第一章 ラーゼリオン王城編
2.王女サフィーネとライトノベル
剣奴リリンが謎の少年と共に去ってから、五年が経った。
ラーゼリオン王国の王都、城から少し離れた場所に立つ、魔導研究院。
そこで、十七歳になったエフォート・フィン・レオニングは、部下の研究員たちとともに新しい魔術構築式(スクリプト)開発に勤しんでいた。
ノックの音とともに、麗しいドレスを纏った幼い姿の美姫が、研究室に姿を現す。
「皆様、本日もご苦労様です」
銀鈴のように通る声。
小さな換気用の窓しかない仄暗い研究室が、実際の明かりが差し込んだわけでもないのに、まるで太陽が出現したかのような神々しさに照らし出された。
「姫様!」
「サフィーネ殿下、ご機嫌麗しゅう!」
「サー・フィル・ラーゼリオン!」
王女サフィーネ・フィル・ラーゼリオン。
二人の兄がいる為に王位継承位こそ低いが、その美貌と淑やかな振る舞い、配下の者たちへの心配りで、王国内でも人気の高い王族だ。
麗しくも童顔で小柄な体躯から、外見は十代前半の年頃に見える。
そんな姫君に研究員たちは一斉に立ち上がり、それぞれに王国式の敬礼を行った。
ただひとり、振り向きもせずに研究に没頭し続けているエフォートを除いて。
不敬ともとれるその態度に、姫と研究員たちの視線が集まる。
だが、サフィーネを含めて誰もエフォートを咎めることはない。
いつものことだ、と苦笑していた。
「今日は、新しく採用した子を連れて参りましたのよ。おいで」
サフィーネは開けたままのドアの向こうに、声をかける。
入室してきたのは、見た目はサフィーネと同年代の少女。
軍や国の関連組織に採用されるもっとも年若い年頃だ。
癖のある前髪を押さえつけるように、敬礼の手を額に当てる。
「ハ、ハイッ! この度、サフィーネ殿下直轄、魔じゅちゅ研究院に配じょくになりましたっ! カリン・マリオンと申しましゅっ! 十二歳です、よろしくお願い致しま゛っ……!!」
噛みまくったあげく舌を噛んだのか、敬礼したまま俯き震える少女。
そのあまりの初々しさに、研究兵たちは噴き出して笑った。
赤面するカリンをフォローするように、サフィーネが優しく声をかける。
「カリンさん、緊張しているのね。しかたありません、憧れの英雄と一緒に働けるんですから」
「は、はひっ……申し訳ございません!」
カリンは舌の痛みに耐え、改めて背筋を伸ばした。
「それで、あの、<反射のエフォート>様は……」
「はい。あそこで振り向きもせずに我関せずな、感じ悪い方ですよ」
にこやかに毒を吐くサフィーネ姫の物言いに、研究員たちは今度は押し殺したようにクツクツ笑う。
「……誰の感じが悪いんでしょうか?」
「貴方のことでなければ、私の言い方が分かり難かったですね」
からかい交じりに揶揄されて、エフォートはため息とともに振り返った。
目が合って、サフィーネは花が咲くように破顔する。
その笑顔を見た研究員たちは、いずれも魂を抜かれたように姫に見惚れた。
「すみませんね。英雄、なんて呼ばれる人間に心当たりがなかったもので」
「何をおっしゃいますかっ!」
カリン嬢が、サフィーネが応じるよりも早く叫んだ。
「二年前、ラーゼリオン王城を狙った都市連合の戦略級極大魔法<カラミティ・ボルト>を、たった一人で反射し、逆に連合軍を壊滅せしめた<反射のエフォート>様!! 泥沼の戦争を停戦に導いた貴方を除いて、英雄と呼ばれる者などこの国に存在しませんっ!!」
顔を真っ赤にして叫んだカリンの剣幕に、部屋にいた全員がギョッとする。
エフォートは一瞬目を丸くした後、頭を抱えた。
「姫……何なんですか、このお嬢ちゃんは」
「貴方のファンだそうです」
