も返せないエフォートに代わって、引き続きサフィーネが応じる。


「……は?」

「リリンさん。貴方はこの国に戻ってからもエフォートのことなんて、一度も考えていなかった。さっきの騒ぎで名前が出て、初めて思い出したんでしょう?」


 王女の指摘を、リリンは沈黙をもって肯定する。 


「それなのに、わざわざエフォート殿を傷つけるような物言い。貴女こそ卑怯ですわ」


 その糾弾に、リリンは大して堪えていないように自分の頭を掻く。


「なに? あんた、なんなの?」

「聞いていらっしゃいませんでしたか? 私はサフィーネ・フィル・ラーゼリオン。この国の」

「すっとぼけないで。エフォートとどういう関係なのよ」

「……お気になられますか?」

「はあ?」

「ご安心ください。ただの王女と家臣ですわ」

「なんであたしが安心するのよ、下らない。……ああもう、こんなこと話に来たんじゃない」


 リリンは忌々しそうに背を向けてから、床を軽く蹴る。そして。


「……エフォート」


 リリンの手首が閃いた。

 一筋の閃光が、リリンの腰からエフォートの首筋に向けて真っ直ぐに伸びる。

 それは神速の抜刀術。


 ギィン!


 だが物理反射が発動。リリンの斬撃は弾かれた。


「……!」

「フォートッ!?」

「魔術師のあんたが、今のに反応できるはずない。反射魔法を自分にかけ続けてるのね」


 リリンは剣を収めながら呟いた。


「臆病者のあんたらしいわ」


 遅れて状況を理解したサフィーネが激昂する。


「いきなり何をなさるのですか!」

「うるさいなあ、試しただけよ」

「も、もし、エフォート殿が弾かなければ」

「ちゃんと止めてたわよ。それよりもエフォート。お願いがあるんだけど」


 幼馴染に剣撃を向けられた事に、エフォートは動揺を隠せない。


「な、なに……」


 だが次に放たれた言葉に比べれば、それはささやかな事に過ぎなかった。


「その反射魔法、シロウにくれない? あんたみたいなクズが持ってるより、世の中の役に立つわ」


 エフォートにはリリンが言った言葉の意味が分からなかった。

 反射魔法。それは5年前にリリンを守れなかったエフォートが拾った5冊の魔導書〈ライトノベル〉を解読し、その中の魔法描写をヒントにして独自でスクリプト開発したものだ。

