廿楽あいかと真剣勝負 2/2話

「――バカなぁっ!?」


 わからせられたのは、僕の方だった。


 あれから一週間。返ってきた全てのテストをお互い見せ合い、勝負に挑んだ。


 その結果は……。


「や、やっぱりなし! こんな勝負、無効だ!」

「陽太。『やっぱりなし』はダメ、でしたよね?」

「……くぅうっ!」


 自分の発言がブーメランのように返ってきて、思わず唇を噛み締める。


 目の前に現れた彼女の点数はおぞましいものだった。

 5枚とも全て90点以上をキープしている。世界史に関しては100点だ。


 まさか、こんな条件で負けるだなんて……! 記憶系は絶対無理だろうから、現代文に全てをかけたのに!


「……なるほど。これだと勉強する内容が偏ってしまうのですね。次回はもっと工夫します」


 対し、僕の点数を見たあいかはそんなことを呟く。いや、お前は僕のお母さんか。


 とはいえ、彼女も全て100点ではない。ということは、僕が勝てるチャンスはいくつだってあったということだ。それでも尚負けてしまったのだから、不公平だなんて言えない。


 ……でも、悔しいなあ。


「さて……勝った人の報酬、覚えてますか?」

「忘れた」

「『一つ、何でも言うことをきいてもらう』です」


 悪あがきも通用しない。

 ああ、こうなったら受け入れるしかない……紳士に二言はないのだ。


「せ、せめて優しいのをお願いしますっ……今月はお金がピンチで……!」

「? いえ、金銭関係の要求はしません」

「そ、そうなのか……? じゃあ、何かのパシりだとか……?」

「いえ、違います」

「……優しいやつ?」

「はい、優しいやつです」


 ほっ……それならよかった。どうやらそういう系統じゃないことを知り、胸を撫で下ろす。


 ……のだが。あいかからの要求は別ベクトルでヤバいものだった。


「ハグ」

「へ?」

「ハグしましょう」

「……………………」


 ………………えーっと……?


「いや、あの……あいか? ちょっと、聞いてもいいか?」

「はい」

「何故、ハグ?」

「この本に載ってたからです」


 と、彼女はバッグから一冊の本を取り出す。って、これ……!


「僕のラノベじゃないか!」

「いえ、私のです。同じものを買いました」

「えぇっ、マジで!?」


 確かにいつも読ませようとも思わなかったし、彼女自身も「自分で買わなくては読む権利ないです」だなんて大袈裟なこと言ってたけど……まさか自ら買ってくるとは……!


「――ここです」


 パラパラと捲り、とあるページを開いて見せる。


 そこには――ヒロインと主人公が抱き締めあう挿し絵が描かれていた。

 こ、このシーンは……!


「自分の道が正しいのかを見失った光輝くんのことを、夢乃ちゃんが優しく抱擁して元気付けるシーン……!」

「……よくわかりましたね」

「その後に続く、『君は今、ここにいる』は名言!」

「台詞まで覚えてるんですか。すごいです」


 いや、教科書を丸暗記できるお前に比べたら全然なんだが。


 まあそんなことはどうだっていい。問題はこのページを見せてきた、という点だ。


「……これを、したいと?」

「はい」


 いや。いやいや。

 それはちょっと……距離が近すぎないか?


「あのな、あいか。こういうのは恋人同士がするものであって……」

「外国でのハグは挨拶の一種ですが?」

「――っ!?」


 外国では……挨拶……!


 いつものように説得しようと口を開いたものの……思わぬカウンターを食らう。そしてそれは、英国紳士を志す僕にとって強烈な一撃だった。


「これは別に同性異性関係ない行為です。恋人や家族はもちろん、友人にだってするんですよ」

「た、確かに……」

「更に付け加えると、女性の方からハグしようとした場合は失礼に値することはありません。つまり、私から申し出ているので、セクハラという問題もないです」

「なるほど……」


 確かに外国ではそういったスキンシップは珍しくもないだろう。


「それに……優しく女性を抱擁できてこそ、なのではないでしょうか?」

「――ぅ、ぐっ!」


 あいかの問いかけが僕の心に深く刺さる。


 や、優しく抱擁できてこそ、本当の紳士……!