「俺は、魔力総量が高くて柔軟な思考ができる、ベテランの魔術師を追加要員としてお願いしたはずですが」
「ええ。リクエスト条件はその3つでしたわ。その内の前者2つを大きくクリアしていましたので、採用しました」
「こんな女の子が、ですか?」
「性別は特にご指定はございませんでしたわ。それに年令のことをおっしゃるのでしたらエフォート殿、貴方も私と同じ歳ですから、軍に入られたのはちょうど今のカリンさんと同じ頃でしたわね」
「えっ!?」
素っ頓狂な声をあげたのはカリンだった。
「ひ、姫様、年上でいらしたんですか!? エフォート様と同じ歳って……十七歳!?」
「……カリンさん? 私のこと、いくつだと……?」
傷ついたように呟いたサフィーネに、研究院たちは必死で笑いを堪える。
ただ一人、エフォートだけは構わずに噴き出していたが。
「え、あ、あの、申し訳ございません!」
「……構いませんわ。見た目が幼いのは自覚しております。あとエフォート殿は笑い過ぎです」
サフィーネは咳払いをしてから、話を続ける。
「とにかく、カリンさんの適正値が高いのは本当です。当時のエフォート殿には及びませんが、特に魔力総量については当研究院所属の平均値を四割上回っておりますわ」
ざわ……と他の研究員達からどよめきの声が上がった。
それは、カリンの魔力がエフォートに次ぐナンバー2であることを意味していたからだ。
もっとも、ナンバー1との間には桁が違う開きがあるのだが。
それを聞いたエフォートが、初めてカリンをじっと見据えた。
「カリン・マリオンさん」
「はひっ!」
緊張で声を裏返しながら、身を固くてカリンは返事をする。
「君は、治癒魔法の適正はあるのか?」
「はっ? ……まあ、どちらかといえば、得意な方かと思いますが……」
神妙な顔で尋ねられる意図がわからず、カリンは不安げに答える。
先程噴き出された仕返しとばかりに、サフィーネはクスリと笑った。
「貴方とは違いますわ、エフォート殿」
「何のことでしょうか、サフィーネ殿下」
思わずムッとして、エフォートはデスクに向き直ると魔導書の解析作業へと戻った。
サフィーネは一瞬妖しげな笑みを浮かべるが、すぐにいつもの淑やかな微笑に戻り、他の研究兵たちに向き直る。
「さあ皆さん。カリンさんの歓迎会として、食堂にささやかな料理が用意してございます。ぜひどうぞ。カリンさん、皆さんについて行って下さいね」
パーティの準備に、研究員達は喜びの声をあげ、ぞろぞろと連れ立って部屋を出ていく。
ただしエフォートは動かず、サフィーネもその場に立ったままだ。
「あ、あの、すみません、エフォート様、それにサフィーネ様は……」
戸惑うカリンに研究員の一人が肩を叩いた。
「気にしなくていいよ、おいで」
「で、でも」
「いいからいいから。君の歓迎会なんだよ」
そしてやや強引に部屋の外に連れ出し、扉を閉めて立ち去っていった。
広い研究室に残っているのは、エフォートとサフィーネのみ。
少しの間、沈黙が流れる。そして。
「ぶっ……あはははっ! おっかしーフォート。何? カリンちゃんが自分と同類だと思ったぁ?」
淑やかさの仮面を脱ぎ捨て、サフィーネはエフォートのデスクの上にドンと腰を降ろした。
「エフォートです。エ・フォート。いつも言いますが、人の名前を勝手に縮めないで下さい」
「禁忌破って女神に嫌われてるのなんて、フォートだけだからね?」
ケラケラと笑いながら、サフィーネはドレスの裾が大きく捲り上がるのも気にせず、デスクの上であぐらをかく。
「……姫様、見えるんですが」
「見せてるんですが?」
視線を逸らすエフォートに、サフィーネは嬉しそうに嬌声を上げた。
いつものサフィーネのノリに、エフォートはゲンナリする。
「下らない台詞ばかり真似して……」
