廿楽あいかが泣いた日 3/4話
――完全に油断していた。
廊下を必死に駆けながら、自身の失態に悔やむ。
ちょっと考えてみれば、わかったことなのだ。あいかが帰ってなかったことくらい。
教室の傘立てに置いてあった……晴雨兼用の日傘。
絶対に雨で濡れたくない彼女が――傘を忘れるだなんてあるはずがない。
「――っ!」
角を曲がると、それより前に走っている女子の影を捉える。
相手は女子。身体的な能力と、制服の動きやすさ……そして、片方の肩にバッグを担いでいるという今の状況なら、追いつけるはず!
「ぐっ……!」
はず――なのだが。
速い。めちゃくちゃ速い。いくつものハンデを背負って尚――彼女に追いつけない。
運動神経良すぎないか、あいつ!? いや、それとも僕が遅いのか!? こんなことなら身体を鍛えておくべきだった!
「……くそっ!」
2-2の教室は4階。この1号館内で――あいつに追いつかなくては!
エレベーターを使うべきか? いや、待ってる時間などないし、見失う可能性だってある。追いかけていた方がいい。
しかし、距離が縮まらないのが現実。このままじゃ追いつけないだろう。
――だからこそ、降りる階段に勝機がある!
やがて角を曲がり、階段を降りていく。
階段は普通に走るとは違い、一歩一歩降りていくのでスピードが段違いに落ちる。
えっ、それは僕も同じことじゃないかって? ……いや。そんなことはないのだ。
階段は全部で8つ。
4階から3階の踊り場へ。――まだ、あいつの背中は捉えられない。
3階の踊り場から3階へ。――降りきった際、後ろ姿がチラリと見えた。
3階から2階の踊り場へ。――あいつの背中を捉えた。
2階の踊り場から2階へ。――後ろ姿が大きくなる。
そう、だんだん近づいているのだ。廊下では全く縮まらなかった距離が――階段で一気に詰めていく。
一体、なぜなのか。……それは僕が男子だからだろう。
「はっ――!」
2階から1階の踊り場へ降りる際――階段の半分で思いっきり蹴りあげ、一気に踊り場へ降り立つ。
お前は知らないだろうな――階段ジャンプというものをな!
男なら誰しもが小さい頃にやった試しがあるだろう、何段で飛ばして降りれるかというチャレンジ。
着地に失敗したらとんでもない怪我を負う危険性がある行為だが――今は、この方法しかないのだ!
「――ぐ、ぅっ!」
着地した際、脚全体に衝撃が走った。
これで連続7回目だ。体に響くのも当然だろう。
「――っ!」
それでも走る。
走らなくちゃいけない。
今ここで全力を出さなければ――きっと後悔するだろうから!
そして、最後の階段へ。
あいつとの距離は――もう階段1つの範囲内。
彼女がこの階段を降りきる前に、追いつかなくてはいけない。
これは成功したことない技だけど……やるしかないんだ!
覚悟を決めろ、僕!
「――!!」
意を決し、勢いよく駆ける。
そして階段へ差し掛かる直前――一気に下へ飛び降りた。
「――だぁぁぁああっ!!」
「っ!」
全段ジャンプ。
一番上から下まで一気に降りる、最も危険な技である。
一段ずつ降りてくあいつを飛び越え、両足で着地――
「――ぅあっ!?」
しようとしたが、着地の際に右足を捻った。
とんでもない激痛が走るが……今! そんなことはどうでもいい!
「――あいかぁっ!」
あいつの名を呼ぶ。
僕の目の前で呆然と立ち尽くす女子生徒の名を。
「お前の過去を知ろうと……僕はお前を特別扱いなんかしてやんねぇ!」
「――っ」
そうだ。
例え、彼女がどんな過去を持とうが。
例え、人には言えないようなことをされていたと知ろうが。
僕の中の『廿楽あいか』という存在は――何一つ変わらないじゃないか。
「お前はお前! ――僕の、大切な友人だっ!!」
――それが、僕の答えだ。
「…………」
逃げられないと諦めたのか、それとも僕の言葉を受け入れてくれたのか。
あいかは完全に足を止めていた。
その様子を確認し、僕も自然と緊張が溶ける。
よかった……間に合った。
――あっ。
「あいか……すまんが、助けてくれ……」
「……え?」
人は興奮状態になると、痛みを忘れることができるらしい。
例えば火事場の馬鹿力を発揮したり、集中力が上がったり。
自身が現状で抱えている体調や痛みを吹き飛ばして、120%の力を発揮できるそうだ。
……しかし、それは一時的な状態に過ぎない。
では、興奮状態が戻ったら?
「右足首、捻った……めっちゃ、痛い……!」
あいかに追いつくという目的を達成した今――その代償とばかりに今までにない激痛が僕を襲い、その場で倒れこんでしまった。
***
「…………」
「…………」
ところ変わって病院内。僕たちの間には微妙な空間が流れていた。
あの後……保健室へ連れていってもらい、まずあいかが連絡したのは斎藤だった。
なぜ斎藤なんだと疑問に思ってると。
「雪音、評判のいい整形外科知ってるらしいです」
とのこと。いや、なんで知ってるんだろう……?
