廿楽あいかが泣いた日 1/4話

 体育祭から早一週間が経とうとしていた。

 あまり盛り上がらなかったイベントでも一区切りつき、いよいよ待ちに待ったプール授業と誰も待ってない期末試験の話題で、学年中が賑わっていた。

 まぁ、どちらかというと2-Cはプールの方が話題性が高い。なんてったって、一番プールだしね。


 ……でも悪いんだけど、今の僕にとってはどうでもよかった。

 暑い日には欠かせないプールの涼しさも、最大級の休み前に立ちはだかる難関の期末試験も、学生なら最大の楽しみであろう夏休みさえも。


 そんなことより……先週の体育祭のことが、頭から離れなかった。


 あの後……僕一人ではどうすることもできなくなり、先生を呼ぶことにした。

 そうするしかなかったのだ。


 当然、やってきた先生にはこっぴどく叱られた。

 しかもあの熱血体育教師の越野。なんか無駄に熱い説教をくらった気がするけど……あまり内容を思い出せない。


「あの、先生……廿楽は大丈夫ですか?」

「……説教中に、他人の心配か?」

「す、すみません……」

「友人を心配する、その優しさは褒めようじゃないか!」

「は、はぁ……」


 なんて会話は覚えてたりするけど。


「廿楽は大丈夫だ。今は医務室で安静にしてる」

「そうですか……あの。彼女について、何か知ってますか?」


 続けて訊くと、越野は首を横に振った。


「知ってるが、俺の口からは言えない」

「……どうして、ですか?」

「本人が望んでないからだ」


 望んでない。

 あいか自身が他人に知られることを、望んでない。


「いいか、武藤。誰にだって知られたくない過去があるんだ――必ず、な」

「…………」


 越野のその言葉は――深く僕の心に刺さり、それ以上は何も言えなかった。


 また、あいかの保護者の人とも会った。


「あ、あの……僕、廿楽さんと同じクラスメイトの武藤陽太と言います……今日は、すみませんでしたっ」


 一体、どんな罵倒が来るのだろうと肩を震わせながら頭を下げたが……返ったきたのは予想外の返答だった。


「――あぁ。君は何も気にしなくていい」

「……えっ?」


 あっけらかんとした態度に思わず顔を上げた記憶がある。


 藍色の長い髪を結っている、眼鏡をかけた女性。

 高校生の母親にしては――偉く若いなという印象だった。


「こちらこそ、うちの子が迷惑をかけてしまったようで……申し訳ない」

「い、いえ、そんなっ」

「むしろ、教えてくれてありがとう。すぐ連絡をくれて助かった」

「そんな……僕は……」


 僕は――何もしてない。


「だから君は、そこまで気を負わなくていい……ここからは、私がやるべき事だ」

「…………」


 その言葉はまるで――『お前はこれ以上何もしてやれない』とでも突き放されたかのような、冷たい言葉だった。

 事実――僕は、何もしてやれなかった。



 あいかは今日も登校している。体育祭に起きたことが、まるで嘘だったかのように。

 しかし……あれから彼女とのぎこちない空気が『嘘じゃないぞ』と告げているかのようだった。


 昼食は変わらず食べてくれているが……会話が少ない。

 放課後も一緒に残ってはいるが……いつもより早く帰ってしまう。

 一見どこも変わらないようで、実質大きく変わってしまった日常を送っていた。



 そして、今日の放課後は……僕一人だった。


 誰もいない教室。今まではこの一人の空間を好む僕だが……なぜか寂しさを感じている。

 あいかとの放課後はすっかり日課となってしまったのだろう。水筒もいつもより重く感じるのが何よりの証拠だ。


 ふと、あいかの席に目がいく。

 いつもなら石のように動かない彼女の背中が見えるはずの席。

 今日はその後ろ姿さえなく、何度見ても結果は変わらない。


「……あっ」


 あいつ――日傘忘れてる。後ろの傘立てに起きっぱなしだ。


 買った時はあんなに喜んでいたのに……もう、必要なくなったという意味だろうか。


「……はぁ」


 ため息ばかりが漏れる。いつもなら美味しいと思える紅茶も、今日はあまり味を感じない。


 僕たちは……いつまで、このままなんだろうか。


「……!」


 と。

 ポケットに入れていたスマホが振動する。


 メッセージの相手は……冬樹だった。


『呼んだ 2-2の教室』


 期待したのはあいかからのメッセージだったけど――このメッセージも、僕が求めていたもの。


「……行くか」


 独りでに呟くと、席から立ち上がる。

 荷物は……別にいいか。後で取りに来ればいいんだし。


 向かうは冬樹のクラスでもある2-2の教室。

 僕ら情報電子工学科の2号館を抜け、普通科の1号館へと向かう。

 それにしてもなんと不便な学校だろうか。2号館と1号館を行くのに、わざわざ靴を履き替えなくてはいけないなんて。

 渡り廊下ぐらい作ってくれよ……なんて心の中で愚痴を吐きながら、僕は一旦ローファーへと履き替えた。


 そう、僕だってこのままでいいはずがない。彼女と元の関係に戻りたいし、一緒にいたいのだ。


 ならば、どうするべきか?