「これも、読んだよー」
ブツブツと不貞腐れるエフォートの目の前に、サフィーネは羊皮紙の束を投げてよこす。
「……早いですね。解読不能の単語は前に渡したのより多かったと思いますが」
「さすがに5冊目だからさ。どれも似たような話だし、なんとなく分かるよ。……いやー! 相変わらずムカつくね!」
どん、とデスクを叩くサフィーネ。先程までのお淑やかな国民的アイドル王女は、完全にどこかに雲隠れしていた。
「異世界転生して我最強? これ完全に私たち馬鹿にされてるよね!? こっちの人間なんだと思ってんの!? 今回のは特に酷い! ちょっと算術できるとか素人丸出しの農業知識があるだけで天才扱いとか、するわけないでしょ!? ほんとムカつく! ムカつくムカつく!」
「王女殿下。貴女はお姫様です。王女様です。口に気を付けて下さい」
「わらわ達、阿呆と思われてございますですのことよ、奥様!」
「誰が奥様だ! ……ですか」
サフィーネの軽口に乗せられうっかり敬語でなくなるエフォートに、王女はニッコリと嬉しそうな笑顔で応える。
愛くるしい童顔で見つめられ、エフォートは咳払いをして話を進めた。
「まあ俺も、奴の秘密がこの魔導書にあると踏んで五年かけて解読したんですが。……こんなふざけた虚構ローマンだとは思いませんでした」
「ライトノベル、とかラノベとかいうんでしょ、向こうの世界で。でもさあ、悔しいことに話としてはけっこう面白いんだよね! 私たちが無能扱いされてる以外! ……それに」
やや真顔に戻ってサフィーネは続ける。
「かなり文明的に進んだ世界だよね、ゲンダイニホンとかって国は」
聡明なサフィーネのことだ。そこに注目しないはずはないと、エフォートは思っていた。事実、王女は既に、独自で異世界技術の再現に隠れて取り組んでいる。
この「ライトノベル」が共通して描いている「勇者の元いた世界」。それがこの世界を凌駕する高い文明をもっている描写。そして、その文明からもたらされる知識や文化、発想、そして思想が、実際にこの世界では脅威となるということ。
そういう意味では、ふざけた娯楽小説が描かれている「ライトノベル」は充分以上に「魔導書」なのだ。
「また勉強になりましたか?」
「なったなった。あっちの世界じゃ、奴隷制度なんて過去の遺物らしいね。人は平等。誰も皆、自由意志を持ち何人たりともそれを犯してはならない」
幼なじみが奴隷になったエフォート。
現行で奴隷制度を実施している国の王女。
ともに二人は苦い顔をする。
「それでもゲンダイニホンは大きく発展したんだから、社会の有り様としては、王国より都市連合の方が正しいってことだよね」
都市連合は、ラーゼリオン王国や他の周辺国家と異なり、昔から奴隷制を持たない。
都市連合が王国と戦争を繰り返してきたのは利害関係からだが、それを覆う建前として、奴隷解放が謳われてきたのだ。
「魔導書の中の話です。本当にそんな世界があるって、決まったわけじゃありません」
エフォートはもちろん、幼馴染を苦しめた奴隷制度を肯定しない。
ただ、労働生産性として一定の効果があり、制度として歴史的にここまで深く国に浸透している以上、たとえ王族であっても異議を唱えることは難しい。
そのことを分かっているから、今ここで苦しげな表情を浮かべている王女を責める気持ちにはならなかった。
彼女の努力を知っているから。
「例のアレの他には、何かありましたか?」
だから今は、話を切り替える。
「あったあった。たとえば最初に読ませて貰った<ライトノベル>で、転生勇者が持ち込んだカブシキカイシャって制度とか。証券を売って融資を集めて、利益を分配するとか……そんな仕組みがあれば、そりゃあ経済効率は爆上げだよ」
