廿楽あいかとの連絡網 2/2話

 着信音が鳴ったのは、その日の夜のことだった。


 午後10時。そろそろ就寝時間でありながらも、もう少しだけとパソコンで動画を観ていたところ、突如軽快な音楽がスマホから鳴り出したのだ。


 年に何回か両親と連絡を取ってることもあり、その音楽は着信音だということはすぐわかった。


 しかし……こんな時間に掛けてくる人は初めてだ。両親はもう寝てるだろうし、冬樹はメッセージ派だから違うと思うんだけど……。


 動画を止め、チラリと画面を見やる。


『廿楽あいか』

「……おいマジか」


 表示されたアカウント名を見て、思わず呟いてしまう。


 まさか交換しあった今日の今日に電話が来るなんて、誰が予想するだろうか。


 っていうか、異性から電話かかってきたの、初めてだな……。

 異性から電話かかってきたの、初めてだな。

 いや、マジで初めてだなっ!?

 この場合、家族は含めない!!


 お、おおお落ち着け……クールダウンだ、クールダウン……! 異性から電話がかかってきたくらいで、紳士が動揺しちゃいけない!


 ずれかけた眼鏡を持ち上げ、震える手を抑え、タップする。


「……も、もしゅもしっ!?」


 あっ、やべぇ! 盛大に噛んじゃった! やべぇ!


『――もしもし。陽太ですか?』


 焦る僕に対し、スピーカーから聴こえてくるのはいつも通りの淡々とした声。


「えっ、あっ」

『?』

「う、うん! そうだよ!」

『そうですか』


 クールダウンクールダウン……! いつものあいか、いつものあいかじゃないか……!

 頭ではわかってる。わかってるはずなのに……全く動悸が止まらない。

 普段聞いてる彼女の声が電話越しだとなんだか色っぽく聴こえてしまうのは何故だろう。これが深夜効果というやつか!? いや、まだ深夜じゃないけど!


「え、えとっ……どうしたんだ?」

『いえ、特に用事はないです』

「そ、そうか?」

『はい。掛けたかったから、掛けてみただけです』

「…………」


 掛けたかったから、掛けてみただけ。


 ……え、なにそれ。まるで掛ける理由はないけど、なんとなく掛けてきた恋人みたいじゃん。やばい、更に心拍数上がってきた!


 深呼吸だ、深呼吸をするんだ。吸ってぇー、吐いてぇー……。


「すぅ……はぁ……」

『…………』


 よく耳を澄ませて聴いてみるんだ。ただの日常シーンじゃないか。


「…………」

『…………』


 ほぉら、落ち着いてきた。やはり平常心になれば、なんてことないじゃないか。


「…………」

『…………』


 そう、まるで雲一つない青空の下、平原で寝転がっているかのよう……。


「…………」

『…………』

「………………あの、あいか」

『はい、なんでしょうか』

「……そ、それだけ?」

『はい』


 いや、マジでそれだけか。

 電話越しでも変わらない彼女にだんだんと調子が戻ってくる。


 まさに言葉通り掛けてみたかっただけらしく、会話をするつもりなんて全くないようだ。

 多分……いや絶対。僕が無言だったら彼女も無言を貫くだろう。


 それはいつもの放課後でも変わらないこと。……なのだが、流石に電話でも同じことをするのは気まずい。


 このままお互い無言で、よくわからない内に切る? ……そんな消化不良感ある終わり方はちょっと嫌だ。


 なら、こちらから話題を振ってみるべき。


「えーと……あいか」

『はい』

「――き、今日、天気良かったね!」

『? はい、そうですね』


 あぁっ、僕のバカ! 『話題に困ったら、とりあえず天気の話』なんて陰キャの思考じゃないか! しかも、もいう夜だし、あいか相手にそれ以上話題膨らまないし!


「い、いつもこの時間は起きてるのか?」

『いえ、普段ならこの時間は就寝中です』

「えっ……起きてて大丈夫なの?」

『はい、多少は』

「そ、そう……」


 しかし……10時にはもう寝てるのか、偉いなぁ。僕なんかなんだかんだで動画を見続けて、日付が変わっても起きてることなんて稀じゃないというのに。


『陽太もそろそろ寝る予定ですか?』

「ん? まあ、もう寝間着に着替えたけど、もうちょっと起きてるよ」

『そうですか。ちなみに私も寝間着姿です。ビデオ通話で見たいですか?』

「見ない見ない見ない!」

『ちなみに私は陽太の寝間着姿、見たいです』

「私欲じゃねぇか!」


 いや、僕も見たくないのかと言われれば、嘘になるけど……いかんいかんいかん! 寝間着なんて破廉恥だ!


『陽太、就寝時間大丈夫ですか?』

「えっ、あぁ、大丈夫大丈夫。僕、この時間はいつも起きてるし」

『読書ですか?』

「んー……読書の時もあるけど、動画観たりゲームしたり。趣味に使ってるよ」

『趣味……ですか』

「? うん、そうだけど……」


 なんでそんな噛み締めるように言うんだろう? 至って普通のことだよね……?


『私、趣味って言えるものがないので』

「……そう、なんだ」

『はい』


 ――それは知ってる。


 普段のあいかを見てればわかる。趣味がないってことくらい。

 最近ラノベを何冊か買ったらしいけど……それも趣味と呼べるかどうか。


「…………」

『…………』


 長い沈黙が訪れた。

 ミルクティーを持つ手がやけに重く感じる。


 あれ……いつもと同じ流れのはずなのに、なんか嫌な感じだ。

 僕らが無言になることは珍しくない。僕は普段ラノベ読んでるし、あいかも特に何かすることはないからだ。


 その沈黙してる時間は割りと嫌いじゃない。周囲の環境音がいいBGMとなり、あの空気感を心地よく感じるからだ。


 でも……今は?