 考えに考え――導き出した答えは、ただ一つ。


 目的の教室に辿り着き、軽くノックする。


「おっ、来たな……入っていいぞ、陽太」


 いつも聞き慣れた爽やかボイスに、教室のドアを開けた。


 そう――僕が導き出したのは、あいかの真実を知るということだった。



***



「廿楽さんと元同じ中学校の生徒? あぁ、この学校内だったら探せるぞ」

「ほ、本当っ?」


 時は遡ること3日前。


 ダメ元で訊いたつもりが、嬉しすぎる返答に思わず声をあげた。


「あぁ、探すのは容易い。ほら、入学した時にさ、誰がどこ中学校から来たのかって紙、貰っただろ?」

「……え、なにそれ。覚えてない」

「貰ったんだって」


 僕からすれば一切記憶がないんだけど……まあ、冬樹がそう言ってるのだから、きっと貰ったのだろう。


「まぁあの紙、全く意味を為してなくてみんな即座に捨てただろうがな。誰がどこ中出身とか、普通に考えてどうでもいいし」

「そりゃ、そうだろうね……」


 しかもここは私立校。市を越えた人達が集まるのだから、共通の話題も見いだせないだろう。


「――だが、この状況に至っては非常に使える」


 と、冬樹は得意気に一つのファイルを取り出す。

 その一枚目には……確かに入学者と出身中学校の生徒が書かれた名簿の紙が、綺麗に保管されてあった。


「こいつで調べれば一発ってことさ。簡単だろう?」

「……いつも思うけどさ。冬樹ってビックリするくらいどうでもいい情報を持ってるよね」

「褒め言葉として受け取っておこうかな」


 即座にそんな返しが言える冬樹は本当にカッコいいな。

 そして――今回の場合、本当に助かる。


「誰か知ってそうなやつを見つけたら、メッセージで伝えるよ」

「……ありがとう。やっぱり冬樹はイケメンだね」

「まあ、俺がイケメンなのは事実だが……気にすんなって」


 そんな爽やかすぎる笑顔がこんなにも頼もしく感じたのは、初めてだったかもしれない。



 ――そして、今に至るというわけだ。


「悪いな、時間とらせて」

「いや、いいよ。調べてもらってるのに贅沢は言えないし」


 と言いつつも……確かに若干の違和感はあった。あの冬樹なら一日で情報を集めてくるだろうに、三日もかかるなんて。


「やぁ。廿楽あいかさんの過去を知りたいんだってね?」


 目の前にいる女子高生はにこやかに僕を見つめる。

 カールがかかった茶髪、割りと高い身長、そして……彼女が持っている、緑のラインが入った学生バッグ。


「初めまして、私は郡山こおりやま清歌せいか

「……初めまして、武藤陽太です。2年生です」


 あぁ――やっぱりそうか。


 私立美女木高等学校には学年ごとにカラーが決められている。

 今年の1年生は青。

 僕たち2年生は紺。

 そして、3年生は――緑。


 学年カラーは体操服や学生カバンに付けられ、どの学年か一目でわかるようになっているのだ。


「アプローチ方法が間違ってたんだ」


 と冬樹が語り出す。


「よく考えてみれば、同学年で廿楽さんの過去を教えてくれる人がいるんだとしたら……俺が知らないわけがない」


 それは――確かに。

 こいつの情報網の凄さを知ってるからこそ、納得できる。


「どうもうちの学年だと、廿楽さんの過去を教えてくれそうな人がいなかったんでね……そこで、次に目を付けたのが先輩方だ」

「……ちなみにどうやって探したの? さすがに先輩たちの出身中学校の紙を持ってたりとかじゃないだろうね?」

「あぁ、3年の情報通に訊いたのさ」


 3年生にも冬樹みたいな生徒がいるのか……。


「というわけで――俺はここで席を外させてもらいますね」

「うん? 内村くんも話を聞くんじゃないのかい?」

「いや、できれば俺には聞かれたくないっていうクライアントの要望にはしっかり答えないといけないので」

「そうか」

「それじゃ、また後で失礼します先輩」


 そう言うと、冬樹はそのまま教室を後にしていった。

 ……本当、心もイケメンだよあいつは。


「さて、と。君もそんな立ってないで、掛けたまえ」

「あ、はい」


 先輩に促され、すぐ近くの席に座る。……いや、まるで自分の教室が如くのように座ってるけど、ここ先輩の教室じゃないよね。


 と言いたくなったが、今はどうでもいい。僕が今求めているのは――ただ一つだけなのだから。


「ふむ……まず、君は彼女の噂のどこまでを知ってるかな?」

「ええっと……」


 噂――か。

 あいつの噂以外のことは結構知ってるんだけど……噂と言えば、これしかない。


「成績優秀、常に無表情、昼食を食べない、席から動かない……水が苦手。以上の噂から、彼女はロボットなんじゃないかと言われていること、です」


 僕は今年の4月まで知らなかったけど……うちの学年じゃ有名すぎる噂。

 誰もが知っていているからこそ、廿楽あいかという少女は距離を置かれているのだ。


 すると、郡山先輩は怪訝そうに眉を潜めた。


「やはりそうか……」

「? えっと……何が、ですか?」

「いや、中学校時代は彼女がロボットだなんて噂はなかったんだ。それが高校になった途端、そんな噂に変わっていた」


 それは――ここが情報電子工学科だからだろう。

 そういうSFじみたことが好きそうな奴らばかり集まるこの学科だからこそ、付けられた渾名なのだ。


 ……だがしかし。次に先輩はそれをも覆すかのような、衝撃的な言葉を放った。




「しかし、中学時代に最も有名だった彼女の噂が一切流れてない――

「……………………………………え?」

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