7.王国の姫君VS転生勇者

 大広間の中心で騒いでいたシロウ一向を、距離をとり輪のように囲んでいた他の者たち。その間に、サフィーネはスカートドレスを翻して凛と立っていた。


「俺はなんにもしてねえよ。そこの筋肉野郎が突っかかってきて、うちの可愛い子ちゃんたちは身を守っただけだってば」


 サフィーネの顔も見ず、ヘラヘラと答えるシロウ。


「あなた達から煽ったようにしか見えませんでしたわ」

「ひ、姫様、どうかお気をつけを……」


 選定の儀の補助として来ていた執政官が、慌てて横から声をかける。選定を始める前に王女の身に何かあっては、責任問題になるからだ。

 シロウは執政官の口にした単語が引っかかって、初めて顔を向けた。


「……『姫様』?」

「はい。お初にお目にかかります」


 お淑やかなお飾り王女。だが今は舐められてはいけない。


「私がこの度の勇者選定の儀を預からせて頂いております、当魔術研究院長にしてラーゼリオン王国王女、サフィーネ・フィル・ラーゼリオンでございます」


 王女は毅然とした態度で名乗りをあげた。

 実年齢よりも遥かに幼さは残るものの、大陸中に聞こえるその美貌。王族の気品と風格を持って、サフィーネはシロウの前で胸を張る。

 その姿を見て、シロウはポツリと呟いた。


「……ロリ姫だ」

「はい?」

「お約束ゥ! ロリお姫様だぁ!!」


 シロウは叫び、瞳が光る。その舌が自分の唇を軽く舐めた。

 その反応を、周囲の女たちが見逃すはずがない。


「エルミー、エルミー! お姫様だって! しかも超綺麗! お人形さんみたい!」

「わかってる。強敵、出現」

「ちょっとお兄ちゃん! これ以上お姉ちゃんが増えるのヤだからね!」

「はあ……駄目ニャ。ご主人様の顔見るニャ」

「手遅れ、ということじゃな」

「シロウ殿! これ以上の節操のない真似は……!」

「ああもう……」


 女達は口ぐちに騒ぎ立てる。

 はあ? とサフィーネは彼女達の危惧を測りかねた。

 シロウは拳を口に当てて咳払いする。


「ごほん。……これは大変失礼を致しました。音に聞こえし美貌の姫君、サフィーネ王女殿下がご来賓とはつゆ知らず、申し訳ございません」


 わざとらしい口調でシロウは、片膝をついて頭を垂れる。

 慇懃無礼を絵に描いたような態度に、サフィーネは眉をしかめた。


「来賓ではありません。私がこの選定の儀を仕切らせて頂くのです」

「おお、姫様がでありますか、これはこれは。美しい姫様に勇者と認められるとは、このシロウ。光栄のあまり胸が震えます」

「待って下さい。まだ貴方が勇者と決まったわけではありません。これから選定を始めるのです」

「……姫?」


 仰々しい口調を止めて、シロウは折った膝を伸ばして立ち上がる。

 一歩前に進んで、サフィーネを見下ろした。


「今のやり取りを見ていなかったのかな? お嬢ちゃん」

「お嬢ちゃんではありません。おそらく貴方と歳はそう変わりませんわ」

「んなこたどうでもいい。今のを見てまだ、この場に俺よりも強い奴がいると?」

「ええ。砦で我が軍を蹂躙されたお話も聞いております。けれど、それをされたのは其方のパーティの女性方ですわ。貴方ではありません」


 威圧的な態度に転じたシロウに臆することなく、サフィーネは答える。

 シロウよりも先に反発したは女たちだ。


「ちょっとあんた、シロウはアタシらなんかより強いんだからな!」

「ちょっとー、お兄ちゃん馬鹿にしないでっ」

「一国の王女とはいえ、シロウ殿への無礼は許せぬ」


 戦士ルース、回復術師ミンミン、騎士テレサが色めき立つが、シロウは手を挙げてそれを制した。


「いやいやいや、お姫さんよ。あんたもしかして動画……影写魔晶、見てない?」

「拝見しましたわ。トカゲを弱い者イジメなさって得意満面な殿方が、よく映っておりましたわね」


 にこやかに答えるサフィーネ。

 一瞬顔を引きつらせるシロウに、内心で王女はごく僅かに溜飲が下がる思いがする。


「トカゲっ!? あれはプルート・ドラゴンっていう凶悪な……!」

「リリン、黙ってるニャ」


 飛び出して抗議しようとした剣士リリンを、慌てて獣人ニャリスが抑えた。

 シロウは自分の頭を指をトントンと指で叩く。


「なるほどね。ラーゼリオンの王女様は見た目だけしか取り柄のない能無し女、って噂は本当だったってわけか」


 目を細めて、改めて王女を見下すシロウ。

 静かな威圧に、しかしサフィーネは僅かもたじろぐことはない。


「ええ、私は見た目だけの能無しですの。そんな女にも分かるように、貴方が勇者にふさわしいと選定の儀でお示し頂けませんか? それとも後ろの女性方に助けて頂かなければ、何もできませんか?」