 咄嗟の時にも、最速で発動できる攻防一体の魔法。

 同じような事があった時に、今度こそ大切な人を守れるように。

 寝食を忘れて没頭し、不断の努力の末に辿り着いた魔導の極地。

 2年前には実際にこの力で、王国と尊敬できる一人の女性を守る事ができた。エフォートが依って立つ唯一の剣。

 それを、転生勇者に渡せと。

 まるで子どもがその玩具をくれとでも言うように。


「シロウの前で使えばそれでいいからさ。あの人は本当の天才だから。一目見ただけで構築式を自分の物にできんのよね、簡単でしょ?」

「……っ!」


 ブチ切れたのはサフィーネだ。

 淑女の仮面も顧みず、リリンに詰め寄って手を上げる。

 だが感情に任せた平手打ちは当然、容易くリリンに防がれた。


「はっ。おっとり天然のお淑やか王女なんて噂、大嘘ね」


 栗色の髪の女剣士は王女の腕を掴み取る。


「選定の儀の責任者が、勇者候補のパーティに手を出していいのかなあ」

「あ……あなたは、フォートがどんな思いでこの魔法をっ……!!」


 ここで感情を出してはまずいと頭では理解しながら、それでもサフィーネは今の暴言を許すことができない。


「全部、全部、あなたを守れなかった後悔から……! 今度こそ、フォートはあなたを救う為に!!」

「フォート? 何その呼び方。あんたたち本当にただの王女と家臣?」

「……っ!」

「はっ。ほんとに下らない」


 リリンはサフィーネの腕を放し、軽く突き飛ばした。

 背後に倒れそうになったサフィーネを、後ろからエフォートが支える。


「……フォート」

「エフォートです、殿下」


 呼び方を訂正しながらも、咄嗟に動いて王女を支えることができた自分に、エフォートは安堵する。

 大丈夫だ。自分はまだ理性を失っていない、と。


「やっぱあんたら、そういう関係じゃん」


 リリンは呆れてため息をつきながら、腰に手を当てサフィーネを睨みつけた。


「あんたさあ、この国の王女でしょ? 魔王が復活しようとしてる今、男にうつつを抜かしてる暇なんてあるわけ?」


 侮蔑した口調で、リリンは言い募る。


「魔法も物理も反射する無詠唱魔法なんて、臆病者には勿体無い。魔王を倒し世界を救うシロウにこそ必要だって、分かんないかなあ!?」

「おっ……男にうつつを抜かしてるのはっ」


 威気高なリリンの物言いにサフィーネが反論する前に。


「リリン、シロウには世界を救えない。いや救わせては駄目なんだ」


 エフォートが口を挟んだ。

 これ以上、王女を矢面に立たせてはいけない。

 シロウ・モチヅキは明らかにサフィーネに反感を抱いていた。ここで更にリリンと揉めては、どんな害意を持たれるか分からないのだ。

 エフォートは、今はリリンへの想いを抑え込む覚悟を決める。


「はあ? 何を言って」

「エフォート殿、その話は」

「大丈夫です殿下、言いませんよ。話したところで、信じてもらえる筈もない」


 サフィーネが案じている事が分かっているエフォートは、そう言ってから正面からリリンに向き直った。


「とにかく、すべては選定の儀を終えてからだ、リリン。何度も言うけど、彼が勇者と決まったわけじゃない」

「ちょっと待ってよ。あんたが選定者なんでしょ? 難癖つけてシロウを認めない気じゃ」

「決めるのは俺だけじゃない。実質、王と軍団長、女神教高司祭、それに冒険者ギルドマスターの合議だ。俺は検討の為の材料を提供するだけだ」


 そう言うと、エフォートはくるりと背を向ける。


「行きましょう、王女殿下。準備があります」

「……ええ」

「待ちなさい! だったらシロウが勇者に認められたら、ちゃんと反射魔法を寄越しなさいよ!」


 その背に向けて、リリンは遠慮なく怒鳴る。エフォートは振り返った。


「……なら賭ける? リリン」

「え?」

「シロウ・モチヅキが勇者に認められたら、王家承継魔導図書群も引き渡される。その時に、俺のスクリプトも見せるよ」


 その提案に驚いたのはサフィーネだ。


「ま、待って下さいエフォート殿、それでは」

「いいんです殿下」

「でも」

「言ったわね。もう取り消させないわよ」


 言質は取ったと、リリンはニヤリと笑う。


「この国はもう、シロウを頼るより他に道はないのよ。都市連合が力をつけて魔族と不戦条約を結ぶ以上、軍を超える力を持つシロウをリーゲルト王は無視できない。あんたや<教会>が小細工を弄したところで、無意味なのよ」


