廿楽あいかとの距離感 1/2話

「――え? 廿楽さんと友達になった?」


 朝のホームルーム前。ポカンとした表情で冬樹は僕を見てきた。


「うん、まぁ……」

「いやいや、展開はえーなおい。陽太、そんな行動力あったのか」

「いや、どちらかというと行動力があるのはあっちだったというか……」

「……ほう? そこ、詳しく」


 廿楽と友人関係になってから早一週間。おそらく校内で初めてであろう廿楽の友達となった僕に待ち受けていたのは新しい風……なんてものはない。


 放課後、ただ二人で残ってるだけ。僕は基本的にラノベ読んでるし、廿楽はただぼうっと僕の顔を見てるか、紅茶を飲んでくれている。


 思い描いていた青春とは少しズレている放課後を、太陽が沈むまで過ごしているだけなのだ。変わらぬ日常に安堵しつつ……どこか物足りないとも感じている。


 何せ廿楽あいかという少女、一切喋らないのだ。確かに「ラノベ読んでるから返事しないかも」とは忠告したものの……それでも一言二言くらいかけてほしい気持ちだってある。これじゃ、あいつとどう関係が変わったのか、わかったもんじゃない。


 ……まあ、一緒にティータイムを楽しんでくれる人がいる、ということだけは感謝してるけど。目の前にいるこいつは全く飲んでくれないし。


「……なるほどなるほど。彼女から友達になろう、と」

「大体そんな感じ」

「いや――めちゃくちゃ青春してんじゃねぇか、おいおい、このこのっ」


 大雑把な説明を終えると、案の定冬樹はニヤついていた。


「いやぁ、いい話を聞かせてもらった。おかげでネタが思い浮かびそうだ」

「……一応忠告しとくけど、今の話丸パクリしたらお前の個人情報全部晒してやるからな」

「安心しろって。一部だけを使わせてもらうだけだよ」


 これは僕しか知らないことだが、冬樹はSNSで漫画を投稿している。特にプロを目指す気はないらしいが、僕の知る限り結構な人気を博している。


「いつも言ってるだろ? 面白くするコツはたった一滴の真実だって」


 なんて言ってウインクする冬樹。そういうサービスは女子にしてやってくれ。

 ……でも、人気なだけで説得力あるな。僕もこいつの漫画面白いと思うし。


「またなんかいい話があったら、よろしくな」

「いや、いつも思うんだけどさ、自分で体験しなよ……冬樹ならそんな難しいことじゃないだろ?」

「ダメダメ。俺は常に観測者サイドでありたいんだ。自分で青春するのは全然違う」

「イケメンなのにもったいない」

「どう言われようが、これが俺の人生だ。ま、俺がイケメンなのは否定しないが」


 そう……こいつ、顔はめちゃくちゃいい癖して自ら他人と深く関わろうとしない理由がこれである。いつか世の中の男子たちに殺されるんじゃないかな。


「でも、それから何か進展してるわけじゃないし……」

「いやいや、廿楽さんの方から陽太に近づいてきたんだろ? なら、何も進展しないってことはないだろ」

「そうかなあ……?」


 相手はラノベの世界から飛び出してきたかのような不思議ちゃん。今後、何も進展なくても不思議じゃない気がする。


「まま、なんかあったらまた話してくれよ。俺も何かあれば協力するからさ」

「うーん……なんかあったら、ね」


 石像のごとく動かない廿楽の背中を見つめながら、一応そう答えておいた。



***



 そんな廿楽あいかがついに話しかけてきてくれたのは、その日の放課後のこと。


「……武藤さん」

「ん? どうした?」

「武藤さんがいつも読んでる本、面白いんですか?」

「――っ」


 何気ない廿楽の一言に、ピシリと口に含んでいたクランベリーティーが凍った。


 夕日に染まった教室。外からは運動部の元気のいい掛け声、はたまた楽器を練習する音が良いBGMとなっている。太陽に照らされた顔半分は暖かさを持っているものの……もう半分は、今まさに氷山の中にいるかのような心境となっていた。