 笑顔で挑発するサフィーネ。

 人を煽ることはあっても煽られることは少なかったシロウは、ビキ、と額に青筋を浮かべる。


「……選定の儀とかめんどくせえ。今すぐ証明してやるよ」


 すっと掌をサフィーネに向けるシロウ。


「いくら馬鹿でも魔術研究院の院長様だ。無詠唱魔法はすげえってことくらい知ってんだろ?」

「ご主人様! 待つニャ、いくらなんでも王族には!」

「大丈夫だニャリス、ちょっと脅してやるだけだ」


 無詠唱で不可視のスクリプトが描かれ、魔法が発動する。

 仕掛けたのは浮遊の魔法<レビテーション>。

 スカートドレスのサフィーネを衆目の中でぷかぷか浮かべ、下から辱めようという魂胆だ。だが。


「なにっ……?」


 足が床から離れ、その身体が宙に浮かんだのはシロウのほうだった。

 発動した魔法は不可視の壁に跳ね返され、使用者のシロウに作用したのだ。


「シロウ様っ!?」

「え、なに」

「何でっ……?」


 背後にいた女たちが驚く。

 目の前に浮かぶシロウを見上げ、サフィーネもまたわざとらしく手を口に当てて驚いてみせた。


「まあすごい! 浮かんでいらっしゃいますわシロウ殿! ……あの、それが勇者の証明ですの?」

「ち、違……馬鹿な、レジスト……いや反射だと!?」


 慌てて自分に掛かった魔法を解除ディスペルし、シロウは浮遊を解除して床に降りる。


「……誰だ!? 誰が反射しやがった?」

「反射? もしかして今の宙に浮かぶ魔法を、私に掛けようとなさったのですか?」


 サフィーネはスカートの裾を大げさに抑え、わざとらしく恥じらう。


「貴方……下種いですわね」

「黙れ」


 シロウはつかつかと歩み寄り、平手でサフィーネの頬を叩く。

 いや叩こうとした。が、かなわなかった。

 その手はサフィーネの頬に当たる直前で、またも見えない壁に撥ね返されたのだ。


「なっ……!? 物理も、だと!?」


 弾かれた自分の手を、信じられない思いで見るシロウ。

 その後ろでルースたちも慌てている。


「おいエルミー、シルヴィア! アタシは魔法のことはわかんねーんだ。何が起こってんだよ!」

「わからない。魔法も物理も、反射されてる」

「レジストでもディスペルでもなく、反射の魔法じゃ。レアな奴だぞ、シロウ。二年前の都市連合との戦争で、戦略級魔法を反射した魔術師がいたという。きっとそやつじゃ」


 精霊術士エルミー、吸血鬼シルヴィアの言葉を聞いてシロウの心は躍った。

 反射魔法はシロウも持っていない。レアな魔法も構築式さえ見てしまえば、労せず自分の物になるのだ、と。シロウは舌舐めずりする。


「おい姫様よ、反射の魔法を使ったのは誰だ」

「私ですわシロウ殿」

「嘘をつくな、テメエの前にスクリプトなんざ無かった」

「まあすごい。シロウ殿は魔法使用者にしか見えない構築式が見えるんですの?」

「ちッ」


 シロウは王女を無視して、囲んでいる者たちに向かって怒鳴りつける。


「おい! 今、魔法を使った奴は誰だ、出てこい!」


 周囲はザワザワとし始めた。

 口々に、王国内では有名なその名前を口にする。


「反射……」

「……反射の魔術師……」

「エフォート……」

「反射のエフォート」


顔を知る者は、エフォートの姿を探している。

 だが、大広間にその姿を見つけられるものは誰もいなかった。


「エフォート? そいつが反射魔法を使ったのか!?」


 名前を聞きとったシロウが問い返す。


「え……あっ」


 栗色の髪の女剣士がその名に反応したことに、サフィーネは気づく。

 王女は、意を決して声をあげた。


「シロウ殿! 反射の魔術師エフォート・フィン・レオニングは、我が魔術研究院所属の魔術師です。この度の勇者選定の儀で選定者の一人を務めます。慌てずとも、午後からの儀式でお会いできますわ」