 こちらを指差して勝ち誇るリリンを、エフォートは笑う。


「リリンらしくない言い方だ。誰の受け売り? 君が政治に詳しいとは思わなかった」


 エフォートの指摘は図星だったらしく、カッと顔を赤くするリリン。


「うるさいわねっ! 五年前のあたしと一緒にしないで! とにかく、賭けには乗ったから覚悟してなさいよ!」


 リリンは踵を返して大広間を出て行こうとするが、今度はエフォートがその背後から声をかける。


「リリン、賭けに乗ったって言ったね」

「……何よ」


 含むような物言いに、リリンは足を止める。


「逆に、もしシロウ・モチヅキが勇者と認められなかったら。リリン、君は奴のパーティを抜けるんだ」


 弾けるようにリリンは振り返った。

 エフォートを睨みつけるその視線には、敵意しか込められていない。


「ふざけないで」

「自信がない?」


 エフォートは震えそうになる声を、足を、折れそうになる意志を、余裕の笑みを浮かべながら必死で支える。

 そんなエフォートに、リリンは容赦なく強い言葉を浴びせる。


「シロウが負けるなんてあり得ないって言ってるのよ」

「賭けは互いに賭ける物がないと成立しない。ベットを釣り上げたのは君だ、それとも降りる?」


 舌打ちをしてから、リリンは自分の胸に手を当てた。

 鋼の胸当ての下には奴隷紋がある。


「あたしとシロウは約束で結ばれてる。何があってもあの人は、あたしを手放したりしない!」

「約束? 隷属魔法で奴隷になっているだけだろ」

「そんなモノとこの絆を一緒にするなっ!!」


 激昂したリリンが、また剣を抜いた。

 それなりの距離があったはずだが、二人の間合いは一瞬で詰められ、エフォートの首筋に剣先が突きつけられる。


「……フォートッ!?」


 サフィーネが悲鳴をあげる。

 反射魔法が、今度は発動しなかったのだ。


「あんた、どうして……」


 驚いているのはリリンも同じだった。つまり彼女が反射を破ったわけではない。

 ということは。


「よかった。弾かなくても剣を止めてたっていうのは、本当だったね」


 切っ先は僅かにシロウの首に刺さり、血が滲んでいる。

 わざと魔法を発動させなかったエフォート。リリンを信じていたのだ。


「リリン。隷属魔法は俺が必ずどうにかする。だから約束してくれ。賭けに負けたら、奴のもとから離れるって」

「……そんな約束しないわ」


 一歩下がって剣を鞘に納めたリリンに向かって、エフォートは頷く。


「分かってる。隷属魔法の影響下にある者が、主人に黙ってこんな賭け受けられない」

「違う。そんなものなくても、あたしは」


 言いかけてリリンは視線を逸らし、俯いた。


「……こんなことあんたに言う必要ない」


 エフォートは彼女の感情に揺らぐものを感じるが、今はどうすることもできないと、湧き上がる想いをまた押さえつける。


「賭けのことはシロウに伝えて。反射魔法が欲しければ乗って来いってね」

「……後悔するわよ」


 リリンは捨て台詞を残し、足早に大広間を出ていった。

 再び二人きりになるエフォートとサフィーネ。

 僅かな沈黙の後、エフォートは膝から崩れ落ちた。


「フォート!」

「……俺や〈教会〉が小細工を弄しても無駄だと、リリンは言ってましたね」


 震える手を自分で押さえながら、エフォートは絞り出すように声を出す。

 心配して駆け寄ったサフィーネは、彼の肩を支えながら頷いた。


「ええ。教会が黙っているはずないと思ってたけど、彼らも転生勇者と何かの接触を持ったんでしょうね」

「そして、決裂した……?」

「そのあたりは私も探ってるわ。カリンちゃんには悪いと思うけど」


 魔術研究院に配属になったカリン・マリオン。

 女神教のラーゼリオン王国におけるトップである高司祭グランの隠し子である。本人にダブルスパイの自覚はなくとも、使えるものは使わなくてはならない。

 サフィーネは続ける。


「シロウ達が国境守備隊を相手にしたのは、軍に対してじゃなく教会に対してのメッセージだったのかもね」


 それよりも、とサフィーネはエフォートに向き直った。


「無理をしないでフォート。貴方はリリンさんのことを」

「大丈夫です。シロウが俺の反射魔法を欲しがるというなら、むしろ好都合だ。打てる手が増える」

「そうじゃなくて」

「まずは午後の選定の儀です。そこで奴を倒せれば」

「フォート」

「〈インビジブル〉を発動させていた俺に、奴は気づかなかった。つまりスクリプトも不可視魔法で隠せるということです。他にも準備している手がいくつも」

「フォート! 落ち着きなさい!」


 サフィーネに厳しい声を上げられて、エフォートはようやく我に返る。


「姫様……?」

「リリンさんと五年振りの再会がこんな形で、動揺するの分かるけど! 貴方がこんな調子だったら、全部クソ女神の思う壺よ!」


 両肩を掴まれ、顔を近づけられエフォートは叱られる。


「ここで転生勇者相手に無理してフォートにもしもの事があったら、誰がこのゲームを止めるのよ! 誰がリリンさんを解放するの!? 私一人にやらせるつもり!?」


 自分は冷静だと勘違いしていた、と。ようやくエフォートは気づかされた。


「……王女殿下」

「なに?」

「近いです」


 不意を突かれたサフィーネは、普段なら逆にからかうところをボッと頬を赤くして慌てて離れる。


「ち、近づけてんのよ!」

「いつもごめん、ありがとうサフィ」

「えっ? はっ?」


 無自覚な朴念仁に感情を揺すぶられ、サフィーネは素っ頓狂な声を出す。


「俺たちは共犯だ、もう君を不安にさせない。だけど選定の儀で目的が果たせなかったら、その時は」


 サフィーネは真顔に戻って頷く。


「分かってる。だからフォート、何度でもいうけど無茶しないでね」

「何度でも言いますが、こちらの台詞です」


 二人は笑い合う。

 手の震えが止まっていたことに、エフォートは気づかなかった。

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