「ということでハグがしたいです」

「…………」

「…………」

「………………や」

「や?」

「……やろう……!」

「はい」


 振り絞るような返事を聞き、あいかは席から立ち上がった。

 そ、そう、これは挨拶。合意の上で行っていることだから、決してやましいことじゃないんだ……! それに放課後となった今では誰もいないし、誤解なんてされないはず……! だから、大丈夫なんだ……!


 ……あれ? これ、なんか途中から彼女に乗せられてないか? いや、気のせいか、気のせいだな。考えないようにしよう、うん。


 自然と手が震える。心臓の音がやけにうるさい。これから彼女とハグするのかと意識すればするほど、どんどん身体が熱くなる。


 お互い、向かい合う。あいかがじっと僕を見つめる。


「…………」

「…………」


 ――いや、ここからどうすればいいんだ!?


 恥ずかしいことにハグの仕方がわからない。

 ハグなんて親以外にしてもらったことないし。高校生になればそんな甘えてばかりでもいられないし、そもそも同年代の女子としたことなんて


「あっ、そうでした。私からしないとですよね」

「へっ――」


 僕が反応するより早く――彼女は動いていた。

 目の前にいたあいかが一瞬にして消え……全身に温もりが走る。


「んっ……」


 あいかの吐息がすぐ近くで聞こえてきた時――ようやく自分がハグされていることに気がついた。



 そう……ハグされているのだ。



 ハグされているのだ!



 え、ええええええ。何これ何これ、温い柔い意味わからない。

 抱き心地とか安心感とかそんなの考えられる余裕がない。超近くにあいかがいて、触れあってる部分が妙に熱っぽくて、時々かかる吐息がくすぐったくて、心臓が今にも破裂しそうで――


「陽太」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 突然名前を呼ばれ、思わず声が裏返ってしまう。


「どうですか?」

「ど、どうって……!」


 ――無理無理無理! 感想とか、今答えられるわけがない! だって、だって! ハグされてるんだよ? ゼロ距離越えて重なってるんだよ? こんなん、僕の人生で史上最大の大事件真っ最中なんだよ!?


「いや、あの、そのっ!」


 ダメだ、なんて言えばいいのかもわからない。心地いい、落ち着く……いや、それとも……ドキドキする? いやいやいや! これはちょっとキモい――


「……陽太、可愛いです」


 ポツリ、と。

 予想以上に動揺している僕から何を感じたのか、彼女はそんなことを言い出した。


「いや……あのな? 可愛いっていうのは男に使うものじゃないぞ?」

「でも、本当に可愛いです……私より背が低いのも含めて」

「ひ、低くない! 錯覚だ! ほらっ!」

「あっ、今、背伸びしてますね?」

「し、しししてないっ!」

「そういうところも含めて、可愛いです」

「~~~っ!」


 か、完全に子供扱いされてる……!

 けどまあ、こうして声をかけてくれたおかげで少し落ち着きを取り戻せてきた。めちゃくちゃだった思考回路も徐々にまとまっていく。

 ふわりと女の子特有の香りが鼻をくすぐる。今日持ってきたアールグレイラテとは別ベクトルで何処か安心する感じ。女の子はいい香りがするという都市伝説は、どうやら本当だったらしい。


 何秒――いや何分こうしていただろう。気になって壁にかけられている時計を確認してみるが、そもそも何分から始めたのかすら覚えてないから意味がない。


「……ありがとうございます。もう、大丈夫です」

「あっ……」


 離れる身体。触れていたところが急に肌寒く感じる。


「……えと。どう、だった?」

「はい。とてもよかったです」


 なら、もう少し嬉しそうな顔をしたらどうだろうか。いつもと変わらぬ無表情で答えるあいかに、思わずそんなことを思ってしまう。

 っていうか、僕たちさっきまで抱きあってたんだよな……今になって考え直してみると、かなり際どいことしてたんじゃないだろうか。


 思い返すほど、顔から火が噴き出しそうになっていく。ヤバい、あいかの顔がまともに見れない……!


「つ、次!」

「?」

「次は――絶対勝ってやるからな!」


 恥ずかしさを紛らすかのように声を張り上げる。


「……はい。いつでも待ってます」


 淡々とした返事。

 でも、僕には嬉しそうな声に聞こえたのは気のせいだろうか。


 ……クールダウン、しよう。

 未だ鳴り止まない心臓を落ち着かせるように、カップに紅茶を注ぐ。


 湯気が立ち込めるラテを飲み込むが……不思議なことに、さっきまで甘いと感じているラテが全然甘味を感じられなくなっていた。

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