「……だからめんどくせえって言ってんだ。今すぐ出てこい、そいつが選定者だってんなら、この場で始めりゃいいだろ」


 シロウは忌々しげに言い捨てるが、サフィーネは首を横に振る。


「いいえ。選定の儀は国王と女神教高司祭、それに冒険者ギルドマスター立ち合いのもと、研究院の魔術実験場で執り行われます。そこで存分にお力をお示し下さい!」


 そして、皮肉げに一言付け加える。


「結界が敷かれた実験場ならば、女性のスカートを覗くようなみみっちい魔法ではない、冥竜を屠った大魔法も披露できますわよ、シロウ殿?」

「……テメエ」


 ゆらりとサフィーネににじり寄るシロウの前に、ニャリスが立ち塞がった。


「ご主人様! ウチらの目的を忘れたのかニャ! 王族を敵に回したら、手に入る物も手に入らないニャ!!」

「……ち。わかったよ」


 シロウは怒りを逃がすように大きく息を吐いた。

 そして険のとれた表情を浮かべると、ピンと立ったニャリスの猫耳をそっと撫ぜた。


「……悪かったよニャリス。サンキュ、止めてくれて」

「わ、わかってくれたらいいニャ」


 ニャリスは自分の胸元をさする。奴隷紋の罰則術式は作動していない。シロウを思ってこその反発であり、彼に背いた訳ではない証明だ。

 ニャリスの仕草に意図を察した奴隷主人は薄く微笑む。そうして落ち着きを取り戻したシロウは、サフィーネを一瞥した。


「午後から魔術実験場だったな、分かった。せいぜい結界とやらを分厚くしとけよ。並みの結界なんて、俺にとっちゃ紙と一緒だからな」

「ご心配には及びませんわ。時間を掛けて築かれた、貴方の大魔法にも耐えうる結界です」

「期待してるぜ。……行くぞ」


 吐き捨てると、シロウは王女に背を向けて歩き出した。


「どちらへ?」

「昼飯食いに行くだけだ。こんな辛気臭え場所で飯が食えるか……ああ、そうだ」


 振り返って、シロウは王女を一睨みする。


「俺はこの世界で、望んだものは必ず手に入れる。勇者になることも、その先にある物も。そしてサフィーネ王女、あんたの事もな。すぐにそっちから仲間に入れてくれって頼むことになる。覚悟しておけ」


 昏い情念が篭ったシロウの瞳と言葉に、サフィーネはぬめる大蛇が心身に絡みつくような悍ましさを感じ、背筋に冷たいものが走る。

 シロウは王女の反応を待たずに、女達を連れだって大広間を出ていった。

 ザワザワと混乱が残る大広間で、サフィーネはぶんぶんと頭を振ってから、残る勇者候補たちに声をかける。


「皆様、お騒がせし申し訳ございません。午前に予定していた選定の儀の説明会は、中止させて頂きます。今申し上げた通り、午後より魔術実験場にて儀を始めますので、改めてそちらでご説明します。後程お集まり下さい」


 候補者たちは王女の言葉を受けて、それぞれに大広間を出て行った。

 怯えきっているアイアン・プレッシャーも、数人の仲間たちに担がれていく。


「ひ、姫様……何人の候補者が、残ってくれるでしょうか……?」


 駆け寄ってきた執政官がサフィーネに声をかけた。


「知らないわよ」

「はっ?」


 気の緩みから思わず素が出たサフィーネは、慌てて取り繕う。


「い、いえ、きっと大丈夫ですわ。ある程度は残って下さる筈です。それより執政官殿、研究員たちと女神教の司祭方を連れて魔術実験場へお願いできますか?」

「は。結界の強化ですね?」

「いいえ、それは既にエフォート殿が済ませていらっしゃいます。あなたは怪我人が出た場合の治癒の段取りを、司祭と研究員たちと再確認して下さい」

「かしこまりました」

「カリンちゃん」

「は、はひっ!」


 大広間の隅で震えながら事態を見ていたカリンが、サフィーネに声を掛けられて飛び跳ねるように返事をした。


「観測所の方の結界強化をお願い。実験場には手を出さないでね」

「わ、わかりました。王様とか高司祭様に被害が出ないように、ですね」

「……そうです」


 執政官は残った関係者に声を掛け、連れだって大広間を出て行った。

 カリンも駆け出すように実験場へと向かう。

 サフィーネが一人、大広間に残された。


「……もういいよ、フォート」


 空間から沸きだすように、一人の魔術師が姿を現した。

 不可視の魔法<インビジブル>。光すら反射して、目視を不可能にする魔法だ。


「サフィ! さっきはなんて危険な真似を!!」

「絶対に守ってくれるって、信じてたから」

「だからって、わざわざ奴を挑発して」

「魔術実験場で戦わなきゃでしょう? あのままじゃあいつ、この場で勇者と認めろって言い出してたわ。何を焦ってるのかしらね」

「だけど!」

「それよりフォート」


 激しい剣幕で詰め寄るエフォートの手を、サフィーネはそっと掴む。


「よく我慢できたね。飛び出してくるんじゃないかって、冷や冷やしてたんだから」

「……俺が出て行ったら、姫様の努力を台無しにしたでしょう」


 固く握りしめているエフォートの拳が震えていたことに気づき、サフィーネが思わずその手を強く引き寄せようとした、その時。


「違うわ。そいつは女を盾に自分が助かろうとしただけよ」


 栗色の髪の女剣士が、大広間の入口に立ってこちらを見ていた。

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