 いつも通りのはずなのに雰囲気が重い。まるで空気に重石が乗っかっているかのようだ。



『……陽太』

「ん、ん? どした?」

『すみません……話す話題がないと、陽太も困りますよね』

「……!」


 それは……初めて聞いた、あいかの弱音。

 彼女も同様に空気の重さを感じてるらしい。普段の積極的ではっきりとした態度とは真逆の、どこか弱々しい声に感じる。


 それは電話してるから? ……いや。


「……あいか」

『? はい』

「やっぱしよう、ビデオ通話」

『えっ』



 僕の提案に、珍しくあいかから戸惑った反応が返ってきた。最初に言ってきたのはそっちなのに。


「嫌か?」

『いえ、嫌じゃないんですが……さっきと言ってることが違うなと思いまして』

「メッセージだけだと喧嘩になりやすいって知ってるか?」

『……いえ、知りません』

「文字だけだと相手の感情が読み取れないからな」


 まぁ、これは冬樹が実際のカップルから聞いた話だけど。


「逆に一番喧嘩になりにくいコミュニケーションは、実際に面と向かって話すことらしい。何故かわかるか?」

『……わかりません』

「相手の顔を見て話すからだ」

『顔……』


 あいかに説明をしながらビデオ通話のボタンをタップする。


【ビデオ通話を開始しますか?

  はい  /  いいえ  】


「実際、どうだ? 僕の顔見ないで、声だけの会話は。不安にならないか?」

『……はい、不安です』

「だろ?」


 表示された選択肢に、迷わず【はい】をタップした。


「やっぱりさ。面と向かって話すって、大事なことなんだよ」

『…………』


 画面に僕の顔が映し出されると……数秒後、あいかの顔も画面に現れた。


 白い壁を背にし、白い電球の下映し出されるのは、見慣れた顔。

 相変わらずの無表情だが……それでもいい。

 あぁ……やっと、いつもの雰囲気に戻れた気分だ。やっぱこうでなくちゃな。


『……不思議です』

「ん?」

『陽太の顔を見たら、何故か急に安心してきました』

「……そう思うなら、もうちょっと嬉しそうな顔しなよ」

『? いえ、嬉しいですよ?』

「それはわかってるんだけどな」


 いつかこいつが表情を変えた瞬間を、僕は見れる日が来るのだろうか。


『ところで陽太。そのまま止まってください』

「……えっ、なんで」

『いえ、陽太には何もしないので。そんなに警戒しなくても大丈夫です』

「えっ、そ、そう……?」


 ……まあ、電話越しだし。確かに何もできないよな。


 言う通りにその場で止まると、あいかはじっと僕の顔を見てくる。



 じーっ。


 じぃーっ。


 じぃぃぃぃぃっ。



 ……どのくらいの時間が経っただろうか。10秒? 20秒? それとも1分以上?

 形の整ったあいかに見つめられた時間は、控えめに言って永遠。


「…………………………あの。もう動いていい?」


 とうとう耐えきれなくなり音を上げると、あいかは「はい」と返事して顔を少し離した。ほっ……。


「えっと、何してたんだ?」


 ちょっと気になったので訊いてみる。今の間はなんだったんだ……?


『かなり珍しかったので』

「珍しい?」

『はい。普段、陽太は眼鏡かけてないので――スクショさせていただきました』


 瞬間、僕はカメラをオフにしていた。


『もう遅いです。今の間に20枚保存してます』

「いや、多い多い多い! っていうか、何も言わずに撮ったなお前!?」

『何か言ったら、絶対オフにするじゃないですか』

「――っ!!」


 それは――確かに。


 しかし、油断してた……就寝前は眼鏡にする習慣がついてしまってたから、何も違和感が湧かなかった……。


「もういい! 今日は寝る!」


 こんな反抗的な態度取ったところで、あいかのフォルダから僕の間抜け面が消えるわけじゃないのはわかってる。わかってるんだけど……それでも恥ずかしいものは、恥ずかしい。


『陽太』

「なんだ!? 言っとくが、毎日電話はしないぞ!?」

『いえ、そうではなく』


 こいつならやりかねないことを先回りするが……どうやらそうではないらしく、少しの間を置いて彼女の口が開かれる。


『おやすみなさい』

「…………」


 それはごく普通の挨拶。

 別に特別な意味合いなどない、誰しもが聞き慣れた言葉。


 でも――僕にとってあいかに「おやすみ」と言われることは、特別な意味合いをしていた。


「……お、おやすみ」

『はい』


 少し冷静になってやや小さめの声で返答すると、あいかは満足したかのように電話を切った。


 こうして、あいかとの初電話は終わった。……いや、嵐のように過ぎ去ってったから、なんか初電話感なかったわ。僕の恥ずかしい写真だけ撮られて終わったような……あれ? こういうのって、普通ヒロインがそういう目に遭うよね? 逆じゃない?? あれ??


「……ん」


 男と女の立場が逆転していることに頭を抱えていると、メッセージの通知音が鳴り響く。


『用事って、どうした?』


 ……やっと来たか。この為にずっと起きてたんだ。

 メッセージ画面を開き、スマホに打ち込んでいく。


『冬樹に調べてほしいことがあって』

『ほう?』


 まあ、説明するより見せた方が一目瞭然だな。画像を添付し、再び文字を打ち込む。


 添付したのは――今朝、僕の靴箱に入ってた脅迫文。


『この手紙を入れた人を捜してほしい

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