案の定、やってきた斎藤は既に病院へと連れていってくれた。
それどころか、何故か車まで用意してくれたのだ。
「い、いや、流石に車まではっ。ただ、捻っただけだし」
「なんで怪我人が遠慮してんの……ほら、さっさ乗るよ。私の肩貸すから。あいかちゃん、反対側お願いできる?」
「はい」
「いや、あのっ――」
「君、しばらく否定禁止! こういう時は甘えろ!」
「……はい」
ということで、女子二人に肩を貸してもらいながら車に乗せてもらった。……男として、ちょっと情けなく感じる光景だっただろうなと思う。
それにしても……運転手の人、まだ二十代の男性って感じだったな。父親って感じがしないし、斎藤のお兄さんかな?
そんなわけでやってきた病院。診断結果は……まさかの骨折。てっきりただの捻挫だと思ってたのに……。
骨折なんて人生で初めてしたものだから、今日から松葉杖デビュー……かと思いきや、そうでもないようだ。
要は足首を固定すれば歩くのはもちろん、走るのも可能らしい。真っ白のタオルが数十分後に自分専用のギプスへとなった時は謎に感動した。
全治おおよそ2ヶ月。予想してたより長くなくてよかったけど……今年の夏は、ギプス生活だなぁ。
「…………」
「…………」
――そして今に至る。
診断は終わり最寄り駅へ向かう中、僕とあいかの間には重い沈黙が流れていた。
ちなみに……診断結果を聞いた斎藤は、僕たち二人の顔を交互に見て。
「じゃ、私はこれで。二人で話したいこともあるだろうし」
なんて言って、帰ってしまった。
いや、確かに二人で話したいことはあるんだけど……気まずい。あいかもずっと無言だし。
「……そろそろ、夜だな。あいか、お腹空いてないか?」
「いえ、空いてないです」
「そ、そうか……」
沈黙。
「そ、そういえば、もうすぐ期末試験だな。なんか不安な教科とかある?」
「いえ、特に」
「ま、まぁ、だよね……」
再び沈黙。
「……期末試験が終われば夏休みだけど。あいか、何か予定とかある?」
「いえ、ないです」
「そ、そう……」
「…………」
「…………」
……ダメだ。僕のコミュニケーション能力じゃ、こんな途切れ途切れの会話が限界か。
あぁ、こんな時に冬樹並みのコミュ力があれば――
「……やっぱり、陽太はいい人です」
と。
ここに来て……ようやく、あいかから口を開いてくれた。
「私の過去を知った上で――普通に接しようとしてくれます」
「……そりゃ、な。さっき言っただろ? 僕はお前を特別扱いしない、って」
あいかの過去は確かに衝撃的だった。
僕が想像してたことよりずっと重かったし、みんなが口を重くしていた理由もわかった。
でも――それで彼女との関係を変えてしまうわけじゃなかった。
「……中学の頃。みんなから特別扱いされて、辛かったんです」
虐待を受けてる可哀想な子と校内で噂になってしまった時。
こいつは――きっと、孤独になったのだろう。
「父との日々はそこまで辛くなかったんです。いい子にしていれば、罰を受けませんので」
「……でも、それは」
「わかってます、よくない行為だってことは。それでも――他の人に、知られたくありませんでした」
知られたら、可哀想な子になるから。
知られたら、特別扱いされるから。
知られたら――普通の子じゃなくなるから。
「だから、陽太にも知られたくありませんでした」
きっと――僕との関係が変わってしまうだろうから。
「でも、陽太は変わらずに接すると言ってくれました。すごく嬉しかったです」
「……そう、か」
面と向かって言われると、なんか照れるな……。
「――けど、それでいいんでしょうか?」
「……え?」
流れが変わり、思わず振り返る。
だんだんと暗くなっていく空のせいで、あいかの横顔はハッキリ見えない。
「……陽太。私たち、一度ただのクラスメイトからやり直しませんか?」
でも、消え入りそうなその声は、ハッキリと聞こえた。
「……なんで」
「陽太はいい人です。だからこそ……私なんかが一緒にいていいとは思えません」
「いや……一緒にいていいとかよくないとか、そんなのないから」
「その怪我をしたのも、私のせいです」
「これは……自業自得だよ」
「きっかけを作ったのは私です」
「……それでもっ!」
「私……今、陽太にどんな顔すればいいのか、わからないです」
「――!」
――そうか。
僕は変わらずにいると言えても――あいかが同じように変わらずにいてくれるとは限らないんだ。
――もしも、立場が逆転してたら?
僕は……今と同じことが言えるのだろうか?
あいかと同じ気持ちになるのではないのだろうか?
……わからない。答えられない。
「……ここでお別れです。バス、来たので」
「ま、待て、あいか――」
「ありがとうございました、本当に楽しかったです……また明日会いましょう、武藤さん」
「……!!」
あいかのその呼び方に。
思わずその場で立ち尽くしてしまう。
駅前までやってきたバスへ乗り込む彼女の背中を、ただ黙って見守ることしか出来なかった。
「……僕は、いい人なんかじゃないよ」
振り絞ってようやく出た僕の回答も……過ぎ去っていったバスには届かなかった。
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