「それこそ都市連合で、似たような制度が広まっていると聞きました。……それで姫様にお願いがありま」
「うん、だから調べさせたよ」
エフォートが本題に入ろうとした時、先んじてサフィーネが口を挟んだ。
「フォートの探し人が都市連合にいないか。カブシキカイシャの仕組みを広めたのは誰なのか。この前、報告があった」
「本当ですか!? それで結果は!?」
ごくん、と唾を飲むエフォート。
サフィーネは真面目な顔で見つめ返す。
「さあその結果は!? ダララララララ……ダン! 続きは来週のこの時間に!」
ガン! とエフォートはデスクに頭をぶつけた。
「……何言ってんですか、殿下……」
「いや、意味分かんないけどラノベの真似してみた」
震えているエフォートの姿に、王女は心底楽しそうに笑ってから口を開いた。
「冗談はさておき。確かにカブシキカイシャの仕組みは、特定の人物が広めたみたい。だけど、そいつはもう国外に出たって。都市連合の誰も行方は知らないみたい。ごめん、役に立たなくて」
「いや、むしろありがとうございます。お手数をおかけしました」
サフィーネが茶化した時点で結果は想像がついていた。
実際のところ、エフォートはサフィーネに感謝しかない。研究院の一魔術師でしかない彼の要望に、一国の王女が先回りしてまで動いてくれているのだ。
からかうような言動に振り回されているが、サフィーネ王女は本当に優秀だ。
今も奴隷制の話で雰囲気が重くなり、また調査結果も空振りだったことを案じて、わざとふざけてみせたのだろう。
頭が良く、人の気持ちを思いやれる懐の深さをサフィーネは持っている。
「それでなんで、お飾り扱いに甘んじてるんですか……」
「ん? 何か言った?」
「いえ何も。それより問題は、奴が何の為に都市連合の経済力を上げるような活動をしたかですね」
「んー? 自分の価値を上げる為に、じゃない?」
「どういうことですか?」
サフィーネはまた真面目な顔に戻り、エフォートの正面を向く。
「もうすぐ魔王が復活する。都市連合はラーゼリオンと魔族領との間に挟まれてるから、二正面作戦を避ける為に魔族と不戦条約を結んだ、って噂が流れてるよね」
「ええ。真偽のほどは分かりませんが」
「この状況で都市連合が国力を上げれば、ラーゼリオンは魔王との戦いで全兵力を挙げる訳にはいかなくなる」
「疲弊したところを、都市連合が狙うのは間違いありませんからね」
「ほら、魔王と戦う勇者の価値が上がった」
「……自分で魔物を召喚しておいて、退治して名声を得る魔物ハンターの逸話みたいですね。くそ、早く見つけないと」
苦々しく悪態をつくエフォート。
一瞬意地の悪い笑みを浮かべたサフィーネに、彼はまだ気づかない。
王女はまた別の羊皮紙の束を、エフォートの前に放った。
「そりゃあ親父と兄貴も、焦って教会と一緒にこんな計画、立てちゃうよね」
「? なんですか」
手にとって資料の表題を読んだとたん、エフォートは固まった。
「女神教およびラーゼリオン王国公認勇者、選定の儀……!?」
「教会に冒険者ギルド、王国軍幹部に極秘で回ってる資料だよ。選定の儀は三ヶ月後。もう自薦他薦の候補者は出揃ってて、そこに纏まってる」
「ま……さ、か……」
資料を持つ手の震えが止まらないエフォート。
サフィーネはもはや人の悪い笑みを隠してもいない。
「たぶんね、いるよその中に。フォートの探し人」
「さ……さ……」
「さ?」
「サフィィィィィィ!!」
「やーん! やっとその名前で呼んでくれたぁ!」
手足をばたつかせて喜ぶ王女。その姿はまさに幼い子どものようだった。
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