「…………」

「……武藤さん?」

「……あ、あぁ。面白い、よ」


 微妙な空気が流れ、首を捻る廿楽にぎこちなく答える。


「そうですか」

「お、面白くなかったら、こうして読んでないだろ? 本としても出版されてないはずだし?」

「それもそうですね」


 嘘は言ってない。


 面白いと思っているのは本当だ。ラノベは無限の可能性を秘めている。何も取り柄がない僕に新たな世界を吹き込んでくれる、素晴らしいものだ……そうなのだが。

 正直、話題にしたくない。いや、ラノベを否定してるわけじゃないのだ。決してそうじゃないのだが――常日頃ラノベを嗜んでいる者なら共感してくれるだろう。


 ラノベを読まない人……特に女子は入ってはいけない、禁断の領域というやつを。


「……武藤さん」

「ん、ん? どうした?」


 声が震える。

 禁断のワードが彼女の口から飛び出した瞬間……それは戦争の合図となってしまうのだから。


 もうラノベに集中できず、ただただ小さな口を緊迫した表情で観察するばかり。

 果たして廿楽の口が開かれる。


「私にも読ませ――」

「ダメ」


 先手を打ったのは僕だった。

 やはりそういう話題になるか……だが、そうなることは既に想定済み。だから「私にも」の段階でいち早く察し、廿楽が言い終わらないうちに答えていた、


「……何故ですか」


 変わらない廿楽の淡々とした声と表情。だが、少し怒っているようにも聞こえるのは気のせいだろうか。

 いや、それでも僕だって譲る気はない。


「こ、これはそういうものじゃないから。誰かと共有して読むんじゃなくて、一人で読むものなんだよ」

「でも、日中だろうがなんだろうが読んでますよね? 一人で読むにはリスクが高いとも思うのですが」

「そ、そうだけど……よ、読みたいものは読みたいし」

「それに、既に出版されているもの。つまり、他の人が手に取る機会はいくらでもあるはずです。それを武藤さんは何故隠すんですか?」

「……恥ずかしいから」

「何故恥ずかしいと思うものを学校で読んでるんですか?」

「――っ!!」


 クリティカルヒット。

 容赦ない正論が僕を襲う。


 いや、彼女の言ってることは正しい。恥ずかしいと思うなら学校へ、それも人がいる中で読むべきものじゃないと。ごもっともな意見だ。


 それでも――やっぱりやめられないというのがラノベと嗜む者のさがである。

 表紙の可愛らしい女の子が見えぬようにブックカバーで隠し、人がいる中でラノベを読む。これこそが僕の青春だと言っても過言じゃない。


 ……ラノベ読んでる人ならこの気持ち、わかってくれるよね? 絶対周りがいる中で敢えて読みたくなるって気持ち、わかるよね?


「……私はただ、武藤さんと仲良くしたいだけなんです」

「あっ……」


 そうか――そうだよな。

 廿楽には友達がいない。ということはこうやってコミュニケーションをとりたいって気持ちになるのも、当たり前なのか。


 それを僕はくだらないプライドでコミュニケーションを切り捨てて……。


「――隙あり、です」


 彼女に同情しかけ、ラノベを閉じた瞬間……僕の敗北は決まった。


「えっ――」


 吹き荒れる一陣の風。

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 だが、気がつけば僕が手に持っていた聖典は消え失せ……いつの間にか、彼女の手元へと渡っていたのだ。


「ちょっ、おま――!」

「さっき言いましたよね。世に出ているのなら、私にだって手に取る機会があるって。それが書店か、此処かの違いです」

「そ、そういう問題じゃ」

「大丈夫です。例え武藤さんがどんなものを読んでたとしても、絶対幻滅したりしませんから」

「うっ……ぐっ……!」


 げ、幻滅しないと言われたら――何も言えなくなる。

 他の人がそう言ってきたらまず疑うものだが……廿楽の場合、本当のことしか言わなそうだからなぁ。そこまではっきり言われると、慌てて取り返す気持ちも薄れてく。


 それにしても……なんという行動力だろうか。普段は黙って動かないというのに、スイッチが入った瞬間にまるで別人のようなこの変わりよう。末恐ろしいものを感じる。


「…………」


 黙ってラノベを読む廿楽。

 ……空気、おっも。いや、それは僕だけか。


 いかんいかん、こういう時こそクールダウン……冷静になるんだ……!

 カップが小刻みに震える。クランベリーティーを口に含むが……なんだか普段より味が楽しめない。


 いやだって仕方ないだろう。他の人にラノベを読まれるという、もはや拷問に近いことをされているのだ。

 ラノベという未知の世界に、一体どんな表情で読んでるのだろう――ふと気になり、ちらりと廿楽の顔を覗き込んでみる。



 ……ページ、進んでなくね?


 一体、どこをそんなにも熱心に読んでいるのだろうか……なんて思っていたが――パラリ。


「あっ……!」


 最も禁断となるページが開かれ、すぐに彼女が読んでいる箇所がわかった。


 そう、彼女は読んでなどいない。

 通常の文庫本とラノベが明らかに違っているところ――タイトル前のカラーの口絵を見ているのだ。


 オタク系を専門とする絵師が描くカラーイラスト。通常のページではなく、見開きの形として設定されている。


 当然、そこには可愛らしい女の子が大きく描かれているのだが……これが他の人に見せにくい要因になっているのも確かである。


 要するに、ちょっとえっちなイラストなのだ。

 決してR18などではないが……そのギリギリを狙ったイラストが数枚描かれている。

 廿楽はそれを凝視するかのように見続けているのだ。


 しかも、今日持ってきたのはあまあまラブコメ。これがバトルものだったらいくらでも言い訳が可能……いや、待てよ。バトル系の方がイラストが過激な気がするな。ってことは、逆にラブコメであった方が良かったのか。いやいや、そもそもそういう話じゃなくて――!


「……なるほど」


 と。

 そんな葛藤を一人で繰り広げている中、廿楽は満足いったという風にパタリと本を閉じた。


 ……満足というより、最初の口絵しか見てなかったような気がするんだけど。


「ありがとうございます」

「あ、あぁ……もういいのか?」

「はい。主な内容は自分で本を買って読みますので」

「そ、そうか……」


 真面目なんだな。試し読みだとしても序章は読めるぞ。

 なんて思いつつも……不安でしかない。だって、あの口絵を見られたのだ。普通の人ならドン引きしてもおかしくないだろう。


 しかし、彼女が口にしたのは意外な言葉だった。


「武藤さんが喜ぶのなら――私、やってあげましょうか?」

「……は?」

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